225,教師は送り込む
動かなくなったカノンをリビングのソファに寝かせてから、ヒメの様子を確認しに窓を開けると、ブルル…と鳴きながらカノンの寝顔を見下ろし始めた。普段ならヒメを室内には入れないが、今日は彼女の優しさが身に沁みた。彼女に任せて夕食の支度に移ると、程なくして4人が帰ってくる。
「俺の可愛いヒメ、どうしたんだ?」
「お、おい、そこで転がっているカノンに『色』がない。」
ラドとジャックの声が、無心で牛ステーキを焼いているハルドの耳に届く。
「…」
孤独になってしまったカノンに何もしてやれなかった。こんな風に、自分の知り得ない所でリティアが、リルドが、殺されていたら…と考えると、腸が煮えくり返りそうだ。その場合、絶対にその相手を見つけ出してひたすら斬っては治療してを繰り返して、簡単に殺しはしないだろう。そんな事を想像していると、キッチンにリグレスが入ってくる。彼にトンと背中を優しく叩かれて、ハルドの瞳から雫が落ちた。
「カノン嬢は、どうしてああなっているのですか?」
「俺が帰ってきた時には、もう既に事切れていた。彼女の心臓は空っぽになっていて、恐らく食事の最中にゼンマイが切れてしまったのだろうね。」
リグレスの質問に答えながら、焼けたステーキを皿に移そうとしてフライパンを持つと、手が震えてフライパンごと落としそうになる。
「…ロゼット様に聞いてみましょう。」
リグレスがフライパンを上から押さえて、ハルドの瞳を覗き込んできて、
「ここは代わりますので、ハルに預けたアリシア様の精霊石を持ってきてください。」
ハルドはコンロの傍から押し出された。リグレスが手際良く盛り付けを始めた為、ハルドは言われた通りに自分の部屋に取りに行く。扉を開ければ、自然とカノンが起きた時のシワが残った掛け布団に目が行き、パンパンと叩いて伸ばしてから机のクッキー缶を開けて石を取り出した。アリシアがカノンを侵食する為に使われたこの石で、精霊人形ロゼットと会話ができるとはどういうことなのか。ハルドには理解し難いが、リグレスの言う事を信じよう。部屋からキッチンへと戻ると、いつの間にかケーフィスも出来上がったスープをよそっていた。
「迷惑かけるね。」
「いや。精霊石については以前リグレスさんから資料を貰ったので、何となく今の状態は理解しているから。ただ、人形の直し方は資料にないから分からない。」
ハルドが声をかけると、ケーフィスは首を軽く横に振ってメインディッシュが既に置かれているテーブルへと運んだ。
「それは…」
ハルドは言葉に詰まる。どうやったらカノンが元通りになるのか。ケーフィスが言ったようにリグレスが資料を持っていたらできるかもしれない。実際、ハルドもリグレスが仕事中に調べてまとめた資料で『精霊石』の特性を知ったくらいなのだから。
「それはもうあの子にお願いするしかないでしょうね。」
これで終わりと言わんばかりにサラダをテーブルの中心に置いたリグレスの発言の、ケーフィスもハルドも首を傾げると、
「リガ・サンニィールですよ。孤児院でのボランティア活動がメインで、魔法士団内で珍しい時短勤務の彼ならそういう伝手もお持ちでしょう。」
「リガにカノンを預けるのかい?それなら俺が調べて」
ハルドの拳に自然と力が入って石を割りそうになり、すかさずリグレスがその拳をこじ開け、
「こちらの一族を信用していないことはよく分かっておりますが、ハルにそんな時間ないでしょう。」
「ハルド、ここはリグレスさんに任せた方が良い。稀にアイツと話すが悪い奴じゃない。校舎内の魔獣退治はお前達しかできないんだ。」
リグレスを後方支援するようにケーフィスからも宥められて、ハルドは肩を落とす事しかできなかった。リグレスに背中を擦られると、パカパカと蹄の音が聞こえ始めて、
