218,少年は乗り込む
深夜にバンズリー家の扉を叩くと、スキップしてきたテルが招き入れてくれた。よくよく話を聞くと、町長が大慌てで突然姿を現した貴族2人を自宅へ招いたようだ。ということなので、
「おう、おかえり!」
「ソラちゃん、お疲れ様。」
晩酌中のバンズリーとビナに快く迎え入れられ、家族4人のような状態が出来上がっていた。まず、テルにボトルと金貨を手渡すと、
「えええ!?」
「受け取れ、本当に助かったんだ。」
金貨に驚いたテルが押し戻して来るものだから、もう一度押し返した。バンズリーが笑いながらやり取りを楽しみ、ビナはソラの分の豆のスープを用意してテーブルへと促す。過度な空腹感に襲われていたソラは、有り難く頂戴し、それとともに美味しいビナの手作りパンを口に運ぶ。
「このパン、好きだ。」
「あら!本当!?じゃあ、明日も作ろうかしら!」
素朴なこの味が良い。ホッとする。ソラの口から漏れ出した言葉にビナは顔を綻ばせて、テルが元気よく手を挙げる。
「あ、俺にも作り方教えて!」
「じゃあ、一緒に作りましょう!今から生地だけやりましょうか!」
早速と言わんばりに小麦粉とボール等を準備を始めるビナの隣に立って、
「やるー!」
腕捲くりするテルを目を細めて見守ると、グビグビと麦酒を飲み干したバンズリーにソラの肩が叩かれる。
「ソラ坊、頑張ったじゃねーか。」
「何を?」
何の事か見当の付かないソラが首を傾げると、
「お前は両親に大事な弟であることを見せつけたんだ。親が絶対的存在の子どもからしたら、なかなかできることじゃない。」
「…ここに来る前に母と喧嘩をしてきました。」
バン!と背中を赤くなる程強く叩かれて、ひたすらジワーッと広がる痛みを堪えた。
「テル坊のことか。」
ソラは、テルの様子を見守りながらコクリと頷く。
「良いんじゃねえか、ぶつかるって大事な事だ。目を濁らせていちゃー、何も見えないからな。」
「俺のせいで苦しめるような事はニ度と起こさせはしない。」
スプーンを持ったまま手が白くなるほど握りしめると、横から労働者の手に手首を捕まれて顔を上げる。ソラの目を覗き込んでくるバンズリーが声を潜めて、
「おい、お前ら2人は対等だ。そこを履き違えるなよ。」
「!?」
彼からの厳しい口調に、驚いたソラの瞬きは止まらなかった。そんな2人のやり取りに気がつく素振りのないテルは、ビナの代わりに生地を練って明日のパン作りに勤しんでいた。
バンズリーの厚意でそのまま家に泊まらせてもらった2人は、早朝から診療所に帰るか話し合って、一応挨拶してからセイリン達と合流することに決定した。昨晩、母に怒りをぶつけたソラは、当たり前のように戻ろうとして、手を震わすテルがバンズリーの家の玄関で立ち竦み、ボロボロと泣き始めた。勿論その様子をビナ達も見ていて、涙を床にまで落とすテルはビナにまだ流れる頬の涙を拭き取ってもらう。テルは何度も宥められながらやっと涙が止まったところで、門を出るところまでバンズリーに優しく背中を押されて、ゆっくりと足を動かしてなんとか診療所前まできた。ここまでの拒否反応が出るほどに学校は心地よい場所なのだろうとぼんやり思っていると、診療所から備品を買い足しにいく父が出てきた。顔が真っ青になったテルの表情が固まると、父が素早く扉を閉めて市場の近くにある町長の家を指差す。
「ソラ、テルを連れてラグリード家の御方のところへ行きなさい。」
「行くと次帰ってくるのは冬だ。」
診療所が忙しい事が分かっているソラが確認をすると、
「良い。またいずれ帰ってこい。」
父は、分かっていると言わんばかりに頷いた為、ソラはテルの手を掴み、
「分かった。テル、リティアさんが待ってるクピアに行くぞ。」
「う、うんっ!」
震えるテルに目をやると、また涙を溜めていた。仕方ないからソラのハンカチで拭っていると、
「ほら二人共、小遣い持って行きなさい。」
