傷だらけのオリオン
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龍吾は、11月の寒さで目が覚めた。
龍吾は、高校二年生。
一つ上の義姉とは、同じ高校だ。
しかし、ずいぶん早く目が覚めてしまった。
龍吾は何となく、部屋の鏡越しに自分の姿を見た。
長めの黒髪を、毛先だけ赤く染めている。
そして、全身には数えきれない無数の大小の傷跡。
一番特徴的な傷跡は、左目の眉の上から、真っすぐ下に頬まで伸びて、左目を切り裂いている大きな傷。
龍吾は、その傷が原因で、左目が潰れていた。
自分の傷だらけの姿を見て、途轍もなく大きな劣等感に押しつぶされそうになる。
龍吾は、シャツを着て、枕もとの銀縁眼鏡を掛ける。
龍吾は中学一年の頃、実の母を亡くしていた。
ある日、買い物帰りの龍吾は、母と一緒に、とあるマンションの横を歩いていた。
その時、一瞬にして凄まじい旋風が吹き荒れた。
風の力に負け、倒れこむ龍吾と母。
その旋風が、すぐ側のマンションの上階の窓ガラスを破壊し、倒れこんだ雄吾たちの上に、鋭いガラスの雨が降り注いだ。
母は、太い血管を傷つけたようで、大量の血を流し、救急車が到着する前に絶命した。
龍吾は、全身にガラスの破片が突き刺さったが、8時間にも及ぶ大手術の結果、命を取り留めた。
その時の医師たちへの感謝は、今も忘れない。
だが、龍吾の左目には、一際大きな破片が刺さり、龍吾は左目を失ったのだった。
龍吾には、幼馴染の女の子がいた。
子供の頃から、よく一緒に遊んでいた。
だが、龍吾がガラスの雨を浴び、左目が潰れ、全身が傷だらけになった姿を見て、それを恐れ、離れていった。
恋をしていた訳ではないが、親しい友人だったのは間違いなかった。
龍吾は、寂しさで潰れそうだった。
龍吾が中学一年の時だった。
龍吾は、中学二年の時に、初恋をした。
同じクラスの、隣の席の女の子に。
優しい子で、教科書を忘れたときには、よく一緒に見せてもらった。
だが、傷だらけで左目の無い龍吾は、劣等感の塊だった。
想いを告げることなど、出来るはずはなく。
そのまま、ふたりの関係は、席替えと同時に、自然と遠のいていった。
母を亡くしてからしばらくの後、父は子持ちの女性と再婚した。
その女性も、交通事故で夫を亡くしたらしい。
龍吾に、義母と義姉ができた。
龍吾たち家族は、悲しみの絆で結ばれていた。
龍吾が中学三年、義姉が高校一年の時、ふたりは初めて性行為をした。
それは、恋や愛の無い、ただの傷の舐め合い。
だが、それでもよかった。
傷を舐め合わなければ、龍吾たちは生きていけなかったのだ。
きっとこの関係は、両親には気付かれていたのだろう。
しかし、龍吾たちの気持ちがわかるのか、何も言われることは無かった。
「龍吾。私、好きな人ができたの」
龍吾が高校一年の時、義姉は言う。
だからもう、慰め合う事はできないと。
それ自体は構わなかった。
龍吾と義姉の関係が歪で、いつか終わりが来るのは分かっていたからだ。
だが、問題なのは、義姉の恋の相手だった。
ハーレムクソ野郎。
龍吾は、義姉の相手をそう呼んでいた。
そいつは、龍吾と同じクラスの修斗。
背の高い、ファッション雑誌から出てきたような美形の男。
龍吾は、修斗に好きな女性を全て取られていた。
義姉に幼馴染に初恋の人。
だが修斗は、女性を周りに侍らすだけで、実際には誰にも手を出していなかった。
好意を貰えるだけ貰って、与えない修斗。
好意を示している女性に、行動で返さない修斗。
きっと、自分からはキスはおろか、告白すらできない男。
ただのチキン野郎だ。
それが修斗という人物像だった。
時は戻り、龍吾が二年生の11月。
「ちわー。美佳、いる?」
高校の保健室のドアを開け、返事を待たずに勝手に中に入る龍吾。
今は昼休み。保健教諭は、留守にしているようだ。
すると、白いカーテンで隠されたベッドの方から声がする。
「龍吾君?私、こっち」
小さな手が、カーテンを開ける。
