狩猟軍8
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――狩猟軍8――
夕食の時になるとラングは正装で出てくる、考えて見れば竜の嫁は領主をも上回る存在でありしかもドゥング領主なのであるから来賓なのである。
夕食前にメイド達がやってきてリリトの着替えを手伝った。
ガウルは警備という役職だが娘の恩人ということで招かれた、ただクリーネに臭いと言われて風呂に入れられていた。
サビーヌもクリーネもそこいらへんはよく承知しておりちゃんと正装をして出てくる。
ガウルはそんな物は持っていないので借り物である。
いささか小さいのでパッツンパッツンでは有るが意外なほどに似合っていて風格まで有る、あの小汚い爺いはどこに行った?
小汚い爺と言えばサブリも末席に座っているが小汚いままである、この人間は特別らしい。
最後にヴィェルニがドレスをまとって出てくる。
本来領主と共に客を迎えなくてはならないのだが着替えに手間取っていたらしい。
背も高くスタイルも良いのでドレスがとても見栄えがする、しかもかなりの美人であった。
「実はいささか筋肉が付きすぎて少し手直しをしていたものですからな、いやお恥ずかしい」とは父親の弁である。
確かに深窓の令嬢には程遠い、肩や首筋に盛り上がる筋肉は只者ではなかった。
しかも厚い筋肉に支えられた胸は薄いながらポコンと上を向いて張り出しており、心なしかクリーネが胸を張っているように見えるのは気のせいか?
晩餐を始める前にラングから丁重なお礼の弁を賜った。
まあ一応リリトは娘の命の恩人だからね、やったのはガウルだけどこの場合は雇い主であるリリトが感謝される。
それでも晩餐にちゃんとガウルを招待する当たりこの領主も筋をわきまえているようだ。
本来リリトは客人に当たるため領主であるラングの向かいに座るのである、普段はラングが上座と言うことになるがリリトは竜なので上席である。
巫女補のサビーヌ、秘書のクリーネ、護衛のガウルという順番に並ぶ。
こういった席では並び方が結構重要だったりする。
まあ竜を晩餐に招待することなどこれまでは出来る事じゃなかったからな。
晩餐は滞り無く終了した。竜の嫁になって生肉を食う覚悟をしてきた割には結構な文化生活を送っている。
竜の夫と一緒になってワイルドな生活に戻れるかいささか不安なところでは有る。
食後にはみんなにワインが振る舞われた。
サビーヌは子供なのでジュースがふるまわれていた。
ガウルはいささか薄いと思っているのかあまり進まない、もっと強い酒に変えてもらっていた。
流石にクリーネの飲み方は優雅であった。
なかなか芳醇な香りがして美味しかった、もっともそれで酔うことはない、リリトにあらゆる毒はあまり効かないのだ。
リリトはワイングラスは持てないので金属製のカップにしてもらった。
それでもカップの周りにはリリトの爪痕が残り少し歪んでいた。
傷物にしてすまないと詫びておいたが竜の爪痕の残ったカップであるから家宝として大事にさせてもらうと言っていた。
このカップが伝説となった頃もリリトは多分生きているんだろうな……そんな事を思っていた。
ラングには妻と息子もいるが彼らは首都のキャニスの方に住んでおりジャマルには一人で来ていた。
なんでも物を作るのが滅法好きでサブリと出会ったことによりやたらと物を作るようになったらしい。
ラングがアイデアを出しサブリが作った、成功したものも失敗したものも有ったがその延長線上で溶鉱炉まで作ってしまったそうだ。
そういう訳で一年の半分はこちらで過ごしているためにしっかりした別荘が建てられている。
ヴィェルニは子供の頃から何度もこちらに来ていたが森が近くに有るのがすごく気に入ってしまい、身分を偽って狩猟軍に入隊してしまったそうだ。
流石にそれには母親が怒り狂っていたそうだ。
どこぞの有力者と結婚させようと思っていたのにこれでは嫁の貰い手がいないとラングに詰め寄ってきたと言う。
そんな事も有ってラングはジャルマに入り浸るようになった。
実のところこの男はあまり領主には向いていない、アウグスト家は妻の実家であり国の運営は実質的に妻が仕切っていた。
何故ラングがこの地位についたのかと言えば顔が良かったのとあまり政治に関心がなかった事による。
ところがジャマルで鉄鉱石が発見された時にその精錬法を復活させたのがサブリであり現在のジャルマを作ったのはラングである。
その当たり障りのなさで領主の家に入ったのだが3男1女を設けた後サブリとの出会いによりジャマルの発展に力を尽くしアウグスト家からの評価は高かった。
もっとも本人は物作り以外はあまり興味がなく早い話が奥方からジャルマに逃げてきている様な物である。
まあ夫婦仲が悪いわけではなくそれなりに仲は良い、跡継ぎが出来た以上は用済みで見放されていると言う程では無いようだ。
何しろジャルマにおける歳入は国の予算の半分を占めるのでこの国はかなり裕福な国となっている。
