148,少女は扉をこじ開ける
棚が退かされると、一見何の変哲もない床がそこにあるだけだ。
「リティちゃん、何もなさそうだけど?」
「今、見えるようにしますのでお待ち下さい。」
精霊が密集している鍵穴の下にオピネルナイフを尽きてると何かしらの窪みに入る手応えがあった。
《小娘、後悔するなよ?》
《ケルベロス、これも勉強だから手を出さないでね。》
ケルベロスとハルドの脳内会話が聞こえてきて、やはり何かを隠しているハルドが視界に入るように顔を少し傾けると、ただニコニコとしているだけ。何を聞いても言う気はないのだろうと理解し、ナイフを時計回りに回そうとして力を入れたがびくともしない。歯を食いしばってもう一度試すが結果は同じ。ハルドは手を貸す気はないだろうと考え、ハルドの後ろに居るテルではなく、比較的近くにいる扉付近のソラに声をかける。
「ソラさん、ここの仕掛けを回すことを手伝って頂けませんか?」
「?俺で良ければ。」
ソラが不思議そうにリティアが握っていたナイフを代わりに掴むと、リティアの背後から刺のような視線を感じ、
「テル、目が煩い。」
「初めて言われた!何それ!」
ソラが視線を向けた張本人を叱れば、狭い教室が賑やかになり、
「俺も初めて言った。羨ましいそうに見るな。」
2人から火花が飛び散る雰囲気が現れ始めた。ハルドは笑顔のままで、ラドは静かに見守っている。
「黙れ!あー、面倒だ!テルは目を伏せてろ!」
兄弟喧嘩の勃発をセイリンの怒号が終息させ、テルが渋々とハルドの背中に隠れる。ため息を吐いたソラがもう一度グリップを握り直して、顔を赤くしながら時計回りにナイフを動かし、
ガチャ…
何かが外れる音がすると、目の前の壁がリティア達に向かって動き始めた。咄嗟にソラの腕を引っ張ったリティアは、ソラの背中を守るように後方の楽器の山にぶつかり、頭上からフルートやトランペットのケースが落ちてくるが、静かに揺れる風のおかげで身体を滑るようにケースは転がった。ハルドの方を向いて小さく頭を下げると、彼は目を細めてきて、
「リティ、ソラ君大丈夫かい?立てる?」
リティアに手を伸ばしてくる。リティアもその手を掴もうとすると、目の前で尻もちをついていたソラが、突然何かに弾かれたように扉の向こうに走り出した。ぎょっとしたリティアも追いかけるように扉を越えると、窓のない小さな暗闇の部屋に準備室からの光が差し込み、服やら靴やら小物等が山積みになった箇所にソラが手を差し込み、何かを探る。パタパタと後ろから皆が入ってきて、ハルドとラドがランプを片手に持って部屋を照らすと、リティア達を怯えるように異様に腕の長い子猿が部屋の隅で震えていた。その傍にはリティアが目撃したあのとても小さなクレイスライムが、その小さい身体を縦に伸ばして自分よりも大きい子猿をリティア達から隠そうとする。セイリンとディオンは、探しものをしているソラや、魔獣達を凝視しているリティアよりも前へと歩み出て、剣を構える。
「あった!テルの小瓶箱だ!!」
ソラが手に掴んだ小さな木箱には、確かにテルの名前が書かれていた。小走りでソラに近づいたテルは、その箱を開けて中身を確認するとソラを抱きしめた。子猿が蚊が鳴くような声をあげれば、ひっ迫した状態でもスライムが身体の一部から指ほどの大きさもない欠けた魔石を取り出して、子猿は鳴きながらそれを咥えた。
「な、何をしている?」
「魔石を食べてます…そのクレイスライムがあまりに小さいのは、身を削ってその子に食事を与えていたからですね。」
