マリエンタール7
1-034
――マリエンタール7――
ドゥングの領主に竜の嫁が就任したというニュースは瞬く間に近隣諸国に広がった。
マリエンタールの領主である犬耳族のオベール・ベルティユ・アウグストの元にもそのニュースは直ちに伝えられていた。
「何それ?なんの冗談かしら?」
竜と言えば全高10メートルの怪物である、そんな物に領主が務まる訳がない。
まあそのうち続報が入るだろうととりあえず放置しておいたがそれは思わぬ形で夫の元に入ってくる。
マリエンタールはその領土の3分の1がアウグスト家の持ち物である、それ故代々アウグスト家はマリエンタールの領主としてこの国を統治してきたのだった。
統治としては完全な封建制を取っていたのでその国の運営の責任はすべてがアウグスト家に有る。
オベール生まれながらに領地運営を託された娘であった。
それ故に彼女自身はその運命を受け入れ自分のなすべきことをはっきりと理解していたのだ。
オーベルは中肉中背の婦人である。それなりの美人では有るが飛び抜けてはおらずその性格を反映してかいささか固い感じのする面立ちをしている。
幼いころからオベール自身に領主としての教育がなされ自らの幸せよりも領地の運営を優先しなくてはならない努めが有るという事を教え込まれていた。
領内の豪族の一人との結婚を求められ数人の候補者から選ぶこととなった時もそれを当然の事として受け止めていた。
領主の跡取り娘として生まれた彼女に取ってラング・ソルティ・アウグストは子種を得るための結婚でしか無かったのである。
出しゃばらず見た目が良く、出来れば頭の良い人間がいいと思っていた。
やはり領主として君臨するためには領主の顔立ちも重要な条件である。幸い2男1女を儲け皆十分に美男美女の上に頭も良かった。
本来の目的を達した彼女にとってラングの用は済んだも同然であった。
では彼女はラングを愛していないのかと言えばそう言う訳でもない。
いささか変わった趣味に傾倒するきらいが有るがオーベルの求めに応じて良き夫を努めてくれ公式行事にも嫌がること無く出席し当たり障り無くこなしてくれる良い伴侶だった。
まさにオベールにとっては理想的な亭主であり、彼もまたそうした自らの運命を受け入れた者であったのだ。
領主としての執務にはあまり向いていなかったがそれは問題では無かった、彼女は領主としての仕事から逃れるつもりもなくそれを運命と割り切っていた。
だから夫が国政に口を出さずに自らの趣味に没頭することは彼女にとっても大変助かることだった。
権力を持つものは色を好む物であるがラングの場合女よりも物作りに熱中しスキャンダルは皆無であった。
人当たりは悪くは無いが存在感そのものが希薄なので相手から軽くみられることが最大の原因の様に思える。
まあそう言った部分を気に入って亭主にしたのであるからオベールにしてみれば浮気のひとつやふたつはあまり表立たなければ必要経費とみなしていた。
ところが士官学校時代の友人に再会した事によりラングの性格は一変する。
ブラザル・サブリである。
狂人のような眼をしたこの友人に感化されたのかその頃から奇行が目立つようになったのである。
奇行と言うより二人でつるんで様々は発明に興じるようになる。
元々物造りの好きな性格であった様で普段温厚なラングが物造りに関しては狂気のような感情の高ぶりを見せることがあった。
おそらくは友人のサブリの影響だとは思っていたが既に3人の子供を儲ける事が出来たオベールは変なスキャンダルを起こすよりははるかにマシと考えてあえて見ないふりをしてきた。
騎士学校時代ラングはサブリと趣味が会っていた、様々な発明の才とそれに至る実質的な手段を見いだせる能力は高く評価していのだった。
何故武芸に全く才能のない兎耳族の男が騎士学校に来たのかと聞いたことがあったがマリエンタールの騎士学校の図書館には古代の資料がたくさん残っているからだと答えた。
実技はすべて落第、座学はすべて満点という極端に兎族の特性を体現したような男である。
それでもラングは彼の才能を認め実技の練習相手にもなって何とか引き上げようと思った。
しかしやはり兎族である、才能はいかんともしがたく卒業することも無く放校となった。
もっともその頃までに図書館の本はあらかた読み終えたので卒業するつもりも無かったのかもしれない。
学校を放校にされたあとサブリは一人で研究室を作り殆ど趣味の状態で様々な発明品を作っていた、時代が合わないのかあまり売れなかったようだ。
結婚し領主となったラングはある日偶然サブリと会ったが最初は誰だかわからなかった。
ボロボロの格好で目だけがギラギラした危ない男に見えたのだ。
その時持ってきたのが現在のジャマルの鉱山跡に有った鉄鉱石である。
この頃鉄と言えば砂鉄である。そして旧世代の都市の跡から産出される鉄製品であった。
そのため製鉄はふいごによるたたら製法が主流であった。
元々金属需要はそれ程大きくなく、旧世代の建物の大半は崩壊が進んでいたが各種の金属類はまだ砂と化してはおらずその遺跡を掘り起こせばかなりの鉄が取れたのだ。
この鉱山跡地もその一つで有ったがすでに都市の鉄は掘り尽くされ残るは坑道内の鉄鉱石だけという状況に有った。
サブリはこの鉱山に潜りまだ鉄鉱石の産出が可能であることを確認していた。
高炉を作ればかなり大量の鉄を作れる、問題はスポンサーであった。
その構想を熱っぽく話すサブリにかなりの可能性を見出したラングは高炉製造を妻に相談する。
既に長男を産み第3子を身ごもっていた妻は業務の大半を夫に頼らざるを得ない状況でありこれ以上の負担を歓迎はしなかった。
