マリエンタール1
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――マリエンタール1――
リリトが公邸に詰め始めてから2週間たった時に花街商工会の世話役のカルイがポンポン飛びながらやってきた。
転がったほうが早いとも思うのだが。
ユーハンとミルルも一緒にやってきてすっかり元気になった姿を見せに来たのだ。
ユーハンはリリトを見ると涙を流してリリトにすがってきて、感謝しても感謝しきれないと言っていた。
他の患者に関してはサビーヌが試作品を持って訪れておりみんな全快したとの事で良かった良かった。
ミルルによればあれから毎日魔獣のスープが食事に付くようになりミルルのみならず他の病気にかかっていない遊女たちも非常に健康になってきたと言うことであった。
この世話役はリリトとの約束を守っているようだ。
もっともこの男に取って遊女は商品であり商品を長持ちさせる為に必要なことをやっているだけと、そう言う考えも成り立つのだが。
いずれにせよ遊女の病気に対する危険性が減り健康になれるのであればそれはそれで良いことだと考える事にした。
健康であればいずれ借金を返しあの場所から出ていくことが出来るだろう。
いずれはエルドレッドもあのスープを商品化して、それを使ってドゥングのスープ市場を抑え込むつもりであろう。
ドゥングとて量産体制にすら着手していないのだ、勝負は最初のスタートダッシュで決まるだろう。
それも体の大きな獅子族の多いエルドレッドにとっては電気魔法の使い手も多くいる、魔法の使えない兎族の多いドゥングでは太刀打ちできまい。
最終的にはドゥングの経済を疲弊させエルドレッドの傘下につけたいと目論んでいる筈だ。
それ故にあまり時間的余裕は無い、ガルドの報告を待って行動を起こす必要があった。
この2週間で昨年の帳簿を調べ終わった、話をしてみるとデカ胸兎秘書の女はクリーネと名乗り意外なほどに優秀であった。
リリトの要求する資料は遅滞なく届けられ質問には的確な答えが返ってくる。
おかげで帳簿の調査は驚くほどはかどったのだ。
大雑把に言って国土基盤整備費用に3分の1、魔獣対策に5分の1残りが様々な雑費である。
収入は税金であるが農業、畜産に関しては土地の面積に対して一律、店舗に関しては一定以下の店舗は免責でそれ以上は店舗面積に対して掛けられていた。
農業に関しては年間収益に対して減免処置が認められてる。つまり不作の年は税金が少なくなるのである。
そして税収の1割がエルドレッドに納められていた。
「税収の1割をエルドレッドに納めながら魔獣対策費が2割も有るのは多すぎないのか?」
その問に対する答えは驚くべきものであった。
魔獣に関しては各国の国境付近にも未開拓の土地は多く存在しそこに出現しているのだそうだ。
エルドレッドの竜の狩場はこの国境付近で行われエルドレッドを囲む国の外側に来るのはその半分程度の頻度だと言う事らしい。
統計を出してはいないがおそらく3分の1は国境付近の獲物だと思われていた。
つまりエルドレッド王国とは国の連合体でありその領土と領土の間にはそれなりの距離が設けられ多くの未開の土地を挟んでいた。
当然の事ながらその場所にも多くの魔獣が住んでいる。
魔獣による農業被害は非常に大きく繁殖率の高い魔獣は常に狩っていなければ食料の生産に支障をきたすことになる。
そこで魔獣対策費に関しては狩人に対し報奨金を出し魔獣を買い取ると言う方法で対処しているのが普通らしい。
とはいえ国境付近の森は浅く魔獣の生息数はさほど多いとは思えない。
エルドレッドは周囲に展開する森にすむ魔獣だけを狩ってればよい事になる。
外周部4国に対するよりははるかに魔獣対策費は少なくて済むのである。
魔獣に対する農業被害はエルドレッドの方が外周部4国よりははるかに小さなものとなっている筈である。
