『男殺しの女』
さて、唐突だが我がウェラゴーラ家は伯爵家である。
この"伯爵家"というものが一体どう言った位階に位置するのか、また貴族家がどうやってその所有する領地を発展させていくかを本題に入る前にそれを語ろうと思う。
まず、我がウェラゴーラ家が所属する国はミスチェーラ王国と言う。この国は過去の国王陛下であらせられる第4代ミスチェーラ王国国王ルルベルク・エルツァーラ・ドルドドルグ・キースタジア・ミスチェーラ陛下が当時の各国から仕掛けられた戦争にて常勝無敗を誇った事により戦時賠償として国土を拡げた事に端を発している。ルルベルク・エルツァーラ・ドルドドルグ・キースタジア・ミスチェーラ陛下は我が国では『武神』とも『軍神』とも言われており、実際その戦略と武勇は現在の我が国含め各国に語り継がれている。
この事から、『王族とは神の如き存在であり、我々貴族を初めとした民は、王族を尊び崇め奉らなければならない』という考えが深く根付いている。
そんな中での我が家がウェラゴーラ家は伯爵家である。この伯爵家というのは、王族を除き、上から公爵家、侯爵家、伯爵家=辺境伯家、子爵家、男爵家となっている貴族位階の真ん中に位置している。
男爵家の下にも世襲は認められていないが騎士爵家というものが存在しているが…これは余談だ。
つまり我が家は上から数えても下から数えても真ん中に位置する家である。
さて、次は領地の発展について語ろうと思う。
『領地の発展』とは基本的にこれは大きく分けて2つに絞られる。即ち『開拓』と『交易』である。2つの説明は説明しなくても誰でも分かると思うが、一応整理するために語ろう。
『開拓』とは、自国の人の手が加わっていない土地に人の手を加え、人が住めるようにする行為の事を言う。ある意味戦争も開拓と言えるだろう。
次に『交易』とは、言ってしまえば金銭の流れの事を言う。
誰だって金銭は欲しい物だ。それをどれだけ自領にて貯め込み、蓄え、そして使用するかがこの交易という発展方法の鍵を握っている。
2つを簡潔に纏めると、『どれだけ自領を増やし、どれだけ交易を自領内で行わせるか』これが『領地の発展』である。
さて、此処からが本題なのだが、実はこの『領地の発展』にはもう1つ方法が有る。それが『相手の家に嫁入りする。または婿入りする。』というものである。
要するに、自身より上の爵位の許に自家の娘または婿を入れ、その縁にて更なる交易を行う事を目的とした、所謂『政略結婚』と呼ばれるものの事だ。
この『政略結婚』というのは、貴族家や豪商のような世間一般的に『金持ち』と言われている者達の間ではとてもありふれた発展方法の1つだったりする。
つまり、『結婚を理由に縁を結び、そこから交易や資金援助をしてもらう事で自領の開拓・開発を行う』という事だ。
自国を繁栄させ豊かにすることが国の義務なら、自領を豊かにすることが貴族の義務である。
そんな王族貴族家は基本的に世襲制で、基本的にその当主の長男が次期当主である。次男三男はその長男に『もしも』が有った時の予備で、四男以下はその能力次第だが基本的に家から追い出される傾向に有る。
これは子供が『男』だった場合の話であり、女はまた別の話だ。
女。つまり私を含めた所謂『貴族令嬢』や『姫』と呼ばれる存在は、基本的に『政略結婚』という交易の為の道具だ。
『その家に不幸が有り、その家の直系が女しか居ない』そうなった時以外、基本的に女は何処かの家に嫁ぐのが習わしだ。
例に漏れず、当然私にも昔は『婚約者』という者が居た。
そう、"居た"。過去形だ。
私は4歳の頃に不治の病を患った。その2年先には『婚約者』と呼ばれるものがしっかりと居て、確かに何度もウェラゴーラ伯爵家の長女としてその婚約者と会いお茶会なんかで話もした。
