23,隊長は多忙を極める
この回は流血あります。ご注意を。
星空を黒雲が覆い尽くし、蝋燭の光では心許なく、松明の火ですら十分な光を作り出せない。その黒き空より落とされた炎の球が、眠っていた町に降り注ぐ。家屋は次々と燃え上がり、怒号と悲鳴が響き渡っている。その声をも掻き消すほどの爆発音が劈く。更には暴風も吹き荒れ、まだ火の手が回っていない建物までもが巻き添えを食らう。暴風の中心に降り立つのは、右瞼に縦に2本の大きな傷跡が目立ち、赤く光る眼をギラつかせた翼を大きく広げる魔獣。町で一番高い見張り台より頭1つ分大きく、見張り台を蹴り飛ばす。地上をちょこまかと動く人間を踏みつけては、一度では事足りず、執拗に足の裏で捻りながら潰す。魔獣が歩くたびにブチッと潰れる音が鳴り、石造りの絨毯が赤く染まる。
「※※※※!!」
女の叫び声が聞こえた。それ目掛けて顔を伸ばし、触れる瞬間に牙を剥き出し、魔獣の鼻の穴ほども大きさのない頭を食い千切った。地上に残った胴体からは血が吹き出し、それには興味を示さず、町を行進する。町の中で身体を捻れば、大きな翼、トカゲの尻尾が燃えた家屋を突き破る。崩れていく瓦礫を再び踏みつけて、破壊を進めていくと、
ザシュ
背中に何かが斬りつけ、緑色の体液が勢いよく飛び散った。ガァア!と吠えれば、身体の向きを180度変えて、地上にいる危険な存在をギョロリと目を動かしては…上から風の刃が降ってきた。右瞼に3本目の傷をつける。魔獣は、絶叫を上げ、なりふり構わず目の前に突進しては、死角から足を切り刻まれる。ぐるんと振り返れば、スティックを構えた青年が数名。その数名は、銀色の肩章のついた白いマントに身を包み、空間に魔術陣を展開する。それ目掛けてまた突進すれば、目の前で数多の光弾が弾け飛んだ。魔獣の身体は反り返り、地面に仰向けに倒れ込む。魔術士団員らは、もう一度スティックで陣を描き、魔獣の胴体に炎の槍を降らせた。呻きながら転がる魔獣に最後の一手をと複雑な魔術陣を描き出そうと
「あああああ!」
魔獣から放たれた炎の球が団員を燃やす。腕がない魔獣は、長い首を横に傾け顔の位置を団員に向けたのだ。再び撃ち込みに口を開く。燃やされていない団員が、慌てて局地的な大雨を降らし、燃やされている団員達を助ける。スティックごと燃やされた団員は、水脹れの指で残った魔石を掴んで焼けた地面に傷をつけ、魔術陣を描き出す。震えた手で発動し、魔獣を埋めつくほどの火柱が上がる。魔獣は身体を焼かれ、焦がされていく。黒く焦げてただれた表皮が異臭を放っている魔獣は、ひたすら絶叫し、乱暴に身体を起こし、ふらふらとながらも空へ飛び上り、雲空に飲まれていった。大魔術を使用した団員は、地面に倒れ込み、彼らを嘲笑うかのように黒雲が嵐のような雨を降らし、燃えた町を鎮め、力を削がれた者に体温を奪う水の塊を容赦なく打ち付けた。
深夜にバタバタと団員達が走り回る。ここは王国魔術士団本部にある医務棟だ。遠方から移動中も治療を受け続けても尚、重症である団員が数多く運び込まれる中、火傷を負った団員の中で1人だけ、異常なほど痙攣発作を起こしていて、その四肢に墨を飛ばしたようなまだら模様が目立った。医務担当の団員が、慌てて医務室内に掛けてある魔術陣が描かれたタペストリーをスティックで発動させると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「こちらは魔法士団本部です。ご要件は。」
「こちら、魔術士団4番医務室のゼソンです。患者に中度から重度の『魔石中毒』を起こした者が1名。至急、『聖者の手』を持つ者に治療をお願いいたします。」
「魔術士団4番医務室ですね、承りました。少々お待ち下さい。」
空間に響いていた男性の声がそう言うと、医務室の扉をノックする音。近くの団員が開けると、そこには、金色の肩章がついた純白のマントが異様に目立つほどの違和感を放つ歪な仮面をつけ、マントの下に着用しているであろう白い服のフードを深く被った男性団員が部屋に足を動かすことなく移動してくる。
