106,少年は阻まれる
自分のベッド下から金剛ファルシオンを取り出して、再び噴水へと急行する。あの感覚が気のせいでなければ、図書室帰りにリティアと共に噴水へ向かったあの時を想起させるほどの輝きだった。あの時は月明かりと外灯で綺麗な反射をしているのだと考えたが、朝日に当たりながらも虹色に光る噴水はその歪さが際立つ。いつもセイリンからの命令を全て聞くわけではないが、今回はありがたくこちらに注力させてもらう。噴水の異常なほどの輝く水面を覗き込めば、ディオンの顔だけでなく太陽すら映らない。驚愕して空を見上げれば、欠点なく丸い太陽が天を飾る。
「…。」
これは魔法か?入学して数日くらいで経験した知らない男性の声を思い出す。あれもまた魔法。この学校は、魔術を専門としながら魔法があり、魔獣も出現している。ただ、どうすればこの魔法が解けるのかは分からないが、映るべき自分の姿を映さない水面へと手を伸ばし、
「ディオン君!おはよう!」
背後から聞き覚えのある声をかけられて、パッと手を引っ込めてから優雅に振り返り、微笑みながら挨拶を返す。
「アギーさん、おはようございます。本日もお元気そうで安心致しました。」
「おかげさまで。何しているの?」
制服を身に纏うアギーがニコニコと中庭へ出てきていた。ファルシオンに触れられないよう注意しながら距離を一定に保って立ち話をする。
「いえ、別段何もしておりませんよ。本日、セイリン様からお暇を頂きましたので、自然と戯れていただけでございます。」
「そうなんだね!じゃあ、僕に付き合ってよ。ズットお礼がしたかったんだよね。」
ディオンの手を取ろうと、両手を伸ばしてくるアギー。ディオンからしたら、こんなにも背中からはみ出ている大きなファルシオンに全く興味を示さないアギーにある種の違和感を覚え、鉄壁の笑顔を貼り付ける。
「私は何もしておりませんから、お気持ちだけ頂戴いたします。」
「ステキなトコロに一緒にいこー?」
返ってくる言葉がおかしい。不要と言っているのなら、引き下がるか諦めるかだろうに、その返答は最早話を聞いていないこととなる。ディオンは意を決して会話にならないアギーの目を見据えると、どこか虚ろで焦点の定まらない瞳をしていた。自分が行かねば他に被害者が出る危険性があると腹を括り、
「ではお言葉に甘えて。アギーさんが言う素敵な所はこの近くなのですか?」
「ウン!幻想的なものがみえるンだ!」
噴水の違和感を後回しにして、彼の話に乗ることにした。
こっちだよってスキップをしながら連れて行かれた先は、グラウンドの隣にある体育用具の倉庫。普段は鍵が締まっている所なので、扉は閉ざされていて、アギーが取っ手を掴んでも開かないはずだった。ガチャガチャと内側から音がして、扉が開いてしまう。ボールの籠やメジャー、ゼッケンなどが置いてある倉庫の真ん中に先程の噴水と同じように虹色に光る床が出来上がっていて、正気の目をしていないアギーは愉快そうにディオンの手を取り、その場まで連れて行く。ディオンとしては振り払うこともできたが、敢えてここは乗る。
「素敵な所というのは、この虹色の床のことですか?」
「床が虹色?なにソレ?もっとこっちニくるとワカルよ!」
ディオンが指差すと、頭を傾げるアギー。この異様な床はアギーには見えていないのか。ますます警戒を強める。治療を受けているアギーがまたおかしな行動を取っているということは、リティアもまさか…ゾッと寒気に襲われる中、虹色の上に立たされ、一瞬で景色が一変した。
「ドウ?キレイだよネ!」
