214,少年はなりきる
馬車で揺れられながらセイリンの視察についてきたテルは、出発前に中年のふっくらした侍女によって髪を結い直されるテルは、ディオンから念入りに指導が入った。
「良いですか、視察中は従者としての振る舞いをして下さい。町の人と談笑する時はボロを出さないようお願い致します。」
その時は一生懸命頷いたテルは、今や窓から顔を出して移り変わる風景を楽しんでいて、刺繍が少しだけ施されているシンプルな生成りのドレス姿のセイリンは温かい眼差しを向けていた。平原から大河に架けられた橋を渡るときに、
「わぁーー!でかい!泳ぎたい!!」
と叫ぶと、セイリンに背中を軽く引っ張られ、
「今日は泳ぎはしないが、この先に大きな湖の周りに発展した街が目的地だ。折角だから、漁場のカヌーにでも乗せてもらおうか。それまで静かに座れるか?」
「俺、乗ったことない!どんな感じー!?」
提案されると、テルは言われた通りに席に戻ってその街に着くまで彼女に町の見どころをひたすら質問していると、窓の外に町の輪郭が見えてきた。町にはテルの故郷と同じで城壁がなく、馬車がどこからでも入れるように開かれていたが、律儀に煉瓦の道を通って正門であろう場所まで馬車の中で揺れられる。馬車からギギギィと停止の音が響き終わると御者が扉を開き、セイリンより先にテルが降ろされた。大勢の人が馬車の近くに集まり始めていて、中には顔が見えなくなるほどの花束を抱えてくる人や、採れたてだろうか泥の付いた里芋やキャベツとか籠に入れて手を振っている腰が曲がった女性、長い串に4匹の魚を刺して手を振る若い男性など様々な町の人が目を輝かせながらこちらに注目している。テルは気を引き締めてから、よく採取の日にディオンが女子2人にやっているように、中に居るセイリンに丁寧に手を差し伸べると、彼女もそれに応えてエスコートされながら馬車から降りた。その瞬間、
「姫様!!」
「セイリン様!!」
町の人達から耳の鼓膜を破りそうな大声量の歓迎によってテルの目がギョッと見開くが、驚く素振りのないセイリンは、遠くから見ても分かるほど口角を上げて彼らに向けて手を振り、蕾だらけの花畑が一斉に開花するように町の人達も顔を綻ばす。堂々たる振る舞いのセイリンがテルの手から離れて、一番前で礼をする老人に近づけば、
「ご機嫌よう、親愛なるセイカ町の人々と町長。今日はどんな素敵なお話が聞けるのか、とても楽しみにしております。」
「姫様、このような辺鄙な町まで、ご足労いただきありがとうございます。」
笑顔で握手を交わす。目尻に深いシワを寄せる町長と、その隣は息子だろうか。服が悲鳴上げている中年男性とも握手を交わし、その後ろで自分の番はまだかと待っている町の人達の輪へセイリン1人で入っていけば、大歓喜の声が上がってもみくちゃになるほど人の波が押し寄せ、テルが慌ててディオンのように壁になろうとしたが、一緒にもまれてしまった。バランスを崩して前に倒れそうになったテルをセイリンの腕が引き寄せて、テルの波の一部から中心へと招いた。見渡せば見渡すほど、人々の輝かしい笑みの波が押し寄せてきて、隣に立つセイリンが惜しみなく皆へと笑顔を返す。瞬きを繰り返すテルの口が自然と開く。
「凄い…」
これはセイリンと人々の信頼関係が良好に築かれている証拠だ。セイリンを慕う人々が彼女の訪問を心から喜び、それを彼女も受け止めて手を伸ばす。その手の中に彼らからの形ある贈り物を受け取れば、一言二言とお礼の言葉を返していた。男性から溢れんばかりの花束を受け取り、それをテルに持たせると、大人の足元から必死に手を伸ばす子ども達から可愛らしい野花を1輪ずつ貰い、テルの腕の中の花束に挿していく。腰が曲がった老婦人がせっせと採れたての野菜が入った籠を持ってくると波が少しだけ落ち着き、老婦人の道を開けるために2つに裂ける。セイリンが彼女と目線を合わせるために屈み、
