ドゥング3
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――ドゥング3――
「竜の巣としてはいささか小さくは無いか?」
「まだ一度も竜神様にはいらして頂いておりませんから」
そうだろうな、もし竜がここに住むのであれば周囲をかなり開梱しなくてはならないだろうと思われた。
「エルドレッドの巣はもっと大きいのではないのか?」
「ここの4,5倍の大きさは有ると思います。他の国はだいたいここと同じくらいでしょうか?」
リリトは周囲を見渡す、この場所で成体の竜が暮らすのはいささか難しいかだろう。
もっとも実際に竜がこなくともその体裁を取って架空の竜が存在するような気持ちを民衆に与えることが重要なのだ。
まあ、本当に竜が来れば大急ぎで改修を行うつもりではあるのだろうが。
「サビーヌ殿は竜の失踪の原因に心当たりはないのか?」
「さあ、なにぶんにも他国の事ですから、母であればそれなりの情報は知っていると思いますが」
「無線で他の社と連絡は取っているのだろう、そこから何か情報は?」
「竜に逃げられたことなど社の恥以外の何物でも有りません。ですからそういう事はあまり情報としては流しませんので」
まあそうだろうな。
そこにガウルが息も絶え絶えになって登ってくるいささかトレーニング不足では無いのか?
「なあガウル、竜と言うのはみんなこの様な街の中に住むものなのか?」
「いや、そうでもないさ……まだ獣人の街はそれ程多くはない。……殆どの竜は適当な山の上に巣を作っているよ。……周囲には小さな集落が散在している様な場所だ。……竜が住み始めると周りの村が……竜の庇護を求めてそこに移り住んできて村となる。……竜がいれば魔獣による畑の被害は少なくて住むからな……」
息を切らしながら話してくれた。ご苦労さん。
「はい、山に竜が住み始めると山の麓に社を開いて竜神様をお祭り差し上げるのです。もっとも社を開く前に巣を移る場合もかなり多いようですが」
「お前たち社は竜に対して何をするのだ?」
「特に何も、檀家を集めて週に一度ほど巣の掃除をして差し上げるそうです。なにしろ食べ残しなどがかなり出まして匂いがひどくてカラスや野犬も集まってきますから」
「そうかあの大きさの竜の食べ残しだからだいぶゴミが出るのだろうな」
聞いた所によれば1トンクラスの大型魔獣を2日に一頭は食っているらしい。放っておけば野生動物もかなり集まってくる事だろうしな。
というかサビーヌの話を聞くと何やら竜は完全に野生動物の生活そのままではないのか?
「それをどうやって処分しているのだ?」
「河原で焼き払います。ただ檀家の方々はその灰が良い肥料になると言って皆で分け合ってもって帰るそうです」
「リリト様どうされました?」
「サビーヌよ、お前はその話をどこで聞いた?」
「社の会合が持ち回りで有りまして、こちらの社に来られた時に伺ったことが有ります」
竜神と祀られている割にはあまり文化的な生活では無いようである。
ニンゲンの元で聞いた所によればエルドレッドでは竜専門の下僕がおり竜の面倒を見ていたと聞く。
食うためとは言え獣人はに魔獣を狩ることによる利益を得ているのだ、そのくらいのサービスはされても良いとリリトは考えていた。
逆に言えばエルドレッド以外での竜に対する扱いはその程度のものなのかも知れない。
「……なぜ失踪したのだろうな……?」
「いやリリト殿、失踪と言われるが竜神様がその住む巣を変えることは珍しくは無いのですよ。今回はたまたまリリト殿が来られる寸前に巣を移動したので失踪となっていますがね」
各地の魔獣と竜の調査を行ってきた男の言葉である。
「そうなのか?サビーヌ殿」
「はい、そうならないように私たち社の者が竜神様の面倒を見るのでございます。」
社とは竜と獣人とニンゲンを仲介する存在としてある。無線を使った全国組織を作り魔獣の生息域を調査し竜の相談相手にもなる。
報酬はニンゲンが与えるここには無い製品である。具体的に言えばあのペニシリン注射の様なものである。
社はその進んだ、いや正確に言えばニンゲンの文明遺産である製品を使って奇跡を起こし地位と金を得ている。
本来であれば社を使ったニンゲンの間接統治を目論んでいたのだがは有るが、実際の所ニンゲンによる外部世界への干渉がだんだん難しくなってきている。
獣人が統治機構を持ち始め、より外部に向かって拡散し始めた為ニンゲンの補給線が長くなってしまった事が最も大きな要因である。
その結果長大な航続距離を持つ空中要塞を作り補給線の確保に努めている。
リリトを運んできたのも空中要塞に搭載されたソーサーヘリである。
空中要塞とは言いつつそれは兵器ではない。無論機関砲程度の武装はしているが基本はヘリ搭載の輸送艦である。
SQ機関を搭載し無補給で世界一周が可能な空中空母である。
対人戦争兵器ではないので飛行する大型魔獣から船体を守れれば良い程度の武装しか積んではいないのだ。
竜の巣から降りて来るがまだ時間が早いついでに街の様子も見ていこうと言うことになった。
「サビーヌは竜が好きか?」
階段を降りながらサビーヌに聞いてみた。彼女の話を聞いていると竜に対する情を感じる。
「はい、一度エルドレッドの社に行ったときにお会いしました。とても優しくて、そう少し寂しがり屋にも見えました」
母親のドロールに比べてこのサビーヌはすごく性格の良い娘のようだとリリトは思う。あの女の娘とはとても思えない。
病気の母親の様子も気になっていたのでしばらくはこの社に逗留することにした。
「あの母娘の事が気がかりなのですかな?」
ガウルがリリトの心を読んだようである。
「……それよりここの竜の行き先が気になる、なんか手がかりでもあれば良いのだが」
「実際の所竜の存在は社ごとの勢力争い、主導権の取り合いですからな。逆に社同士はその辺を秘密にしている場合が多いですからな。まあ国がある程度の大きさになり内政が安定すればだいぶ違うのでしょうが、それにしてもそのお相手には随分こだわりますな。」
「当たり前だその竜のためにパイロットのふたりが死んでいるのだぞ、このまま知らん顔して他の竜の所になぞ行けるか?」
(振られた男を問い詰めなきゃ気が済まんと言ったとこですかな?)
