109,少女は扉を壊す
眩しい…太陽が頭へと降り注ぐ。見知ったベンチの傍に帰ってきたリティアは、地べたに座り込むセイリンを片手握ったまま優しく抱きしめてから、ディオンの問いに答える。
「ガアさんは、私だけをこっちに送り返して…。」
「そうでしたか…。改めてお礼を言いたかったのですが致し方ありませんね。」
目で捜すことをやめたディオンも、セイリンの顔を覗き込むと、
「は、恥ずかしいから見るな!惨めに思えてくる!」
「そんなに叫ばれて何があったのか教えて頂けなければ、心配でお側から離れられません。」
胸ポケットから若草色のハンカチを取り出して、涙を拭おうとすると、セイリンに引ったくられて乱暴に顔を拭った。
「わ、私は、お前のように誰かを守ることもできないんだよ!ラ、ラド先生が!」
「ラド先生が…?」
興奮するセイリンに、険しい顔を向けるディオン。その後ろの通路ではテルがふらふらと立ち上がるアギーを支えてやり、1人こちらへと歩いてきたソラがディオンの耳元で、
「先生が亡くなられた。」
と囁き、ディオンの唾を飲み込む音がリティアの耳まで届き、ケルベロスの声も脳内に届く。
《娘!死んでないからな!!勝手に殺すな!》
《やはりラド先生は、私と一緒に》
リティアが考え込むと、ケルベロスからまた叱られる。
《早く調合室へ行ってやれ!こいつらを黙らせろ!》
何が起きていたのかを理解してきたリティアは、ギュッとセイリンの手を引いて立つように促し、
「そんなことあるとは思えません。だって今朝、ラド先生は魔獣に襲われた私を助けてくれたのですから!」
「なっ!?」
セイリンは信じられないと何度も瞬きして、抵抗せずにリティアに引っ張られて、ディオンもソラも、そのリティアに続いてくれる。テルの手を掴んでいたアギーへ顔を向けて、
「アギーさんは医務室へ行きますよ。ディオンさん、抱き上げられますか?」
「はい、いくらでも。ではアギーさん、こちらへ。」
リティアの指示に、疲れ切っているアギーは促されるままにディオンのお姫様抱っこに身を任せる。バタバタと職員室前の階段を駆け上がり、アギーを医務室に出勤してきていたゴーフル先生に任せて、少し先の調合室の扉を引っ張った。ガタガタやっても開く気配がない。ケルベロスが、
《起きているのだろう!開けんか!》
と脳内で叫ぶが、鍵が開く音はしない。その代わりに香ばしい珈琲の香りが風に乗ってくる。
「私が蹴り飛ばしてやる!」
セイリンの手がリティアから離され、誰もが止めるよりも早く足技が飛び出した。バキバキと亀裂が入って木製の扉が鍵を残して上下2つ分かれて、
「やはりハルの淹れた珈琲は別格だな。」
優雅に珈琲を楽しむラドの姿が目に飛び込んでくる。追加で珈琲を淹れていたハルドは、呆気にとられてリティア達を見ていた。リティアはいたたまれなくなり、俯いた。ううう、止められなくてごめんなさい。
《結界を力尽くで蹴破る娘はこの先が楽しみだな。》
ケルベロスが堂々と椅子へ座り、セイリンとテルが再び涙を流して、周りを気にせずに珈琲を飲んでいるラドに駆け寄る。目の前で繰り広げられている光景を見ているソラの口は開いたままになり、ディオンに肘で軽く小突かれて、慌てて口を結んで調合室へ入っていく。リティアも壊れた扉の先へ足を進めたら、
「リティア、待ってますからね。早く私の棺を取り戻してください。」
「アリシアさん、私を利用したいのですね?」
声の方へ振り向くと、アリシアが調理室の前に立っていた。
「違います、棺に触れる者はこの校内で貴女しかいないのです。」
精霊がアリシアに集まって一瞬で弾ければ、そこにはもう彼女はいなかった。リティアは言及できずに、調合室で大泣きするテルを宥めるハルドに向き直る。
《リティ、おかえりなさい。アリシアは、ラドがリルドに頼まれて探していた精霊人形だよ。》
