竜の嫁3
1-003
――竜の嫁3――
リリトは横になったままガウルの吊るしている肉を見ていた。
「その肉が乾くのにどのくらいかかるのだ?」
「今日は天気が良い、丸一日だな」
「では出発は明日昼過ぎか?」
「そうだな、ゆっくり休むと良い、どうせ街までは少し距離があるからな」
ガウルも干している生の肉を何本か外して来るとそのまま口に運ぶ。
「何という街に行くのだ?」
「最初に行くのはドゥングと言う国だ、そこの都に社がある」
「エルドレッドの同盟国だな」
「そうだ、竜のいるエルドレッドを中心に東にドゥング、北にマリエンタール、西にニャゲーティア、そして南のクロアーン、この5つの同盟国で構成されているのがエルドレッド王国だ」
リリトも竜の周辺の情報のレクチャーは受けて来た、したがってガウル言っている事は既に頭に入っている。
「たしか5国合わせておおむね100キロ四方に広がっていると聞く」
「そうだな、全体としては100キロ四方に広がっているが各国の大きさは概ね30キロ四方だ。かつてはもっと小さな豪族がそれこそ村ごとにいたが勢力争いを行って現在の5つの国が出来上がった。それを束ねたのが竜の力を背景にしたエルドレッドだ。」
エルドレッド王国の前身のエルドレッド地方に100年程前に竜が住み着きその後多少の戦乱を経験し現在の5つの国に落ち着いたのがようやく50年前である。
竜にとっては獣人同士が戦争をしようがどうしようが関係は無かった、竜の目線から見れば獣人の戦争など蟻の行進のような物でしかないだ。
その住んでいる巣の生活環境が悪くなれば竜は巣を代える、それを繰り返してあちこちを渡り歩いてきた。
ところがエルドレッドの当時の領主は社の忠告を受け戦乱の中でも軍の人員を割いてまで竜の巣の整備を行ったのである。
すると竜はそれが気に入ったのかそれ以来そこに住み続けている。
「しかし竜がいたとしても戦争に加担する訳ではあるまい、竜が戦争をするなどとは聞いたこともない」
リリトがかねてから疑問に思っていた事である、竜は人を殺さないのだ。
「無論竜はただそこにいるだけだ。しかし竜が親しくなった者が狩場をそれとなく偏らせる様に誘導する事は出来る」
つまり自分の領内に竜がいればその狩場を指定でき、言う事を聞かない国の魔獣を狩らないように仕向ける事が出来るのだ。
「大型魔獣か。」
「そうだ、魔獣は我々には脅威ではない、しかし魔獣の肉を食った大型の魔獣は我々にも脅威なのだ」
魔獣の肉を食った魔獣は肉食の怪物へと変化する、体が何倍も大きくなり凶暴さを増す。
先程戦ったヤマタガラスもその一種だ、ただ鳥が大型化した場合はその種族特性故にあまり大きくはならない。
それでも口から魔法の炎を吐きヘリを襲い墜落させることも出来るのだ。
しかも陸上動物の大型魔獣の場合は2トンを超えるものも珍しくはない。
そんな物が一人の狩人で倒せる筈もなく各国では賞金を懸け狩人に大型魔獣とその餌となる小型魔獣を狩っている。
竜がいればその大型魔獣を狩ってくれるので国の負担を大きく減らすことができるのだ。
その事に気が付いたエルドレッドの領主は非常に聡明な人間だったらしい。
何しろあの巨体である、普通の魔物では大して腹は膨れないので大型魔獣を狩っている。
竜のおかげで割かなくてはならない人数を戦争に回し周囲の国を平定していったそうだ。
周囲の4か国もエルドレッドに対抗する為に離合集散を繰り返し現在の5か国体制で一応落ち着いている。
エルドレッドにしてみれば自治を認めておいた方が地方の不満がエルドレッドに向かない。
地方の国が潰れようと疲弊しようとエルドレッド傘下にある限りはその方が経費が掛からないのだ。
それでもエルドレッド王国では他の4国から税を徴収している、竜の加護に対する税と言う名目の分担金である。
地方に対して税を支出せずに徴税のみを行う体制が出来たのでエルドレッドは潤う事になる。
その税を使ってエルドレッドでは国軍を常設し周囲の国からの反乱に備えていたのである。
