170,少女はハッとする
祝!170話!ここらへんは、テルやシャーリーが多めとなっております。夏休みまで時間が案外あって、早く来ないかしら…。
カノンとケルベロスが左右に座っている。ここは生徒用玄関。今夜もリティアは、この場所でシャーヌを待つ。他のところでも良かったが、ラドが生徒を追い出すとシャッターを締めてしまうので、下手すると残される可能性があった。
「いくらなんでも丸腰で教室内で一晩過ごすのはちょっと…」
《だったら、あの娘のように剣でも持てばいい。》
ケルベロスが大欠伸をしながらリティアの独り言に反応すると、
「か弱い女の子はそんな物騒な物を持たないのよ!」
リティアが話すよりも先にカノンがケルベロスに対して怒った。
「剣だけだと、心許ないです…。この街でしっくりくる物が手に入らなそうなんですよね。」
「リティアちゃんが剣なんて野蛮な物を持つのヤダ!」
街の市場や、武器屋を軽く見た時に使えそうな物はないと感じていたのでそれを素直に伝えると、カノンがブーッと頬を膨らました。
《飛龍のところの奴らに頼め。そうしたらそこらで売っているガラクタよりは良いものが手に入る。》
「お忙しいお2人にそんな雑務を増やしたくありませんから、大人しくここで待ちます。」
そんなことは気にせずに話を続けるケルベロスに、リティアはプンプン怒るカノンの頭を撫でてご機嫌を直そうと努めていた。シャーヌさんは、本当に見なくなった。以前彼女と歩いていた女子生徒達に失せ物を返却するときに接触できたので聞いてみたら、そのグループ内で彼女の存在を知っている、知らないに分かれてしまった。どこの組にも属していないことを知っている人はいなくて、他の組だと思っている発言もあった。
「おまたせ!」
「テルちゃん!待ってたー!」
リティアが思考の海に落ちる前に、笑顔のテルが手を振って男子寮の方から歩いてきた。カノンがパタパタと駆け寄って足に抱きついた。予想と異なる所から現れたテルに、リティアは首を傾げる。
「あれ、お仕事ではなかったのですか?」
「今日はアルバイトは休みで、ケーキとクッキーを焼きに行っただけなんだ!リファラルさんお手製の葉苺ジャム付き!」
カノンと仲良く手を繋いでリティアの隣に座るテルは、とても良い笑顔だ。カノンがテルの膝に座ると、テルから小さな袋がカノンとリティアに1つずつ渡され、
「リファラルさんと作ったんだ!どうぞ食べて!」
「料理できる男の人って格好良いー!」
カノンがぎゅっとテルの腕に抱きつくと、
「わかるー、リファラルさんはほん」
うんうんと相槌を打つテルの唇に、カノンはすかさず愛らしい人差し指を当てて、
「テルちゃんがカッコいい!」
「あ、ありがとうっ!」
ニコーッと高圧力の笑顔を見せれば、テルの声が裏返った。その姿が微笑ましくて、リティアはクスッと小さく笑うと、ケルベロスが左の頭を膝に乗せてきて、あと2つが床につきそうになる。慌てて足を伸ばして座って、他の頭達も膝に乗せてあげた。脱力した頭は結構な重量だったが、少しの間だけでも我慢する。
「お、美味しく作れていると良いんだけど…。」
少し自信なさそうに呟いたテルは、まるで試食していないかのような口ぶりだ。ハッとしたリティアは、渡された袋を開けて中身が少し揺れる小さなジャム瓶を取り出してからチーズケーキを袋の中で2つに割り、そこにジャムを瓶から垂らすように乗せて、
「テルさん。はい、あーんです。」
彼の口にジャムが今にも溢れそうなケーキを運ぶと、何故か口がきつく閉まって頬が林檎のように赤くなっていく。
「テルちゃん!早く食べないと可愛いカノンちゃんの頭にジャムが落ちちゃう!」
「い、いただきます!」
パカッと開いたテルの大きな口が、ケーキを一口で掻っ攫っていき、ひたすらもぐもぐと食べている隣でリティアも口に運ぶ。口の中で広がる葉苺の甘酸っぱさと、ほんのり感じるレモンの酸味。濃厚なチーズケーキと混ざり合って、頬が零れ落ちそうなほどの美味だ。もう一口と口に入れるとジャムの独特な香りに心が揺さぶられ、
「懐かしい…」
そう自分で呟き、そしてハッとした。この味を知っている…?