「フェーシー、お元気そうでなによりです。」
「姫様は、一段とお美しくなられましたね。老婆はとても嬉しゅうございます。」
微笑むと、彼女も顔をシワシワにしてじんわりと涙を流す。セイリンは、彼女からの精一杯の贈り物を受け取ってからその小さな身体を優しく抱き締めた。近くにいる人々がその光景を見て静かに涙を溢して見守る。そうなる背景を知らないテルは、呆然と立っていることしか出来なかったが、今のセイリンは学校に居る時よりも生き生きとしているように目に映った。彼女と別れてからもあちらこちらから贈り物を貰い、洋品店の婦人お手性のケープを肩にかけ、装飾品店の娘からブレスレットを贈られ、子ども達から手作りの花冠を頭に乗せられる。テルの手も贈り物でいっぱいいっぱいになった時、馬車が場所を動かして街の中心部で待っていて、御者の手を借りて贈り物を馬車に乗せていく。セイリンは空になった手で再び皆からの贈り物を受け取り続けた。
町の人に見送られながら町長達と湖へと視察に行くと、対岸が全く見えないほどに大きな湖でテルの心は高鳴ったが、ディオンなら飛び跳ねないと言い聞かせ、できる限り彼になりきる。漁師達と話を終えたセイリンが、後ろに控えているテルに説明をする。
「ここは先程の大河から孤立した堰止湖なのです。魔獣侵略戦争時に、大型魔獣の軍隊が駆け回った事で、大量の土が水の出入り口を塞ぎ、このような湖を作り上げたのですよ。」
「姫様、新しい従者でございますか?」
それを聞いていた年配の漁師が疑問に思ったようで、セイリンはテルを自分の横に並ぶように促し、
「はい、彼は数日前から働き始めた見習いです。」
彼らに簡単に紹介したので、テルは従者になりきりながら一礼する。他の漁師達もこちらに興味を示したので、テルがニコッと笑顔を作れば、「うちのチビに似ている」「孫もああいう笑顔を見せてくれる」と盛り上がっていた。コホンと先程の年配の漁師が咳払いして、
「そうでしたか。そうなると新人の方は船に乗ったことありませんかね。もしよろしければ、乗ってみますか?」
「良いんですか!?」
セイリンからも聞いていたカヌーへ搭乗の提案をされ、向こうから誘って貰えたことが嬉しすぎて大きめな声が出てしまう。隣のセイリンも笑みを溢し、
「私も久しぶりに乗りたいのですが可能でしょうか?」
「勿論でございます!ただいま用意致しますのでお待ち下さい!」
顔を綻ばせた年配の漁師が他の漁師達に声をかけると、良いかけ声を上げながら陸に乗り上げていた10人くらい用の大型のカヌーを括り付けてある縄から外す作業を始めた。テルはその作業風景を見ながら拳に力を入れ、
「わくわくするっ!」
「ふむ。反対側の漁場に行けばあの大河での大網漁も見られるが、時間が限られている。そこまで贅沢は言えないな。」
喜べば、セイリンは目を細めて頷いた。大の男達のパワーは目を見張るもので、カヌーがどんどん動き湖の中へと入ると、カヌーの端が陸に残った状態で呼ばれ、テルはセイリンの後ろを歩くようについていく。先にカヌーに乗った漁師がセイリンに手を伸ばし、彼女もその手を取ってカヌーの上へと引き上げてもらい、テルも同じようにしてもらって座席に座ると、透き通る湖の上をカヌーが走り始めた。水面の波紋が広がるところに男達がブレードを挿し込んで漕いでいく。キラキラと太陽の光を鱗で反射させる魚達が水面に飛び跳ね、どちらかというと森育ちのテルの目は釘付けだ。衝動のままに立ち上がろうとするテルを止めることなく、セイリンも一緒に立ち上がって、
「素敵でしょう?これが私達の自慢の町の人々が守り続けている宝物よ。」
嬉々とした彼女の言葉は、この湖のように透き通って静かに水面を震わせるように耳に届いた。