1,少女は出会い、廻り始める
※戦闘シーンを書く可能性があるので、残酷な描写ありとします。
これは私が初めて潜った門の先で出会った思い出と、この国でまだ知名度の低い魔術薬師になるまでの物語…。
「各自、使用した器具を所定の場所戻してから退出するように。」
お決まりの文言を実習室内で響き渡らせ、初老の男性教師は急ぎ足で教室を後にした。探索用器具や実験器具の使用方法の説明を受けるためにテーブルに広げられた品々を片付けるのは、まだ入学して3日も経たない新入生達。棚に書かれた魔術特有の文字と、器具に刻まれた文字を照らし合せながら、1つ1つ丁寧に片付けていく。ハーフアップにした銀色の髪を軽く揺す少女は、両手で慎重に天秤を窓際にある肩までの高さの棚に戻し、くるっと体の向きを変える。見渡す限り、他の新入生達はまだ各々のテーブルの上に並ぶ器具の数々を片付け終わっていない。誰かに声をかけるでもなく、自分の使っていたテーブルから次に片付ける手のひらサイズのランプ、そして抱えるほどの大きな土壺、3種類の銀匙、小瓶、試験管を順番に所定の棚に戻していく。まだ教師しか教室の扉を開いていない中、他の誰よりもテキパキと片付け終わった少女は、教室に戻るため、誰の気も引かぬよう足音を最小限に抑え、大きな扉をゆっくり押し開いて退出した。
赤い絨毯が敷き詰められた学校の廊下は、貴族が住まう屋敷を想起させる。一定のリズムで歩く少女の頭上や腕に触れるように色とりどりの光が通り過ぎていく。ふと手を伸ばす。光は手を通り抜ける。これをこの国の人々は『精霊』と呼ぶ。意思があるのかないのか、近年の魔法研究の界隈では盛り上がっているらしいと、野草と薬草の仕分けを日課にしていた祖母から聞いたことを思い出す。入学してから、誰と話すも最低限の会話のみで、既に女子内のグループから外れた存在となっていた少女。本人からしたら、それが気になるような事柄でもなく、配られた教科書を黙々と読み進める時間を確保していた。少女は、精霊に伸ばした手を引っ込めると、後方からダダダッと力強く走ってくる音が聞こえてきた。
「リティアさん、あの!少し待って頂けませんか!?」
リティアと呼ばれた少女は、ふわっと小首を傾げ、追いかけてきた少年の為に足を止めた。隣に並んだ星空の髪色は見事なものだった。濃紺すぎず、空色すぎず、窓に注がれる朝日に照らされて明るい夏の星空が表現されていた。綺麗だなと見惚れてしまう。その少年のそばに寄り添うように『精霊』がふわふわと浮いている。
「リ、リティアさん…?突然話しかけて申し訳ございません。驚かれました?」
反応のないリティアに、声をかけてきた少年がおどおどと再び口を開く。その瞬間にリティアの藤色の瞳が大きく開かれた。パチパチと何回か瞬きに時間を要し、やっと傾げていた顔を元の位置に戻した。
「えっと…、どちら様でしょうか?」
きょとん。とおそらく同じクラスの少年の顔も名前も知らなかった。その問いかけに、少年はにこやかに微笑み、
「申し遅れました、ディオン・ラグリードと申します。先ほどは無駄のない動きで片付けられていて、驚きました。あの文字は習われておりましたか?それが気になってしまい、追いかけてしまいました。」
すみませんと軽く頭を下げるディオンは、流れるように右手を差し伸べてきた。リティアは丸い目をしたまま、交互に少年とその手を見てしまう。結局、誘われるまま白い指を乗せ、少年の歩き始めの歩調に合わせるようにゆっくりと肩が揺れる。
「え、あ。その、兄が勉強していた参考書を貰ったので。入学前に少しかじりました。」
少し上げた口角が引きつる。言えない、本当のことを言ったらどんな視線を向けられるか分からなかった。本当のことを言ってしまったらと思うと、少しずつ俯いてしまう。ツーっと頬を撫でるように汗が流れていく不快感を味わう。
「そうなのですね!あの文字は魔法士にしか読めないと教えられてきたので、正直驚きました。自分も何となくでも分かるように勉強していきます。もしよければコツなどをご教授お願いしたいのですが。」
えへへっと軽く首を傾げながら、空っぽな左指でぽりっと頬を掻くディオン。悪気のない彼の反応に、ゴクリと喉を鳴らすのは紛れもなくこの私。コツなんてあったら私も教えてほしいくらいですよ、と軽く受け流す。教室までの道のりはほんの数分。指先の痺れを感じるには十分すぎる時間だった…。
ここは、魔術士養成高等学園。私は、『魔法士の一族』。魔術士を志す人間から見たら、恵まれた存在が見下すために入学してきたと思われてもおかしくない。それでも、ここに入学した…。
一般教養科目としての数学の授業と、偉大な魔術士に関する歴史の授業が終わり、入学して初めての昼休みの時間が訪れた。昨日一昨日は午前中のみしか校内に居られなかったため、スキップしながら食堂に歩みを進める生徒、何人かで机を合わせてお弁当を開く生徒、他の教室から友人が迎えに来る生徒など、皆各々の時間を楽しんでいる。1人静かに購買で買ったライ麦パンをかじろうとしているリティアの机まで、大きめな籐の籠を左腕に抱えたディオンが小走りで近づいてきた。リティアは、かじるはずだったパンを手から滑らせ、何度も瞬きする。開いた口を閉めることも忘れて、ひまわりの笑顔を向けるディオンを見上げている。