アギーがディオンの手を離し、嬉しそうに抱きついたモノは、首から上、そして四肢のない血の通っていない純白な女性の裸体。目の当たりにしたディオンは、胃から消化の終わっているはずの食べ物が逆流してくる不快感に襲われる。その裸体は、首と四肢があるべき箇所から無数の白く細い蔓が伸びていた。吐き気を抑えながら、蔓の更に先を見渡せば、腕、手首、肢体、眼球、下が蔓を編み上げていて、人形のパーツを作っているように見えてくる。
「こ、これは?」
「ウタヒメの新しい身体!!ウタヒメが、リティアサンを美味しくタベたから、自分の身体を作れるっテ!」
「…ッ」
頭からリティアの笑顔が薄れていく感覚を覚え、理性でこの衝動を抑えられなくなり、ケタケタと壊れた笑い方をするアギーの上部へと勢いにまかせてファルシオンを振り降ろしたはずだが、ディオンの意図せぬ形で軌道が微妙ずれ始めて、アギーではなく裸体を斬り倒した。
「アアアア!?」
裸体が真っ二つに斬れたことで、パニックを起こして髪を毟り始めるアギーを横目に、裸体のパーツの切断部分が接着して元通りになっていく一部始終をこの目で目の当たりにして、ディオンは眉間にシワを寄せる。
「そういう古代龍を元に造られた武器はね、意志を持つのよ。」
突然、頭上から女性に声をかけられて、ディオンは咄嗟に身を翻す。声をかけられるまで気配は感じなかっただけでなく、声をかけてきたシャボン玉のような髪色の女性は、ふわふわと宙を浮いていた。
「あ、貴女はセイレーンなのですか?」
「残念ですが違います。それにしても良いお顔立ちですねー、リティアがドキドキするのも納得できちゃいます!」
ディオンの近くでクスクスと笑う女性の白いコートから透き通った紫色の鉱石の右腕が垣間見える。
「リ、リティアさんとそのようなお話をっ!」
「まさか!でも意識していることはよく分かりますよ。さてさて、この上にいるリティアが脱出するまでに此処はなんとかしないと、人型の鮮肉食カズラが喰いにきますよ。」
彼女が唇も目の窪みもない頭のパーツを指差すと、その頭が無数の蔓によって奥へ奥へ逃げていき、泣き喚くアギーを盾にするように他のパーツも距離を取り始め、天井が酷く大きな音を立てながら軋む。ディオンはファルシオンを構え直して、隣で浮いている彼女に、
「リティアさんは、生きているのですね…?」
「勿論。誰がこんな三下にくれてやりますか。」
確認すると、彼女の笑みが消えて真剣な表情になり、ディオンのファルシオンにそっと両手を添えてきて、剣先に青い炎が灯った。
「色々とお聞きしたいことはありますが、まずは倒してしまいましょう。」
地面を蹴ってアギーより更に後方へと駆ければ、人のパーツをつけていない蔓の群れがディオンの足に絡みつく。1つ1つ丁寧に且つ迅速に斬り上げていけば、白い蔓の導火線に青い炎が燃え広がり、瞬く間に灰を舞い上がらせると、その炎がパーツへと移る前にセイレーン自ら、パーツを蔓から外して落下させる。
「いとも簡単に取り外して器用ですね…」
「まあ、蔓なんてただのトルソーですから。あのボディを産めるのは鮮肉食カズラの蕾のみですよ。それでもあの頭を離さないって怪しいと思いませんか?」
するんと落ちてくるパーツを身体をくねりながら避ける彼女は、骨が入っていないのかと思うほどに体が柔らかい。
「離せない理由があるとしたら、2つ目を作ることが大変か…いや、魔石が隠させているのですね!」
彼女の誘導尋問に乗せられるようにして導き出した答えと共に、落下したパーツに目もくれずに高く遠くへと逃げていく頭を追いかければ、涙を枯らしたアギーが転がるパーツを大切そうに拾い上げていた。あまりにもよく逃げるため、頭を追いかけることをやめて膝に遊びを持たせたディオンは、ファルシオンを大きく背中まで振り被って…こちらの動向を観察するために相手の動きが止まるその寸前に、ブーメランみたく頭目掛けて投げつけて、その対象物を噴き上げるほどの青い炎で燃やし尽くした。