そこには、黒髪の癖毛を肩まで伸ばし、赤い縁の眼鏡をかけている美佳がベッドから身を起こしていた。
膝元の掛け布団の上には、星座の本が開かれている。
「美佳。これ、今日のプリント」
「いつもありがとうね」
龍吾は、授業で使ったプリントを美佳に渡す。
美佳は、あのハーレムクソ野郎である修斗の幼馴染らしい。
そして、龍吾が見たところ、たぶん修斗は美佳の事が好きだ。
でも、あの美形チキン野郎は、自分からはアクションを起こさない。
以前、美佳に修斗のことをどう思っているか聞いた事がある。その時は……
『うーん、秘密』
赤い顔をして、目を潤ませて、そう言った。
たぶん、美佳も修斗のことが好きだ。
龍吾はベッドの美佳に声をかける。
「サボり?」
「違いますー。龍吾君みたいな不良と一緒にしないでくださいー」
「俺は不良じゃない。これはファッション」
「世間では、髪の毛が赤い人は、不良って呼ばれるんだよ」
「赤くしてるのは先っぽだけだろ。それ以外は黒いまま」
龍吾は、毛先だけ赤く染めた、自分の髪の毛を一房持ち上げて見せた。
髪を染めたのはただのファッションに過ぎなかったが、でもそれは、自分の容姿にコンプレックスを持っている龍吾が、ほんの少しでも、何かしらの方向へ自分を変えたかったという気持ちの表れだったのかもしれない。
龍吾は続ける。
「じゃあ、また貧血か?」
「うん」
「だいじょうぶか?」
「だいぶ楽になった」
「また気分悪くなったら言えよ」
「ありがとう」
美佳は、赤縁の眼鏡の奥で、くすりと笑う。
龍吾は、ベッドの上の星座の本を見る。
「星座?」
「うん。好きなの」
「推しは何?」
「ん~、いっぱいあるけど、いまの時期も踏まえて、オリオン座」
「あー、あの砂時計みたいなやつね」
美佳は、占いなどが好きで、星座にも詳しい。
「知ってる?オリオン。人の名前」
「いや、知らない」
「オリオンはね、アルテミスの恋人なの」
「アルテミスなら知ってる。弓がスゲェ女だ」
「そうそう。狩りの女神様。
でね、アルテミスの兄のアポロンが、オリオンを嫌いなの」
「なんで?」
「さあ。なんか、オリオンが乱暴者なんだって。
本当の所は知らないけど。
ある日アポロンがアルテミスに言ったのね。
あの海に浮いてる島に矢を当てられるか、って」
「ほう」
「その島ってのが、実はオリオンの頭でね。
オリオンは恋人のアルテミスに弓矢で殺されちゃうの」
「島と頭の区別がつかねぇのか、アルテミス。
俺ら並みにド近眼じゃねぇ?」
「ヤバいよね、アルテミス」
ふふ、と美佳は笑う。
銀縁眼鏡の龍吾と、赤縁眼鏡の美佳。
ふたりとも、目が悪い。
「でも、アルテミスは悲しんだのね。すごく。
それで、アルテミスは、二度と恋をしませんでしたとさ」
「アポロン、悪い奴だ」
ふたりで笑う。
なんて平和な時間。
龍吾は、この美佳との時間が好きだった。
「俺、そろそろ行かないと」
「うん。ありがとう、龍吾君」
龍吾に手を振る美佳。龍吾も手を振り返す。
好意には好意を、必ず返すようにしているのだ。
そして龍吾は、保健室を後にした。
龍吾が教室に戻ってきた時。
昼休みが終わるまでは、まだもう少し時間が残っていた。
龍吾は、窓際の一番前である、自席に座る。
そして、教室のちょうど中央の席では、チキンハーレムクソ野郎こと、修斗が10人ほどの女子に囲まれていた。
その中には龍吾の、義姉と幼馴染と初恋の相手も。
「ねえねえ、修斗君。私たちの中で、誰が一番好み?」
「えっ。そんなの、わかんないよ」
「ちゃんと言ってほしいなぁ」
「ぼ、僕たちはただの友達だよ。ねっ?みんな?」
「そんな寂しいこと言わないでよ~」
龍吾は、顔は前を向いていたが、その会話は耳にしていた。
龍吾は苛ついていた。修斗の返答に。
仮に、全員が好きなら、それはそれで構わない。
ちゃんと愛情を注げるならば、思う存分に全員と付き合えばいい。
だが、修斗は愛情を受け取るばかりで、一向に返さない。
ちゃんと好意には好意で返さなければ、愛を注ぐ側は、いつか疲弊して枯れてしまうだろう。
