162,少女は目測を誤る
金剛剣の刃を顔で受け止めた蝿は、火の粉を散らして踊り場の手すりを焦がしながら1階へと落ちていく。まだ無事な手すりの上からリティアが覗き込むと、蝿は、ひっくり返って足をバタつかせていて、
「剣に手応えはありましたか?」
「はい、肉を斬ったと感じたので剣で対応できる相手かと思います。しかし、リティアさんの炎の魔術を受けても尚あのように飛んでいることが不思議です。」
手すりに近寄ったディオンも蝿の生存を確認すると、手すりに足をかけて飛び降りて、身体と剣を一本の線にするように剣を蝿に突き刺した。リティアは、鎮火の為にスティックを回して雨を降らせると、蝿の全貌が見えてくる。
「こいつはきっとキメラなんだ、変な鱗の羽根を持っている。それに本の題名もキメラ体についてだった。」
「…必ずしも本の題名と中身は一致しませんので何とも言えませんが。」
セイリンの考えているようにキメラかもしれないし、元々こういう魔獣なのかもしれない。魔法罠用の本は手にさえ取ってもらえればよいので、題名は興味を引けば何でも良い。ディオンが優勢であるそこに駆け寄ろうと、蝿の様子を見ながら階段へ近づくと、足元が揺らぐ。
「リティ!」
大きく踏み込んだセイリンの手が伸びてくるが、リティアの身体が落ちる方が早かった。踊り場に穴があったことは分かっていたはずなのに、蝿に気を取られて目測を誤ったようだ。リティアは足から着地すると咄嗟に転がって衝撃を逃がす。
「大丈夫か!?今、何か引き上げる物を探してこよう!」
「セイリンちゃん!皆さんは私のことよりもそちらの魔獣達に集中してください!既に私の前には…」
慌てて穴を覗くセイリンの提案を断り、すぐさま立ち上がってスティックを振り始めたリティアと、
「ラフレシアを顔に持つ大型蜘蛛が狙いを定めて来ております。」
蜘蛛の巣に張り付いている赤い花との間には緊張が高まっていた。火炎玉を発動させて相手を攻撃しつつ、この空間を見渡せば、拷問器具がいくつも設置されている。中には拷問を受けたまま磔台で死に絶えた人間の白骨死体に人面蜘蛛が群がっていたり、蜘蛛自体がアイアンメイデンの釘に刺さって他の仲間がまたそれを食べようとして刺さっていたりしているようだ。ラフレシアへ火炎玉を連射すると、勿論の事ながら相手も飛び退いて逃げる為、度重なる火炎玉が壁を燃やしていき、狭い隠し通路を曝け出す。リティアは、ラフレシアが上部から糸を吐き出すとそれに合わせて火炎玉を放ち、近くの人面蜘蛛には炎の刃で対応しながら、通路へ逃げ込んだ。これならば、蜘蛛は上から襲うことができず前方のみとなる。後はひたすら火炎玉を打ち続け…そう思った矢先、隠し通路の奥からうめき声が聞こえてきて、リティアの背筋は凍りつく。自分から入り込んだある意味逃げ場がない道で、袋の鼠になる可能性が出てきた。火炎玉を浴びながらも蜘蛛が無理やり身体を通路に入れようとしてきて、前は完全に塞がった。火炎玉の威力が弱いのか相手の身体に少し焦げ目ができるかどうかの状態で、後ろに逃げるか、それとも…
「1人で何匹も相手することは無理です。」
リティアは素早く、水、風、雷をスティックで描いて自分よりも小さな雷雲を発生させると、そこに更に風を吹かせた。雷を伴う雨雲が蜘蛛の顔にぶつかってバチバチと音を立てると、顔のラフレシアが萎んでいく。その萎んだ顔に氷の小槍で畳み掛ければ、花弁に大穴ができて胴体に刺さった。緑色の血が流れると、後ろからついてきていたであろう人面蜘蛛達がたちまち貪りにかかり、リティアの目の前で生きたまま喰われていく。
「…1番厄介なのはどうもあの小型蜘蛛みたいですね。」
そう呟きながら雷の小槍をラフレシアの大穴へ放ち、更に血を出させて人面蜘蛛達の食欲を誘い、ラフレシアに噛みつく数が増えたことを確認したら踵を返して、先程のうめき声の主を捜す。人1人通れるくらいの狭い通路を1番弱い炎の魔術を使ってスティックの上に灯しながら歩き、時折分岐点がないかとその炎をぶつけてみるが、手応えなかった。突然の通路に終わりを告げたのは、窮屈に曲がった細い階段だ。うめき声が聞こえた先はこちらなのか、これ以上の道が無い為に階段を登るしか無かった。バッと後ろを振り返って蜘蛛がついてきていないかを確認してから、足音を立てずに駆け上がる。
階段に向けて漏れ出している光を見つけ、体勢を低くして警戒しながら光の傍へ近づくと、それは精霊が充満している小さな部屋だった。赤い布が敷き詰められた床が視界に入り、その部屋の中心には木製の棺があった。それ以外に何もない。リティアは唾を飲み込み、その棺に手をかける。リティアの手を通して、パァァァと精霊が棺の中に飲み込まれていき、勝手に棺の蓋が開くと、リボンをふんだんに使った可愛らしい桃色のロリータドレスを着たパールピンクの髪色の幼女が目を瞑っていた。その子の手首には球体関節が見えて、
「え…?精霊人形?」
リティアから溢れた声に反応するように紫色の精霊が集まり、見知った女性が現れてくるくると回って、ピタッとリティアの前で止まって笑顔を向ける。
「正解ですよ!リティア!貴女の手でその子を起こしてあげてください!」
「アリシアさん、こんにちは。先程のうめき声は何だったのですか?」
リティアに迫るキラキラと輝く瞳のアリシアが、セイリンによく似ていると思い、クスッと笑ってしまうと、アリシアがぷくーっと両頬を膨らます。
「もう少し驚いて下さい!寂しいではないですか。あの獣の声は隣の部屋からでーす!」
「アリシアさんだってわかりましたから。」
何だか反応が子供っぽいと思いつつ、彼女が自ら話し出す情報を待つ。何を求めてきて、何がリティア達のメリットになるかを見極めねばいけない。リティアが微笑むだけでそれ以上何も言わないでいると、アリシアは片頬だけ膨らませたまま棺に近づき、
「うう…。まあ、とりあえず、この子はレインの野郎が隠していた精霊人形です。ルナに創り方を教えてもらって頑張ったお人形、カノンちゃんです。」
中で眠るその子の髪を愛おしそうに撫でて、その額にキスを落とした。
「レインさんってあの…?お会いしましたが、悲しい方でしたね。自ら正気じゃないと言ってのけて悪者になろうとしているような。」
釣り上げたあの口元も覚えているが、彼の発言で見せたセイリンのあの動揺には、あの2人が築いた関係性があるはずだ。セイリンが本当の悪者にあそこまでの感情を見せるとは思えない。ということは、彼女には彼の本当の誠実さを見せていたかもしれない。リティアが目を伏せて考えていると、口をへの字にしているアリシアが指でリティアの額を弾き、
「アイツのことは、リティアが気にすることではないのです!この子には見せられたものではないけれど、わざわざアイツが貴女達の目につくように本を表の学校に出したのだから、アイツとしては助けてあげたいのでしょうね。」
その緑色のガラスの瞳からポロッと涙が溢れていた。




