237,少年少女は焦る
リティアの望み通り貝殻が見つかって、一緒に貝殻探しをした女の子のグループと明日会う約束をして一旦別れた。帰宅したリティアの挙動不審な言動に何かを勘づいたセイリンとテルが、彼女から片時も離れなくなってしまった為、ディオンは声をかける事もできずに割り振られた1人部屋のベッドをソファ代わりにしながら夕陽を眺めている。結局、ハート型の貝殻は見つからず、あのお嬢様も消えてしまった。恋のお守りという眉唾なものに縋る気は全くないが、それでリティアが意識してくれるのであれば効果絶大だ。
「…何としても新学期始まる前には、振り向かせてみせますからね。」
自然と口から溢れた決意に気がつき、慌てて口を抑える。誰かに聞かれていないか内心焦りながら、息を殺して他人の息遣いが聞こえるかを、耳を澄ませてみたがとりあえず誰も居なかったようだ。ホッと胸を撫で下ろし、再び窓の外を眺めれば、家々の白い壁が赤橙色に染まっていてソラやテルの髪色を思い出す。兄弟で同じ髪色。リティアにも兄がいるそうだし、同じ髪色なのだろう。そして、その考えは1人の男性を想起させた。リティアがコロコロと表情を変えて楽しそうに話し、男性からの贈り物を大切そうに抱き締めて頬を染めたリティア。グレスという彼女の親戚は、元婚約者候補。あの反応をしていた彼女の中では『元』ではなさそうだった。彼は、ディオンと同じ笑みを浮かべる相手でもあり、自分以上にどれだけ上辺から塗ったくっているか定かではない。その仮面をリティアには向けていないが、ディオンには向けてきたあの一瞬。リティアが気がつく事はないだろうが、その表情を思い出すとブルッと身震いした。
「テルとの決闘なら余裕ですが、彼を彼女の心から退けるのはかなり骨が折れそうな作業になりそうですね。」
だからと言って逃げ場を自ら塞いだディオンは、止まる気などない。ずっと、学校の人間が誰も居ない状態でリティアと顔を合わせるタイミングを見計らっていた。邪魔者なしに彼女と向き合う為に。この不安定な2人の関係に終止符を打つ為、ハルドに頼まれたように彼女を守る為にも動かねばいけない。セイリンにからかわれても、この後はリティアのまだ純粋な心を掻っ攫うだけ。そう考えていると、コンコンと扉をノックされる。思考の海に浸っていて、他人の接近に気が付かなかったとは考えられない。ということは、日常的に気配を消す必要がある人間だ。会ったその時から、密かにそうではないかと思っていた。いくら小柄とはいえ、リティアは立派な女性だ。彼女を軽々と抱き上げられる筋肉を維持するその人は、ディオン達と似通うものがあった。恐らくは魔獣退治を生業とする彼女の兄と近しい職業か、こちらと同じ王国団の部類か。あれだけ魔術を使いこなす彼女の親戚だから、王国魔術士と言われても何ら不思議はないし、騎士団の中にもまだ会った事のない人間は数多い。そう睨みながら、こちらも静かに扉を開ければ、
「やっぱり起きてましたね。夕食を食べに行きましょう。テルさんがなかなか昼寝から起きられなくて、ソラさんとセイリンさんが困ってまして、助力を頂ければ有り難いです。」
「リーフィさん、承知致しました。耳元で虫の音でも聞かせればすぐ起きますよ。」
やはりリーフィが立っていた。そしてその後ろにリティアもついてきていた。彼女も確かに気配を消す事があったなと思い返せば、何故彼女までできるのか?この一族自体が不思議に思えてくる。
「フィで大丈夫です、ティアちゃんもそう呼んでいますから。」
何も知らないリーフィは、軽くこめかみを掻きながら裏のない微笑みを浮かべた。