父から1人1枚ずつ金貨を握らされて、テルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「あ、ありがとう…」
「いってきます。」
情況がうまく飲み込めないテルと、高過ぎる小遣いを平然とポケットに仕舞ったソラの声は重なり、
「気をつけて行ってこい。」
父からそう送り出される。数歩走る間に必死で逃げるように走るテルに抜かされて、ソラは髪を乱しながら追いかけていると、町長達とにこやかに談笑しているセイリンとディオンを見つけた。走りながら涙を撒き散らすテルがディオンに飛びつき、彼の逞しい体幹によって倒れることなく、大木にくっつく蝉になった。目をぱちくりさせる町長にセイリンが和やかな笑みを浮かべている間に、テルは隠れるように馬車に乗り込み、ディオンに促されるようにソラも乗り込む。テルの隣に座ると、
「ありがとう、ソラ。」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑うテルに、ソラは今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
「礼を言うのは俺の方だ。」
その言葉に首を傾げながらも笑顔を向けるテルをずっと長い間傷つけていたのは、家族そのものだった。それは、俺も同罪だ。許されたいわけでも、罪滅ぼししたいわけでもないが、これ以上苦痛を味合わせないように守らなくてはいけない、と胸の中で密かに誓っていると、ドレスを身に纏ったセイリンとスーツ姿のディオンが乗ってきて、大河をひたすら下った先、河口付近にあるクピア町に向けてゆっくりと馬車が走り出した。
貸し切りにしたホテルの一室で、机の上の構内図を睨みながら腕を組むリデッキとリゾンドは、小半時このままだ。そこに扉を叩いて入ってくるのは、珈琲が入った2つのカップをトレーに乗せたリグレス。
「お二人共、少し休まれて下さい。」
まるで従者のように丁寧に机に置いていくと、リデッキが手で礼を言ってカップを口に運ぶ。それに続くようにリゾンドも口をつければ、
「団長。」
リグレスが、口に含む前のリデッキに微笑んだ為、彼は訝しみながらカップを口から離した。
「リグレス、どうした?」
質問に答えずに笑みを崩さないリグレスが、珈琲を味わいながら飲んでいるリゾンドに右手を差し出し、
「『聖者』の命に従い、答えなさい。リティア様を殺める為に何を画策した?」
光と闇がマーブル状に混ざり合った魔法を発動すると、自ら椅子に張り付けになったリゾンドは白目を剥き、現在までに実行したものからまだ計画段階のものまで赤裸々に語り始め、リデッキは顔を顰める。
「彼が名を連ねた者達が関わっているのは百も承知だ。だが、これをして何になる?」
「次に何が起こるかが分かれば対策できますでしょう?リティア様をお守りするためであれば、リルド様が好まぬ事でも私はやりますよ。その為に今は中立という仮面を被り続けましょう。」
リグレスから笑みが消え、まだ情報を漏洩するリゾンドを蔑むように見下した。
「ここでは裁けぬ。それに折角そなたが淹れた珈琲が危なくて飲めないではないか。」
「裁く必要なんてございませんよ。ハルド、中へ。」
リデッキが肩を落としながらカップを置くと同時に扉が開き、団服のハルドがガラスポットと珈琲豆、ドリッパー、新しいカップを持ってきて、
「団長、こちらが普通の珈琲です。」
リデッキの目の前で、風を駆使して宙に浮かせて珈琲を淹れて、彼の目の前のカップと入れ替えると、
「ハルドは、本当に繊細に風を操るものだな。」
「飛龍との融合前から得意でしたこれらの魔法は、今も健在です。勿論、盗聴もお任せ下さい。リティの健やかなる旅立ちの為でしたら、いくらでもやりますよ。」
パチパチと拍手をする彼に、ハルドは自信ありげに笑みを浮かべた。




