228,四番隊隊員は心に留める
祭壇と思える中心部で精霊が集まると、脳内に話しかけてきた存在は遂に姿を現した。水と同化するほどに透明な鱗は、虹色珊瑚の輝きによりサンキャッチャーのように色鮮やかに反射する。今までの魔法士団としての経験上、精霊が形を成す程に強力な魔石が何処かにあるのだろうが、水龍が隠している物はリーフィの目に映らない。護りを授かっているリティアや、自分以外の人間なら見つけられたのだろう。それ1つでかなりの功績になり、団内で認めてもらえる可能性は上がる事は理解している。
「わあ!まるで海そのものみたいですね!その鱗って、水でできているのですか?」
無邪気なリティアの声で、リーフィは思考の沼への入口から引き戻される。
《如何にも。これに形を持たせる事もできるが、そなた達の前でする必要はない。》
「では今の鱗は、オシャレって感じでしょうか?」
水龍相手に楽しそうに話すリティアを見て、少しでも実績を積めれば、隊間異動も夢じゃないと考えが掠めた自分を恥じる。改めて水龍を観察して、その鱗の流れを表すなら水彩画か、刺繍には透明感がないから難しいだろう。
《そう捉えてくれて構わない。》
「芸術ですね。絵心ないので描き留められないのが残念でなりません。」
やっと彼へと口を開くリーフィに、
《表現の形は1つではない。》
こちらの心を見透かすような水龍。彼は、こちらが失礼な思考を持っていた事も分かっていたかもしれない。その深い濃紺の瞳と目を合わせる事が怖くなりリティアへと目を向けると、彼女はキョロキョロと辺りを見渡して、
「セイレーンの歌?」
耳を澄ませなければ聞こえない程の音色に気がつく。それに合わせるようにクラゲがゆらゆらと浮遊していた。
《彼女からの贈り物だな。では、こちらも出向いてくれた礼に何か贈ろう。形の有無は問わぬ、欲しいものはあるか?》
ぬうっと顔を近づけてきた水龍の瞳に飲み込まれるように見つめ合ってしまえば、2人の顔が瞳に映る。純粋に喜んでいるリティアの隣に立つのが申し訳なくなるくらいに、表情が沈む自分までこの目に映すことになるとは。リティアは表情の通りの返答をする。
「私はこんな素敵な海底を見られて満足です!フィーさんは?」
そのキラキラした瞳でこちらの笑顔を向けるものだから、
「え、ないよ!」
肩に力が入り、反射的に答えてしまった。一緒に居られると嬉しい筈なのに、こんな自分に嫌気が差す。海底遺跡で一緒に楽しく探索するはずが、目の前に現れたとてつもなく大きな存在で、リティアの中で自分が霞む。だからといって、魔石を探して戦って戦果を挙げることもできない。魔法の都合上、リティアから手を離してはいけない為、身体の震えが伝わったのだろう。彼女の笑顔が消えて、覗き込まれる。
《欲しい物は口にしなくては手に入らないぞ。》
「…出来損ないの自分には何かを手を入れる価値なんてないんです。」
水龍の言葉につい本音が出てしまう。リティアの瞳が大きく見開いたと思ったら、キッと強い眼差しで凝視される。怒らせたことはよく分かるが、どうしようもできない。
「水龍さん!やっぱり、1つお願いしても良いでしょうか?」
《よい、言ってみよ。》
リティアの眼差しが水龍へ向くと、内心ホッとしたが、寂しく感じる自分に気がつく。彼女に自分を見ていてほしいが、怒る顔を見たくないという自分勝手な感情が押し寄せてきていた。
「私達を背中に乗せて泳いでもらえませんか?」
リティアの願いを聞いて愉快そうに笑う水龍と、その願いが理解できないリーフィ。
「嫌な事も吹き飛ばせるくらいの楽しい時間をもらいましょう!思い出は誰にも搾取できません。」