《教えてくれてありがとうございます。ハルさんもお疲れ様でした。》
2人でアイコンタクトを取りながら、今度こそリティアも輪の中へ入っていった。
通路でガンガンと大きな音が響いた。セイリンが蹴破った調合室の扉を街の業者に頼んで新しいものに付け替えてもらったのだ。接続通路では、気まずそうなセイリンと、まだラドに縋りついているテル、何が起きているのかをハルドに問いただそうとして軽くあしらわれるソラ、ディオンとリティアは終わるまで話しながら待っていた。
「アリシアさんに色々聞きたかったのですがいなくなりましたね。アギーさんに連れて行かれた倉庫では、魂喰いセイレーンが人間の身体を作っていたのですよ。偽物だと分かりにくいのですが本当に気持ちが悪くて。しかもそれをアギーさんはウタヒメと言ってました。」
「私も床が抜けたときに、作り物の頭から魔石が逃げていくのを見ましたよ。何がしたいのでしょう…人の身体を得て獲物を捕まえられるというのでしょうか?」
うーんと同じ物を見た2人で唸る。
《なるほどね、昨夜の指もセイレーンが作った物だったのか。これは砕かれたアリシアも目をつけるわけだ。》
器用にもハルドから脳内会話がきて、その意見にリティアがハッとして顔ごとハルドに向けると、ハルドに軽く手を振られた。
《やはり利用されました!アリシアさんは、最初からセイレーンの作っているソレが欲しかったんですね!》
《恐らくは自分ではどうしようもできないんだ。また、身体を持つこちらへ働きかけてくるだろう。》
ハルドと脳内で話しながら俯くと、ディオンが小声で心配してくる。
「リティアさん?」
「すいません。ちょっと疲れちゃいまして…やはり深夜から起きるものではありませんね。」
「そうだ、リティ!お前、どうやって部屋から出たんだ!是非、その気配の消し方を伝授願いたい!どうやって制服に着替えた!?」
アハハと軽く笑ったリティアへ、さっきまで下を向いていたセイリンの意識が向いた。
「セイリンちゃん、ここでは恥ずかしいので後ほどで…。あっ。」
もっと早く帰ってこられると思っていたから、スカートのポケットに入れたままにしていた勝手口の鍵を忘れていたことに気がついてしまう。
「リティ?」
「いけない!一旦、寮に戻ります!あのネグリジェを捨てられちゃうと困るので!」
リティアは大慌てで接続通路を駆け抜けて、ガアことラドがやっていたように数段飛ばしで階段を降り、寮へと飛び込む。勿論、後ろからセイリンもついてきていた。管理室に寮母が居ない。恐らくはシャワールームの掃除だろう。そろーっと中へ入り、ポケットに入れたままの鍵を元位置に戻し、くるんと反転して端に置いておいた布バッグを引き寄せて中身を確認する。ネグリジェはそのまま入っていた。
「嘘だろ…そんな泥棒みたいな真似していたのか。」
「…深夜のみついている生徒用厨房の勝手口のドアについている二重ロックを外して脱出しました。」
若干引き気味のセイリンを見ながら、気まずくなるのはリティアの方だ。
「…そういう事に頭を使えるのは嫌いではないぞ。私は全く考えが及ばないからな。勉強になる。」
「駄目です、真っ当に生きてください。私の育ちの悪さが際立つだけです。」
耳まで赤くなることが分かるリティアは、荷物を抱えて自分の部屋へと戻る。
「生き残る為に必要な術かもしれない。是非、教えてほしい。」
ネグリジェをパンパンとシワを叩きながらクローゼットに戻すと、セイリンが扉に寄りかかっていた。
「…ご勘弁を。」
「リティ、私はいつも魔獣に襲われた時の生存率をどうやって上げられるかを考えている。その術を知っているだけで、何人も守れたら喜ばしいことだと思う。だから、教えてほしい。この通り。」
リティアが恥ずかしくて自分の顔を手で覆おうとすると、セイリンが背筋を伸ばして頭を深々と下げてきた。