竜の嫁9
1-009
――竜の嫁9――
社に戻るとリリトには新しい上着を用意してくれた。
もっとも急なことなので神官服をアレンジして着ている、神官服はサイズフリーで調整が効く仕立てになっていたのだ。
「それで実際にお主は何を私に求めるのだ?」
ドロールが要求するのはあの母親の治療に対する対価である。
「そうですわねえ、まずは領主様をこちらにお呼びしてご挨拶などをしていただきたいと思っておりますわ」
「領主を呼びつける?お主もずいぶん豪気だな」
それを聞いていたガウルが皮肉っぽく答える。
「どちらが立場が上かしっかりと見せつけなくてはいけませんことよ」
「ふむ、それではワシの報酬ももう少し上乗せしてもらえると言うことかな?」
ガウルの言葉にいささかムッとした表情を見せるドロール。
「ガウル殿はこれからどうなさるおつもりですか?」
流れ者の傭兵には早々に退散してもらいたいという気持ちが満々である。
「ああ、長旅でだいぶ剣も槍も傷んでおるでの、武具屋に頼んで研ぎ直しをしてもらおうと思っておる。」
「つまり領主との話が付くまでこの街に滞在なさると言うことかしら?」
「そうだな、少ないが報酬も出たことだし、しばらく体を休めようと思ってな。ワシはリリト殿の護衛だからな社の方で泊めてもらえるじゃろうし」
「ま、厚かましい」
ガウルに対する嫌悪感を隠しもせずに答えるドロールである。
「構わんと思うぞ。なにぶんにもこの街は物騒でな私も先日も誘拐されそうになったからな」
リリトにそう言われては反論もしにくい、まあ竜神を誘拐しようと考える馬鹿はもういないとも思うのだが。
「仕方ございませんね、ただし領主様の報酬からは差っ引いておきますからね」
「はははは、これは手厳しい。だが社からの報酬の追加分の方もお忘れなく、ついでに酒の方もよろしくな」
リリトにとっても現在の社とドゥングの領主との力関係が分かりにくいがそこがわかれば行動もしやすくなる。
いずれにせよ情報は収集しておかなくてはならないだろう。
「私の部屋はガウルの部屋と近い場所にしてもらいたいなにしろ私の護衛だからな」
「良うござんすよ、何なら相部屋でもよろしいですが」
リリトの思惑を知ってか知らずか?いずれにせよドロールが外で見せるへりくだった態度はここでは無い。
「お主、竜とは言え15歳の乙女をこんなむさ苦しい年寄りと一緒に寝かす気か?」
「ワシは別に構わんぞ昨日は同じ部屋で寝たばかりではないか」
かっはっはと親父っぽく笑うガウルである、やっぱり燃したろか?
「おかげで寝不足になったわ、二度とお主とは同室では寝ないからな」
「どうぞご自由に隣の部屋を用意いたしますわ」
そうは言いながらその夜はガウルの部屋に押しかけるリリトである。
別に夜這いに来たわけではない、情報の収集である。
「おお、よく来たな一杯飲むか?」
ガウルが酒瓶を挙げてリリトを誘う、無論竜は酒に酔うことはない。
「全部飲んで欲しいのか?」
「いやいや、それはもったいない、ワシが飲むことにしよう」
慌てて瓶を隠すガウルである。最初から誘うんじゃないよ。
知識としての社会体制は学んでいるものの実際の運用となると千差万別である。
今回の場合竜がいなくなったことによる領主と社の力関係そして竜の立ち位置が問題となる。
竜は強力であるがそれは成体の竜の話である。
現在のリリトではかろうじて単体の人間から自分を守る事が出来る程度の力しかない。
大型魔獣などに出くわしたら脇目も振らず逃げ出さなくてはならない。
成体の竜の場合は機械化兵器を持たない軍隊程度で有れば一国を相手できる程の戦闘力が有るとされている。
ニンゲンの国のコンピューターシュミレーションではその様な結果が出ていた。
その時の想定武力は弓と槍程度と言う想定であったが、それはこれまでリリトが見てきた獣人が持っている状況とさほど違ってはいない。
機械化戦闘が行われる以前の武装しか持たないこの世界には竜に勝る大量破壊兵器は存在していと言って良いだろう。
もっともそれは成体になれば確かに世界最強の生物となりうるが、それまではせいぜいが喧嘩の強い獣人程度の能力と言う事になる。
実際このガウルと戦ってもかろうじて勝てる程度でしかない。
それもブレスなどの魔法を使った上での話である。
成長期間がどのくらい有るのかはわからないがそれまでは無力な子供だと言うことである。
……竜だけど。
そういう訳でここでは情報収集に努めねばならない時である。
「そうさのう、領主との関係か……」
ガウルは遠くを見るような目で答える。
「竜が存在してこその社の権威だ、その竜が存在し無くなった今はその後ろ盾が無い」
竜がいてこその社だそれは当たり前のことだ、しかしこのドゥングもそうであるが現実には竜を持たない社は多く存在する。
つまり竜がいなくとも実際のところは宗教としての社は存続しているにだ。