外食に出かける頃には、ディオンからの珍しい悪戯によってテルがギャーギャーと泣き喚く事態になったが、物珍しい料理がずらりと並ぶ屋台での夕食は楽しかったようで、いくつもの屋台を食べ歩いた後はずっとニコニコと笑顔になっていて、リティアは人知れず胸を撫で下ろした。セイリンとディオンは夜から砂浜へ走り込みをしに行き、保護者としてリーフィも同行した。その一方でリビングで力尽きて寝転がっているテルの傍で、彼が起きるまでとソラが静かに本を読んでいて、ケルベロスもまったりと過ごす。リティアは一足先に部屋へと戻り、ベッドの中で蹲っていた。今朝ディオンに告白された事よりも、あの亡霊の存在が歪で気になっていた。リティアの瞳が亡霊を見つければ、そこに精霊が集まっている事が分かるが、視界に入らなければその存在を認知できない。呼吸音も服が掠れる音もないそれは、まるでシャーヌのようだ。ハルドと共に彼女を助けようと考えているがもう手遅れと言う事なのか。ある日を境に彼女からのアプローチが消えてしまったし、精霊が多く集まっている箇所も見つけられない。それだけでなく、以前よりも視界に映り込まなくなった精霊達。あんなにもずっと眩しかったあの子達の姿が、学校生活を続けていく上で瞳に映る数を減らした。集中して『見よう』と努めれば見れるし、ディオンの周りを浮遊している黄色い精霊は相変わらず彼にくっついている事は知っている。精霊が見えなくなっているから、シャーヌが見つけられないのかもしれない。精霊が見えなければ、あの亡霊がディオンに伸ばす手に気が付かないかもしれない、とリティアは密かに焦っていると、
《見る力が弱まっているわけではないよ。》
ポケットの中の『彼』が答えてくれた。リティアは、その精霊石を取り出して眺めれば緑色の精霊がブワッと広がり、ベッドの前で男性のシルエットに変わった。
《ただ、君の興味の方向が変わっただけ。大勢の人に囲まれていても、誰にも興味を示さなかったから精霊を見る事が多かっただけ。学校生活の中で誰かと関わろうとしている君の瞳は、精霊よりも人間を見ているってだけだよ。》
「そんな風に考えた事もありませんでした…」
『彼』の説明のように、確かに現在は入学前より人と関わっている。実家に戻されていた頃は、家庭教師の講義を聞くだけ聞いたら、その後は食事だけ運ばれてきて放ったらかしだった。祖母と住んでいた頃は、日中は森の中で過ごしていたから確かに人との関わりは少ない。精霊だけでできている手で、ふわっと掛け布団の上からリティアを撫でているようで、ほんのりと温もりを感じる。精霊は触れられない存在であるはずなのに不思議だ。
《見ようと思えば見えるから安心して。》
「…どうやったら良いですか?」
優しい『彼』にやり方を聞いてみると、
《君の中に扉がある事をイメージしてごらん。その扉を必要な時に開けるんだ。君の場合、ほんの最近まで見えていたから簡単だと思う。》
リティアは瞼を閉じて、言われた通り扉をイメージする。その扉は生い茂った樹と樹が枠代わりになっていて、足元は根同士で繋がり、左右はリティアの手が回らない程太い幹、上を見上げれば枝達が絡まって枠を作り上げていた。リティアはその枠の中にあるドアノブのない木製の扉に触れて、
「どうか、私の友達を守れるようにあなた達を見せてくれませんか?」
そう願いを込めて扉をぐぐぐっと押すと、
《勿論!これからもよろしくね!》
小鳥のさえずりのような子ども達の声が耳元で聞こえ、それと同時に扉が大きく開いた。向こう側は真っ白な世界が広がっていて、中には見た事もない色の精霊もいる。青と緑、赤と黄色等が混ざり合っていて、リティアの目を楽しませ、もっともっと、と自然と足が動いて扉を潜って向こう側へ、白い世界から植物が譲り合って自生する陽の光が行き届く森林へと姿を変える。扉を閉め忘れた事にも気がつかず、それがいずれ自らの首を締める事になる事など、今のリティアには想像もつかなかったであろう。