ところがエルドレッドには獅子族が多く他国よりは肉の消費量がはるかに大きいのである。
したがって兎族の多いドゥングと熊族の多いクロアーンに狩人を派遣しそれぞれの国から魔獣の肉を輸入しているのである。
兎族と熊族はそれぞれあまり肉を食う種族ではないからだ。
魔獣を狩ることもできない兎族は全面的にエルドレッドの傘下に入らざるを得ず、体は大きいが狩猟の才能の無い熊族もまたエルドレッドの狩人に頼らざるを得ない事情があるようだ。
無論狩猟の出来る種族がいない訳では無いがやはり絶対数は少ないのだろう。
それが現在のエルドレッド王国の成り立ちの元となっている力関係と言う所らしい。
マリエンタールは犬族が、ニャゲーティアは猫族の多い国であるから自ら狩猟が出来る国となっている。
エルドレッドにしてみればそこが気に入らないのかもしれない。
そこに竜が住みついたのであるからエルドレッドでの王国支配が行われるようになっていったようだ。
大型魔獣を駆除することにより外周部での魔獣の狩猟が安全に出来るというものであるが、その狩猟を行っているのがエルドレッドの狩人と言うのが実態である。
「つまりエルドレッドは自国の魔獣対策にはあまり金をかけずに逆に傭兵を派遣してそれを商売にしていると言う事か?」
リリトは呆れ返ってしまった。
言ってみれば国境側の魔獣は大型魔獣が狩りその大型魔獣を竜が狩っていると言う構図が見て取れる。
国境側のエリアは狭いので当然大型魔獣の発生率は高くない、竜が狩れば比較的短時間で狩り尽くされるだろう。
ところがなぜか最近では国境付近の方が大型魔獣の出現率が高く小型の魔獣は彼らに食い尽くされているように見えるそうだ。
そうなると国境付近の魔獣と言うのは外周部から入り込んできた魔獣と言う事になる。
そうでなけれが大型魔獣の発生率の高い理由がわからない、肉食の魔獣は魔獣を食わなければ体を大きくすることが出来ないからだ。
実際の所エルドレッドは魔獣対策費用をあまり捻出すること無く徴収している税金で対人戦の軍備を整え4カ国を属国にして税金を徴収していたのである。
結局エルドレッドの権勢を恐れ金を上納してきたのであるがそのダシに使われていたのがエルドレッドの竜であった。
もし断れば先日のように軍を押し出してきて脅迫を行うのである。
竜が失踪したので税金を収める理由が無くなったにも関わらず徴税を要求したのでそれを4ヵ国揃って断ったというのが現在の状況らしい。
もっとも国土基盤整備費用としての中身もその3分の1は領主の領地の開梱や幹線道路の整備に費やされていた、つまり税金の私物化を長老会が交代で行っていたと言うことらしい。
唯々諾々とエルドレッドに従ってきたのも中小の領地しか持たない者達への言い訳として使用していたに過ぎないと言うことが浮かび上がってきた。
「話にならんな、この国は!」
クリーネはそれには何も答えなかった。
竜とは言え所詮子供である、彼らが恐れるのは大人の竜であり子供のリリトは所詮一時的な権威に過ぎない。クリーヌを始め事務方はその様に考えていたのだ。
領主は交代するものでありそれにいちいち付き合っていては交代した時に自分の身が危ないのである、面従腹背の精神が彼らの信条であった。
魔獣スープに関してはエルドレッドにおいて製造したとしても製法の確立まで半年はかかる、しかし粗悪なものであれば3ヶ月もあれば効果の確認まで出来るだろう。
とは言え電気の魔法を操れる者を集めても製造はそれ程の量を作れる訳ではない。
リリトは現在の魔獣対策を根本的に変え、国立の狩人部隊を結成して国の外周部に出張所の砦を作る。そこから狩猟に出た場合の費用対効果をクリーネに試算させた。
クリーネは如何にも子供の発想だとでも言わんばかりの態度でそれを秘書部に持ち帰った。
次いでアンドレ前領主の領地に使用される予算で執行前のものは全て凍結させた。