領主は竜と直接に交渉するのはリスクが高いからそこに社というクッションを挟む。
だが竜の加護がなくなればどのくらい街そのものが存続し得るのかはわからないのが現実だ。
「それでは今のこの国の社は無力なのか?」
「そうとも言えん。社には人類から与えられた無線機が有る」
「それは聞いている、しかしそんな物がそれ程重要なのか?」
ニンゲンが獣人をコントロール下に置くために作られた社だがそのためには連絡手段がどうしても必要だった。
何しろ竜を届けるだけでニンゲンは命を懸けなくてはならない現実がある。
その為の無線通信機である。
同時にそれは社同士の連絡にも使用されている。それゆえに社は遠隔地でも一体として活動ができているのだ。
「ニンゲン界の事は知らんがその重要性に気付かぬ程にありふれた技術なのだろうな。だがこの世界に置いてその情報伝達速度は大いなる力になるのだ」
この国のように5つの国の連合体であればその日のうちに情報は拡散される、しかし情報伝達手段が人間の移動速度であり街と街の間隔が広いこの世界では情報の拡散速度は非常に遅い。
その事を考えればこの技術そのものが非常に大きな力を持つことは明白である。軍事技術としてこれ以上の力はない。
「しかしそれがわかれば力を持つものが奪いに来るだろう」
「社に取っては門外不出の秘密だ、ただ社関係者であれば誰でも知っている。」
誰でも知っている門外不出の秘密だそうだ。
「秘密の割には底が抜けているな。」
「無線機という装置は秘密だが社同士が無線でつながっているということは秘密ではない。」
つまりタイムラグ無しに情報を共有できるこのシステムは国を預かる者にとっては非常に重要なのだ。
だから領主が変わってもそのシステムは変わらないほうが良い。
「実際の政務を行うのは領主でそれを裏から操るのが社と言う訳か?」
「現実はそれ程単純ではない、要は領主と社は相見互いの関係だということさ」
魔獣によって分断されたこの世界では戦争は起きにくい。
小さな集落はあちこちに存在するがそこから危険を犯して租税を集める意味が無いのだ。租税徴収の経費のほうが高くついてしまう。
したがって拡張政策は意味を成さない、無分別に支配地域を増やしても支配できないからだ。
だいたい再配分されない税の徴収など単なる野盗と変わらないではないか。
戦争が起きないが故に国として長距離通信の必要性は薄い、それより国に発展した街はその情報を社に頼っったほうが楽なのである。
それ故に社は小さな組織であるが強い基盤を持っていると言えた。
「社と言うのは元々が竜をコントロールするためにニンゲンが作った組織だからな、人類の弱体化と共に逆に力をつけてきた。その力の源泉がニンゲンとの交易権というのも皮肉だがのう。」
確かに無線があればニンゲンとの交易がたやすくなる。交易馬車を使わずとも空中要塞から落として貰えば良いのだしな。
長寿命エネルギーパックを使っているので数十年はそのまま使用できる。おそらく無線機もそうやって定期的に交換しているのだろう。
この組織が正常に働いているうちはあまり問題が無かったが現在では組織そのものがだいぶ劣化してきているということだろう。
ただリリトが学校で学んだことは社の組織が作られたのは500年以上前と聞いている。
竜が放たれる以前に獣人を間接的に支配させるために作られたのだ。
竜の自殺が報じられる様になってからその精神的サポートと監視がその任務に付け加えられたという。
そういった情報はニンゲンの所にいる間に教えられてきた。
リリト達は嫁入り前に徹底的にあらゆる知識を詰め込まれてきたのだ。
それはリリトの真祖であるエルギオスの意思によるものらしい。
竜の嫁の脳には生体補助記憶装置が有りその中には莫大な量の知識が収められている。
獣人社会に失われた知識の拡散を狙っての物ではないかと思われる。
竜の嫁が世界を支配できるようにしたかったのか?あるいは竜の生活改善程度の為だったのか?それはわからない。
「どういう事だ?獣人が魔獣を駆逐するまで進歩すればニンゲンも外で安心して暮らしていけると考えたのか?」
「そうだ、かつてニンゲンは世界各地を機械文明によって支配し、その結果野生動物の多くを絶滅させたと聞く、それと同じ事を獣人にさせたいのかもしれない」
「どうだかな?現在の我々の生活は実はかなりの部分が魔獣に頼っている所が有る。のみならず魔獣の絶滅は竜の絶滅を意味するのだぞ」
魔獣の持つ魔獣細胞を摂取して竜は空を飛びブレスを吐く。
魔獣がいなくなれば竜も生きてはいけない、竜は魔獣ではないのだ。
そもそも野生生物の絶滅の歴史はニンゲンが野生生物のテリトリーに侵入しそのテリトリーを壊したからに他ならない。
ところが核戦争の後とは言え何故ニンゲンは魔獣に敗退したのか?
