146,少女は見回りをする
中間試験が終わって緊張から開放された生徒達がホッと一息ついている土曜日の早朝に制服姿で校舎の壁を触れながら歩くリティアは、小型犬サイズのケルベロスとハルドと一緒に確認し合っていた。女子寮から男子寮の外回りを周っている時にハルドから話しかけられる。
「よくあのセイリン君がついてこなかったね。何て言ったの?」
「え、早朝に用事があるのでケルベロスさんとハルさんにお会いにしに行きますと。」
外壁に埋め込まれた魔石に触れて精霊が近づいてくることを確認しながらリティアが答えると、
「そうか…では彼女の中では俺と話しているってだけになってそうだね。彼女が早く来てしまうと調合室は開いてないぞ。」
かなり渋い顔をされた。そんな中、ケルベロスが正門に向かって一鳴きすると、ヒメに跨ったラドがこちらに気がついて駆けてくる。その姿を見た途端、ハルドが今にも輝きそうなほどの笑顔になってラドに近づくとヒメに蹴られそうになりながら、
「ラド、凄い助かるよー。」
「は?」
状況の飲み込めないラドがヒメから降りたところで、ハルドはその肩に力強く手を回し、
「セイリン君が、恐らくまだ鍵のかかっている調合室を訪ねてくるらしいから、俺とリティが用事があって出かけたって伝えておいて欲しい。」
頼んだよとラドの背中を叩くと、ハルドはリティアの手を掴んで次の目的地へと誘い、リティアも連れて行かれながら慌てて頭を下げる。
「ご迷惑おかけします。」
「承知いたしました。」
ハルドへの見せた反応と異なり、リティアに深々と頭を下げるラドはヒメと共に職員室へと向かった。ケルベロスはグラウンドに降りていくリティア達の後ろからついてきて、
《飛龍のところのは、他人の扱いが雑だな。》
ハルドの背中に飛びかかり、ぶら下がったまま階段を降り終わり、リティアが背中のケルベロスを抱き上げようとすると、尻尾をブンと一振りして地面へと飛び降りてしまった。
「抱っこは駄目…ですか?」
《駄目ではないが、今は不要だ。》
触れることすらさせてもらえずに手を振るわせるリティアに、ケルベロスは先を歩きながら鼻を鳴らした。その光景を目を細めながら見ているハルドにグラウンドの中央へと誘われて、リティアは屈んで地面に触れると精霊が急激に流れ込む魔石を見つける。
「これは、かなり危なかったね。結界に穴ができるところだったみたい。」
「いつも結界はどのように保持されているんですか?」
精霊の流れが落ち着くまでハルドに手を押さえられながら、結界の長期発動の仕方を質問すると、
「…俺達でも精霊の魔力変換はやれるんだけど、自分の体質上それほど魔石に供給できないからいつも枯渇気味だね。」
「体質?魔力変換??」
ハルドは眉を下げて苦笑いをし、リティアは首を傾げたまま、体育備品倉庫へと誘導されて外壁の魔石にリティアが触れてから、
「魔術士として生きるなら知らないかもね。彼らにその概念はない。意志を持たぬ精霊って分かる?」
「え、彼らには意志がありますよね?」
ハルドは話しながら倉庫の重い扉を開いた。リティアが屈んで床を手で触ると魔石の特有の硬さが手に当たる。ニコニコと微笑を向けるハルドに、眉をひそめるリティア。
「なるほど…リティの目にはそう映るのか。意志を持たぬ精霊ってね、魔石の栄養源になった精霊のことだよ。魔法士や魔獣は、精霊を自らの魔石に取り込むことで魔法を使用したり、肉体生成の一部となるんだ。それが魔法士の魔法威力に関係する所謂『魔力』。魔術士界隈で言う『意志を持たぬ精霊』。」
この床の魔石も精霊が流れ込み、ハルドはそれを指差して、
「これが『意志を持たぬ精霊』。」
「…。」
と教えてくれるが、リティアには精霊が自ら望んで集まっているように見えている。精霊達の動きは、家に戻れることを喜ぶいつかの自分と重なる。
