134,隊長補佐は息を合わせる
窓に映っていたのは、精霊人形アリシアでも聖女ルナでもなく、レインだった。魔獣侵略戦争を騎士側から語るにはその名を欠かすことはできない。だが、リグレスの知識にある人物像とはかけ離れていて、違和感を覚えつつも窓から飛び出してきたライオンに水の盾で応戦する。すぐ後ろで机が倒れる音が響き、他の敵がいるのかと盾を構えたまま振り返れば、ハルドが1人だけ床に崩れ落ちていた。
「まずい、どうもそのライオンに飛龍が反応しているらしくて戦いたくないって叫ぶんだ。足手まといだから放置して戦ってほしい。」
眉を下げて笑顔を浮かべるハルドの手足は、痙攣している事が手に取るように分かり、身体を人に戻したラドが無理やり立たせようと手を伸ばせば、
《それなら我らがお前を守りながら、説得するしかないな。そのキメラ体の翼は確かに我らの仲間だったシルクバットのものだ。だから困惑しているのだろう。》
ケルベロスがそれを遮り、ライオンの顔に眩い炎の球をぶつける。
「そうですか。ではケルベロス殿、ハルはお願い致します」
リグレスが、炎で顔を炙られるライオンから分泌される涎を盾で弾けば、机がジュウウウと音を立てながら溶けた。それを見たラドが天井に向かって壁を走り、炎龍号をライオンの脳天に突き立てに行くと、ライオンの唾液が噴水のように吹き出し、リグレスの死角から投げ込まれたリファラルのナイフがその中に投げ込まれて発射された唾液を凍らせる。ラドは炎龍号でそれを叩き込み、ライオンの頭を下げさせながら尾側へと降り立った。
「体内の液体を抜きますか?それともこちらで凍らせますか?」
リグレスの隣で次のナイフを構えるリファラルと、リグレスは素早くアイコンタクトをして、盾の広がり方を広範囲を守ることができる大きな円から、片手盾サイズで縮小させて、氷の唾液を顔に直撃させたライオンの胴体に飛び込み、
「最早この魔獣は生物ではないので、どちらが効果的でしょうか?とりあえず、蒸発させてみましょう。」
盾で胸を強打すると、自然と開いたライオンの口から大量の体液が吐き出された。瞬時に盾を展開して事なきを得る。盾を展開した右手で水龍拳に忍ばせている左手の甲部分から、中指より細い隠しナイフを1本引き出して相手の首に刺すが、肉を貫通した音は聞こえず、代わりに革が緩む鈍い音が聞こえてきて、
「これは駄目ですね。ラド。」
「承知いたしました。」
一旦、ナイフを引っ込めたリグレスが跳ねるように後ろへ後退すると、ライオンが大口を開けて追撃してきた。リグレスを守るようにリファラルのナイフが弧を描きながら飛ばされて、そのナイフを首を振って壁に弾けば、ライオンの後方から窓を蹴って飛び上がったラドの槍が振り下ろされる。ライオンの背中へと降下するラドは、ナイフに気を取られて反応が遅れたライオンの片翼を掠り、空中で身体を捻って槍を一回転させてもう一度攻撃を繰り出せば、ライオンはラドへと焦点を当て、次なる攻撃を避けながら狭い教室を駆け回り、壁をラドのように蹴って床に着地したラドに牙を剥いて襲いかかってきて、ラドもライオンの下へと飛び込んで避けた。
《我らが友の弔いを。》
2つの低音の声が混ざり合い、すくっと立ち上がったハルドの瞳の色が髪と同じであった焦茶から、エメラルドグリーンへと変化した。ケルベロスの漆黒の瞳も深紅へと染まり、影が膨れ上がる。ライオンは毛を逆立てながらも、下方で槍を振り上げるラドを爪で応戦し、リグレスが盾の力を凝縮させて片手盾に戻せば、その横腹に突進してよろけさせる。次々と飛ばされるナイフは落下する直前で氷柱と纏い、ライオンの傷を増やそうと試みるが全て硬い革に弾かれた。ラドが槍をリファラルへと放り投げてコロンと前転で腹の下から抜ければ、その動きに合わせるように飛龍牙を手放したハルドとケルベロスが距離を詰めてくる。突進でよろけたのは一瞬、今度はリグレスを引き裂こうとして、すぐにサイズを変えた大きな盾に阻まれる。その盾を爪で引っ掛けた状態でのしかかり、リグレスが押しつぶされそうになりながら踏ん張ると、ライオンが盾の端に噛みついて破壊を試みていた。ラドはすぐに上体を起こしてリファラルから槍を受け取り、槍ごと炎上させて盾に喰い付いている頭に投擲するが、分厚い革に刺さることなく、落下先の机を燃やし尽くす。
