215,少年は黙り込む
2日間乗り続けた馬車から貿易都市の馬車乗り場で降ろされると、誰もが自分の行き先の馬車を探して歩く。ソラは彼らのようには探すことはせず、まだ日の高い時間に都市の西門から出て赤い煉瓦の道をひたすら歩き続けた。自分の実家は貿易都市の隣町で、森を目印にしてこの道を歩けば、大体夜中には到着する。テルが一緒だと、知り合いを見つけてその人の荷馬車の後ろに乗せてもらえたが、今回はそうはいかない。テルは、本当に俺の持っていないものをたくさん持っている。あれだけ心優しい人間を、あれだけ機転が利く人間を、あれだけ他人に愛される人間を両親が蔑む理由が分からない。かなりトレジャーハンターが集うため、彼らの為の店が増えて賑わっている街に帰る為か、人の往来は激しい。黙々と歩き続けている間に、馬車8台くらいとすれ違ったと思う。轢かれないように気をつけようと道の端に寄ってみると、後ろから声をかけられ、
「ソラ坊じゃねーか!」
聞き覚えのある男性の声で振り返ると、ビナおばさんの旦那が荷馬車を操りながら手を振っていた。確か名前は…
「バンズリーさん、お久しぶりです。」
そうやってテルが呼んでいたはずだ。こちらが立ち止まると、バンズリーは顔を綻ばせながら荷馬車を止めて、
「ほら、ボサッとしてねえーでここに乗れよ。」
トントンと彼の隣の席を指差したので、有り難く同席する。ゴロゴロとタイヤが音を立てながら動き始めると、徒歩よりも景色の流れが速くなり、テルは今頃どうしているか、などと頭の中を掠める。バンズリーも同じ事を思っていたようで、
「テル坊はどうした?家内が楽しみにしていたのにいねーよな?」
「テルでしたら、学校で仲良くなった御貴族様の邸宅に招待されて、そちらにお邪魔しにいきました。」
テルの事を聞いてきたので、ソラが簡単に答えると、ヒュー!と口笛を鳴らすバンズリー。
「女か!」
「いえ、男性です。」
ここは即答。セイリンの屋敷ではなく、ディオンの屋敷で世話になる予定なのだから。ディオンに何かしらの礼をしなくては、とも考える。ガハハ!と笑うバンズリーは、
「何だよ、テル坊のことだから良い女捕まえたかと思ったのに!ソラ坊はそこらへん、どうなんだ?」
「俺は…色恋沙汰には興味ありませんので、日々勉強してます。友人達と…」
ソラに興味が移ったようだが、言える事はこれしかない。あのメンバーが友人と思っているかは確認した事はないが、それでもこれだけ毎日居たら思ってくれていると思いたい。
「そこに可愛い子はいねーのか!?」
「…先生にべったりな小さい子どもと、テルが片想いしている小柄な子、気の強い御令嬢しか女性はいないので。」
食い気味に聞かれても正直困る。恋愛感情と切り離すならば、彼女達ではなくルナが気になる。彼女が何故学校に居るのか、どうやって現れるのか、魔獣達の中でどうやって生きているのか、この長い年月を耐えられる彼女の身体について、聞きたいことは山ほどあった。
頭の中がルナの謎でいっぱいになっていたソラは、バンズリーが振ってくる女の好みや綺麗な女性教師の有無などの会話をのらりくらりと躱しながら、馬に引っ張られて夕方には街に帰り着く。実家の診療所の前で降ろしてもらい、扉をノックして入れば、怪我人で大繁盛の我が家だ。父が診察と簡単な手当てをして、母が会計をする。そこにソラが入れば、
「テル!帰ってきたならすぐに手伝いなさい!ソラはお父さんのところへ」
「テルは、いない。帰ってきたのは俺だけ。」
母の怒号がこの小さな診療所の待合室内で響いたが、ソラはいつもと変わらない調子で返答して、杖を使っているのに一番端に立たされている腰を痛そうに擦る老人に声をかけると、
「ゾーン爺さん、こんばんは。今日も腰が痛いか?」
