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188,少年は試みる

 試験間近にしてミートパイを焼く自分は、どうにかしている。昨日の夕方にはハルドは退勤していて聞くことができなかっただけでなく、セイリンが稽古をつけてもらうつもりでいたラドはそもそも出勤していなくて、セイリンの薙刀の矛先がディオンへと向いた。グラウンドを走り回るように追っては逃げて、逃げては追ってと模擬戦に近い状態で稽古をしていると、セイリンの帰りが遅いことで心配して探しにきたリティアに針を投げられて稽古が強制的に終了になった。真剣での稽古は危ないと怒るリティアの気を逸らそうと、セイリンがお詫びと称して日曜日の昼食に何を食べたいかを聞いたところ、

「…では、ミートパイが食べたいですね。」

そう答えたから、今こうやって早朝から材料を用意をしている。セイリンはあまり得意としない料理だが、リティアが食べたいといえば食べるはず。集まるメンバーの胃袋を満たすだけの量が必要で、ミートパイ以外にもカスタードパイや、さつまいもパイ、チョコレートパイなども焼いていく。これだけだと、飽きてしまうからサラダと、野菜スティックでも用意しようと思い、焼き上がるまでの間にレタスを千切っていると、カツンと靴の音が聞こえ、学生用の厨房の扉が開く。

「こんな時間から全員分の食事の用意かい?偉いねー。」

昨日会いたかったハルドが、手伝おうかと声をかけてくる。今このタイミングならば他の生徒も居ない為聞きやすいだろう。

「ハルド先生、おはようございます。このように寮に来られるのは珍しいですね。」

他愛もない話からどこまで持っていけるか不安ではあるが、引き止めてみようと試みる。ディオンはレタスを水が入ったボールに入れてから人参を手に取り、

「もしお時間がありましたら、今日の昼食にする野菜をスティック状に切る事を手伝って頂けますか?」

ハルドへ手渡すと快諾して、慣れた手付きで人参の皮を剥き始めた。ディオンはまずは礼を言うべきだと考え、

「昨日はありがとうございました。セイリン様も薙刀を買われましたし、まさか、私の親戚が生きていると思っていなかったので驚きました。」

「いやー…去年はよく呑みに行っていて、その時の酔っ払いの戯言が実現するとは思わなかったよ。」

笑顔を見せると、ハルドも楽しそうに笑いながら人参2本を剥き終わってリズミカルに切り始めた。

「オギィスさんが何か仰っていたのですか?」

「それはもうこちらがお手上げになるくらいに長話をね。でも良かったね…アイツも君も。」

ディオンは小鍋に水を張って話に踏み込んでみるが、目を細める彼に簡単に流された。慌てて他の切り口を探すと、

「…記憶にはないお方なのですが、あれ程喜んで頂けるとは思いませんでした。」

まるで他人事のように言ってしまったが、ディオン自身も嬉しい出来事だった。ハルドが違和感を覚えていなかいか、じゃが芋の皮を剥きながら表情を盗み見すると、

「ないんじゃない。君の場合、取り巻きに『消された』んだ。」

「先生、濁さずに教えて頂けますか?」

悲痛を帯びた表情を浮かべるハルドに、ディオンには1つの可能性が浮かび上がる。もしかしたら彼は深く交流があった一族なのかもしれないと。前のめりになったディオンに、

「いや、俺よりアイツに聞いた方が良い。1番苦しんだのは紛れもなくアイツだ。君のご両親の最期について君は何も知らない。その苦しみを教えられるのは俺ではないんだ。」

そう言って彼は首を横に振った。ディオンは一族の人間の顔は愚か、両親の顔すら思い出せない自分に気が付かされてしまい、聞くつもりだった頭の中で声が聞こえることもそのまま聞くことができなかった。


 午前中の勉強時間は、香ばしい香りが調合室内を充満してしまい、カノンとテルが途中でぐずる始末だ。リティアがそんな2人を見てクスッと笑うと、

「早めの昼にするかい?」

ハルドも笑い、待ってました!とテルが椅子から勢いよく飛び降りた。勉強道具をそのままにして、ディオンが別の机でパイを切り分ける。ソラは、喜んでいるテルに指示を飛ばして取皿を棚から取らせ、リティアが湯を沸かし、ハルドが引き出しからスティックを人数分取り出すと、ペン先を拭いていたセイリンの目に止まり、