理由は簡単である、彼らの食性が非常に幅広く肉食獣と言っても草を食って生き延びる事が可能だからである。
野生の世界を壊すことはその生物の食料を断つことである、ところが魔獣は魔獣器官のおかげで砂を食ってでも生き延びることができるのだ。
しかも魔獣器官はあらゆる毒物を無効化できる、食性を選ばないとはそういうことなのである。
「魔獣を殺すために機械文明を再建したとしても魔獣はそれこそ砂漠の真ん中でも繁殖するぞ」
ニンゲンの手から離れた砂漠は魔獣のおかげで徐々に緑を復活させている。数千年も立てば砂漠はすべて植物に覆われるかも知れないのだ。
「その魔獣を滅ぼして機械文明を再興するのが良いことなのだろうか……?」
「そんな所だろうな、なにより獣人達がその機械文明を喜ぶかどうかはまた別の問題だしな」
「………………………」
そんな事を話しているうちにリリトはいつの間にか眠ってしまった。
その夜クローネはドゥング領主のカイヨウ・アンドレの元を訪れる。
「おおクローネ殿、竜の嫁が街に現れたそうだな」
アンドレは兎族の領主であった。
先祖が早い時期にこの街に入植し財産を築いた。
街の発展におおいに寄与した事もありこの街の名門となっている家の後継者である。
この街の領主は名門と呼ばれる10家程が長老会を作りその中から持ち回りで領主の任に就くと言う集団的封建体制を取っていた。
封建体制を維持するのにはどうしても力(軍事力)が必要だった為エルドレッドと相互安全保障の条約を結びその権威を借りてその政治的立場を維持してきたのだ。
そのために少なくない税金をエルドレッドに収めてきている。
ところがエルドレッドの竜がいなくなってしまったのだ。
エルドレッドの税金を納める名目を失いニャゲーティアが打ち持ち出した税金の引き渡し拒否の提案を受け入れざるを得ない状況にあった。
アンドレにとっては、否この国にとってもエルドレッドの権威は為政の為には絶対に必要であると信じていた。
エルドレッドに税金を支払っているからこそその権威を背景に長老会がこの国の領主でいられるのである。
そこに現れたのが竜の嫁である。
竜こそは不可侵の存在であり権威の象徴でもある。
竜の嫁が何の役に立たなくともそれは竜の雄を呼び込む力になる。
その為には何としても竜の嫁を我が国にとどまってもらわなくてはならないのだ。
社の力を使い権謀術数を用いても竜の嫁が必要であっるとアンドレは考える様になっていた。
夜中に目を覚ましたリリトの目の前にむっさいタテガミのおっさんがいた。
「わーっ、わーっ、なんだ、なんだ、なんでガウルがここにいるーっ?」
「おお、リリトよ目が覚めたのか?」
眠たげなガウルの声が聞こえる。
「お、おまえ花も恥じらう年頃の乙女をベッドに引きずり込んだのかーっ?」
「何を言っておる、お主がワシのベッドに潜り込んで来たのではないか」
「そそそ、そういう問題ではなかろう」
「別に良いではないか?孫と一緒に寝ているようなものだ」
ガウルは孫にするようにリリトの頭をなでる。
「バカタレ15才の立派な大人だぞ」
「まあまあ、そのように角を立てずともゆっくり休めばよかろう」
頭をなでられているとなんとは無い安心感で徐々に眠気が増してくる。
「お、おい、頭を撫でるな……」
「まあまあ、まあまあ……」
ガウルの心地よい温かさがリリトの昔の記憶を呼び覚ます。
「やめろ……ガウル……」
「いい子…いい子…」
「………………」
そのまま眠りに落ちてしまったリリトはガウルの胸の中で自分の育ってきた世界の夢を見た。
登場人物
カイヨウ・アンドレ ドゥングの領主 兎族