その行動に驚いたセイリンにリティアが説明をすると、スライムは身震いをしてセイリンへと飛びかかってきて、セイリンは反射的にレイピアで斬り捨てた。弱っていたスライムの体内に残っていたであろう魔石が砕ける音がこの部屋の中で反響し、子猿が声にならないほどの掠れ声で悲鳴をあげてスライムの残骸の砂へとヨロヨロと近寄れば、砂の一粒一粒に頬擦りして寄り添う。
「リティちゃん、もしかしてあのスライムはあの猿のお母さん…?」
「親代わりの可能性は大いにあるかと思います。その証拠に先程の魔石の譲渡と、今の子猿さんの反応ですね…。」
木箱を大切そうに抱えたテルがその光景に瞳を揺らし、リティアは静かに涙を流した。
《ケルベロスさんが言ってたことってこういうことだったんですね。》
誰にも聞かれないように心の中で呟けば、
《言っただろう、良い思いはしないと。それだというのに、飛龍のところのは分かっていてやめさせなかった。性格が悪いんじゃないか?》
《そんなことないよ。これはこの子達に必要なことだ。魔獣を悪と決めつけることへの疑問を投げかけた。リティはそうじゃないんだけど、他の子がね。》
ケルベロスとハルドが、その心の声へ言葉を返す。やはりハルドは隠していたと確信したリティアの瞳は大粒の雫を溢す。
「なっ…どうして、どうしたら…?」
今の状況に動揺しているセイリンの剣先は揺れ、ディオンは剣を構えたまま静かに警戒しているだけだ。
「セイリンさん!ディッ君、この子を殺さないであげてよ!」
木箱をソラに押し付けたテルが、セイリンと子猿の間へと滑り込んでセイリンに向けて両腕を開いて立ちはだかる。
「テルさん!近づいては駄目です!!その魔獣は雑食です!腕長岩猿は、飢餓状態の時だけ鮮肉を貪ります!」
テルの行動に血の気が引いたリティアが、背後から彼に襲いかかろうと大きな爪を剥き出した子猿にオピネルナイフを投げようと大きく振り被ると、
「…その子を救済する役目は私が請け負いましょう。」
誰よりも後ろにいるラドの静かに響く低音の声と共に炎の玉が飛び出して、子猿を燃え上がらせた。瞬間的な火力を受けて獣特有の悪臭を漂わせて転がるは、肉が焦げた子猿の死体。リティアの手の中には投げられなかったナイフが残っている。テルは腰を抜かして震えて、そこにソラが駆け寄って肩を貸した。
「あああ!!ラド先生何故ですか!!」
セイリンが声を張り上げながらレイピアを投げ捨て、ラドの襟を乱暴に掴んで若草色の瞳を滲ませるほどの涙を振りまく。
「分かりませんか?親を持たぬ子は、他の魔獣に甚振られて喰われる運命です。その子も大好きな親元に逝くことができて喜んでいるでしょう。」
「他にも方法はあったはずです!あの子は生きられたはずだ!」
一見見下しているように見えるラドに、感情に身を任せたセイリンは牙を剥いて食って掛かるが、彼にただ冷えきった瞳を向けられ、
「そうですか、しかし現に貴女は何も出来なかったでしょう?ディオン君は、貴女の動き次第でどう行動するかの覚悟はあったようですよ。」
「あ…」
そう指摘されれば、セイリンの瞳はラドから後ろで剣を拾い上げるディオンへと移り、ラドは彼女の少し力が緩んだ手を振り解いた。
「ラド先生、嫌な役目を買って出てくれてありがとう。先に戻っていて良いよ。」
「私はただ自分のような存在を作りたくないだけです。何の救いもない。さあ、紛失物を回収しましょう。ハルド先生は、生徒達と準備室を戻しておいて下さい。」
ハルドが彼からランプを受け取ると、ラドは着ていたジャケットを脱いでその服に紛失物を全て乗せて部屋を出ていく。
「ラド先生…?」
ナイフを仕舞ったリティアが手を伸ばすと、彼はこちらに振り被り、
「貴女様にはヒメと共に救われております。」
先程の氷の瞳が嘘のようにふわっと花びらが舞うように微笑んだ。




