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異世界のどこかの物語

悪役令嬢は、婚約破棄を告げさせない。

作者: 三谷朱花

 あの日は、穏やかな日だった。

 エカテリーナ・サリフォード公爵令嬢が5才になって直ぐの頃。

 エカテリーナは両親に連れられ、王城へお茶会に向かった。

 ――お茶会という名の、見合いの場へ。


 二人とも幼くはあるが、顔立ちは既に美しく、並んでいるだけで絵になった。


「父上、エカテリーナに庭園を案内してきます」

 王子の声に、王と王妃が微笑む。

「殿下、エカテリーナをよろしくお願いします」

 エカテリーナの両親が彼に頭を下げた。

 当のエカテリーナ本人は、かわいらしいお辞儀のあと、ほんのりと顔を赤くしていた。


 彼がエカテリーナに手を差し出す。

「エカテリーナ、て」

「んとうむしって、黄色いのもあるのよ」

 更に顔が赤くなったエカテリーナが、もじもじと両手を組んだ。

 

 一瞬目を丸くした彼は、エカテリーナの表情を見て、照れ臭そうに口を開いた。

「エカテリーナ、て」

「んきって、どうして変わるのかしら」

 エカテリーナが、目をそらすように空を見上げた。

 彼が、ふふと笑う。


「エカテリーナ、こうやってみて」

 彼が、手を大きく横に開いた。今度はエカテリーナがきょとんとする。

 エカテリーナは首をかしげながら、そろそろと手を広げた。

 その手を、彼がつかむ。


「さあ、庭園に行こうか」

「まだ全部聞いてないわ!」

 エカテリーナが赤い顔をして叫ぶ。

「今言ったよ。庭園に行こうかって」

「え……?」

 困惑した様子のエカテリーナに、大人たちはクスクス笑い出す。


 どうやら彼の方が一枚上手らしい。

 可愛らしいカップルの微笑ましい誕生風景だった。

 この時は誰一人、13年後に何かが起こるかなど、想像もしていなかった。

 恥ずかしそうに笑うエカテリーナも当然、この幸せな気持ちを害されることがあるなんて、考えてもみなかった。

 

 *


 奇妙な静けさだった。


 さっきまで色とりどりのドレスが優雅に舞っていた学園の大広間は、流れていた音楽も人々の動きも止まり、静まり返っていた。

 学園の一大行事である卒業パーティーのさ中に、こんな事態が起こったのは、初めてのことだ。

 学園生はもちろん、先生たちの顔も、ある一点に向いている。


 その中心にいるのは、赤い華やかなドレスを纏う女子生徒、それに向き合うように立つタキシードの男子生徒と、隣に並ぶ可憐な黄色のドレスを翻す女子生徒の三人だ。


 赤い薔薇のようなドレスの主は、絶世の美女と誉れ高いエカテリーナ・サリフォード公爵令嬢。そして、エカテリーナを睨むように見ているのは、このファシル国の第二王子であるコンラッド・ファシル。そのコンラッドの腕に手を添えていることでドレスの黄色が鮮やかに映えているのは、マーガレット・ナーシャ男爵令嬢だ。


 マーガレットが学園にやってきたのは、ほんの八か月前のことだ。マーガレットはナーシャ男爵の庶子だ。ずっと市井で暮らしていたが、突然ナーシャ男爵家に引き取られることになり、そして学園に入学することとなった。

 市井で暮らしていたマーガレットは学園の中では異質だった。ただ、その感性をコンラッドは好んだらしく、気づけばマーガレットはコンラッドの傍に侍るようになっていた。

 今日も二人が連れ立って会場に入ってきたときには、ざわめいたものだ。マーガレットはコンラッドの婚約者ではないのだから、連れ立ってくる理由にはならないからだ。

 

 つい先ほど、友人たちと歓談をしていたエカテリーナに、マーガレットを連れてやって来たコンラッドが声を掛けたところだった。

 流れていた曲を止めたのも、コンラッドだ。いや、この場でコンラッド以外に曲を止められる人間などいないだろう。この場で一番身分が高い人間は、彼なのだから。


 いや、学園の中で唯一コンラッドを止められる人間がいるとすれば、学園を統べる学園長その人だが、好好爺の恰幅のよい姿は、この広間にはなかった。

 エカテリーナと話をしていた友人たちも、重要な話があるからと、コンラッドからその場から立ち去るように命じられ、学園生を始め、先生たちも皆、エカテリーナたちを遠巻きにするしかできなかった。


