180,黒少女は天秤にかける
祝!180話です。
ここまででリティアの無自覚な恋が崩れました。ディオンとの歪な関係は追々で。セイリンはまだあまり進展していないのですが、まあそれはそれで。と、そろそろ彼女達の期末試験が迫ってきております。
昼下がりにあの喫茶店の裏口を通ると、タイミング良く扉が開かれて店内へと促された。下ごしらえを行っている厨房を抜けてカウンター席に座らされると、ティーカップがテーブルに置かれて透き通る色を持つ紅茶が注がれて、その隣にティースプーンと赤いジャムが乗った小皿も置かれた。
「店主、このジャムはどうすればいい?」
「お茶の中に入れて混ぜて飲むと美味しいですよ。」
シャーリーが怪訝そうにすると、目の前で実演をして口に運ぶリファラル。まずは紅茶そのものの味を楽しんでからにしようと思い、紅茶だけで喉を潤す。癖のない口当たり、特有の苦味が抑えられて甘すぎないこの味は、
「ダージリンだ。」
シャーリーの口元が自然と緩む。ジャムを入れて壊してしまうことは勿体ないと思ったが、好奇心に勝てなかった。ティースプーン1杯のジャムを紅茶の温度で溶かして軽く混ぜる。
「それで本日は如何なさいましたか?」
「…上から次の命令が下った。伝えに来た。」
カップを置いて目を合わせると、彼は静かに頷き、
「そうでしたか、ご苦労様です。昼食はハンバーグでもよろしいでしょうか?」
「え、そこまで頂戴するのはその…」
厨房へと向かっていった為、慌てて手を伸ばした。すると彼は振り返って柔らかく顔を綻ばせ、
「私も食事が済んでいませんので、もし良ければ一緒に摂りましょう。」
「あ、ありがとうございます…」
そう誘われるとシャーリーの口から自然と言葉が出てきた。ハルドと対峙する時と異なり、リファラルと話すときは昔の自分が表に出てきてしまう。意識的に汚く使っていた言葉も元に戻っていく。シャーリーは自分の未熟さを悔やみつつ、カウンターの奥へと視線を動かすと、気になる棚を見つけた。椅子から滑るように降りて、カウンターの奥へと歩みを進めてお目当ての物を手に取ってパラパラと捲る。
「小説だ…」
中身は全く知らない物語だった。手紙を受け取った年寄りの魔法士の冒険録のように話が進んでいく。以前読んでいた恋愛小説とは異なるジャンルに惹かれて、シャーリーは立ったまま読み耽ってしまい、コトンと皿を置く音で現実に引き戻された。慌てて本を仕舞おうとすると、後ろからシワの深い手で押し花の栞を読んでいたページに挟まれた。
「お気に召しましたのでしたら、また読みに来てください。孫息子が喜びます。」
目尻にシワを寄せたリファラルが、シャーリーの手からその本を滑らせるように取ってパラパラと捲り、シャーリーを席へと促す。その表情はとても優しさが滲み出ていて、シャーリーは何となく気になって聞いてみる。
「お孫さんのお気に入りの本なのですか?」
彼はパタンと閉じた表紙を軽く撫でて本棚に戻すと、
「気に入っているかは分かりませんが、孫息子が執筆している小説です。」
そう言って席に座って、デミグラスソースハンバーグにナイフを入れる。同時にナイフを入れたシャーリーの目が大きく開き、
「へっ?」
「この本の主人公のモデルが私とのことでして、こんなに彼には格好良く映っていたのかと思うと、嬉しく思います。」
間抜けな声が出たが、本棚を眺めながら話すところを見ると聞き間違いではなさそうだ。
「店主は魔法士だったのですか?」
「まあ、これは作り物の物語ですからね。もしそうであるならば、最後は素敵な終わり方を期待しております。」
リファラルの瞼は閉じられて、口元が緩やかに上がった。彼の余韻に浸る表情を壊しなくなかったが、こちらもあまり入り浸っていると奴らに知られてしまう。シャーリーは温かいうちに味わいながら、話を切り出す。
「今回受けた命令について話してもよろしいですか?」
「はい、お願い致します。」