ラングの優れた所は鉄の精錬技術を確立した事以上に河川開発を行い炭鉱の町ラングとの船による運送手段の確立もなしたことによる。
エルドレッドの真ん中を流れるシュトラード河はニャゲーティアがクロアーンからニャゲーティアの港町リバティまでの水運を確立させていた。
その水運をリバティからジャマルを通り鉱山街ガングまで延長したのである。
比較的川幅が広く流れの穏やかな河川は水運に適しており港を開くことにより活発な物流が行われている。
無論エルドレッドもまたこの水運を利用して各国との交易をおこなってはいるがニャゲーティアに運送料を支払わねばならず非常な不快感を伴っている様である。
食事が終わり場所を移しソファーに座って食後のお茶を飲み始めた。
ガウルだけは酒を飲んでいる。
「さて、リリト様におかれましてはこの度は我が国に新しい技術をもたらしていただきありがとうございます」
ラングはこう切り出した、この商品に対する利益配分の交渉である。
この男は技術馬鹿だが妻と領地に対する義務は忘れていない。
「それでリリト殿はこの成果をどの様に利用されるお積もりですかな?」
「利用などするつもりはない、この製品によって兎族の病気で死ぬものが少なくなる事が私の望みだ。」
「なんと、利益を求めないと?」
当たり前であるリリトは竜である、不老不死でありこれから人間の何千倍も生きなくてはならない竜の子供である、物欲などに意味は無いのだ。そこが限られた命に縛られた獣人とは違う所である。
自分の日々の食事が獣人の安定に寄与し獣人の奉仕が受けられ文化的な生活が出来る事こそが重要な事であり不安定な政情こそが竜の望まない事なのである。
リリトの夫となるべき竜が逃げ出したのはおそらくそのためであろうと思っていた。
そしてその中の大きな一つの原因を今取り除こうとしているだけの事であった。
人の命が軽い世界を竜は望まない。
圧倒的強者であっても着る服一つ作れない竜である、獣人の手が必要なかわいそうな生き物なのである。
「既にこの製法はエルドレッドに漏れている貴国一国の独占ということにはならないだろう」
「なる程まこと慈愛に満ちた竜神様のお考え、しかしよりによってエルドレッドに情報を盗まれるとは」
「私が流したのだ。」
慈愛などではない、周囲に居るすべての人間が先に死んで行き世界の中で最後まで生き延びるのが竜である。出来るだけ安定した社会の中で共に歩みたいと考えるのが当たり前である。
「何と竜神様がいかなる理由でその様な事を?ご存知でしょう現在のエルドレッドと周辺国の状況を」
「無論知っている、これでもドゥングの領主なのでな」
「ではどの様な深慮遠謀でその様な事をされたのですか?」
「気にするな、どうせエルドレッドの製造量はたかが知れている。その点で発電機を持つこの国の製造力にはかなうまい」
ラングはいささかの動揺を隠せない。リリトの発言の持つ意味を正確に理解している証拠である。
これまでもこのジャマルを手に入れようとする画策は何度か行われてきているのだ。
鉄の製造の他に魔獣スープの製造となればよもやこのままと言うわけには行かないだろう。
マリエンタールはエルドレッドに比べれば武力において大きく劣っているのだ。
エルドレッドは最近になって多くの金属製の武器や防具をこの国から購入している、何に使用するかわかっていながらそれを断る事の出来ない現実が有るのだ。
「現在工房の方でサブリ殿がもっと効率の良い魔獣スープの分離方法を研究している筈だ、遠からず技術的には完成の域に達するだろう。その製造装置とそれに見合った小型の発電機を開発して欲しい。これが私への報酬だ」
「なる程各地での地産が可能な様にしたいと言うわけですか?」
「製品は生ものだぞ、そんなに遠方まで運べる筈もなかろう」
「リリト殿はその売却益で儲けたいとお考えですか?」
「機器の販売はお前が儲ければ良いだろう、この様な物は本来独占すべき物ではない、優先的に社に対して輸出するようにしてくれ。水車のような物で発電できる小型の発電機を作ればどんな場所でもこのスープを作れる」
「社を潤せばそれは竜神様に返ってくると言うわけですな。素晴らしいお考えです」
「ただな、この発明を独占したいと思っているものがいるだろうからな、なるべく早い時期にこの機械をあちこちにばらまいたほうが御身の為だと思うぞ」
リリトの発言は遠からず起きるエルドレッドの内政への干渉と武力侵攻の可能性を示唆しており先に手を回せと言っているのだ。
「何という事をされるのですか?我が国の安泰を脅かされるお積もりですか?」
「安泰などと言うものは所詮砂上の楼閣に過ぎん必要とあればいつでも戦端は開かれる」
「この50年間いくさなど無かったのですよ。」
「竜がいたからだろう。竜を失った国がどうなるか?これから良く見ておくことだ」
「竜を呼び戻していただけるのですか?」
「それはわからん、何故失踪したのかその理由もわからないのだからな」
「リリト殿はどうしたいのですかな?失踪した竜を探されるお積もりかな?それとも他の竜の元に嫁がれるのか?」