それというのも当時のマリエンタールは周囲を森に囲まれ開梱した畑で細々と農業を行える程度の貧しい国でしかなかった。
獅子族の多いエルドレッドに逆らえる筈もなくエルドレッドの属国として生きながらえていた程度の国であった。
それでも子供を授かり夫の献身に感謝していたオベールは試験用の炉の建設を許可した。
試験用の炉とは言えそれなりの大きさが有り都から離れていたため建設にはかなりの時間を要した。
その間細々と鉄鉱石を掘り貯めていたのだが試験炉がが可動し始めるとすぐにそれまでとは桁の違う生産量を示した。
玉鋼に比べると不純物が目立ったが遥かにコストの低い鉄の大量生産が始まる。
幸い周囲は森に囲まれ木を伐採し炭を作って燃料とした。その空き地に人々が集まり街を作り始める。
当初は国内だけで使っていたがそのうち河を使った水運でエルドレッドやクロアーンへの輸出も行う様になった。
この成功に驚いたオベールは本格的に製鉄への投資を考えるようになった。
試験炉は小型の物でありそれ程の生産量を期待できなかったので商業炉の建設に取り掛かった。
問題はジャマルが既に町外れであり大型魔獣の出没する場所でも有った。
そこで専門の狩人部隊を作り周囲の魔獣を狩って行った、これが後の狩猟軍の前身である。
高炉は沢山の燃料を使用する、周囲に木は多く炭の生産も盛んに行われ開いた空地を開墾し街は拡大していった。
しかし周囲の木を切りすぎた為大型魔獣との遭遇の頻度が上がってきた。
しかも街が大きくなり建物の建設に材木を使用するようになり炭の入手が困難になっていった。
そこで以前から採掘されていた石炭を使用する事にした。
ジャマルの上流でほそぼそと採炭を行っていた村でコークスを作り河を使ってそれを運んできた。
これにより急速に鉄の生産が進みマリエンタールは豊かな国へと変貌した。
製鉄で成功を納めたセバスは研究所を設立しそれこそ思うがままの研究を行いはじめる事となった。
当初はこれも必要経費とあきらめていたオーベルではあったが10年程すると黒字に転嫁し今ではマリエンタールの一大産業へと成長させてしまったのだ。
国から突出した場所にあるジャマルを魔獣から守る為に国営の狩猟軍を創設しそれまで個人営業だった狩人を組織化したのだ。
そして軍の内部で狩人を育成しやがてそれは国全体に広がっていく。
これもまた当初は赤字であったが3年を経ずして黒字化してしまい危険できつくて汚い職業とされ、農家の次男3男の受け入れ先となっていた狩人業務を一つの産業にまで成長させたのだ。
唯一の失点が娘のヴィェルニをジャマルに連れて行ったお陰で狩猟部隊に入ってしまった事だ。
彼女を政略結婚に利用したいと思っていたオーベルの思惑に感づいたのだろう、年頃になる前にさっさと家を出ていってしまったのだ。
当時の考えからすれば娘は家の財産であり豪族同士を結び付ける為の血縁でしかないのである。
今はジャマルの狩猟軍で魔獣狩りを行っていると聞く。
あまり危険な事は無いと手紙に有るがやはりわが子を心配しない親はいない、夫に頼んで随時状況を知られせてもらっている。
当初ただのお飾りであると考えていたラングのお陰でマリエンタールは大きな工業生産諸点として発達してきている。
そういった訳で年を経るに従いオーベルは夫に感謝をし愛するようになっていた。
ただあの親友と呼んでいる兎族だけはどうにもオーベルの肌に合わなかった。
身なりに構わないと言うけれどあまりにもキタナイのである。
あの男のお陰で夫の行動もまたおかしくなっているような気がする、と言うよりは長年抑圧されてきた事の反動が出ているのかもしれない。
浮気のふたつやみっつは気にもしないが夫ははるかに大きな国の運営で浮気をしてしまった。
オベールには出来なかった事をいともたやすくやってしまった夫は彼女よりはるかに国の運営の出来る人間だったのだ。
悔しくもあったがそれでも彼女は夫を頼りにしていたのであった。
そんな折隣国ドゥングで領主の交代が有ったというニュースがもたらされた。
ドゥングは長老会の合議制で定期的に領主が交代をすると言う事は知られていた。
問題なのはその新しい領主に選ばれたのがリリトと呼ばれる竜の嫁であると言う事であった。
何故竜の嫁が?と言うのが最初に起きた疑問であり、次の疑問があの大きさの竜がいったいどうやって執務を行うのであろうかと言うものであった。
竜は巨大な生き物であるという固定観念はどこにもあるようでる。
その頃ラングもまた狩猟隊からの連絡を受けていた。
娘のヴィエルニが大型魔獣の討伐を試みそれが失敗しドゥングの領主を巻き込みかけてその護衛に助けられたと言う事である。
これは二つの意味でとてもまずい事であった。一つにはこんな事が女房に知られたら間違いなく娘を呼び戻すように命じられてしまう。
その時娘と女房の板挟みになるのはラングである。
もう一つはドゥングの領主に対する借りである。まあこっちはヴィエルニが娘であることを悟られなければ何とかなるかもしれない。
この情報はまだ妻には知られていないのでラングはそれを握り潰すことに決めた、家庭内不和の原因はなるべく時間がたってから報告した方が良いのである。
ラングは素知らぬ顔をしてオベールの執務室に入っていく、豪族たちの付き合いで表情を取り繕うのは慣れたものである。
登場人物
ラング・ソルティ・アウグスト マリエンタールの領主 婿養子 犬族 41歳
オベール・ベルティユ・アウグスト マリエンタールの領主の妻 実質的な領主 犬族 41歳
ヴィエルニ・ジョジアーニ・アウグスト 領主の娘 狩人 犬族 18歳




