115,少女はため息を吐く
ラドの槍を、鍛錬時の彼の持ち方を記憶を辿りながら真似る。レイピアを扱い慣れているセイリンには長過ぎるリーチだが、相手に近づかれたくはない今の状況には有り難かった。空中に飛び上がった時には突くのではなく、叩かれたことを思い出しながら、涎を垂らす男の首に振り下ろし、避けられれば突きにいく。元々酒を飲んでいた輩なのだから素早く避けられないはずだが、ゴムのように飛び上がって剣先が命中しなかった。飛び上がった相手に、突き刺せなかった槍を下方から振り上げて足を払ってバランスを崩させて、胴体から落下したところでふくらはぎを突けば、呻き声をあげて転がる。自ら作った追撃の機会を逃したくなかったが、気が動転していた男達が仲間の窮地に立ち上がり、セイリンにナイフを向けて囲んできて、
「てめぇ、よくもダーサを!」
中の1人がナイフを構えて突進してくる。セイリンが踊るような軽やかなステップで避ければ、他の男達を避けた先で刃物を振り下ろしてくる。ふわっと髪を泳がせながら屈んで、足払いを自らの脚ではなく、床スレスレて槍で弧を描けば簡単にドミノ倒しが出来上がる。倒したいのはこの人間達ではなく、先程転がした男なのだが、この混乱に乗じてカウンターを飛び越えて、店員の女に牙を剥き出しにして襲いかかる。体勢を素早く直したセイリンが槍を投げつけようとして、その男が勢いよくこちらへと投げ出された。先程の女が、投げ捨てたのだ。いとも簡単に。半身になって肩幅に足を開いて膝に遊びを持たせれば、豪快に嘲笑った。
「相手が悪かったねえ!こちとら、伊達にならずもんの処分してねえんだわ!」
カトラリーが風を切りながら転がった男へと投げられて、無様な格好で転がりながら逃げていく。セイリンが動けば、魔獣とは無関係であろう男達が立ち上がり、また祭だと言わんばかりに便乗する輩も増えていた。セイリンが男達の身体に当たらないギリギリのラインで槍を振り回せば、群れは距離を取るように下がるが、すぐに距離を詰めてナイフを向けてくる。
「まどろっこしい!」
進展のないやり取りに苛立ったセイリンは、怪我することは仕方ないと腹を括り、近場に転がる椅子を上に向かって放り投げれば、男の注目の先を自分から外して、床を蹴って前方の男の槍の柄で首を叩きにいき、後ろから迫りくる男へは、槍をポールのように使って軽々と天井へ身体を飛ばせば、レイピアを振り下ろして男の背中を斬りつけた。ダーサと呼ばれた男がカトラリーから逃げながら、背を向けたセイリンへと飛びかかり、身を翻せば、セイリンを飛び越えるように男が投げ捨てられた。1人、2人と数が増えていく。ハッと後ろを振り向けば、外から帰ってきた緑色の血で服を汚したラドが何食わぬ顔で、手当たり次第に片手でジタバタと暴れる男を拾い上げては投げていた。ただでも重そうなビア樽体型の男だろうが、筋肉質の高身長の男だろうが一律に放り投げるだけの腕力。セイリンの口が金魚のように開けば、ラドが男を投げながら床に刺さる槍に近づいて槍をセイリンの顔目掛けて投げる。呆然と立ち尽くしていたセイリンも反射的に前方へレイピアを投げて飛び込み前転してラドとの間合いを詰めれば、後ろで緑色の血が噴き上がった。ひょいっとラドに抱えられて、槍の到達点を普段より高い位置から見下ろすと、男達の下敷きになったダーサの首を見事に貫いていた。ぎょっとして壁隅へと逃げる男達は、ラドの恐ろしさよりも仲間の死に顔を見て震え上がる。
「ば、化物!!!」
誰かの叫び声で、弾けるように1つしかない扉へと逃げていき、外へ出ても悲鳴が上がっていた。腰を抜かした輩と、店員の女と、マスターと、そしてセイリン達のみが店に残されて、あの騒ぎは嘘のように静かだ。ラドから捨てられるように降ろされれば、自らのレイピアを拾って深く息を吐く。
