121,少年は聞く
リティアが説明の最後に付け足したのは、
「私の知らない魔獣はこの世界に山ほどいますので、他にも当てはまる魔獣はいると思っています。」
だった。実家の近所で見た魔獣ですら、名前も特性も知らないソラからしたら、彼女ほどの知識量をもつ人間を探すことは難しいと思えた。聞き終えたカルファスが冷めきった珈琲を飲み干すと、
「この本を別の魔獣が盗む、または人間が盗んだという可能性についてはどう思う?」
「その可能性も捨てきれませんが、まずこの本は図書室の中でも厳重保管されていた物で人が盗むとしたら教師の可能性が上がりますが、わざわざディオンさんの机に入れないと思います。騒ぎを起こしたいのならば、生活態度に問題があったり、1人孤立している生徒の所に持っていくでしょう。」
同じく珈琲で喉を潤したリティアに更なる質問をして、リティアも悩むことなく答える。
「なるほど。まだあまり魔術を教わっていない1年生の机ではさほど混乱しないと。」
「別の魔獣の可能性に関してですが、こればかりは分からないですよね?私だけでなく、カルファスさんも、そして皆さんも。」
うんうんと頷くカルファスに最初に視線を送ったリティアは、机を囲っているメンバーを順番に見渡した。
「うん、分からない。この不確かな情報の中で、ここまで確定させるのは逆に危険かなって思って、聞いてみたんだ。」
「ありがとうございます。他の可能性もあるのは承知の上です。それでもあり得る可能性は出来るだけ細かく考えておきたいのです。」
こちらこそありがとう、とカルファスが微笑めば、マドンとセセリが座ったまま頭を下げる。
「リティ、お疲れ様。教えてくれてありがとうね。さてさて、皆は帰宅時間だよ。こちらでこの後のことはやっておくから帰りなー。」
話が終わるまで待っていたらしいハルドが、パンパンと手を叩いて全員の視線を集めれば、ニコッと笑顔を見せる。
「お、俺!今夜一生懸命考えて、他の可能性を探してみるね!!」
はにかむテルに対してリティアが微笑み、ディオンが栞を2つ挟んで本を閉じれば、それに釣られてソラもやり、他にも釣られて挟んでいった。ある程度の本がまとめて机の隅に並べられると、遅れてセイリンも栞を乗せると、リティアがその上からもう1枚挟んで本を片付けた。カタンとカルファスが立ち上がってリティアに手を差し出して、
「リティ、こんな短い時間でそこまで細かく考えられたね、本当に凄いと思う。俺も今夜ゆっくり考えてみるね。」
握手を求めれば、リティアの手より先にセイリンの手が伸びて、カルファスの手を握る。
「セイリン姫もまた明日お会いしましょうね。本日はしっかり休まれてください。」
「カルファス殿もお忙しい身でありながら、力添えしてくださりありがとうございました。」
どちらも笑顔でありながら、バチバチと火花が散っているようにソラの目に映り、そんな2人の握手をリティアの両手が包み込む。
「お二人共、私の好奇心で行っている謎解きを手伝って下さってありがとうございます。」
カルファス、セイリンと順番にリティアが笑顔を向ければ、カルファスの頬は染まり、セイリンは彼から手を離してリティアを抱き締める。リティアの肺から息が抜ける音がして、近くにいるカルファスやテルよりも先に、ラドの右腕がセイリンの首に回って腕力で引き剥がされて、椅子ごと後ろに倒れそうになる。
「セイリン様!?」
大きく踏み込んだディオンがバッと背もたれを支え、
「セイリン君、一歩間違えば命を奪うような真似をしないでくださいね?」
「す、すみません。」
ラドがセイリンを見下ろしながら、授業中に見るようなごく普通の笑顔を向けていて、傍観していたソラが震え上がる。
「お前もな。」
ハルドがラドの頭を後ろから叩くと、とても良い音が響いてラドは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
女子寮前までカルファスを筆頭に送り届け、彼は別れ際に優雅に礼をする。
「明日、2年生は朝からフィールドワークだから放課後に間に合うようにするね。」
「フィールドワークって何するんですか?」
セイリンが扉を開けようとして取っ手を握る前に、リティアが首を傾げた。
「轟牙の森西部で、ハルド先生による魔法植物採取があるんだ。早めに聞きたいことを決めておかないと、女子生徒達に囲まれたハルド先生に質問することが難しくなる。いや、ちゃんと答えてくれるんだけど、女子が騒がしくて聞き取れないんだよね…。」
「カルファス様、リティア様に愚痴をこぼされては…」
別れるはずだったカルファスは、どこか遠い目でブツブツと言い始めると止まらなくなり、マドンに肩を叩かれて、苦笑するがまだ続き、
「ああ、ごめん。個人的には、あの逆境からのし上がったハルド先生は尊敬しているんだけど、あと1年しかない中でどれだけ教われるかなとか思ったり…。」
「大変そうですね…お兄ちゃんに何か伝えておきますか?」
あからさまに肩を落とすカルファスに、リティアの眉がハの字になった。
「いや…本当にごめんね。」
深々とカルファス、マドン、セセリが頭を下げて次こそ見送り、男子寮に戻った瞬間にテルが目をキラキラさせて、カルファスに迫る。
「ハルド先生は人気なんですね!分かる気がします!」
「テル君は、懐いているよね。よく頭撫でてもらっているところを見るよ。」
ニコニコとカルファスに笑顔を返されれば、テルの顔にも満開の花が咲き誇る。
「はい!優しくて大好きです!」
「あの先生は優しいだけじゃないよ。しっかり学べることは学んだ方が良い。」
「薬のことですか?」
ソラ含め目的地も伝えられないままに、テルに話すカルファスについていけば、
「それもあるけど、魔獣退治は基本的に複数人で行うところを単独でこなすスキルと精神力、賊に襲われた際も刃物を持たずに相手を捻じ伏せるだけの喧嘩術、腰を低くするすることなく誰にでも好まれる会話術、あとは紅茶と茶菓子の組み合わせもお上手だ。貴族界隈ではかなり人気のある一般男性だよ。」
「カルファス様、結構長く語りましたね。」
階段をひたすら昇った先にあるカルファスの部屋の前へと到着し、マドンが自らの額に手を置いた。
「仕方ないよ、彼は本当に凄いのだから。ラド先生とは大違い、何故あの2人が一緒に居るのかが不思議でたまらない。」
「カルファス様、その辺でお止めください。今夜は肉料理でよろしいでしょうか?」
部屋に入って全員に荷物を置かせて、まだ語り続けようとするカルファスに、今度はセセリからストップが入る。
「セセリ、ごめん。うん、肉で良いよ。折角だから皆で作ろうか。」
「いえ、私達で作りますので、お疲れのカルファス様はお先にシャワーを浴びられてください。」
私も手伝います、俺も!とディオンとテルが手を挙げると、カルファスが肩を竦める。
「1人で部屋で待っていれば良いのかい?」
「自分、料理は苦手です。」
どうせテルについていっても手伝えることがないと確信したソラが控えめに手を挙げると、彼はまた笑顔を浮かべる。
「そうなんだね、ソラ君はシャワー浴びたら、一緒に夕食が出来上がるまで俺の部屋で待ってようか。」
「分かりました。」
にこやかに手を振られれば、自分の部屋へと、自分の荷物とテルのバッグを持って戻った。3階にある6人部屋の扉を開けると、部屋の中は騒然としていた。
「何があった…?」
ソラは何かを取り囲む3人を見てから、扉の傍で震えているルームメイトの1人に聞いた。