龍吾は、ちらりと修斗たちを見る。
そこには、傷を癒し合った義姉もいる。
義姉は、笑顔で愛を振り撒いていた。
その笑顔の裏側は、どんなに悲しみに覆われていたとしても。
そして、昼休みが終わろうとする頃。
教室の入り口から、黒髪の癖毛で、赤縁眼鏡の女の子が。
龍吾は、その女の子に、
美佳に、手を振る。
美佳は、龍吾の元に駆け寄ってきた。
「美佳、もうだいじょうぶ?」
「うん、だいぶ良くなった」
「無理すんなよ」
「ありがとう」
すると、教室の中央の席から、椅子を蹴倒した音がする。
ふと見ると、修斗が立ち上がって、美しい顔で龍吾を睨んでいた。
その背の高い美形の青年は、こちらにやってきた。
「み、美佳。こんな奴と話すな」
突然の龍吾への罵倒。
こいつは、貧血を起こしていた美佳に、いたわりの言葉もかけられないのか。
「美佳!こんな不良と一緒に居ちゃダメになる!」
黙りこくる美佳。
でも、美佳の顔は、ほんのりと赤くなっていた。
目を潤ませて。
黙ったままの美佳。
しかし、修斗は赤くなった美佳の顔を見て、満足そうな表情を浮かべた。
「ま、まあ、考えておけよ。美佳のためだからな」
修斗は嬉しそうに席へ戻る。
その一言を残して。
ある日の放課後、龍吾は、美佳の席を見ると、いつのまにか美佳は居なくなっていた。
席に鞄を残したまま。
(……まずい)
龍吾は残された右目で教室を見渡すと、修斗の取り巻きのうちの何人かが、見当たらない。
龍吾は、ここ最近、美佳の様子がおかしいことに気づいていた。
いじめを受けているのではないかと推測していた。
だから、なるべく一緒にいるようにしていた。
昼休みも、放課後も。
しかし、ごくたまに、龍吾が気づかない内に、少しの時間、姿が見えないことがあるのだ。
手洗いとも違う。
そしてその後は必ず、張り付いたような笑顔を見せる。
その奥に、何かを隠すように。
龍吾は、急いで教室を飛び出す。
女子トイレにでも連れ込まれていれば、手が出せない。
廊下を駆け抜け、美佳を探す。
潰れた左目と、残った右目で。
銀縁眼鏡のレンズが光る。
他の教室にいないか。
廊下の隅の死角にいないか。
探す。
その時、屋上に続く階段の上の方から、かすかに声がした気がした。
おそらくは、美佳の声。
龍吾は、階段を駆け上がる。
そして、施錠された屋上へのドアの前の、踊り場で。
俯いた美佳と、数名の女子を見つけた。
女子の一人が、火のついたタバコを持っている。
そして、美佳の制服のシャツのボタンは全て外れていて、白いブラジャーが見えていた。
その周りの肌には幾つもの、打撲の跡と、火のついたタバコを押し付けられた跡が。
美佳は、龍吾に気づくと顔を上げる。
美佳は、泣いていた。
取り巻きの女子どもも、龍吾に気づく。
そして美佳は咄嗟に、ボタンが外れたままの制服のシャツを閉じ、露出していた肌を隠した。
「お前ら、何やってるんだ」
階段を上がる龍吾は、怒りを隠そうともしない。
傷跡だらけの、左目が潰れたその顔で。
ひるむ女子たち。
龍吾の頭には、先ほどの場面が。
美佳の身体に付いた、無数の傷が。
階段を上がり切り、踊り場に踏み入り。
龍吾は、火のついたタバコを持っていた女子の、その手首を掴んだ。
「な、何すんだよ!」
タバコを持つ手を掴まれた女子が喚く。
だが、龍吾の力には勝てず、振りほどけない。
龍吾はそのまま、
その女子の反対の手の甲に、タバコを押し付けた。
「ああっ!熱いっ!やめっ!」
焼ける音がその手から聞こえる。
その女子の目から、涙が零れ落ちる。
そして龍吾は、手を離さぬまま、その女子の腹に膝蹴りを食らわせた。
「ぐえっ」
胃の内容物を吐き散らす、タバコの女子。
他の取り巻きどもは、青い顔をして身を引いていた。
もう一度、龍吾は問う。
「お前ら、何やってるんだ」
跳ねるように反応する女子たち。
「そ、その女が、修斗君に冷たくするから……」
「私たちだって、修斗君に構ってもらったことないのに……」