瞬きが止まらないリーフィに、ムスッとしていた彼女の表情が笑顔に変わる。
「あああ…。ティアちゃん、いくらなんでもそれは迷惑では」
《乗ると良い。時間が許す限り連れ回してやろう。》
悪戯な笑顔の彼女を宥めようとすれば、水龍の笑い声が止んで、手で触れられる位置まで翼代わりの大ヒレを広げてきた。
「水龍さん、ありがとうございます!さっ、フィーさんも乗りましょ。」
リティアが腰に回していた手を掴んでグイグイと引っ張ると、水が後押しする形でリーフィの身体も勝手に押し出されて、海の中でふわふわと浮いて水龍の背中に乗り上げた。
《幼き聖女をあやしていたグリフォンの心情はこれなのかもしれんな。》
「ルナ様のグリフォンは、今どちらにいらっしゃるのですか?」
リーフィの直感が働き、聖女ルナとその従者グリフォンの事だと確信する。古代魔獣の情報はかなり貴重で、リルドに教えられれば喜ばれる筈だ。
《さて…奴は風そのものだから分からんな。》
「もしかして飛龍さんの天空城とかでしょうか?」
しかしリーフィの期待通りにはいかなかった。水龍に即答されて、リティアが不思議そうに首を傾げると、
《あそこには行ったことがないから知らんが、下から見てみるか?》
「良いんですか!?」
違う話をしていたはずだが、目的地が決定したようだ。リーフィがリティアから手が離れないように後ろから腰に手を回すと、彼女が見上げてきてやはり笑顔を向けてくれる。自分にはない括れで腕との間に隙間を作り過ぎないように腕の輪を小さくすれば、彼女と身体が密着した。
《勿論だ。その目に様々な物を映すと良い。》
昔に比べれば本当に大きくなったなと考えていると、快諾した水龍が泳ぎ出す。楽しそうに瞳を輝かせるリティアを視界に入れながら、リーフィは魔法士団員としても彼女の従者としても、中途半端な自分の頭を掠める思考を静かに心に留めた。
リティアは、様々な魚達の群れの中を通過する水龍に乗りながら感激しつつ、頭の片隅では先程のリーフィの発言について考えていた。『出来損ない』という単語は、ずっとリティアが浴びせられていた言葉で、リティアも自分に使って…そう、入学早々にセイリンに真剣に叱られた。時折、その罵られていた自分を思い出しては良くない方向へと思考が動いていたが、今回リーフィから聞いて分かった事は、こんな言葉を他人から聞いてて気持ち良いものではない。それを入学前まで日常的に聞かされ、そう思っていた自分。学校生活が目まぐるしく過ぎていて考える暇も与えられなかったからか、いつの間にか自分からその毒牙は切り離されていたようだ。学校内で誰もそんな言葉をぶつけてくることはなく、後ろ指を指されることもない。一緒にいるメンバーは頼ってくれていると感じているくらいだ。
「…。」
リーフィは何も言わずにボーッと何処か遠くを見ていた。以前の自分にそっくりな彼に強く言わないように心掛けているが、仕草1つで彼の心を傷つけている可能性はある。魔法士団員の彼は多忙な日々を過ごしているはずで、戦闘中にそんな思考になるとは思えない。既に昔ほど落ち込まなくなったリティアには、彼の心の傷を癒やすだけの突破口を見出だせない。だから今できることは、
「フィーさん!あれを見てください!白石鯨ですよ!!本当に白いですね!」
彼の心が底なし沼に落ちないように、彼へと笑いかける。指差した真っ白な岩の大魚が尾ビレを動かせば、その水圧で水龍の上に乗っているだけのリティアの身体がグラッとバランスを崩した途端、リーフィがリティアを水龍の鱗へと押し付け、
「この子は渡さない…!!」
地の底から這い上がる声を上げて、ブワッと黒い靄を広げる。それは水の中で薄れることなく、墨のように範囲を拡大していった。