 エカテリーナは少し釣り気味の目に力を入れて緊張した面持ちだが、コンラッドもまた表情は固い。マーガレットは怯えたようにエカテリーナに視線を向けている。

 エカテリーナはキュッと手袋に包まれた手を握り締めた。


 予想はしていた。だけど、こんなことが起こらなければいいと願っていた。

 だが、起こってしまった以上、公爵令嬢として、いや未来の王族の一員として、対処しなければならないと、覚悟を決めた。

 広間にいる人々は、三人の様子を固唾をのんで見守っていた。

 静寂を破ったのは、コンラッドだった。


「エカテリーナ、こん」

「やは素敵な夜ですわね、コンラッド殿下」

 エカテリーナが、コンラッドの言葉を遮って、鷹揚に頷いた。

 呆気にとられたコンラッドは、我に返ると、また口を開いた。


「エカテリーナ、こん」

「トラバスが私一番好きですの。殿下の声のように落ち着いた低い音が安心しますの」

 エカテリーナは、優雅に笑う。

 コンラッドは怪訝な表情になる。コンラッドの声は落ち着いた低い声、とは評されない。どちらかと言えば、男性にしては少し高めの通る声だと言われることが多い。困惑した表情のコンラッドは、気を取り直すように咳ばらいをして、エカテリーナを見つめた。


「エカテリーナ、こん」

「クパールのことをご存じですか? 滅多に見つからない珍しい宝石なんですって」

 エカテリーナの耳元にある大きな桜色のコンクパールが揺れる。首元にあるダイヤの連なる首飾りの中心にも、立派な輝きを放つコンクパールが収まっている。


 まるで、マーガレットの身に着けた宝石を馬鹿にしているようにも見える態度に、コンラッドはギリッと奥歯を噛みしめた。石は小さくエカテリーナのものに比べれば見劣るかもしれないが、マーガレットの心根の優しさが伝わってくるような品の良さがあると思って、コンラッドはマーガレットに贈ったのだ。

 それでも、コンラッドは王族であるという矜持からか、まだ冷静さを保っていた。

 コンラッドは一度目を閉じて小さく息を吐くと、ゆっくりと目を開いてエカテリーナを見る。

 

「エカテリーナ、こん」

「サートが、今度バルマ侯爵家であるそうですわ。どうやら東の国の珍しい楽器を使うようですけれど、どんな音楽なのかしら? あまり耳慣れない音楽は苦手なんですの」

 ニコリと笑うエカテリーナに、コンラッドは両手を強く握りしめる。


 バルマ侯爵家はナーシャ男爵家が懇意にしている家で、公爵家が開く正式なコンサートとは違う格式の高くないコンサートだと暗に言って、バルマ侯爵家と繋がりがあるナーシャ男爵家のことを、結果的に貶めようとしているようにも思えたからだ。


「エカテリーナ、話を聞いてくれないか」

 その声はまだ冷静さを保っていたが、それに輪をかけて冷たかった。

「コンラッド殿下、私は話を聞いているつもりですが」

 エカテリーナが真顔で答える。


「嘘を言わないで。コンラッド様が先ほどから話しかけているのを、遮っているのは、貴方でしょう?」

 マーガレットはコンラッドにしがみついたまま、エカテリーナに噛みつく。それでも声は震えていて、激しく噛みつくわけではない力弱いその姿は小型犬のようだ。コンラッドはマーガレットの精一杯の反抗を、愛おしく感じて、マーガレットをより引き寄せた。


 エカテリーナの視線が、初めてマーガレットに向いた。

「私はコンラッド殿下と話をしているのです。私はあなたを存じ上げないのだけれど、名乗りもしないでそこにいるあなたが口を出すことではないと思うわ」

 エカテリーナは首を小刻みに振ると、ゆっくりと言い含めるようにマーガレットに告げた。


 この学園生であるのならば、礼儀作法ができて当たり前だ。皆、貴族なのだから。

 本来ならば、男爵令嬢であるマーガレットが公爵令嬢であるエカテリーナに自己紹介をすべきなのだ。

 だが、マーガレットがこの学園に入ってこの方、マーガレットとすれ違うことはあっても、エカテリーナは一度も自己紹介をされたことがない。だから、存じ上げない、と言うのは本当のことだった。知り合いようがない。