「こ、こちらの患者です!」
コクリ。顔だけで返事をして、そのベッドまで浮遊する。驚くほど透き通る白い手で、まだら模様に腐り始めている痙攣発作患者に触れると、徐々に痙攣が落ち着き、まだら模様もゆっくり薄くなっていって、暫くすると静かな寝息が聞こえてくるようになる。周りからは歓喜の声が上がる。フードの男性は、くるっと他の者たちを振り返ると、一礼だけしてその場から姿を消した。彼が消えた後も拍手喝采が巻き起こっていた。
自分の椅子に身を預けるよう深く座り、仮面を外し、フードを下げる。机には山積みになっている未確認の書類の束。銀色の前髪を左手でかきあげ、右手で持ち上げて目を通した書類を右から左へと移動させていく。
「リルド様。このあとのご予定が」
「隊長と呼んで。ここは団内だよ。」
後ろに控えていた隊員兼従者であるリグレスは、同じ銀髪を持つ短髪で、右目の泣きぼくろが印象的だ。申し訳ございませんと、頭を下げて謝る。
「リグレス、本日最後の会議まで30分はあるよね。そろそろ君が持っている報告書を読みたいのだけど。」
右のアームに身を乗り出して、リグレスが持っている封筒に手を伸ばすと、彼は左肩を前に突き出し防衛した。
「申し訳ございません、隊長。こちらはハルドから業務終了後に渡すよう伝言を預かっておりまして。」
「何故…」
こちらとしてはすぐ終わる業務は片付けていきたいというのに。報告書よりもはるか先に、本部内に魔石が2つほど届いていた。そちらは昨夜のうちに保管場所に移動されたが。
「ハルドの話ですと、リティア嬢からのお手紙が同封されているとのことで、それを励みに残業しないよう頑張ってほしいと。」
一族全体で隠しているリティアの事を、団内で知る者は多くはない。下手に知れ渡ると縁談の話が持ち上がって手を取られる。同じ一族内でも遠い血縁のリグレスもそれは理解している為、2人しか居ない隊長室でも、そっと耳打ちする。
「分かった。では、時間になるまで話しかけないで欲しい。」
両手で頬を叩いて気合を入れ直し、リルドは、再び書類の山と向き合う。承知いたしました、と再び頭を下げた。
深夜3時を時計の針が示す。開拓地域を襲った魔獣の詳細な特徴と、今後の討伐計画についてを最後の会議にねじ込まれ、終了予定時刻よりも大幅にずれ込んだ。部屋に戻って、未だ積まれている書類の山を見ればため息もつきたくなる。
「残業をしないようになんて無理だな…。リグレス、先に寮で休んで大丈夫だよ。お疲れ様。」
リルドが帰ってくるまで隊長室で待っていたリグレスに軽く手を振る。それから椅子に座って、机にあるグラスを指先で弾き、魔法で水を注ぐ。もう一度弾くと、カランカランと氷が水の中に現れる。
「隊長でしたらそう言われるだろうと、思いまして、会議に出席なさっている間に、至急とそれ以外を期限別に分けましたので、こちらの赤い付箋のみ目を通して下さい。それが終われば、こちらの封筒をお渡しできます。」
机の上の書類を整理していたらしく、右側に置かれていた赤い付箋をつけた書類を手渡してくる。
「それは助かるよ。この3枚なら30分あれば…!」
まず1枚目に目を通す。今回襲われた開拓地域とは異なる地域との交流における催事の内容とそれに伴って配置する警備隊員の人数と名前を記載するものだ。既に参加する者は決まっていた為、これは簡単に終わる。彼らの名前と所属を記載していくだけだった。2枚目は、魔法士養成学校での演説についてだ。通年通り団長である父が教壇に立つことになっているので、突然の変更がなければ何とかなる。万が一自分が代わりに立つことになっても、スピーチ内容の原稿は手元に保管してある。そして最後の1枚の宛先からしてめったに来ることのないところからで、今まで書類の山を片付けてきても、初めて見る内容だ。リルドは、用心深く読み進めることにした。