リファラルの引き締まった表情に、チクッとシャーリーの心に針が刺さった。
「期末試験がフィールドワークとの事で、そこに魔獣を放つので銀髪の少女を誘い出せ。と言われました。」
そう、シャーリーはハルドとの取引で、受けた命令を伝えることと、姉が助かった時には王都へ行くことになっている。ハルドからは姉の最新の目撃情報をリファラルを介して伝えてくることになった。上手くやらねば、先日のように危害を加えられる。あれも依頼者が指示したことだ。市場にあの学校の生徒が来たら捕まえろと命令されたが、運悪く来てしまったテルを逃がそうとした。そしてそれを見られていて、罰を与えられたのだ。先程会った時に、
「これに懲りたら、しかと働け。次は命を取る。」
そう見下された。それでもやっと手に入れたこの機会を逃すわけにはいかない。奴等の命令とハルドとの取引を天秤にかけて、ハルドを取った。
「なるほど。では、伝えておきますね。」
リファラルが紙にササッとメモを取るとエプロンのポケットに仕舞い、食事を口に運んだ。シャーリーはそれ以上は何も言わず、このいつ崩れてもおかしくはない有限なる穏やかな時間を楽しんだ。
ホームルームが終わり、いつものようにリティアと手を繋いで教室の扉をディオンがエスコートするように開くと、
「2人ともお疲れ。調合室に行こう。」
既にセイリンが待っていて、双子もこちらに向かってくる。それに気がついたリティアの手がパッと離れて、ディオンの手には微かな温もりだけが残された。名残惜しかったが、テルの前で追い求めることは難しい。何事もなかったようにいつものメンバーで他愛もない話をしながら、陽気な気候を感じさせるように開いた窓から風が通る接続通路を歩いていると、後ろから桃色の髪の少年が笑顔で声をかけてきた。
「テル君達も図書室行くの?」
「いや、俺達は調合室ー!」
声をかけてきたのはアギーだ。あれ以来、全くと言って良いほどに関わっていない相手だ。魂喰いセイレーンが女性の肉体を造っていた時の彼が正気ではなかったとしても、セイレーンがリティアを食べたなんて嘘をついた事が許せなかった。金剛剣で斬ろうとしたくらいだ。彼は何事もなかったかのようにリティアにも声をかけていて、
「治療のおかげか、最近は全く記憶がなくなることがないんです。」
「それは、良かったです。あ、そちらの窓に近づかない方が良いかと思います。」
テルのようにご機嫌でスキップしてグループの輪から離れるアギーの手を微笑むリティアが素早く掴む。
「どうしたの?」
「アギーさん、説明が難しいのですが、少しずつこちらに近づいてください。」
このリティアの発言はアギーだけでなく、他のメンバーも理解ができない。ディオンは、セイリンと共に通路に何かあるのか用心深く見渡し、アギーは首を傾げながら輪へと近づいてくる。そしてリティアは、
「調合室に行くまでの間で良いのです。アギーさんを離されないようにお願い致します。」
掴んでいる彼の手をディオンの前へと差し出した。ディオンは何度も瞬きをするが、やはり自分に向けられたアギーの手。
「え?どういうこと?」
「リティアさん、あの」
アギーとディオンの声が重なり、笑みが消えて真剣な目つきのリティアが代わりに輪から離れていく。アギーが彼女を追うようにフラッと動くと、
「アギー君、俺と手を繋ごう!」
ディオンの代わりにテルが手を握って制止した。
「よく分からないけど…」
「うん、俺も分からない!」
戸惑うアギーに、ニカッと笑うテル。この2人が仲良いということをリティアは知らないのかもしれない。その彼女を目視で追えば、彼女は人が行き交う中、通路の真ん中でバッグから赤色の粉末の瓶と、紫色の粉末の瓶を取り出して蓋を外すと、
「ゴチソウさん、アイタカッたよ。」
窓から頭を出すように白い血が通っていない女が這い上がってきて、眼球の入っていない窪みがこちらを見ていた。