「なんか言ったか?」
「いえ、ただのつぶやきでして」
フンッと鼻息荒く歩み去るリリト、どうせ碌でもない事を考えていたのだろうと思った。
◆
「ドゥングの花街に竜の嫁が奇跡を行っただと?」
リリト達が竜神の奇跡をおこなった次の日には早くもその情報はエルドレッドのガジス国王の元に告げられた。
伝えたのはエルドレッド王国における竜神の社の本山の宮司長のヴァトーである。
各国に有る社は宗教団体でありエルドレッド王国の様なまとまった地域にある物は竜の地元に有る社が本山と言う事になっていた。
本山になるかならないかで寄進の金額が大きく違い水面下ではドロドロの利権がうごめいていた。
「何故花街などに行ったのだ?男でも買いに行ったのか?竜はメスなのであろう」
ガジス・ゲルハルト・ガウアーはかつて勇猛で鳴らしたアスドラⅡ世のひ孫に当たる、その勇猛さはしっかり引き継いだもののアスドラⅡ世の持つ知性としたたかさは引き継がなかった様である。
はっきり言えば獅子族特有のあらゆる物事は武力が解決してくれると考えるはた迷惑な脳筋である。
ただ当の本人は自分の事を周囲の話をよく聞く名君だと思っている。
ただ単に良い考えが浮かばないので周りの人間の考えを聞くのであるが、自分の頭脳を過信しないだけも名君とも言えるかもしれない。
「いや、そういうことではなくなんでも病気の娼婦に竜の恵みを与えに行ったとのことでございます」
「なんだ?その竜の恵みとは?女に子種でも与えに行ったのか?」
「いやいや、花街の発想から離れてください。竜は娼婦の病気の治療を行った模様です。ご存知の通りわが社はいまだにニンゲンとの交易をおこなっております、その科学の産物を使って奇跡を演出するのです」
こんな事を言ってもこの男に理解する頭は無いだろうなと心に疲労を覚えながら続ける。
「なんでそんなことをしたのだ?竜にはなんのメリットも無いではないか」
「ドゥングの社による竜神様を取り込んだというアピールですよ。これで周辺国に対して竜の嫁がドゥングに降臨されたことが認知されます」
「ドゥングが?馬鹿なことを言うな兎耳族が領主をやっているような国だぞ。温泉以外はろくな産業は無いが故に我が国に従属している国だぞ?」
社同士は表向きは情報や交易品を融通しあっているがその裏側ではお互いの主導権をかけて激しく争っている。
本来は竜を獣人社会に定着させ獣人と竜神による魔獣掃討を円滑に行わせるための組織でニンゲンも陰から支援を行っているのだ。
「これを機会に我が国の従属を離れようという算段ではないでしょうか?」
「愚かな奴が我国の庇護を離れて自立が出来るとでも思っておるのか?」
「この際我が国の権勢を知らしめる必要があるでしょう」
支配するもの、そしてそれに抗うもの、やむを得ず支配を受け入れるもの、支配を受け入れる事により利益を得るもの。
国の関係は正に雑多な関係が入り乱れて進行していく。
したがって顔では笑って握手をしながら足を踏みつけあっている関係とも言える。
重ねて言うが、ガジスは脳筋ではあるが馬鹿ではない、自分があまり優秀では無いという自覚のある脳筋である。
先代から引き継がれてきている調査部隊の報告は逐一目を通している、ただその背後にある事態を見通す聡明さは無い。
そこは仕方なく将軍たちの意見を聞かなくてはならないのだが、ガジスの選んだ将軍の半数は脳筋なのであまり変わりはない。
しかし残り半分の将軍と事務方の兎耳族はそれなりに優秀でガジスに適切な助言をしてくれる。
特に社の調査能力とそれを言葉巧みに説明する宮司長のヴァトーはガジスの大事な頭脳であると思っていた。
もっともその社は竜の為の組織と言いつつ最近ではひどく利権に走っている傾向が強い、お布施を使った孤児院や病院の設立よりは大きな社本殿の建設に熱心な本山である。
竜の嫁がドゥングの社に現れた時に獅子族の男を連れて現れたとの報告であった。
社からの魔獣調査を請け負っているかなり腕の立つ男の傭兵だという話は聞いていた。
獅子族の傭兵は多い、その圧倒的な力と強力な魔法は他種族の追随を許さない能力であった。
「うむ、どのような脅しをかけたら良いと思うのだ?」