「リティアさん、一緒に中庭で食べませんか?紹介したい友人がいるのです。」
「わ、私にですか…?」
「はい!リティアさんはお一人がお好きかもしれませんが。もしよろしければ彼女の話し相手になって頂けると嬉しいなと思いまして。」
ディオンの声が小さくなっていく。リティアの口はやっと閉じられ、サッと教室内を軽く見渡す。他に声をかけられる女子は居なかったのだろう、既に女子グループがいくつも出来上がって食事を楽しんでいて、1人なのは私くらいだった。3限と4限の間の休み時間にディオンさんと話が弾んだ男子達はお呼びではないということだ。突然のことで断る言葉が見つからなかったリティアは、音を立てずに立ち上がり、机の上で転がったパンを紙に包み直して、水筒と一緒に両手で持ち運ぶ。
「わ、私でよければ。」
逃げられないのならば、一過性で終わる当たり障りない程度の交流を。どうかその女子の印象に残りませんようにと祈りながら、待ち合わせ場所に指定されている中庭の噴水そばのベンチに向かう。
色とりどりの花が白い大理石に埋め込まれた噴水を映えさせている。その噴水を囲うように、花壇より外側に12本の木々、その下にはベンチが1つずつ木陰に入るように置いてある。噴水を中心にした3時の方向のベンチには、若草色の髪を後頂部近くで1本に束ね、まだ肌寒いこの時期に袖を捲りあげることで、日に焼けた肌を晒す少女が両手に収まるサイズの本を読んでいる。他の生徒がベンチを使いたいと声をかけると、どんな相手にでも無言で好戦的な視線を送り、蒼白になって走り去る生徒、ガタガタ震え始める生徒が増えていく。相手が喧嘩を売りに来ないことを確認すると、視線を本に戻した。そんな生徒に向けて、にこやかに手を振る男子生徒がいた。ディオンは、リティアをエスコートして好戦的な生徒の横に座らせ、当たり前のようにベンチの反対側に座る。先程までの様子を見ていたリティアからしたら、最早食事どころではない。その生徒の隣でカタカタと小刻みに震えている。それに比べディオンは、お待たせしましたと自然にランチマットを自分の膝に広げ、籠を開ける。一口サイズのライスボール、サンドイッチ、ソーセージなどが敷き詰められていた。
「セイリン様、お待たせしました。お食事にしましょう。」
「その前に、ディオン。彼女は何??こちらの小動物。」
「休み時間をも費やして勉学に励まれているクラスメイトのリティアさんです。セイリン様を彼女に紹介したく。」
ディオンは、上体を少し傾けニコニコとリティアに笑みを送る。合わせて笑みを作るが口角が引きつる。
「わ、私、リティア・サンディと申します。読まれているその本は、ドレイズ・グランダ著の精霊人形の実態と愚説ですよね。私も読みました。」
セイリンは、流行りとも言える『精霊』の本に栞を挟んで閉じ、リティアをじっと見つめる。まるで品定めしているようだ。リティアにとっては幼い頃から大勢の大人に注がれていた視線そのもので、それほどの緊張状態にならず、言葉を続ける。
「同じ著者の精霊人形の末路は読まれたことありますか?そちらを読んで気に入られたら是非一度目を通して見てください。」
「この本の内容に触れなかっただけ良い子ね。自分の目を通す前に内容をバラされることほど腹立つことはないからね。そちらの本は読んだことないけれど、購買にある?週末しか街に出られないのだから当分お目にかかることはないかもしれない。」
「読んでいた本でよければ、私の寮室にありますよ。明日にでもお貸ししますよ。」
「あら、いいの?新品である必要はないから、有り難く借りようか。」
明日も会うという約束をしてしまった、リティアは心の中で反省する。軽く話を合わせるだけのつもりが他の話題を自ら振るなんて、私らしくない。軽く微笑むと、セイリンからも笑みが返ってきた。そのままセイリンは顔ごとディオンへと振り向き、籠の中のサンドイッチを口に放り込む。終始ニコニコしているディオンも続くようにライスボールを頬張った。
「ディオンが無理やり連れてきたのでしょうけども、私を見て声を発することが出来る同年代は少ないから希少だよ。」
「え…。皆さんは何故声が出ないのですか?セイリン様は魔獣ではありませんし。」
「さらっと酷い例え方するのね。闘志剥き出しってわけではないけれど、無知の人間が見たら関わらない方が良いと思うほど睨みを利かせるし、ある程度貴族を知っている人間から見たら、とある一族のご令嬢で関わりたくはないからね。あと、貴女は従者ではないので、様つけやめて。」
次のサンドイッチをかじりながら、リティアに視線を流す。ぶるっと身震いを覚えながらも、セイリンと目を合わせる。よく祖母と薬草を摘みに行っていた森の魔獣よりは話が通じる。
「で、ではセイリンさん。睨むことをやめられたら色々な人と関われるのではないでしょうかと言いたいところですが…、私も人と関わることが得意ではなく、人の視界に入らないように努めていますので、親近感が湧きます。」
ふふふっと口元を片手で隠すと、セイリンは何度か瞬きをした。
「…貴女とは仲良くなれそうよ。私は、セイリン・ルーシェ。では、リティア・サンディさん、これからよろしくね。」
そう言うと、自然と口角が少し上がり、ゆっくりまぶたを閉じた。