「エカテリーナ! 知らないって、そんなわけはないだろう!」

 初めて、コンラッドが声を荒げる。

「存じ上げないのは、間違いないんですが……」

 エカテリーナが困ったように肩をすくめる。


「エカテリーナ! こん」

「どの劇場の演目は、喜劇だそうですわ。悲劇でなければ私はいいと思いますのよ」

 眉をピクつかせるコンラッドに、エカテリーナは淡々と表情を変えずに告げた。


「エカテリーナ! こん」

「ラッド殿下、どうかされたんですの?」

 尚も静かに首を傾げたエカテリーナに対して、コンラッドは握りしめた手をわなわなと震わせ始めた。


「エカテリーナ! ふざけるのもいい加減にしろ! こん」

「グラッチュレーション!」


 コンラッドの手のひらがヒュッと空を切った。

 周りの人々が息をのむ。


 次の瞬間、コンラッドの腕は背後から王太子のアレックス・ファシルに掴まれていた。

 エカテリーナは、ホッと息をついた。


「兄上!」

 コンラッドが驚いた表情で振り返る。

「コンラッド、この騒ぎは何だ?」

 アレックスは低く落ち着いた声でコンラッドに問いかけた。

「兄上! 私はエカテリーナとの婚約を破棄します!」


 コンラッドの宣言に、エカテリーナが手で顔を覆った。

 シンとした空気が広がる。


 ファシル王国において婚約破棄をする場合には、証明できる人間がいる前で「婚約破棄を破棄する」と宣言する必要があった。当然、このように大勢の前でする必要もないわけではあるが。

 言った当人であるコンラッドは清々した表情をしており、その隣に立つマーガレットは、うつむきながらもその口元は緩んでいた。


 緊張に包まれた中に、アレックスのため息が落ちた。


「コンラッド、エカテリーナは、私の婚約者のはずだが」

 アレックスの顔は、呆れている。そろそろと顔を上げたエカテリーナは、ただ眉を下げている。

 アレックスはコンラッドの腕を離すと、エカテリーナの隣に立ち、エカテリーナを支えるように腰に手を回した。


「兄上!?」

 コンラッドが信じられないものを見るような顔で、アレックスの行動を見つめる。

「コンラッド、一体どうして勘違いしていたのかは知らないが、エカテリーナはずっと私の婚約者だ」

 きっぱりと告げたアレックスに、エカテリーナが困った表情のまま頷く。


 エカテリーナがアレックスに引き合わされたのは、5才の時。アレックスは8才の時だ。

 その時にも、その場にコンラッドはいたのだが、コンラッドは一人ミミズを土の中から探しだすことに夢中になり、大人たちの話を聞くことも、エカテリーナとアレックスの様子を目に入れることもなかった。

 その後もことあるごとに、アレックスとエカテリーナの二人が連れ立っていることは多かったが、真面目に公式行事に参加しないコンラッドは、二人が揃っていることをきちんと目に入れることがほとんどなかった。


 だからと言って、エカテリーナとアレックスの婚約の話を知らない言い訳にはなりはしないが、コンラッドが、その二人の様子を目に入れたことがなかったことも、この騒ぎを引き起こした理由のひとつだろう。


「え?! 嘘よ、嘘! エカテリーナは悪役令嬢のはずよ! 私が唯一のヒロインになるハズなの!」

 マーガレットが目を剥いて喚く。

「マーガレット?!」

 コンラッドは今まで見たことのないマーガレットの姿に、目を見開いている。


「コンラッド、どうやらその令嬢に、変なことを吹き込まれ惑わされていたらしいな……お前のことは、父上と相談して、今後どうするかは決める」

「あ、兄上!」

 我に返ったコンラッドは、アレックスの言葉に慌てる。


「この女は反逆の恐れがある、捕らえろ!」

 アレックスの声に、すぐさま警備をしていた騎士が駆け寄り、マーガレットに縄をかける。

「何よこれ!? 私はマーガレットよ! この世界の唯一であるべきなのよ!」

 エカテリーナは困ったようにアレックスに寄り添った。アレックスは憐れんだ瞳でマーガレットを見ると、首を横にふった。


「牢に連れていけ」

 騒ぎ立てるマーガレットの声が小さくなって、ようやく大広間に静けさが戻る。

 コンラッドは足取りもおぼつかないようにフラフラと広間から出ていった。


 アレックスが手を叩くと、演奏が再開された。

 ことの成り行きを見守っていた人々もホッと息をつき、歓談を再開した。

 