「ヒメちゃんも飯食うかぁ!?」
「ヒメ、魔石なら部屋にあるからリビングで待ってろ。」
ジャックとラドの声も近づいてくる。ふぅーと小さく息を吐いたリグレスが、
「そろそろ食事にしましょうか。」
キッチンから顔を出して2人を呼んだ。
夕食時にリグレスが伝達事項を終わらせ、食べ終わると各自自由に過ごすのが普段だ。ただ今日はカノンの件もあり、リビングで立っているヒメに人参を食べさせるかのように、ラドは手から魔石をあげていた。ジャックは、テーブルに乗っているカノンの精霊石に何度も精霊を送っては上手くいかない試行を繰り返し、これ以上身体が分解していかないように薄い掛け布団でカノンの身体を包むケーフィス。洗い物を終わらせてリビングに戻ったハルドが、改めて彼らの人となりを再認すれば、
「このリビングに出ることも入ることも辞さないだけの物を追加で結界を張って下さい。各自、武器を傍に置いておくことも忘れずになさって下さい。」
リグレスの声が静かな波紋のように広がり、誰もが返事の代わりに武器を異空間から取り出して、赤、赤、緑、青、黄色の結界が張り巡らされた。ラドはソファの背もたれの後ろに、ジャックはテーブルから少し離れて窓を背に、ケーフィスはカノンをソファに寝かせたままラドの隣へ立つ。そこに、扉を背にしてハルドとリグレスが進み出て、
「これは、精霊人形アリシア様の精霊石ですが、ここにロゼット様の人格が入っております。」
リグレスが話し始めると、全員が彼へと視線を向ける。彼はテーブルの上にハンカチを敷いてから欠けた精霊石を置いて、
「ロゼット様、ご相談したい事がございます。」
「おじさま、どうしたのー?」
向き合う形で話しかけると、カノンより少し高い幼い声が響いてきた。ハルドが自然と出そうになるものを顔面に力を入れて堪えると、
「隊長補佐を親父呼ばわりされているのですか?」
ラドが焔龍号を臨戦態勢で構えようとすると、ケーフィスが手で待ったをかけ、リグレスも首を横に振り、ラドは渋々と槍を下ろす。
「精霊人形カノン嬢の精霊石が空っぽになってしまったのです。石に精霊を定着させる方法をご存知ありませんか?」
「カノンちゃんのが?あの子はローくん達と創り方が違うんだよねー!人間の魂が入っているっていうか、魔石が入っているはずだよ。」
ケーフィスの手が降ろされてからリグレスが精霊石に話しかけると、ロゼットから衝撃的な発言を受けて、
「ということは、ホワイトムーンストーンだと思っていたこの石は、白濁した魔石なのかい?」
ハルドは慌ててテーブルに置いてあるカノンの石の欠片を握り込み、使い古した魔石を元通りにする要領で精霊を送り込むが、全く色に変化がない。
「うん!汚れているなら、相性の良い相手の高濃度の精霊を流せば直るんじゃない?」
ロゼットが自信有りげに言っているところから、その相性の良い相手はハルドではないらしい。リグレスから手のひらを差し出され、そこに欠片を乗せたが、彼の精霊でも直らなかった。
「ロゼット様、ありがとうございます。カノン嬢を眠りから醒ます為に努力致します。」
リグレスが律儀に頭を下げて礼を述べると、少し遅れて全員でロゼットへ礼をすると、見ているか分からないが、陽気な声を上げたロゼット。
「いーえ!あー、早く会いたいな『僕達の新しいお友達』!」
「どういう意味ですか?」
新しい?カノンが作り直されると言う事なのか?ハルドはすぐさま聞き直したが、もう彼から返事が返ってくることはなかった。リグレスがパチンと両手を鳴らし、
「ヒメ、王都まで私とカノン嬢を連れて行って下さい。」
静かに待っていたヒメに頼むと、彼女は承諾の意を込めて嘶いた。