「夕食どころではなかったのは、ラド先生からの試験ですか?」
「普段はこんなに異臭は漂わない店だったが、今夜は多かった。なぜ、バルゥは放置したんだ?」
セイリンからの質問に、ラドは槍を背中のホルダーに戻しながら首を振り、女に視線を送る。
「何となく、ラドっちが来る気がして…?」
「…。マスター、後日精算にくる。」
女は先程の勇ましさが引っ込み、身体をくねらせれば色仕掛けをしたい風俗のようだが、ラドは汚いものを見るような目を一瞬だけ向け、マスターへと視線を移動した。
「ああ、魔獣退治ありがとうな。今度は良い牛を仕入れておくよ。」
マスターに手を振られてラドと共に店を出ると、転がる身体が半分人間の魔獣の死骸達。頭が花だったり、胴体が蜘蛛だったり、指がナメクジのように軟体だったりと、見たくない、触りたくないと嫌悪感が走る。死骸を踏まないようにつま先で歩くとまた抱き上げられて、今度は狭い路地で投げられる。くるんと上空で体勢を整えて何も落ちていないところに着地すると、
「店変えるぞ。」
「食欲が失せたので、今夜はもう帰らせてください…」
ラドに他の路地を指差されて、セイリンはげんなりしながら横に頭を振った。
「…1人ずつ外へ連れ出して終わらせるつもりだったのだが、お前が全員をこちらによこすからああなった。」
「若い女が1人で居たら囲まれるに決まっているではないですか。よくもまあ。」
セイリンは暗闇の中でも見えるほどに大袈裟に肩を竦め、ラドにはついて行かずに元来た大通りに続く道を歩いていく。
「俺にそういう趣味はない。」
「貴方になくてもあの手の男はあるんですよ。」
いつの間にか足音も立てずに隣を歩くラドを説教している気分になってくる。
「1つ言い忘れたが。」
「何でしょう?」
大通りを出て学校方面へと曲がる時に、ラドの唇が耳に触れそうなほど近づき、セイリンの身体に緊張が走ったが平然であるふりをして表情を引き締めた。
「先程の女を信用するなよ。特に銀髪の話を始めたら口を聞くな。」
「銀髪ってまさか。」
それに該当する人間は多くはなく、セイリンにとってリティアが初めて会う銀髪の人間だ。わざわざそれを言うとなれば、セイリンの声は自然と低くなる。
「あれは、彼女の一族の人間に雇われた傭兵だ。俺やハルが街にいる間に手を出すことはまずないだろうが。」
「…肝に銘じます。」
そう警告するとラドの顔は離れ、セイリンの唇は引き締まった。
「それと、まだスインキーはやっているが飯は不要か?」
「そこなら、行きます。」
ほらランプついているだろと言わんばかりに指を指し、セイリンは若干ムッとしてラドより先に喫茶スインキーへ入っていった。
「おや、夕食にありつけなかったのかい?」
ハルドがまだまったり珈琲を楽しんでいて、セイリンはズカズカと間合いを詰め、
「ラド先生は、魔獣の巣窟になっている酒場に連れて行ったのですよ!何が食べられるか、楽しみにしていたのに!」
言い始めれば、悔しくて悲しくて、裏切られたとまで感じ、セイリンはその場で泣き崩れた。
「それは災難でしたね。今夜はこちらには紛れませんでしたが、夜まで店を開いていると稀にそういうお客様が来店なさるんですよね。」
コトンと、奥から出てきたリファラルが香り立つ珈琲を目の前のテーブルに置いてくれて、顔がぐちゃぐちゃなセイリンはハルドの前に座ると、ハルドがハンカチを手渡してきた。有り難く頂戴して顔を拭いていると、のそーっと入ってきたラドが隣に座り、
「ビーフシチュー2人分。」
また勝手に注文する。セイリンは反論せずに今日一番のため息を吐いた。牛肉が好きなのね、と密かに思いながら。