136,隊長補佐はもぎ取る
リティアによく似た聖女にあのような顔をされただけで、リグレスの心に重くのしかかっていた。リティアに向けられたような錯覚に駆られて、一昨日は旧聖教会に行ってきたというのにその晩の夢で見てしまうほどだ。今日も目覚めた時から悶々としつつ、ギィダンの操る馬車が轟牙の森に到着し、御者席から降りたギィダンに扉を外から開けると、太陽で熱されていない爽やかな風が頬を撫でる。
「昔から大切に思っていたのだから当然ですかね。」
準備体操をしながら笑顔のリティアを思い出せば、自分の傷心も納得がいく。その彼女にこれからは表立ってしてあげることができないことが惜しく思えてくる。馬車ごと結界を張り終えて帰ってきたギィダンと共に、ハルド達が戦ったガルーダの捜索を開始する。人の出入りが多い森のせいか、地面が踏みつけられて歩きやすく、そして木々の間が広い為、遠くまでよく見えてそれほど慎重に探索する必要はなさそうだった。少し警戒を解いて隣のギィダンに話しかける。
「ギィ、旧校舎内でレインと名乗る少年と、聖女ルナに出逢ったのですよ。レインが私達と会わせたくないという娘は、聖女の事かと考えたのですが…普通に会えてしまって。」
「レイン様とルナ様は生前殆ど関わりがありませんので、レイン様はリーナ様かアリシアの事を仰っていると思われます。」
軽く振った話だったが、顔のないギィダンは頭を捻る仕草をしてから、首を横に振った。
「どういうことですか?だって、魔法騎士レインは、聖女ルナに賛同して騎士団を動かしたはず。」
「それは、リーナ様の声です。リーナ様が一族の代表として立ち、ルナ様は幼少期のリティア様のように長い間幽閉されておりました。」
大精霊ルーナ教内で『聖者』の地位をもつリグレスは、魔獣侵略戦争について確実に頭に叩き込んでいた為、諸説あるにせよ聞いたことのない話に周りに向けていた意識を全てギィダンの話に向けた。
「言い伝えられている歴史は、そのリーナを消し、全ての功績をルナに置き換えているということですね?我々のリティア様にそのような災いが降り注がないように気をつけねば。」
歴史は繰り返されるものだ。今は魔獣との戦争になるほどの被害状況ではないが、もしかしたらリティアが担ぎ出されるかもしれないという恐怖が襲う。頭を悩ませつつもリグレスは、側面から飛んできたオオミズゲンゴロウの特攻に手を翳して魔法を発動する。水の刃で身体に傷をつけてそこから体内の水分を全て吸い取って干からびさせれば、素手で胴体から魔石を引き抜くとギィダンに手渡す。
「そういうことでしょうね。ルナ様は、幽閉されていた屋敷の中で精霊人形を作っておりましたから、魔獣討伐隊と共にリーナ様が訪れたときには、私達はルナ様のお側で仕えておりました。」
ルナが精霊人形を創ったという話は、後世に伝えられている。上に立つ人間としては、2人の功績を1人がやったことにすると国民に掲示したときに見栄えが良いものである。それに関して知らないリグレス達に、昨晩のルナが見せたあの表情。
「…これはしっかり史実を確認しないとルナをまた怒らせますね。」
リグレスは肝が冷える感覚を覚え、全身に力が入った。
それ以上の話はせずに、小一時間かけて深部へと進んでいく。今のヌシがどの魔獣か分からないが、被害報告が届かない為、比較的大人しいのだと考えている。…考えていたのだが。いくつかの木が伐採されて開けた空間を見つけて近づけば、まだ新しい人間の白骨死体がいくつか転がっている。腐敗臭がなかったところから、全てを消化してから骨のみ吐き出したと見た。隣のギィダンの指が剣になり、リグレスも水龍拳のベルトを締め直した。意を決してその空間に踏み込むと、霧が広がる。ギィダンの姿は見えなくなるが、リグレスは一歩も動かずに相手の動きを待ちつつ、流れてくる水の精霊を水龍拳に集めておく。