「その竜がいなくなってしまったのであるからエルドレッドではいま大騒ぎになっているのだよ」
「なんとなく竜が出ていった理由がわかるような気がする……」
竜の子は仰向けになったままつぶやいていた。
リリトは腹が膨れたせいかまぶたが重くなってくる。
「眠るが良い竜の子よ、ワシは馬の世話をしてやることにしよう」
ガウルは馬から鞍をおろし体にブラシをかけてやっていた。
リリトが目を覚ますとガウルが地面に毛布を敷いて木陰で眠っていた。その隣で馬のアザックがじっとたたずんでいる。
そっと草むらに入って用を足す。すっかり元のお腹の大きさに戻ったリリトは馬の元に行ってみたる。
実際近くで見ると大きな馬である、肩まで1.5メートル以上あり頭を上げると2,5メートル近くの高さになる、リリトの倍以上である。
リリトが近づくとアザックは少し後ずさる。
竜を怖がっているのだろうか?そう思ったリリトはそれ以上近づくのをやめて元の場所に戻る。
周りを見ると吊るされた肉がそこいら中にぶら下がっている。だがまだ半分も乾いてはいない様に見える。
試しに一切れ食べてみるとそれなりにいけると感じた。
もう一切れ取ると今度は極力弱いブレスを使って焼いて見る。ジュウジュウと煙を上げ美味しそうな匂いがする。
焦げ過ぎないうちに食べてみるとかなり美味しい、出来れば塩が欲しいと思った。
「なんだ?もう腹が減ったのか?」
後ろから声が聞こえる、男を起こしてしまった様だ。
「いや、ブレスを使って肉を焼いて見たのだ」
「ヤマタガラスの肉は旨いか?」
「結構うまいがやはり塩気が欲しいな。」
「昨日はもう食ってしまった後だったから言わなかったが塩なら有る。」
ガウルは荷物の中から袋を取り出した、中には岩塩の粒が入っていた。
「使う度に磨り潰さねばならんのでな、干し肉には食う度につけている」
リリトは渋い顔をする、早く言えと言いたかった。
昨日は魔力の枯渇でとりあえず魔獣細胞の補充が必要だったから無理して食ったが出来れば調理して食いたい。
何しろ体が小さいのでそれ程多くの魔獣細胞の体内備蓄が出来ないのだ。
魔獣細胞は肉にも含まれるが内臓のほうが多い。
魔獣との戦いで魔細胞が不足していたので急いで補充する為に真っ先に内臓を食ったのだ。
このガウル程の体躯があれば体内に備蓄できる魔獣細胞は多くなる。
竜ほどの大きさになればほとんど制限なしに魔法を使っても魔獣細胞が切れることはない。
「日が昇れば肉はすぐに乾く、日持ちさせるためにはなるべく乾かしておきたい、その方が荷物も軽くなるしな」
「魔獣の生息調査と言っていたな、街から出ている間はずっとこんな食事を取っているのか?」
「ああ、食料を持たずともフライパン一つあれば食うのに困ることはない、水はこいつが探してくれるしな」
ガウルは馬の方を示した。
「気楽なものだな。」
「ああ、今は街から街への気楽な旅だ。いずれ旅の途中で野垂れ死ぬ事になるだろう」
「家はないのか?家族はいないのか?」
その問いにガウルは答えずに微笑みだけを返した。
この男もまたこれまでに何かしらの人生のしがらみが有ったのだろう。
「あいつを食うなら解体してやるぞ」
ガウルがリリトの殺した魔獣を示す。
「少し肉を食おうか、内臓は魔獣器官だけ食べよう。お前には焼肉をふるまおうでは無いか。」
「焼肉を?そうか期待するとしよう」
ブレスでも使って焼くつもりなのだろう、ガウルはそう思ってナイフを取り出して解体を始めた。
リリトは近くに有るった岩を削り始める、竜の爪は岩をチーズのように削っていく。
「何をするつもりだ?」
「塩が有るなら生肉など食いたくは無いのでな」
岩に穴を穿つとその中にブレスを吹き込み始める。
それを見ながらガウルは内臓を取り出し肉の旨い部位を切り取った。
「そら、魔獣器官と肉だ。」
肉と内臓に塩を刷り込むとブレスで熱くなった岩穴の中にそれを突っ込み近くの岩を使って蓋をする。
「オーブンというわけか、誰にそのようなことを習ったのだ?」
