『佰物語』供養1──『空想上の生き物とは』
此処から3話ほど、佰物語の方の作品が生まれたキッカケのもう1人の作者とも言える方と精査した結果、「これは佰物語の話にしては違うんじゃない?」と結論が出た話なので、消すのはなんだか勿体なく思い、供養の為にこちらに置いておきます。
……なんだか、これを語っているキャラと内容が内容なだけに私が持論を語っているように見えますが、一応佰物語を語るキャラの内の1人だと思ってください。
佰物語、に即しているかは正直怪しいが、こんな話を知っているだろうか?
『空想上の生き物は人の手で生み出せる』という話を。
あぁ、なんと恐ろしい事か。神仏の類いであるのなら望まれるものだろう。だが逆に人を脅かすような類いであるのなら怖いことこの上ない。
別にこの話について、全くの無根拠で話している訳ではない。
古来より神とは人がその姿を己に投影した存在とされている。神が人を自身に準えて創った?あぁ、確かにそんな話も有るが、これを話し始めたら卵が先か鶏が先かだろう。
ここで大事なのは、『神を含めて全ての空想上の生き物は人間の想像力から生まれたもの』と言える所だ。
世界最初に発生した火は雷により焼かれた木が燃えた事が始まりだと言われている。人は火という獣が忌避するものを知り、手に入れた事でこれまで生きながらえ、そして栄えてきた。故に人は火を神からの恵みだと讃え崇拝した。故に雷を神に例えた。
雷の神。ギリシャ神話の最高神ゼウスなどが良い例だ。別にゼウス神を最高の神と言いたい訳ではないが、これほどわかりやすい神も居ないだろう。
日本の神で例えるのなら天照大神。女性の神として語られるこの神は、太陽に例えられた。全ての恵みは太陽の光により与えられたもの。そしていつだって生物の繁栄には女性が付き物だ。だからこそ子を生める女性は尊ぶべきものという考えが男尊女卑の時代でもあった。『女性は男性が護るもの』というのは正にここから来ている考えだろう。
そんな考えが有ったからこそ、日本では最も強大なエネルギーの塊である太陽を女性の神として崇拝された。
雨乞いという言葉が有る。これは太陽や神が怒ったために雨を降らさないだとか、雨を降らせて欲しいと純粋に乞い願う事を言うが、女乞いとも読める。女乞い。つまり天照大神に乞い願っているとも言える訳だ。
佰物語に準えるならば、正に昔の日本で語られていた佰物語に出てくる妖怪達というのは、『人が生み出した最たるもの』と言えるだろう。
例えば口裂け女。この妖怪は深夜、女性を心配して声を掛けた人間をその口の裂けた顔で驚かすという妖怪だ。現代医学で言えば口唇口蓋裂、なんて小難しい名前の先天性の症状である事がわかっているが、そんな事は昔の日本じゃわからなかった訳だ。
人は自分達と違うものを見ると未知故に恐怖し、そして区分しようとする。だからこそ口唇口蓋裂の女性は妖怪に仕立て上げられたんだろうって思う。
こんな風に、妖怪というのは人の恐怖心から生まれた存在な訳だ。概念と言い換えても良いかもしれない。
さて、ここまで長々と話したが、要するに神も仏も妖怪もその他の空想上の生き物も、全てが人の何かしらの想いから生まれた存在だということだ。
現代で妖怪や神や仏が居ないのは何故か?科学が発展して説明出来なかった現象や病気などが説明出来るようになったからだ。だからこそ、現象や未知を具体化させられた空想上の存在達は我々の前に姿を現さないのだ。
原因が判明したからこそ、人は信じる事を止め、彼の存在達が生まれた頃の想いは風化したのだ。
ここで最初の話に戻るが、つまり逆説的に考えると『人が信じたものならばそれは具現化する』と言える訳だ。だからこそ『空想上の生き物は人の手で生み出せる』と言った訳だ。
…………佰物語は、最後に語られた怪談が実際に形になると言われている。今の話に準えて言えば、人の恐怖心が最高潮に達したのが100という区切りで、だからこそ最後に語られたものが最も人の想いの詰まった怪談という事になる。
確かに現代では空想上の存在を実際に眼にすることはない。だが、これ等はやはり人の想像から生まれた存在な訳だ。眼に見えなくても良い。
最後に語られる怪談が何になるかはまだわからないが、気を付けて欲しい。
もしかしたら最後に語られる怪談が、本当に形になってしまうかもしれないという事を…。
これは人の想いが生み出した存在達が、再び現代に甦るかもしれないというお話。