「私の盾が喰われるなんて初めてですよっ…!」
盾で押し返そうにも、人と魔獣では体格が異なり過ぎてリグレスは苦戦を強いられ、ラドとリファラルの反撃も虚しく、傷1つつけることが出来ない。
《聖女の血筋の者、闇に呑まれる寸前でその盾を消失させよ。》
リグレスの隣まで移動してきた飛龍が、盾を発動している右手にハルドの手を添えて、盾の魔力補強をしてきて、
《常闇が合図となる。外から駄目なら内からだ。》
ケルベロスがリグレスを挟むように立つと同時に大風が巻き起こり、落ちたナイフが全てリファラルの元に返ってきて1つも残らずに受け取ると、ラドは上体を低くして次の攻撃に備える。
「承知いたしました。」
リグレスが頷くと、背後から漆黒が迫り煙幕のように斜め後ろで体勢を低くしているラドの身体が隠れていく。リグレスは神経を尖らせてケルベロスと息を合わせるように、後方から視界が狭まるこの漆黒の中で完全にライオンを捉えられなくなる寸前に盾の展開を解除する。その直後に大きな獣の足で背中から身体を踏みつけられ、暗闇の中で身動きが取れなくなると、先程の大風とは比べ物にならない程の嵐が吹き荒れ、壁にぶつかって砕ける木材の音、窓ガラスの割れ音、そして風船が割れた音が聞こえ、嵐が静まる直前に、肉が引き千切れる特有の音が耳に届いた。
静まり返った教室で視界が晴れると、リグレスを踏みつけていた前足はケルベロスの物だった。ラドは後ろ足で地面にめり込むほど踏まれていて、リファラルの上には柔らかな尾が被せられていた。そして前方には粉砕した肉片が転がり、エメラルドグリーンの瞳のハルドが、白く濁った拳ほどの大きさの魔石を拾い上げて身体の中へと吸収する。足から開放されたリグレスが、深々と頭を下げ、
「お二人共、ご助力ありがとうございました。」
《…そなたの友人は優しい、知りもしない我が友の為に涙を流す。》
礼を言うと、ハルドはその瞳から頬に筋が残るほどの涙を流していた。リグレスの背後で埃を払う音が聞こえてきたと思えば、ラドが肉片を確認しに歩み出てくる。
「本日はこれ以上の収穫はないと考えます。ただ、本当にあの方がレインとは考えにくいのです。魔法騎士という概念の始まりとも言えるレインの享年は28であったはずですし、あの装束は彼が亡くなってから形作られた大精霊ルーナ教の正装です。」
リグレスはその場を動くことなく、荒れ果てた教室内を見渡しながら考えを述べると、
《あのレインは色々な物が混ざり合った融合物というべきだとは思うが、あの服は元より死に装束だ。》
身体のサイズを小さくしていくケルベロスから補足を頂戴し、眉間にシワを寄せながら目を伏せた。
「もしかすると他人の身体であるということも有り得るのですか?」
《どこまでが本人で、どこまでが他人かは分からん。しかし、わざわざ人間の身体で生き長らえようとする歪さに驚愕せざる得ない。》
長きに渡り生徒が行方不明になっているそれかと当たりをつけたが、ケルベロスからは明確な答えは返って来ず、更にはその身体に執着するというと言う事はと…憶測を口にする。
「ルナ様との恋仲の話が真であったと言うことでしょうか?」
《それ、尾びれがつくにも程があると思うの。》
リティアが少し成熟したようにも見える少女が、真っ二つに割れた教壇にいつの間にか座っていて、明らかに辟易した表情でリグレスを見上げていた。