しかしある時、その婚約者が言い出したのだ。「僕を見ろ」と。
言われたのは…そう、確か年齢が10の頃だ。その頃に私は彼にそんな事を言われた。
彼の言わんとした事が今の私には分かるが、あの頃の私は良くも悪くも欲望に忠実だった。それこそ元々嫌いな『教育』に嫌気が指していて『ステゴロ』に魅せられ親兄弟達に秘密で体を鍛えたりなんかもしていた。そして当時の私は、『ステゴロ』に関すること以外に全く興味を示さなかった。
彼のその言葉をキッカケに、私は彼に言った。言ってしまった。「所詮政略結婚。貴族としての務めを果たせば互いにしたいことをしても良いと私は考えています」と。
今から思えばこの言葉は『別に貴族として子供さえ残せばそれで互いの夫婦としての仕事は終わるのだから、別に互いが他の人と体を重ねても問題は無いでしょう』という意味にも捉えかねない。実際私にはそんな性に関する興味は皆無な訳だが、当然当時の彼もその事を理解していたとは思うが、彼はその時その場では"そう"捉えてしまった。
これにより、まぁ、彼が私に決闘を申し込んだ。
男が女に決闘を申し込むまたはその逆は10年~20年に1回何処かの誰かが行うらしい。理由は勿論、惚れた相手を手に入れんがため。ただ婚約者に対して決闘を申し込むというのは前代未聞だった。その事で貴族の間で当時はかなり話題になったらしい。
私は当時の周りの声は知らなかったしどうでも良かったが、お父様がその事でかなり苦労されたらしいことは後々にお母様から酷く叱られたため知っていた。
そして、まぁ、その婚約者は決闘の条件についてこう言ったのだ。
「決闘に赴くのは僕と君の当事者同士!勝敗はどちらかが降参するまで続く!僕から君には一切手を出さない!」というものだった。
男から女に決闘を申し込み当事者同士が戦うと言ったのだ、当然風聞は良くなかった。それを考慮しての『自分からは一切手を出さない』との事だったのだろう。
要するに私が何をやっても彼には敵わないから、そんな無駄な事に現を抜かさず自分との未来についてだけ考えていろ。というのが彼の主張だったのだろう。
彼のこの主張はある意味当然だったし、完全に彼に決闘を申し込ませるほどに彼を見ていなかった私の落ち度だが、だからと言って従う気にはなれなかった。
何より、この時の私の脳内はたった1つの事で埋め尽くされていた。
『やっと実戦が出来る!』
私は今でも『ステゴロ』に恋する女だが、それでもこの頃のように誰彼構わず自身の武を奮う事は今は無い。ただ、この頃の私は、自分が見様見真似で身に付けたと思い込んでた技を試す場が欲しくて堪らなかった。有り体に言えば、実際に殴り殴られの『ステゴロ』をしたいと餓えていた。
だから、まぁ、決闘の時、私は彼を再起不能なまでに攻め過ぎてしまった。
まず決闘開始と同時に私は彼の左手首を掴んで彼の背面に回り込み、彼の腕に関節技を極めた。彼はそれを解こうとしたが、一所懸命に両手で押さえ付け、絶対に振り解かれないように努めた。
しかし、だからと言って、確かに私は当時鍛えてはいたがやはり同年代の、同じように鍛えている彼には力では勝てない。私の拘束はすぐに解かれ、彼に逃げられてしまう。
だから、今度は彼の目を潰そうと中指を立てた拳で彼の顔面目掛けて殴り掛かった。
あの時の彼の表情は今でも覚えているが、それはそれは驚いた表情をしていた。しかしその驚いた表情もすぐに真剣なものに変わって私が突き出す拳は悉く腕に横から力を入れられ反らされた。
ならばと私は、彼の目を狙うと見せ掛け、私の拳を反らそうと出された彼の腕を再び掴み、タックルをした。
彼はそんな私を身動き1つせず受け止め、むしろ抱き締めた。
