22,少年は無知である
恐らくは、昨日の夜は言いすぎた。あそこまでテルがむくれるとは思わなかった。生まれてからこの方、ずっと一緒にいたテルが隣で朝食を食べていないというだけで、口に運んでいる厚切りハムの味が分からない。クラスメイトのアギーが声をかけてきた。サーモンピンクの髪がくるくると天然のパーマがかかっている。そばかすが印象的な小柄な男子だ。普段ならテルが座っている左側に座る。
「おはよ!今日はテル君一緒じゃないの?」
「ああ。朝起きたら居なかった。」
嘘ではない。7時過ぎには、あいつのベッドはもぬけの殻だった。普段なら汗ばんで帰ってくるが、いくら待っても帰ってくる気配がなく、朝食時間ぎりぎりになってしまった。
「へー。いつも一緒に居るから意外!もしかして彼女とデートとか?昨日も居なかったし。」
「恋人は、いない。昨日は」
それは断言できる。でなければ、昨晩のあれは何だ。疲れすぎてベッドでの勉強を諦め、ライトを消して転がっていたら、カーテンを勝手に開ける高いテンションが留まることを知らないテルがいた。「リティちゃんは俺を見てくれてた」「すげー天使だと思う!」「ディッ君の彼女さんじゃなければいいな」と、リティ、リティと煩かった。眠いのを邪魔された俺はなんて言った?「別に相手はお前を見てないだろ、ディオンさんと仲良いんだろう。」あの後、かなり沈黙が流れて。テルの口がへの字になって。「なんでそんな冷たい事を言えるの?」と。乱暴にカーテンを閉められた。あの時はやっとゆっくり眠れると思っただけだったが、今は結構きつかったんだと感じる。皿に顔がつくくらいまで項垂れるソラの視界に、小首をかしげるアギーがチラつく。慌ててグイッと首を持ち上げる。
「昨日は久々に口喧嘩したから。だから、今日は一緒に居ないんだと思う。」
「そうなんだー、喧嘩するんだね!案外普通の兄弟なんだね!」
「…どういう意味だ?」
「いやー、兄弟間の上下関係でもあるのかなって。いつもお昼ごはんの買い物はテル君がしているし、テル君はソラ君の前に出て歩くことって走り去るときくらいしかないからさー。それに2人と同室の子が言ってたよ、いつも寝ようと声かけるのはテル君だって。」
「…。」
言われた数々を聞いてみて、今までそんなこと気にしたこともなかった。双子で対等な存在だったはずだ。額に手を当てて記憶を辿る。昨日はどうだった?普段それほどは強く怒らないテルがあんな形相で怒るとは思わなかった。俺はテルをよく怒っているのに…?俺が失敗しても、他の輩みたいに責めることをテルはしなかった。テルがしでかすと、俺はため息をつくし、眉間にシワを寄せるのに。思い出される事柄を対比して考えると、サーッと血の気が引く。次の一口が口まで運べない。カランと、ソラの持っていたフォークが落ちた。ガタッと隣のアギーが立ち上がり、大丈夫!?と、声をかけ、肩を揺するが、ソラの反応がない。
「ソラぁぁあ!朗報だよぉ!」
「どわっ!?」
アギーと反対側にテルの手が飛んできて、ソラの右肩を強く叩く。その勢いで顔が皿に激突…する前に、更に強い力で襟ごと後ろへ引かれて、難を脱した。
「ソラさん、大丈夫ですか!?」
引いてくれたのは、ディオンだった。右隣りにニコニコとしたテルが座ると、配膳係の中年女性が急いでプレートを持ってくる。
「テルちゃん遅いから、体調悪いのかって心配したじゃない!ささ、朝食時間は過ぎてるけど、しっかり食べなさいな!」
「元気よく走ってたから遅くなった!厚切りハムすげー美味しそうー!メリンダさんありがとう!頂きます!」
豪快にハムにかぶり付き、トマトスープも流し込むように飲んでいく。呆気にとられているソラに、早く食べるように促すテル。フォークを拾い、気を取り直して食事を再開すると、今度はしっかり焦げ目のついたハムの香ばしい香りが口の中で充満した。
「食べたらすぐ、寮から出るよ!セイリンさんが中庭で待っているからね!」
テルは、最後の一口をソラよりも早く飲み込んで、白い歯をこぼした。