単に、美佳が修斗のお気に入りだということが気に入らなかっただけのようだ。
そんなことで、美佳は殴られ、タバコの火を押し付けられたのだ。
ふざけた奴らだ。
そして龍吾は、その他の女子たちにも順番に、一発ずつ、思いっきり腹に蹴りを入れていく。
一撃一撃を、怒りで満たして。
全員が、踊り場の床に吐いていた。
龍吾は言い放つ。
「このことは、誰にも言うな。
そんで、美佳にも今後、手を出すな。
もし手を出したら、美佳への暴力のことを、美佳と一緒に警察に被害届を出す。
弁護士もつける。
お前らも、退学になりたくはないだろ?」
全員、涙目で頷く。
そして、よろよろと、ひとりずつ立ち去っていく、修斗の取り巻きども。
撒き散らされた吐瀉物は、後でこっそり掃除すればいいだろう。
最後のひとりが居なくなり、龍吾と美佳だけが残る。
ボタンが外れたシャツで、肌を隠す美佳。
「……龍吾君、見た?」
「タバコの火傷のこと?」
「うん」
「見た」
「はは、見られちゃった。
見られたくなかったのに」
美佳の目に涙が浮かぶ。
龍吾は、そっと、そっと美佳に近づく。
銀縁眼鏡を取り外して。
「美佳、これからすること、嫌だったら言ってね。止めるから」
そして龍吾は、美佳の手を取り、ボタンが外れたまま閉じられたシャツの前を、そっと開ける。
白いブラジャーと、白い肌と、幾つものタバコの火傷。
龍吾は、美佳の顔をちらりと見る。
美佳も、龍吾の顔をじっと見ている。
美佳は、龍吾を拒絶しなかった。
龍吾は、美佳の肌の、タバコの火傷に、静かにキスをする。
少し身動ぎをする美佳。
龍吾は、また別の火傷にキスを続ける。
決して、痛みを与えないように、そっと。
「美佳、痛い?」
「ううん」
「美佳の身体、きれいだよ」
「こんなになっちゃっても?」
「うん。こんなになっちゃっても」
龍吾は、美佳の身体の、紫色の打撲痕を優しく撫でる。
美佳の目からは、涙が溢れていた。
龍吾は、自分が美佳の事を、こんなに大切に思ってることは、自覚していなかった。
だが、今この場で、自覚してしまったのだ。
自分が、美佳に恋をしていることを。
12月も上旬を過ぎ、もうしばらくするとクリスマス。
我が校では、クリスマスの前に修了式が行われる。
「もうすぐ冬休みだね」
「だな」
学校帰りの河原の道を行く、龍吾と美佳。
あのタバコの事件があった後、龍吾と美佳は、一層仲良くなった。
放課後も、一緒に遊び回ることも多くなった。
ほんのり暗くなりつつある12月の空。
星が瞬き始める。
「あ、龍吾君。あれ、オリオン座」
「お、ホントだ」
空を仰げば、砂時計の形のオリオン座。
兄のアポロンに騙された、恋人のアルテミスに頭を射抜かれ、天に昇ったオリオンが。
「美佳、クリスマスイブ、遊ぼ」
「いいよ」
その返事に、素直に喜ぶ龍吾。
たぶん、この後にでも、美佳は修斗からもイブに遊ぼうと誘われるのだろう。
そして、龍吾の誘いは、やっぱりごめんと断られるのだろう。
それが分かっていても、一度は誘いを受けてくれたことが嬉しかった。
龍吾と美佳は手を繋ぐ。
タバコの火傷にキスをして以来、ふたりの距離はますます近くなっていた。
恋人としてではなく、友人としてだろうけれど。
傷だらけの龍吾。
打撲と火傷の跡の美佳。
まるで、身体の傷がふたりを繋げたみたいだ。
そして、その後ろから、声がかかった。
「美佳!そいつから離れろ!」
龍吾は、右目で後ろを振り向く。
ああ、とうとう来てしまったかと。
つかの間の夢だったと。
銀縁眼鏡のその奥で。
そこに居たのは、いつも以上に美形に見える修斗だ。
10人ほどの女子を引き連れている。
その中には、美佳をいじめていた女子たちも。
龍吾が幼い頃から仲が良かった、幼馴染の女の子も。
龍吾が中学二年の頃、初めて恋をした女の子も。
片親を亡くした悲しみを、癒し合った義姉も。
「美佳!お前はそいつに騙されてるんだ!その不良に!」
相変わらず失礼なやつだ、と龍吾は思う。
「美佳。一緒にクリスマスイブを過ごそう。
ね?
