174,少年は迷う
張り詰めていた場の空気が緩み、ずっと静かにしていたカノンが伸びをして、ケルベロスが大欠伸をかくと、ハルドはフフッと笑いを溢す。
「できるのだから、リティにはもっと自分の意見を誰だろうと発言してほしい。まあ、ソラ君から怒られてしまったけれどね。」
怖い思いさせてごめんね、とリティアの涙でぐちゃぐちゃになった顔を彼は空色のハンカチで柔らかく拭き、リティアも嫌がることなく素直に拭かれている。テルは丸い目のままソラを見ていると、その頬をソラに容赦なく引っ張られて痛がる。
「ハルド先生、魔獣は私達で倒しますので、助言を頂けると有り難いです。」
「勿論、後ろから見て必要な時には声をかけるよ。危ない時は俺も戦うよ。」
セイリンが、リティアの肩を抱きながらハルドへ提案をすれば、彼もすぐに許可をした。
「それと!リティに意地悪をした罰として、今日の昼食はご馳走してください。」
「これはこれは。リティもそれで良い?」
強い口調で迫るセイリンに、楽しそうに笑うハルドがリティアへと確認するとしばしの沈黙が流れ、
「…それなら、武器屋に行きたいです。」
「え!?」
真剣な目でハルドを見上げるリティアと、驚くセイリン。ディオンは密かにセイリンが空腹なのではないかと考える。
「リティ、何か欲しい物あるのかい?」
「はい、私でも扱える物が欲しいんです。」
ハルドが目を細めると、葛藤しているのか、頭がカクッ、カクッと細かく止まりながらもリティアは頷いた。
「分かった、良いよ。でもそれは来週末で良いかな?今日は街に帰ったら探さないといけない子がいるんだ。」
ハルドと約束を無事に取り付けられると、リティアの目は輝いて元気に頷いた。
「セイリン様、昼食は私が作りますね。」
話が終わったことを確認してディオンが、セイリンへと微笑むと、
「頼む。」
ふわっと微笑み返してきた。
ソラの提案通りにまだ見ぬ大型魔獣を役割分担して倒すことになり、攻撃魔術担当の1人は先程の話からディオンに決まる。
「その、向いているだろうというだけで、他の魔術が苦手だろうとは思ってませんので…わ、私は後方支援を希望します。」
リティアはかなり言い辛そうだったが、自分の希望はしっかりと伝えた。テルがリティアに笑顔を向けて、
「俺も後方で水の精霊を集めるよ!」
「セイリンさんは如何しますか?」
テルも後方支援へ立候補し、ソラがセイリンに意見を促す。
「うむ…攻撃に回りたいが。ソラ、私の威力が弱い場合は途中で交代してくれるか?」
「はい、大丈夫です。では、俺も水の精霊を引き寄せますね。」
ソラは嫌な顔ひとつせずにセイリンの意見を尊重して戦闘隊形が決定し、前方右ディオン、左セイリン、後方左にソラ、後方真ん中はリティア、後方右にテルとなる。前方が危ない時は、後方が前に出て盾を発動する形になった。ハルドは、カノンをケルベロスに乗せながら静かに聞いているだけだったが、魔獣の居場所までは先頭に立って周囲を警戒しながら生徒達を先導する。目に見えるほどの霧が現れた時点で、リティアが精霊を引き寄せ始めて、それに続くように両端の2人も引き寄せると徐々に霧の先が見えてきて、異常に霧の濃い箇所だけが浮き彫りになった。ハルドがパンと手を叩いてこちらを振り返る。
「あそこにいるのは大型ではあるけれども、ヌシではないからね。あれは人を喰らうことに快楽を感じる魔獣だ。油断はしないように。」
「はい!」
全員の声が重なった。ディオンも気を引き締めながら、立ち止まったハルドの横を通ろうとすると、
「いずれは君にリティを頼む事になるから。」