食事を終えて、アギーを置いていくように別れると、急いで寮から飛び出す。接続通路の端にある扉から、中庭に出れば、優雅に本のページをめくるセイリンがベンチに座っている。それほどの距離はないが、ソラは膝に両手を置き、ゼーゼーと肩で息をした。セイリンは、栞を挟んでパタンと本を閉じると静かに立ち上がり、ソラを凝視する。鋭く眼差しは、獣のごとく。ソラは何事かと思い、眉をひそめながら、顔を合わせる。
「これは他言無用ではあるが。」
セイリンはグッとソラの肩を持ち、顔の高さを同じにする。
「ハルド先生から出された課題がクリア出来たら、1年生の誰よりも早くスティックでの魔術を練習出来るかもしれないのだが、勿論興味あるよな?」
ないとは言わせないと副音声が聞こえてくるような圧をヒシヒシと感じ、ひたすら無言で首を縦に振る。それをしっかり確認すると、肩に置いていない手で自らの下唇に触れながら、ニィと口角を上げる。立派な悪役になれる人間だなと頭の隅で考えてしまう。
「良かった。じゃあ、今から体力作り頑張ろうな…?」
「え?」
「ずへこべ言わず、まずはグランド走るぞ!ほら、行くぞ!」
肩が外れるんじゃないかと思うくらいの力で、グイグイと肩をそのまま引っ張られる。裏表のない良い笑顔のテルが、セイリンに引っ張るの代わると提案して、次はテルがソラの手を持つ。
「テル、酷い事言ったんだぞ。俺を怒っていないのか?」
「怒ってはないよ、傷つきはしたけど!!それにハルド先生にいっぱい聞いてもらってスッキリしたし!そんなことよりソラも走るぞーー!」
体を動かすのは楽しいよ!と、次は腕が引っこ抜けるんじゃないかと思う力で引っ張られる。分かったから!と自分で走ると、3人との距離がどんどん開く。男子寮の建物の外側をぐるんと回るとグランドがある。グランドまでは数階建ての建物でも降りているんじゃないかと思えるほどの下り階段があるため、これを駆け下りる。上から見るとかなり小さく見えるだろう。これだけでも、息が上がる。余裕の彼らとは違う。なんとか降りきれば、誰もいないグランドの端に小籠、本、着用していたローブを置き、セイリンを筆頭に走り始めていた。何が何だか分からない。とりあえず、かなり出遅れながらも足を動かす。グランド2周前くらいでハァハァと口で息をする。腰が曲がってしまい、あまり前を見ることができない為、他の人のように綺麗なフォームで走れない。こちらが半周走り終わる頃には、抜かされていて周回遅れだ。足が重くて歩幅が狭くなり、土に足を取られて身体が前方に倒れ…なかった。セイリンの鍛えられた右腕で、ソラは腹部に手を回され、抱えられる形になっていた。セイリンの腕からずるけて、地べたに座る。
「よく頑張った。偉いぞ。」
ソラの口が走っていたときには開いてしまっていて、乾いて言葉が出ない。
「あ、あの!皆様!一緒にお昼行きませんかー?」
「おお、早くも頑張っているね。感心感心。」
階段の上からリティアとハルドの誘う声が聞こえてきた。見上げれば、両手を大きく手を振りながらぴょんぴょんと跳んでいる。
「今行く!」
と、セイリンが声を張り上げれば、軽々とソラを抱きかかえる。ディオンが慌てて代わると申し出るが却下され、誰よりも先にセイリンが階段を昇っていく。為す術もなく運ばれるソラは放心状態だ。その後をディオン、テルと続く。
「リティ、目が腫れぼったくはないか?」
セイリンは昇りきったら、ソラを地面に降ろし、リティの顔を覗き込む。
「そうかもしれませんね。でも大丈夫ですよ。」
心配をさせてすみませんと、リティアはふわっと微笑んだ。
「ほーら、昼飯を食べに行くよ。そしたら、街で水着買っておいで。」
お金は立て替えるよ、後で返してねと陽気に笑うハルドに、ありがとうございますとお礼を言うディオン。
「み、水着!?何に必要なんですか!?」
驚きのあまり、ソラは飛び上がる。その様子に、ハルドがクスッと笑い、
「おやおや?皆から話を聞いていないのかい?」
そこからニンマリと口角を吊り上げ、
「君達は、20kmの長距離マラソンと100mの水泳の課題をするんだよ。頑張ってね。」
ソラの開いた口は塞がらない。ああ…嵌められたのかとぼんやりとは思えた。