「こんな良い女が嫁に来てくれるのだぞ、その女の結婚式の寸前に逃げ出した男だ、少なくともその顔を見てから一発くらいは殴っておかないと腹の虫が収まらんでな」
「………なかなか豪気ですな。」
ガウルは嬉しそうに酒をあおる。
その横で黙ってこの話を聞いていたクリーネはこの竜の子供が尋常ならざる能力を持っていることを確信していた。
所詮子供の領主ごっこというお遊び程度の認識しか無かったのであるが驚くほど状況の把握と戦略を持って活動をしている。
もともとドゥングは完全にエルドレッドの属国の状態に有ったのである、それ故に持ち回りの領主はエルドレッドの言いなりで私利私欲だけに走っていたのだ。
竜の嫁が現れた事をなんとか利用しようと思った物の簡単に腰が砕け逆に竜の嫁に領主の座を追われるという醜態を演じている。
この竜の嫁は魔獣スープを商品として国力の増強に繋げるかと思いきや逆に紛争の種をばらまいているのだ。何という竜なのだろう。
この竜に知恵を授けたのはここにいる大酒飲みの獅子族なのだろうか?この男も只者ではない。
しかし面白い、長い間無能な領主の尻拭いをしてきた事務部門が今こそその実力を発揮する時だと思うと身震いがした。
「どうした?クリーネ殿寒いので有るかな?」
ガウルがクリーネの様子に気がついて声をかける。
「いえ、なんでも御座いません。いささかワインに酔ってしまったのかも知れません」
「それはいけませんね寝間を用意してありますからお休みになっては如何でしょうか?」
「ご厚意に甘えさせていただきますわ、サビーヌ様は既に眠いようですから」
「ん……」
サビーヌが目を擦る。
「我々は魔獣スープの完成を監修したいのでしばらくこの別荘に逗留したいのだが」
「おお、もちろん結構ですとも、皆さんはごゆっくり製品の完成をご覧になって下さい」
サビーヌとクローネはメイドに案内されて別室に連れて行かれた。
「それではごゆっくりお休み下さい。」
ラングが挨拶をしてメイドがリリト達を別室に連れて行く。
「おいまて!なんで私がガウルと同じ部屋なのだ?」
「リリト様の護衛とのことでしたので同室が宜しいかと存じまして」
「私はこれでも花も恥じらう乙女だぞ、何が悲しくてこんなおっさんと同室にならなくてはならん。」
「え?じょ、女性だったのですか?こ、これは失礼を」
驚いたように頭を下げるメイド。
彼女の言葉に叩きのめされるような衝撃を受けるリリト、どうやらこれがで多くの人間の共通認識の様である。
リリトは女性として見られてはいないのだ。
「竜の嫁だぞ!メスに決まっておろうが、第一竜に護衛などいらんわ!」
「まあまあリリト殿ワシも一人寝は寂しいでのう、何度も一緒に寝た中では無いか」
ガウルはリリトを抱え上げるとジタバタ暴れる竜に構わずそのまま部屋の中に入っていく。
「おいこら!誤解を招くような発言をするな!」
部屋の中に引きずり込まれるリリトを見て必死に笑いをこらえるメイドである。
竜の子供って本当に可愛いわ~と心の中で思っていた。
そちらも世間一般の認識であることに未だに気付かぬリリトである。
「イビキをかくなよ、また眠れなくなる」
「その時はこいつを一杯飲めば大丈夫じゃよ」
ガウルが枕元の瓶を示す。こいついつの間に?
「明日はヴィェルニの部屋に泊めてもらおう。」
「そうですな。ヴィェルニ嬢の胸に頭を埋めて寝るのも良いかも知れませんな」
「私にそんな趣味は無いぞ。」
「あなたになくてもヴィェルニ殿にはその気満々でしたがね」
リリトは不満げな顔をガウルに向ける。
「それで?お前はあの男をどう見る?」
ガウルからこの国の大雑把な状況は既に聞いていた。
ラングが婿養子で物作りが高じてこのジャマルまで作ってしまいわずか20年足らずでこの大きさまで育ててしまったのだ。
そのお陰でエルドレッドでもっとも経済力の高い地域になっている。
更に北方に有る石炭鉱山であるカングは周囲を壁で囲った鉱山街からの石炭の供給ルートの開設。
つまりここは重工業の発展の望める場所であるということであった。
「まあそうも行かないだろうな、どちらの鉱山もニンゲン時代に掘られていたが大厄災によって放棄された鉱山だからな、それほど大きな埋蔵量は見込めんよ」
大厄災とは核戦争とそれに続く核の冬の事である。
魔獣を戦略兵器として使用した国が有った、侵略を受けた国が報復として核ミサイルを使用したため核戦争が起こり核の冬が訪れた。
しかし生き残った魔獣は核の冬の中でもたくましく数を増やし人類の大半が失われたにも関わらず魔獣のお陰で大地は復活したのだ。
人口を大きく減らした人類は魔獣の脅威から身を守るために壁を作りその中に閉じこもってしまった。
今この世界を支配しているのは獣人族5種と竜神族、そして魔獣である。
ニンゲンは既にこの世界とは関わりを持てなくなっている。
鉱山などはその古い施設を復旧して掘っているに過ぎないのでそれほどの埋蔵量は期待できないのだ。