「何をやっても無駄だ」という意味と、思春期特有の異性に振れたいという欲求故の行動だったのだろうと今では思う。
ただ当時の私にとってそれは、とてもとても都合の良い展開だった。
私はそうして私を拘束する彼の、──今では切迫した状況でない限り絶対にやらないが、──彼の"彼"を力の限り握った。子供の、それも女の私の力で男の"ソレ"を潰すなんて出来ないし、そもそも貴族の令嬢としては絶対にやってはならない事だったが、とにかく私は、彼の"彼"を力の限り握った。
形や構造なんて今でも分からないが、それでも我が家の騎士達の中には率先して狙い、そして毎度狙われた側が何が何でも逃げていたため、ソコが男の急所だと知っていたからだ。
握った途端に、それまで余裕そうだった彼から初めて唸るような濁った痛そうで苦しんでいるような声が漏れた。
だから、当時の私は「初めて自分の攻撃が通った」と思い、彼の腕から手を離して彼の"彼"を両手で握り更に苦しめようとした。
結果、彼は最初こそ力付くで私を自分から引き剥がそうとしていたが、加減を考えず握る私に何かしらの破壊的感情が芽生えたのだろう。遂には私の背中を恐らく殴ったのだった。
それにより決闘は彼の反則敗けで私の勝ちとなった。
男としての矜持か、それとも自尊心故か、彼は痛みを誤魔化すような表情でいて怒りに燃えているような表情をしていたが、最後までどうでも無いような態度を装い、そして帰って行った。我ながら酷い話だ。だが、恐らく同じ人生を歩んで同じ条件になったのならば、今の私だったとしても再び同じ攻撃をしたであろうことは間違い無いため、後悔は無かった。
……さて、こうして決闘に勝った私だったが、その日から貴族の男性の間でこう呼ばれているらしい。『男殺しの女』と。
当然彼との婚約は破棄。そして貴族の令嬢としてはかなり致命的な事をしてしまった私は、その日から『婚約者』というものが無くなってしまった。
何より、当時の私は何が駄目だったのかすら分かっていなかったため、私を叱りつけるお母様やお父様が何故そこまで怒るのか分からなかった。
分からないなりに、「何の訓練も受けていない女が素手で男に勝てる見込みなんてありません。有るとしたら急所を攻めるぐらいです。私があぁしたのは我が家の騎士達の訓練を見様見真似で実践したからです。しっかりとした訓練を積んでいれば、もしかしたら正々堂々真正面から戦えたかと思います」と、自分の欲望に正直に思った事を話した。この場合は「反論した」だろうか。
結果、お父様はそれはそれは辛そうで何かを堪えるように目元に手を当て天を仰ぎ、お母様は泣き出してしまった。
流石に自分がどれだけの事をやってしまったのか、分からないなりに『不味い事をしてしまった』という事は理解したためすぐに謝り、何がそんなに駄目だったのか問うた。
お父様は言った。「何もかもだ」と。
お母様は言った。「私達が悪かった」と。
そこから私達は話し合った。私と両親との間に折衷案を見出だすために話し合った。
結果として、私は貴族の令嬢としての教育をしっかり受けてソレを身に付ければ、それに相応しい時間だけ月に2度有る素手での訓練に参加して良いとお許しを貰った。
これは私が望んでいた事だし、お父様も「無知無学で暴走させるよりはマシ」と考えての苦肉の策だったのだろう。未だに哀しそうな表情をすることが有る。対する私が本気で心の底から喜んだのだから、父親としてその心労はとても凄まじいものだったのだろう。
お母様については、その、その日からお母様の着せ替え人形のように私に似合わない服を着せ、お母様の開くお茶会には絶対に参加するという条件の許お許しを頂いた。
こうして私の『ステゴロ』に対する地盤が固まったのだ。
来る武闘大会が待ち遠しい。