ほら、みんなもいるよ。
きっと楽しいから」
(そいつらと一緒で楽しい訳ないだろうが)
その中には、美佳を殴り、タバコの火を押し付けた奴もいるのだ。
だが、美佳は修斗を見つめている。
何かを期待する表情で。
そして、修斗は、何かを決心した顔をする。
「美佳!
ぼ、僕は……」
修斗は、息をひとつ吸い、一拍の後、美佳を見つめ、言った。
「僕は、君が好きだ!
ずっと前から!
どうか、どうか一緒に来てくれ!」
なんと、チキンだったはずの修斗から愛の言葉が。
たぶんそれは、十数年越しにようやく伝えた思いのはず。
修斗は美しい顔を赤らめ、より一層美しくなっている。
驚いた顔で、修斗を見る美佳。
その顔は、喜びに溢れているように見える。
やはり、美佳は、修斗のことが……
ざわめく取り巻きたち。
「ちょっとアンタ、さっさと返事しなさいよ」
「何様のつもりなの」
「修斗君がここまで言ってあげてるんだから」
「黙って修斗君に付いて来ればいいのに」
美佳への言葉が、12月の空気を渡る。
その中には、龍吾の幼馴染も、初恋の人も、義姉も居た。
(みんな、変わっちゃったなぁ)
龍吾は思う。
親しい人が、嫌な方向に変わってしまうのを目の当たりにするのは、悲しい事だ。
これで、本人たちは幸せなんだろうか。
「美佳!聞いてくれ!
僕は、君を愛そうと思う!
だけど、その不良はいらない!
だから、そいつを、殴るんだ!
自分の手で決別するんだ!
僕への忠誠を示すんだ!」
美佳に、龍吾への決別を促す修斗。
取り巻きの女子たちも、そうよ、殴れ、殴れと同意している。
特に、美佳をいじめていた奴ら。
ここで、美佳が龍吾を殴れば、さぞ楽しかろう。
殴れ。殴れ。殴れ。
はしゃぐ取り巻きたち。
赤い頬で、潤んだ瞳で、修斗を見つめる美佳。
殴れ。殴れ。殴れ。
取り巻きたちの盛り上がりは、最高潮に達していた。
美佳の、修斗を見る、愛しそうなあの表情。
美佳は修斗が好きなのだろうと、龍吾は確信している。
こんな傷だらけの男なんて、きっと眼中に無いだろう、とも。
(美佳に殴られたら悲しいなぁ)
龍吾は、自分が美佳に殴られるイメージを頭に浮かべた。
思いっきり頬を叩かれて、眼鏡が飛ぶ、左目が潰れた傷だらけの顔を。
そして、美佳は龍吾の方へと向きなおり。
右手を、龍吾の頬に当てる。
それはきっと、叩く前の予備動作。
やはり、美佳も修斗に愛されたかったのだろう。
他の女子と同じく。
龍吾は、美佳のその手を黙って受け入れる。
右手を大きく振り上げる美佳。
その動作が、龍吾の右目にスローモーションのように映る。
まるで、アポロンに言われるがまま、オリオンを害したアルテミスのようだ。
(ってことは、俺がオリオンか)
傷だらけのオリオン。
愛しい人に殺され、天に昇ったオリオン。
俺もこれから恋を殺され、恋心は天に昇るのだろうか。
身体も心も傷だらけだ。
本当はもう、傷つきたくない。
でも……
(さようなら、美佳)
美佳の振りかぶった手は、まっすぐ龍吾の頬へ向かい、
そして、龍吾の首の後ろにぐるっと回り、
美佳は龍吾を抱きしめると、唇にキスをした。
(……え?)