「そこに入れているのですね。」

「そう、人数分ない事もあるけどね。有事の際は使っていいよ。」

はい、とハルドに手渡されてセイリンは目を丸くしながら受け取った。カップを移動させていたソラも手を出し、

「この学校は有事だらけなので、携帯させて下さい。」

「ソラ君、その通りだね。去年はこうじゃなかったのに、本当に今年は酷い有様だ。決まりは覆らないからごめんね。」

ハルドは笑顔のまま彼にも渡して立ち上がり、昼食の席へと移った。茶葉をテルが率先して計り、リティアがポットを傾けていて、ディオンがミートパイを全員の取皿に配っていると、ハルドからスティックを渡された。

「今から何に使うのですか?」

「全員が座ったら教えるよ。」

首を傾げるディオンに無邪気に笑うハルド。そしてそれをジーッと見るカノンがハルドの膝に乗った。

「カノンちゃんは要らないよね?」

「うん!」

頷きながらハルドからスティックを2本受け取るカノンは、紅茶を淹れ終わって隣に座ったリティアに1本渡して、

「テルちゃん!この指とまれ!」

「はーい!」

カノンがスティックを指に見立てて上へと立ててくるくる回すと、地味に小走りで駆け寄ったテルが受け取った。あれが怖い事だとテルも気がついたのだろう。ハルドがカノンの頭の上を虫でも払うかのように手を動かしていて、リティアもカノンの上で真似をする。ディオンの眉間にシワが寄りそうになって顔面に力を入れて我慢して、

「何をしているのですか?」

「え、カノンちゃんがもしかしたら集めたかもしれない精霊を追っ払っているだけ。」

質問をすれば、ハルドに即答された。

「そんなので居なくなるんですか?」

「どうだろうね、不快に感じるだろうから散ると思うよ。」

セイリンが冷たい視線をハルドに向けたが彼は笑顔を崩さないで、パンと手を叩き、

「食べる前に魔術を1つお教えしよう。結構役立つから覚えていて損はない。」

ハルドがカノンを左腕で落ちないように抱えながら、頭上に魔術陣を描くとスティックの先が小さな火を帯びて、その先端をパイへと近づけるとパイから湯気が立つ。

「焦げるからくっつけないように注意して。」

注意事項を述べたハルドのスティックから火が消えると、全員が練習を始めてすぐにリティアは成功する。

「見た目の火のサイズからは考えられない程の熱気ですね。」

「おいしそー!」

リティアの感想と共に彼女のパイが温まると、ハルドの膝に乗っているカノンが足をバタつかせたので、ハルドが目の前で一口サイズに切って彼女の口に運ぶ。ディオンと同時くらいにテルも成功して自分のパイを温め、少し遅れてソラ、セイリンも焼き立て同等の温度で頬張った。口の中で広がるバターの香りを楽しみながらディオンが、

「こんなに便利な魔術もあるのですね。」

「元々は夜間移動用の灯りだよ。魔術は戦闘の武器として発展してきたものだ。それを生活内に落とし込んだだけなんだけど良いよね。」

そう感心すると、ハルドも食べ進めながら答えた。ディオンの隣で大きく喉が鳴ったと思ったら、ソラが立ち上がってハルドを凝視している。

「先生、質問をしても良いですか?」

「ソラ君、勿論どうぞ。」

いつもの笑顔のハルドを睨むように見つめるソラが、

「戦う武器である魔術では、病を治療することは難しいのでしょうか?」

「治癒魔術は存在する事は知っているね。」

唇を微かに震わせると、ハルドがフォークを静かに皿に置いた。

「はい、ただそれは軽症の外傷治療ばかりで、病の治癒魔術は読んだ本の中で見たことがないんですよ。俺は人を効率的に治療する為に魔術を学びにきたんですっ…。」

血が滲み出る程強く唇を噛んだ。

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