そして現在整備中の基盤整備の優先度の調査を指示する、多分優先度の低いものがかなり有ると想像されたからだ。
この2つの事を指示し終えた頃にガウルが帰還した。
ガウルの報告は満足すべきものであった。
マリエンタールは鉄鉱石を産出し製鉄の為の高炉が有る、その予熱を利用した装置もあるとの報告を得ることが出来たのだ。
早速リリトはマリエンタールに出向く事を領主に伝えさせた。
ところが予定が合わない事がわかり1週間ほど繰り延べになった。
その間先に製鉄所の視察を行うことにしてドゥングを出発した。
ガウルとふたりで行ってもよかったのだがクローネに止められる。
領主には国の体面がかかっているものらしい。
2名の護衛とクリーネ、それにサビーヌとガウルの5名が同伴した。
秘書のクリーネと巫女補のサビーヌ、そして領主のリリトが馬車に乗りガウルと護衛のふたりは馬に乗っての移動となる。
犬耳族の護衛のふたりが先導しガウルが馬に乗り後ろについてくる。
リリトは相変わらず堅苦しい領主の服を着せられている、この服はあまり余裕が無いので不用意に動いたら服がぼろぼろになるかもしれない。
あるいはそれがクリーネの思惑なのかもしれない。
「リリト様今回はどの様な視察をなさるお積もりでしょうか?」
あえてクリーネには詳細を伝えていない、リリトに対して冷たい態度を取るこの女は信用はしても好きにはなれない。
「クリーネは魔獣スープの事は知っているな?」
「はい、あれを毎日飲むと健康になれるとか?先日もカルイがポンポン飛び跳ねておりましたが」
カルイに対する評価はどうやら同じものらしい。
「その効果を濃縮したものがここに有る。」
サビーヌの持ってきたカバンを示す。
いかにも胡散臭げに鞄を見るクリーネ、おそらく効果など本当は信じてはいないのかもしれない。
無論そんな事を口にするほどこの女は愚かではない。
「それが今回の訪問とどの様な関係が有るのでしょうか?」
「いずれわかる」
リリトは牙を見せてにんまりと笑っう。
ん、なんだ?なぜそんなに二人とも引いているのだ?
マリエンタールは国の規模としてはドゥングとさして変わるものではない。
首都はキャニスであるが今回は国の反対側にあるジャマルに先に行く事にした。
そこにはマリエンタールの領主の別荘もあるそうだ、一度挨拶に行かねばなるまい。
「ニャゲーティアの領主はどんな人間なのだ?」
クリーネによれば領主の名はラング・ソルティ・アウグスト。
ただしこの男は婿養子で真の領主は妻のオベール・ベルティユ・アウグストだと言う事だ。
アウグスト家は全領土の3分の1の領地を持ちこの国は本当の封建国家であるとの事である。
ドゥングと違い本当に国の支配者なのでその政治は封建制を取っているが領地としての経営状況はそれ程悪くは無いとの事である。
しかしその事はアウグスト家を支配すればマリエンタール全土を掌握できる事を意味していた。
したがってエルドレッドも長い間その家の取り込みを画策していると言うことらしい。
つまりエルドレッドと対抗しながらも国を存続させて来た領主の様である。
「今回先に行くジャマルは少し離れた場所に有るらしいな。」
「はい、ジャマルはマリエンタールのの北側の外れのニャゲーティアの側に位置しております。」
クリーヌの説明によるとジャマルの街は国の領地からはやや突出した場所に作られ離れ小島の様な場所になっていると言う事で4方が魔獣の住む森に囲まれているらしい。
それだけに魔獣の被害がかなり有るらしい、特に暴走の危険には常にさらされているらしく国営の狩人部隊が周辺で魔獣を狩っていると言っていた。
「国営の狩人部隊か。」
リリトが構想した官営の狩人部隊を実際に運用しているようである。
これも是非視察しておきたい所である。
登場人物
マリエンタール エルドレッドの北側の国 犬耳族が多い




