196,少女は宣言する
突然の大型のオオカブト蛾とそれが率いる群れの襲来で生徒達がパニック状態になった。リティアが他の採取地を提案すると、メルスィンが駄々をこねたことで、リティア達の真上で大型蛾は鱗粉を撒き散らしながら降りてきて、リティアは傘を発動させて、鱗粉で喉をやれることを防ぐ。幼体程の猛毒性を持たないにしても、魔女茸が喜んで養分にする毒だ。吸わないことに越したことはない。上級生の中で勇敢な生徒達が魔術で攻撃するが、異様に頑丈な翅を持ち、数を打てる初級魔術では歯が立たない。中級を撃てば、小さなオオカブト蛾が身を挺して盾となり、大型は無傷である。リティアも雷雲を発生させようと、スティックを動かせば、背後から火炎玉が飛んできて、持っていたスティックを燃やされた。
「あははは!!あのおじさんの話に乗ってよかった!魔獣に喰われてくれていいんですよ!」
メルスィンが腹を抱えて大笑いをして、驚愕したアゼル達が後退りしていた。
「…知ってますか?」
リティアは声を荒げる事なく冷静に彼女と距離を縮め、
「魔術がなくても、人って簡単に仕留められるのです。」
次の瞬間、笑いをやめない女に飛びかかって押し倒し、その首にスティレットを突き付けて、
「ひぃい!?」
悲鳴を上げる女の頬を左手で平手打ちしてから、相手のスティックを取り上げた。平手打ちしたことで女の首が少し動き、スティレットに血がついた為、水を払うように手首のスナップを効かせて軽く振ると、女の顔に血が付着した。リティアは、冷たく見下ろしながら立ち上がってスティレットをベルトと服の隙間に差し込むと、一瞬立ち眩みに襲われてふらふらと女から離れるように後退りをした。
「こ、この私にそんな無礼を働いて生きていけると思わないで下さい!」
「…私の一族からしたら貴女の一族なんて蝿以下なのですよ。」
泣き喚く女を見ていたら、口を開くつもりはなかったというのに、初めて自分の一族で他の一族を見下す発言をしてしまった。考えた事もなかっただけでなく、そういう目で他人を判断した事もないと言うのに…、リティアは突然口走った自らに驚きながらも、奪取したスティックで大型蛾の上空に雷雲を発生させる。
「あ、貴女なんて知らないわ!魔術士貴族の私が知らないんだから、ふざけた事を言わないで!」
喚く女を一瞥せず、リティアは精神集中させて雷と水の精霊を傍に集め、複数回発動させるが、降り注ぐ雷に貫かれるのは蛾の群れだ。その後に飛龍牙が物凄い速度で飛んできて、無限に溢れる蛾の盾に一瞬だけ穴を開けた。
「私も貴女に興味ありませんので。」
まただ。確かに興味はないがわざわざ言う事でもないというのに、声が出ている。風の刃、氷柱、火柱と、できる限りの魔術で盾となる蛾を倒していったが、きりがない。
「一族の顔に泥を塗る出来損ないはここで首を落とせ!」
「貴方が酷い泥遊びをしているのですよー!ふふふっ。」
上空から聞こえてきた聞き覚えのある男の声に、火に油を注ぐような返答をした自分にハッとして口を押さえて、ここでやっと違和感を覚えた。自分の口は、スティレットを仕舞ってから全く開いていない。考えた事もない事を口にするなんて普通はできないだけでなく、独特の口調には聞き覚えがあった。
「アリシアさん…?」
リティアがやっと口を開き、ズボンのポケットから魔石、否、ムーンストーンの破片を取り出してじっくりと観察すると、彼女を象徴する紫の精霊の比率が高くなっていた。カノンから渡された時に確認をしておけば、こんな売り言葉に買い言葉の状況はできあがらなかっただろうと後悔する。
《よくも我らの鼻を効かないようにしてくれたな!》
ここに来て何処からか駆けてきたケルベロスが、大型蛾以上の大きさに変化して、生徒達の歓声が上がる。大型蛾の上に乗っている何かに齧り付き、その何かは精霊の力で人型に輝いて消失した。