龍吾の右目の前には、美佳の顔。
唇には、柔らかい感触。
銀縁眼鏡と赤縁眼鏡が、こつんと当たる。
「は、はああああ!?」
奇声を上げる修斗。
美佳は、龍吾の唇から離れると、修斗へと向き直る。
美佳は叫ぶ。
「私たち、こういうことだから!
邪魔しないで!
それと、私、修斗君のこと嫌いだから!」
今までに無い以上に、顔を赤らめて。
今までに無い以上に、目を潤ませて。
これは、喜びではなく怒りの表情だったのか。
その場でへたり込む修斗。
修斗は美佳へ手を伸ばす。
「そ、そんな、美佳……
僕が好きなのは、君だけなんだ!
見捨てないでくれ……!」
涙を流し懇願する修斗。
周囲の取り巻きたちも、すっかり黙ってしまっている。
今までは取り巻きたちへの気持ちは、煮え切らない態度で有耶無耶にしてきた修斗。
今初めて美佳に『好きなのは君だけ』とハッキリ告げた。
美しい修斗と付き合えるなら、ハーレムメンバーでも別に良かったのだろう。
だが、修斗と付き合える可能性が無いことが、明確にされてしまった。
これまで注いできた愛は、一体何だったのか。
取り巻きたちの修斗への思いも、急激に冷めていった。
美佳は、龍吾に抱き着く。
龍吾も、美佳を抱きしめる。
修斗の嘆く目の前で、抱き合う龍吾と美佳。
まさか、こんな嬉しすぎる誤算があろうとは。
美佳は、赤縁眼鏡の奥から、龍吾の右目を覗いていた。
美佳は言う。
「……嫌、だった?」
「まさか」
龍吾は、美佳を抱きしめたまま、唇にキスをする。
その後ろでは、嘆きが大きくなりすぎて、声も出ない修斗。
龍吾は、美佳と手を繋ぎ、問う。
「美佳、俺の部屋、見てみる?」
「うん。見てみたい。連れて行って」
龍吾は、美佳を連れて河原の道を行く。
星が瞬く、暗くなり始めの夜空の下で。
修斗と取り巻きたちを置き去りにして。
あの後、修斗は修了式を待たずに転校していった。
長年募らせた思いが砕け散って、美佳の隣には龍吾がいるのだ。
きっと仲睦まじい美佳と龍吾を見たくなかったのだろう。
美佳をいじめた女子たちには、やはり警察に被害届を出すことにした。
美佳の両親にも、全て事情を話し、病院で診断書も貰った。
いじめに参加していた女子たちは、みんな退学になった。
今は、民事訴訟で慰謝料も請求中らしい。
あの時、龍吾も女子たちに蹴りを入れたから、もしかしたら何かしらお咎めがあるかもしれない。
それは、素直に受け入れようと思う。
かつては傷を慰め合った義姉は、だいぶ塞ぎ込んでしまった。
彼女もまた、アポロンに唆されたアルテミスだったのかもしれない。
だが、それを癒すのは、もう俺の役目じゃない。
彼女にも、新しく愛しい人ができるのを願う。
龍吾と美佳は、クリスマスイブの夜に結ばれた。
龍吾の部屋で。
傷だらけの身体のふたり。
行為が終わっても、お互いの傷跡に沢山キスをした。
思い返せば、美佳に初めてキスをしたのも、このタバコの火傷。
俺たちは、傷で繋がっていたのだ。
傷だらけのオリオンとアルテミス。
でも、龍吾を射抜いたのは、キューピッドの矢だった。
「美佳の身体、きれいだよ」
龍吾は、美佳のタバコの火傷をなぞる。
「こんなになっちゃっても?」
美佳も、自分の身体の打撲跡をなぞる。
「うん。こんなになっちゃっても」
龍吾は、美佳の傷跡にキスをする。
そしてふたりは、また身体を重ねる。
部屋の窓から見えるのは。
夜空に、無数の星とオリオン座。
砂時計の形のオリオン座の真ん中に。
流れ星が通り過ぎて行った。
それはまるで、キューピッドの矢のようで。
次は、どこのだれの胸を射抜くのだろうか。
でもそれは秘密、と言うように。
オリオン座が輝いていた。
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