ガジスの考える脅しとは直接的な物である、強力な軍事力を見せつける、それでひるまなければ兵士全員でタコ殴りである。
しかしそんなことを竜の嫁の前でやったら顰蹙を買って他の国に行ってしまう事間違いなしである。
ガジスもその程度の予測がつくくらいの脳筋ではあった。
「あの男を使ってみてはいかがですか?確かどこかの貴族の元で修業をしたと売り込んできた獅子族の男がいましたな、その男に喧嘩でも吹っ掛けさせてみるとか」
「レランドの事か?」3年程前に雇った獅子族の男で腕はそこそこ立ったので調査部隊の隊長にしていた。あちこちを流れたようで結構情報に詳しいようであったからだ。
悪くは無いかもしれない何かあっても所詮傭兵である、そいつに責任を取らせて首にでもすればよい。
脳筋ながらその手の国際政治の事は大体理解していた。
要はいかなる干渉であれ証拠が無ければ問題が無いし、抗議が来た時に自分とは関係が無い事を主張出来れば良いのだ。
ガジスも領主の直系であるから帝王学は学んでいる。
決して頭は悪くは無いのだが脳筋の方が突出しているので状況判断に斜め方向に狂いが出る場合が多いのだ。
周辺4か国がエルドレッドに反旗を翻すことなどあってはならないのだ、それはエルドレッドの存亡にかかわる。
エルドレッドは獅子族の多い町である、穀物よりも肉を好む彼らは各地に狩人の傭兵としての仕事をするものが多かった。
無論畑を耕すものもおり国には獅子族以外も存在する、しかし中心となるのは傭兵としての獅子族であり国を統治するのも獅子族であった。
各地の豪族がまとまってゆき街から国へと規模が拡大していくと獅子族は困ったことに気が付くことになる。
エルドレッドを中心として栄えていった周辺4か国が大きくなってくるとその中心にあるエルドレッドは周辺諸国によって囲まれる形になる。
街と街の間が開拓されるにつれ魔獣の生息域が狭められてしまったことによる弊害が出始めた。
領土周辺での魔獣の捕獲数の減少である。これは肉を主食とする獅子族にとっては死活問題であった。
幸い傭兵事業は継続していたので周辺国での狩りを行い肉を加工してエルドレッドに送り込んでいた。
ドゥングは兎耳族の人口が多く狩人人口は少なかった、それ故にエルドレッドからの傭兵派遣には比較的友好的であった。
その為魔獣防衛はエルドレッド頼りとなり徐々にエルドレッドの属国状態になっていった。
クロアーンは熊族が多く狩人に向かない性格のためエルドレッドからの狩人受け入れは認めていたものの領主となった熊族のアニック・クリスタンは温厚ながら内政への干渉を断固として拒否した。
マリエンタールは犬耳族が多かったので狩人は重要な産業の一つでもありエルドレッドからの傭兵受け入れは否定的であった。ただ大型魔獣に対抗するために少人数の傭兵は受け入れは行っていた。
ニャゲーティアは猫耳族が多く狩人としては威力が不足していた、しかしそこは猫耳族特有のしなやかさと速度で力不足を人数で補う作戦を取り傭兵受け入れを拒否していた。
そう言った意味で肉を求め傭兵を送り込むエルドレッドと周辺諸国とのいざこざは絶えなかった。
この頃にエルドレッドに竜が住むようになった。
不安定な世情にもかかわらず曾祖父のアスドラⅡ世の機知と忍耐がこの竜をこの丘に定住させた。
竜は争いを嫌う、様々な軋轢を嫌うのだ。その防波堤として社が有り人々の暮らしから距離を置くような体制を作った。
それまではただ竜にひれ伏すだけの信仰的対象から獣人と竜神の共同生活となり双方が互助関係を築けるようになったのがアスドラⅡ世の優れた手腕によるものだったであろう。
無論その時代の社の存在も大きな一助となったことは間違いない。
しかし時は巡り人は代が変わればその心も変わる。互助的関係を築いた筈の竜と獣人の関係も徐々に変化が訪れる。
獣人は要求することが多くなり、竜には煩わしい事が多くなる。
知らないところで起きる相互の齟齬が竜を町から旅立たせてしまったのかもしれない。
ようやく竜が戻ってきてくれたのだ何としても我が国に取り込まなくてはならない、我が国の安定と天下泰平の為に。