「ああ、ソラ君久しいね。いつもの薬貰えるかい?」
しかめっ面のゾーンの顔が綻ぶ。他の患者の金額の計算をしている母に声をかけてから、
「今、詰めてくるから先にお金払ってて。」
ゾーンに軽く手を振って、他の患者達の間を縫うように診察室に入っていけば、父が脚に深い切り傷がある患者を処置していた。
「ソラ、帰ってきたのか。こちらを手伝えるか?」
「俺は軽い患者を担当する。その方が効率が上がる。」
縫針を見せてきた父に、顔を横に振ったソラ。父は声を荒げることなく、頷くだけだ。どいつもこいつも見たことのない顔ばかり。いつも通りトレジャーハンターか、冒険家か、出稼ぎか、そこらへんだろうと、内心辟易する。このおかげで今の学校に2人揃って通えていると言えばそれまでだが。机の上に出しっぱなしの蒼茸の軟膏を小さいボトルに詰めながら、学校のよりかなり色が薄いことに気がつく。ハルドも特製と言っていた物だし、魔術薬学をやはり教えてもらった方が良いかもしれない。たっぷりと詰めたボトルを持って待合室に戻ると、会計を済ませたゾーンが他の新しい患者の到来で、居場所をなくして窮屈そうに扉の前に立っていた。
「通ります。道を開けて下さい。」
と声をかけて開ける患者は数少ない。
「早く帰りたいなら道を開けろ。」
と不機嫌そのもので押すと、比較的道が開ける。
「何だ、あのガキ!」
と喚かれることもあるが、そういう輩は軽蔑の目を向けるだけで口が閉じる。ゾーンにボトルを手渡して、両手が塞がった彼のために扉を開くと、いつの間にか外まで溢れている患者達。ソラは徹底して軽い怪我人だけを処置していく。殆どがそんな輩ばかりだから。口が元気なやつは特に早めに処置して帰す。金を渋る輩は、診察室からソラが出ていって塩水を怪我した箇所につけてやると悲鳴を上げてから払って帰る。それを2、3人見せつけに行えば、自然と喚く患者は激減した。軽い患者が終わってから、父が担当している患者を手伝う。放置して死ぬほどではないが、それなりに深い傷だ。このくらいになると、ある程度自分達で止血している患者も多く、軽症者より聞き分けが良い。淡々と処置をしていると、ビナが明るい声で挨拶しながら入ってきたようだ。母と話しているようで、診察室まで香ばしい香りが漂ってくると、移動の馬車の中で他の生徒達は食事をしていたが、ソラは朝から食べていないことに今更気がつく。
「先に食べてきなさい。」
と父から声をかけられたが、首を横に振って拒否。目の前の患者に対応して、患者を全員帰してから店の扉の鍵を閉めた。父が診察室の掃除をしている間に母がやっている売上金の計算を手伝う。
「ソラ、休みなさい。良いのよ、こんな雑務はテルにやらせておけば。」
「テルは帰ってきてない。」
金種別に金額を紙に書き込んでいくソラは、淡々と母の相手をする。
「ただでも使えないのに何故帰ってこなかったの?」
「御貴族様に誘われてそっちに行ってる。」
使えないと思うなら帰ってくる必要はないじゃないか、とイラッとするが、ソラは無表情のまま金庫に金を移していく。
「あんなのが?ソラじゃなくて?」
「テルは学校内で人気者だ。俺からしたら母さんが何でそんなにテルを蔑むのか、理解できない。」
父からの患者の処置に関する報告書を紐で纏めながら、信じられないと目を見開く母と顔を合わせないで疑問を投げかけると、
「あら、覚えていないの?あの馬鹿が御貴族様に不敬を働いて、あれを庇ったガンドンさんが自殺を強要されたのよ。そんな奴を生かしてあげているだけ優しいでしょう。」
「…!!」
平然と言ってのける母を衝動のままに蹴り飛ばしたかった。殴って黙らせてやりたかった。これだけの加虐性を自分の中に秘めているとは思っていなかったソラは、口を押さえて黙り込んだ。