《逃げ足だけは速いな。》
フン!と鼻を鳴らしたケルベロスがそのままのしかかり、大型蛾を水面に押し付けると、盾の蛾達が慌てるように水面と大型の間に入り込み、入水した。その健気な蛾の群れの姿はまるで、
「郡民コオロギみたいな習性、オオカブト蛾にそんなものないはずですよね。まさかっ!」
嫌な予感は的中するものだ。これが『クイーン』ならば対となる『キング』がいる。オオカブト蛾のクイーンが溺死寸前まで追い詰められた時、森よりも遥か上空から大量の鱗粉が雨粒のように降ってきて、リティアが考えるより早く傘を発動させると、真っ赤な椿、白い椿で織り成す大輪の花束が咲き誇る。生徒達にその毒の鱗粉が襲いかかる事のないように咲いた立派な椿の傘は、空を見上げた誰もが息を呑む程の美しさと、優しさという花言葉を体現しながら、光の雪が舞い上がるように消えていった。
「凄いわ…あんな芸術的な魔術見たことない。」
メルスィンの声が耳に届いたが、そちらに気を回せる余裕はない。飛龍牙が遥か上空からキングの肉体を掠ようとしたが硬い音を立てて、湖に到着したハルドの元に帰ってくる。リティアは湖で戦っているケルベロスを傷つけない形で戦わねばいけない。あの硬い装甲のクイーンならば、キングも同様の素材でできているだろう。あれを剥がさねば、まともに戦えない。では、剥がれるまで傷つけるしかない。隣に並んだハルドが飛龍牙を明後日の方向に投げてから、スティックで大風の魔術を発動させる。人が見てなければ本当は魔法で戦いたいだろうが、こればかりは仕方ない。リティアも氷の玉をぶつけてみるが、一向に傷がつく手応えなく、体力だけが消費されていく。
《リティア!このアリシアが、特別に獄炎のやり方を伝授いたしましょう!》
《どうやって私の声を真似たんですか?》
愉快そうに話しかけてくるアリシアに、こちらは質問をぶつけるが、
《それは置いておいてー、指に精霊を集めてから指の腹で潰してください!どんな物でも溶かす獄炎が出来上がりです!》
《精霊は触れられない存在ですから無理ですよ。》
彼女は答える気がまるでなく、話を勝手に進めてリティアのため息が漏れた。リティアは脳内会話しつつも、風のドリルを作り出してキングの目を目掛けて飛ばすが、簡単に逃げられてしまう。
《ノンノン、このアリシアがついていますのでできます。まあ、アリシア無しには無理でしょう!》
《では、アリシアさんがなさってください。》
ご機嫌で答えるアリシアを相手にする必要はなく、彼女の力を借りないでできる事を探す方が良い。何となくだが、後ほど高い利子を請求される気がしてならないのだ。
《リティアが、つ、冷たいのです…》
「リティは他の生徒達と避難して!既にラド達が指示を飛ばしている!」
ハルドの鋭い声で、アリシアとの脳内会話が切れた。リティアはスティックを握りしめて、
「いえ、私は戦います!狙われている私が立ち向かうべき相手です!」
声高らかに宣言してから、スティックを何度も回して集められる限界まで風の精霊を傍に集める。
「分かった、サポートしよう。」
ハルドが頷くと、彼の風とリティアの宙に浮く魔術で大空に、キングよりも遥か上空へと跳び上がった。空中で身体を捻ってスティックを口に咥えてからスティレットを両手でしっかりと握り、キングへと向けてそこから落下する。身体の向きを細かく変えてより良い着地地点を探し、ハルドからの下から噴き出す暴風を受けたキングの動きが鈍くなり、リティアの身体も少し上に上がって滞空時間が増えたが、次の瞬間に風が止んで落下速度が加速する。リティアは剣を含めて身体を1本の線になるように意識しながら、翅よりも首に近い部位へと目掛けて落ちていった。