「君ならいずれ分かると思う。魔石が白濁するのは魔力が枯渇しているからだ。君が俺達に触れたことで精霊が傷を修復してくれるのではなく、魔石を介して魔力変換されて治癒魔法を受けているから傷が治るんだよ。」
ハルドの言葉で、リティアの目は大きく開かれた。自分が精霊にお願いしていたことに他の力が働いている。そしてそれはハルドは知っているが、自分には分からないという事実に心が荒波を立てながら聞けば、
「誰の魔石ですか?」
「それはリティが考えることだ。結局のところ、他人から与えられた言葉って受け取り手が理解できなければ中身は空っぽなんだ。だから自分で中身を作らないとね。応援しているよ。」
リティアの質問に答えを教えてくれないハルドは初めてかもしれない。リティアは、彼からの言葉を受け止めきれずに突き放された気分になって堪らず俯くと、静かに近寄ってきたケルベロスが顔をペロンと舐める。
《小娘、時間はたっぷりとある。答えを急ぐ必要はない。》
「ケルベロスの言う通りだよ。これはリティアに課題ってことかな。素敵な解答を待っているね。」
ポンポンと頭を軽く触れてくるハルドにゆっくりと頷いた。リティアは気を取り直して、温室植物園へと移動すると、
「わあ!!見たことない花がたくさんあります!これって今度採取しても良いでしょうか!?」
「うん、薬の調合でも使っているから、少しなら大丈夫だよ。」
ハルドから許可が取れると、リティアはスキップしながら植物園の中を散策して低木と巨大花の間から、
「ありがとうございます!」
元気いっぱいにお礼を言った。
外の見回りが終わって校舎に戻ってくると、生徒用玄関で剣を携えたセイリンと出会い、話すことはせずに互いに笑顔で手を振って別れた。
「リティ、お待たせ。ラドがセイリン君を稽古つけるらしいよ。」
「そうなのですね…!私達も早く終わらせてしまいましょう。」
他の生徒が寮を出てくる前に、2人と一匹は、教室を手際よく回っていく。リグレスが見せてくれた配置図を頭に入れたつもりだったが、曖昧な所はハルドが誘導してくれてたので、初めてにしてはスムーズに教室が並ぶ教育棟を終わらせて、実習棟へと移動できた。職員室には既に他の教師もいてリティアは挨拶して、ハルドと他愛のない話をしながら魔石の確認をしていると、
「ハルド先生、もしかしてその子が妹分のリティさんですか?」
「ハルド先生、本当に仲良さそうですね。まるで本物のご兄妹みたいですよ。」
などと、リティアと関わりのない教師達が声をかけてきて、ハルドがにこやかに対応していく。
「そうですよ。兄分は結構居ますが、妹は居なかったので本当に入学してきてくれて嬉しいんです。リティ、これあげる。」
リティアが職員室の簡易的なキッチンの棚を弄るふりをして魔石に触れていると、ハルドが自分の机の引き出しから個包装のクッキーを持ってきて、その後ろに舌を出したケルベロスが控えていた。
「ケルベロスさんに食べてもらえば良いですか?」
「いや、ケルベロスは皆さんから貰えるからー!サノノダ先生、ケルベロスがお腹減らしていてサンドイッチが作れないので、構ってあげてほしいです!」
首を傾げたリティアに、ハルドがすぐに否定して先程の話した教師に助けを求めれば、
「あらあら、ケルルちゃん、おやつあげるからこちらにおいでー。」
ササノダが目尻にシワを寄せて、弁当箱からブロッコリーを取り出してケルベロスを手招きすると、ケルベロスも尻尾を一周回りそうなくらい振りながら走っていく。ハルドが簡単にハムとレタスのサンドイッチを作り、リティアが何となく傍に寄れば、端からは2人で作っているように見えるだろう。リティアが汚れた食器を洗い終わって、再び教師達に挨拶して調合室へ向かうと、既に教室内でソラとテルが座っていた。