「おじさま、遊ぼう!」
何も見えない視界で、どこからか無邪気な幼女の声が聞こえてきた。そう言われる歳ではないがとも密かに思いつつ、霧の空間が終わりを告げるように空が晴れ渡り、周囲の木々は天然石のような色鮮やかに煌めく物へと変わっていた。空に昇っている太陽は見当たらないというのに、辺りはとても明るい。翡翠の草、クォーツの木、ガーネットの木ノ実、ラピスラズリの花、カイヤナイトの蝶々など本当に様々だ。その中で際立つのは、
「ブルーシラーがとても美しいですね。」
ルナを象徴するムーンストーンの大木だ。この石はそれほどポピュラーな物ではない為、これがあるということは…と、ある程度の推測ができる。
「でしょ!すごいよね!じゃあ、かくれんぼで遊ぼ!でね!」
目の前に居ない存在が嬉々とした声を響かせ、
「見つけてね?」
どう探せと?とツッコミを入れたい気分になったがそこは口を閉ざし、他に動きがないか目視する。
「特徴が分かりませんから見つけられないと思いますが、貴女を見つけたら何か起こりますか?」
「うー!見つけて!遊ぶのやめておじさまが食べられちゃったらつまんない!!あーちゃんだって全然遊びに来てくれないから、おじさまが遊んで!」
声の方向は分からずも、狭い空間で響く感じがある。そして、怖い発言をしているところから魔獣が傍にひかえているのかもしれない。クォーツの木からガーネットの実をもぎ取りながら、ここの構成物質を見極めつつ、相手から情報を引き出すように気になる言葉を聞き返す。
「あーちゃん…?」
「うん!僕のあーちゃん!」
僕?女の子かと思っていたけれども、これは幼い男か?リグレスは、できるだけ表情に出さないように注意しながら、何処かにいるはずの子どもの姿を探す。
「あーちゃんは、いっつもるーちゃんと仲良いの!僕だってギィだけじゃなくて、あーちゃんと遊びたい!」
この発言は大きかった。リグレスの口角が上がりそうになり、瞬時に意識して力を入れた。
「これは失礼しました。貴方様はロゼット様ですか。最近でしたらルナ様にお会いしましたが、アリシア様にはお会いできておりません。」
リグレスの中で引っかかりを覚えながらもロゼットであると判断する。最近まで旧聖教会の地下で眠っていたはずの男性型の精霊人形。誰かに持ち出された為に、もぬけの殻になっていた棺の眠り人。
「やっぱりるーちゃんを知っているんだね!るーちゃんの精霊さんがくっついていたからそうかなって!じゃあ、僕を見つけて!お願いね!」
そうきたか。どうもあの逢瀬で、ルナから唾を付けられたということだ。リグレスは息を吐き、とりあえず近くの木をコンコンと叩いていくと、叩かれたところから精霊が溢れ出し、明るい空間が曇っていく。
「帰っちゃうの…?」
「いえ、帰りません。寂しい思いをしているロゼット様を見つけ出してみせますよ。」
空間を見渡しながら笑顔を振りまくと、甲高い声が返ってくる。
「わあ!嬉しい!遊んでくれるって言った他のおじさまはここに埋め込んで行ったから、動けないんだよね!ただ見つけるだけじゃつまらないよね?」
「スパイスは、魔獣退治でしょうか…?」
無邪気に聞こえるこの声は、空間を弄ることができる権限を持つということが分かる。我々でいう、結界の中、または別空間を作り上げているのだろう。何が不利に働くか分からない環境で戦うことは骨が折れる為、恐る恐ると聞いてみると、
「それはギィが倒してくれるよ!だから!森を増やすね?」
今にも踊りだしそうな声が響いたと思えば、ボコボコと地面が盛り上がり、ミックスベリルの花びらを持つ向日葵、天眼石の大岩、タイガーアイの切り株などが出現し始める。バランスを崩しそうになったリグレスは精霊が放出されているムーンストーンの大木にしがみついた。