「ニンゲンのところでサバイバル実習というのが有る、我々も獣では無いのだからそれなりの食事をするべきだと考えているのだ」
なるほどなと考えるガウル、昨日の食事は緊急事態だったようである。
しばらくすると肉が焼ける匂いがする。岩の蓋を開けると中で肉がジュウジュウ音を立てて焼けていた。
肉を半分切り取るとガウルの方に差し出した。
「うまそうだな?」
湯気を上げる肉を二人で食べる。
「うむ、この調理方法も結構美味いものだ、肉が柔らかくなる」
「私も外では初めてやってみた、その場で用意しても結構うまく行くものだな、魔獣器官も塩があると美味しくなる」
「しかし竜の爪というのは子供とは言えすごいものだな。簡単に岩をくり抜いてしまうとは」
竜の爪は刃物さえ切り裂くと聞く、敵に回せば恐ろしい生き物だとガウルは思う。
「それ故にニンゲンと付き合うのは大変なのだ、どんな拍子で怪我をさせるかわからんからないつも気を使っている」
「はっ、はっ、はっ、強い者にはそれなりの悩みが有る物だな」
ライオンの顔をした大男は体を揺すって笑う、屈託のな笑いだ。
「馬を見て良いか?」
後ろにじっとたたずむ馬である、先程はガウルの手前近づくのは遠慮しておいたのだ。
「ああ構わんが気をつけろ、そいつはかなり頭がいいぞ、下手に出ると馬鹿にされる」
リリトは馬の所に行ってその顔を見上げる、先程とは違い今度は後ずさる事は無かった。
パタパタと背中の翼を動かして飛び上がり馬の顔の所までやってくる。
馬は顔をそむけて後ろを向く。
あまり好かれてはいないようだ、そう思って飛んだまま馬を一周してみる。
リリトが後ろに回った時に馬がいきなり後ろ足を跳ね上げてリリトを蹴った。
カポーン
「きゃあああ~~っ」
なんとも女の子らしい悲鳴を上げてふっとばされる、まあ一応うら若い娘なのは確かだが。
グルグルと回転しながら立木に叩きつけられると大きく木が揺れる。
「あにゃにゃっ。」
そのまま木に沿って逆さになって落ちる、尻尾が頭の上に垂れてきて実に格好が悪い。
「やはり竜には用心しているのじゃろうこいつも魔獣だからな、しかしお前さんが小さので馬鹿にして蹴ったようだな」
ガウルはリリトに向かって声を掛けたが全く同情する様子もない。
竜の子がこの程度で怪我をする筈もないということを知っているからだろう。
「そういう事は早く注意してほしい物だな」
ひっくり返りながらも尻尾を跳ね上げてガウルに文句を言う。
何ということもなくすぐに起き上がるとリリトは再び馬の前に立つ。
今度は馬の方も顔をそむけることはなくリリトを見下げてくる、おそらく大した相手ではないと見切ったのであろう。
ピキッ!と音を立てリリトの額に♯の字のマークが現れた。
その馬の正面に立ったままリリトは上を向いてその大きな口を目一杯開く。
馬がその動作を興味深そうに見ている前で太いブレスの火柱を10メートル近く吹き上げて見せた。
馬がギョッとなって目が見開かれる、何となく冷や汗を垂らしている様にも見えた。
この小さな生き物が自分のかなう相手では無いことに気付いたのだろう。
その後馬の目をギッと睨み付けてやると今度は馬の方から頭を下げてリリトに鼻面を擦り寄せてくる。
「はっ、はっ、はっ見事、見事」
ガウルがこのやり取りを見て笑っている。
リリトは爪で馬を怪我させないよう気をつけながら鼻面をさすってやる。
「お主はこうなることを知っていたな」
竜の嫁は竜族の強力な力を持ちながら子供のように小さな生き物である、力量を計るのは難しい物が有るのだろう。
最初は舐めた態度を取っていた馬もその実力を見せられて軍門に下る事にしたのだ。
「まあこれでその馬もお前さんの事を上位者として認めた事になる、もう蹴ることも噛み付くこともないさ」
「この動物もずいぶん人を見る様だな。」
「こいつが我々の元にいる理由は自分の身の安全の為さ、こいつを襲う外敵から守ってもらう代わりに我々の使役に従う。したがって自分より弱いものに用はないのだよ」
ガウルの言葉はこの世界での生き方その物を表していた。