「リティちゃん、食べたことある!?」
キラキラと輝いた瞳を向けてくるテルに、一瞬ギョッとしたがすぐに表情を戻して頷く。
「恐らくですが。この味、昔好きだったものだと思います。ただ、何でしょう…」
リティアの身体に1番近いケルベロスの頭に、大粒の涙がボトッと落ちた。リティアにも分からないものだ。
「…大丈夫?」
「…ごめんなさい、こう…その、頭が…」
優しく涙を拭ってくれるテルに、上手く説明ができないだけでなく、急激に呼吸がしづらくなって、袋を持っていた手が震えて袋を落とし、美味しそうなクッキーが飛び散った。ケルベロス達が膝から降りて器用に舌で拾って食べていく。そしてカノンが代わりに膝に座り、リティアを見上げる。
「ああ、いけない。リティアちゃん、貴女はとても良い子よ。だから『カノン』を見て?」
「あ…」
カノンに誘導されるように彼女と目を合わせると、目の前で漆黒の幕が下りた。
瞼を閉じたリティアの呼吸音が落ち着くと、ケルベロスの横腹を枕にするように倒れて眠りについた。カノンが走っていなくなってからのテルは、顔を真っ青にしてその前で正座をしていた。
「テル君、驚いただろう。」
もう仕事の時間は終わったであろう私服のハルドがカノンを片腕に抱き上げて、テル達の傍へと走ってきた。来たと分かっていても、合わせる顔が無いテルは俯いたまま涙を流し、
「いえ、悪いのは俺です。リティちゃんが喜んでくれると思って、深く考えずにプレゼントしたんです。リファラルさんから聞いた時に、下手に首を突っ込んじゃだめだって思ったのに。」
ハルドから降りてきたカノンが、リボンがついた桃色のハンカチを貸してくれたが、それを断わって自分のハンカチで拭った。
「…そう、なんだね。…リティを医務室に運んでからゆっくり話そうか。」
「俺のせいですみません。」
ハルドが口を開くまでに少し間が開いたことは、俯いているテルでも分かる。自分のせいで彼らに迷惑をかけている。そんな自分の頭をやさしく撫でてくれるハルドは、
「謝ることではないよ。カノンに伝えておいて良かった。」
そう言うと、眠っているリティアを大切そうに抱き上げて、自分の肩に顔が乗るように身体を少し逸らしながらテルの隣に立つ。
「そうね、自分にも踏み込まれたくない事があるようにこの子にもあるって憶えておいてね。」
外見年齢からは想像できないような大人びた口調でテルを叱るカノンの言葉は、今のテルにはかなり響いた。
「はい…」
「行こう。」
テルは力なく頷き、ハルドに促されるまま医務室へと向かった。医務室にゴーフル先生は居ないが、ハルドは当たり前のように扉を開いて、リティアを靴を脱がせてからベッドに寝かせて白い布団をかける。そのベッドの隅にカノンとハルドが腰掛け、近くの椅子にテルも座る。その隣にケルベロスが伏せの姿勢になった。
「…リファラルさんに聞いたんです、葉苺ジャムはリティちゃんが幼い頃好きだったって。食べたときに、美味しいねって言えば良かったのに、俺は『食べたことがある』かを聞いたんです。そしたら、涙が溢れて、過呼吸まで起こしてしまったんです。」
「無理に思い出させようとしたんだね。」
ハルドが話し始める前に自分から告白すれば、ハルドの眉間に少しシワが寄った。
「はい。」
「彼女の過去を俺から話す事は難しい。一度壊れかけたこの子に笑顔を戻すまでにかなり苦しんだからね。」
テルが深く頷くと、眠っているリティアへとハルドは視線を向けるて、顔を歪ませながら目を伏せた。