肩を叩かれて耳元でそう囁かれる。どういう意味なのかを聞こうと後ろを振り向くと、微笑みながら小首を傾げるリティアと目が合い、慌てて前方を見据えた。入学当初からあれだけ大切にしていたリティアを、まるで自分を悪者にでも仕立てて突き放そうとしているハルドは、かなり焦っているように見えた。例えば、教師の任期終了が近いとか、リティアにとってあまり良い影響を与えない人間が学校に来るとか…。もし前者で自分が居なくなったらリティアを任せると言う話だったら、結構なプレッシャーだ。後者であったなら、どうやって守れば良いのかを考えておかねばいけない。そうこう考えている内に、目の前の濃霧がリティア達によってかき消されて、人間を1度に3人は飲み込めそうな太さの白と黒の斑点模様の大型芋虫の横姿が露わになった。リティアはすぐに何の魔獣か分かったようで、
「あ、オオカブト蛾の幼体です。それも通常の彼らと比べると3倍は大きいみたいです。」
「リティ、こいつに関して何か留意点はあるか?」
全員に聞こえるように話し、セイリンが幼体に軽く視線を送りながらリティアに質問する。その間に複数の脚をちまちまと動かして、頭をこちらへと向けようとする幼体へと、セイリンが雷の小槍を投げ、
「黒い点は猛毒です。触らなければ基本的に大丈夫です。その毒をプールする毒腺が腹部にありまして、腹部を攻撃すると毒を吐き出します。あと、突進しながら唾液を吐き散らかします。唾液が目や口に入ると、激痛が走ります。」
リティアは説明をしながら、霧が発生しないように水の精霊を引き寄せていた。テルは、ディオンにスティックを向けて何かしらの精霊を集めているようだ。
「おい、ディオン。聞いたか?絶対に後方メンバーに近寄らせるわけにはいかないぞ。」
「はい、セイリン様。では、交互に攻撃を繰り出して、動きを封じましょう。テル、何を私の周りに集めていますか?」
セイリンの攻撃が、動かしていた脚に直撃してもがく幼体を見据えながら確認すると、
「いっぱいの風の精霊!」
「ありがとうございます。では、雷も集めてください。」
「はーい!」
テルが声を張り上げると、ディオンは以前リティアが発動させた中級魔術を発動させる為に自分でも水を集めて、風、水、雷の順で魔術陣に描いていく。初級とは比べ物にならないほどに発動までに時間を要したが、相手の上部に白い雷雲を発生させ、局所的だが大雨を降らせて雷を頭に落とした。ジュッと肉が焼け焦げる音がしてから、セイリンが周囲に集まった水の精霊を使って小槍を連射する。
「セイリンさん、小槍以外に攻撃魔術は?」
「すまない、これしか知らない。」
ソラからの鋭い指摘に、セイリンの肩に力が入った。セイリンの小槍は、ディオンが負わせた傷に当たり、幼体は悲鳴を上げて身体を膨張させる。
「では、ディオンが威力の高い魔術を放つまでの間、敵の足止めに連射してください。」
「ああ!」
ソラが前方に出るのかと思えば、戦闘方法の変更を提案されただけで終わった。ディオンは、ホッとして小さく息を吐く。すぐに後方へ下げられたらセイリンは確実に落ち込む。それをリティアに言えば良いが、授業で習った魔術以外もかなりの種類が使えるリティアに言ったところで…と考えれば、言わないで1人で打ちひしがれている可能性が高い。セイリンが小槍の連射をして相手を足止めしている間に、氷の杭を敵の背中へと降り注がせて身体に穴を開けていく。幼体は身動き1つ取らなくなり、ディオンがとどめを刺そうと雷の魔術陣を描き始めたところ、
「下がってください!」
「その場から逃げるんだ!」
リティアとハルドの声が重なって、魔術を発動させたばかりのセイリンはすぐにリティアの傍へ飛び退いたが、ディオンは魔術陣を描くことを途中でやめるか迷った。下手にやめると、不完全な魔術が発動してこちら側にも危険が及ぶ。相手が何をしてくるか分からないが描ききってから逃げることにすると、リティアがディオンの隣に飛び出して先程まで練習していた盾を応用して水属性の盾をディオンの前に発動させた。