 アレックスはエカテリーナを労わるように、髪を撫でる。

「コンラッド殿下に、婚約破棄って言葉を言わせないように頑張ったんだけれど」

 申し訳なさそうなエカテリーナに、アレックスがふ、と笑う。

「最後のは、ないな」

 エカテリーナがムッとする。

「だって、もう他に思いつかなかったんですもの。でも、卒業パーティーですから間違ってはないもの」


 実は、コンラッドが卒業パーティーでエカテリーナに婚約破棄を言い渡す、というまことしやかな噂は、エカテリーナの元にも、アレックスの元にも、卒業パーティーの前に届いていた。


 婚約の事実がない以上、そんなことはあり得ない、というのが、噂を二人の耳に入れた人間の大方の意見だった。が、普段のコンラッドをよく知る二人は、可能性はゼロではない、とも思っていた。


 コンラッドは、自分の都合のいい話しか聞かない人間だった。

 当然、王も王妃も、兄であるアレックスも、ことあるごとに苦言を述べて来ていたが、一向にコンラッドのその悪癖は修正できなかった。


 コンラッドも本来ならば、アレックスと同様、幼いころに婚約者を定めていてもいいはずなのであるが、何しろコンラッドのその性質のせいで、コンラッドを駒として使われても困る、ということで、婚約者の選定は先延ばしにされ続けていた。


 だが、そのせいで今回はマーガレットに隙をつかれた。

 マーガレットは元々庶子であり、貴族ならば知っているはずのアレックスとエカテリーナの婚約を知らなかったことと、思い込みの激しさ、そして、転入して早々コンラッドに取り入り始めたことで、貴族の他の友人ができなかったことが、更にこの出来事を引き起こした、とも言えた。


「今夜は素敵な夜だから、って、このパーティーを台無しにしないで欲しいと、最初はお願いしたのよ?」

 エカテリーナが小さくため息をつく。アレックスが、なるほどな、と呟いたあと首を横に振る。

「だがそれでは、コンラッドはわからなかっただろう?」

 エカテリーナがコクリと頷く。


「ですから、コントラバスの音が一番好きだって……殿下の声のように落ち着いた低い音が安心しますって、遠まわしに、私の婚約者はコンラッド殿下ではなくて、アレックス殿下だって言ってみたのだけど」

 恥ずかしそうに告げるエカテリーナに、アレックスが嬉しそうに微笑む。

「それをそのまま最後まで言えば良かっただろう?」

「だって……コンラッド殿下に、ハッキリと言うわけにはいかなかったんだもの」

「……言ってくれても良かったんだがな。結局、伝わらなかったんだろう?」


 エカテリーナが視線を下げる。

「このコンクパールを身に着けている時点で、気づいてくれるかと願っていたのだけど」

 エカテリーナの視線の先のコンクパールを見て、アレックスも眉を下げる。

「このコンクパールが、代々の王妃に伝わるものだと、コンラッドも知っていておかしくないハズなんだがな。わざわざ、母上自ら、貸してくださったのに、その労力も無駄に終わったのか……」


 エカテリーナが顔を上げて、アレックスを見た。

「ですから、バルマ侯爵家が怪しい活動をしていて、それに連なるナーシャ男爵家には問題があるって伝えてもみましたし、今の状態が笑い話になればいい、とも遠まわしにですが言ってみたのですけれど……」

 必死なエカテリーナの姿に、アレックスが微笑んだ。

「そうだな、エカテリーナは頑張ったよ」


 極上の笑顔を見せるアレックスに、エカテリーナは頬を染めた。 

「でも、あの言葉遊びをコンラッドにも使うとは思わなかったな」

 アレックスは、エカテリーナ5才、アレックス8才の時に初めて王城の庭園で交わした会話を思い出していた。その目元は優しくエカテリーナを見つめている。


 どこからどう見ても、アレックスとエカテリーナは相思相愛だった。


 たとえエカテリーナが本当に悪役令嬢だったとしても、コンラッドの婚約破棄は受け取れない。  


完  

楽しんでいただければ幸いです。

異世界モノはこのお話のような「ざまぁ」が多いです。

現代モノはこの作品みたいな軽い感じの作品と、昔の作品で大人向け恋愛ものに大きく分かれます。

気に入った作品が一つでも見つかると幸いです。

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[一言] 面白かったです(⋈◍>◡<◍)。✧♡ コンラッドくん・・・二人の間に王子が 産まれたら、王位継承権剥奪、生涯独身かな(^_^;)
[良い点] こう言う展開は好き。 [一言] やっぱりコンラッドのその後が気になる。 続き下さい〜!笑
2021/12/01 22:55 ケイトリン
[一言] あー、最初の方、『王子』としか書かれていませんでしたね……
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