竜の嫁2
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――竜の嫁2――
「竜が失踪しただと?そんな事あり得るのか?」
この話ににさすがの竜も動揺を隠せなかった、ニンゲンの元にはまだその情報が届いていなかったのだ。
「その失踪はどの位前の話なのだ?」
「クロアーンで今回の調査の依頼を受けた時に聞いた、一年ほど前の事だそうだ」
「その情報が届いていれば彼らを死なさずにすんだものを」
竜の子は悔しそうに呟く、自分を送り届けてくれたニンゲン達の死が無駄であった事が残念なのかもしれない。
不老不死の竜と言えども死ぬことは有る。
ニンゲンは社からの報告でかなりの数の竜達が原因不明の死を迎えている事を知っていた。
やがてその原因と言うのがどうも孤独によるうつ病では無いかとの結論にたどり着くことになる。
竜の繁殖を恐れ配偶者を作らなかったニンゲンの浅知恵である。
その事がこの様な事態を招いている事にようやく気付かされる事になった。
そこで遅ればせながら竜のメスを作って各地の竜に届けて回り始めたのだ。
竜を送り出してから500年後の事である。
リリトもまたその中のひとりであった。
「その竜は間違いなく死んだのでは無いのだな」
「飛んでいった方向を捜索したが遺体が見つかっていないのだ」
竜の体は大きく固い、仮に死んだとしても遺体は長い間そこに存在する。それが竜なのだ。
しかしガウルの言っている事は死んだ証拠が見つからないから失踪であるとしているに過ぎない。
竜の存在が社の組織にとって不可欠で有る以上そう簡単にその死を認めるとも思えなかった。
逆に竜が行った先の地域に有る社がその事を発表しない筈もない。
この竜は自分の社に所属する竜であると宣言することによりその地域に対する社の権威が上がる事を意味しているからだ。
社がニンゲンによって作られた組織では有ったが既に彼らは独自の発展を遂げておりニンゲンの管理が及ばなくなってきているらしい。
したがって情報の伝達速度と精度がどんどん落ちてきているのだ、あるいは社側の思惑によって情報が制限された可能性も高い。
「それでこれからどうする?他の竜の所に行く事にするか?」
リリトは竜の嫁ではあるが政略結婚という訳では無ない、したがって相手がいなければ他の竜の所に行く事も自由である。
しかし彼女はまだ子供でしかなかった。
此処がニンゲンの巧妙な所である。
独り立ち出来る程大きく育ったメスを送り出せばオスがメスにフラれかねない。
メスの竜が子供であれば一人で生きていくのは難しく保護者が必要となる、それが結婚相手の竜である。
オスにしても子供の竜であれば当分ナニも出来なくとも放り出す事は出来しないと思われた。
竜の友達は竜だけである、不老不死であるが故に竜とは孤独な生き物なのだ。
実際の所これまでは竜のオスは竜の嫁を大切に育てていると言う情報ばかりが上がってきている。
「一度その竜の巣に行ってみようと思う、貴殿の情報には感謝する」
リリトはガウルの提案に対し難色を示した、他の竜とて嫁の割り当ては有るのだ。
そこに割り込むような真似は出来ればしたくは無いのである。
確かに竜の失踪を隠した社の思惑は有るかもしれない。
しかし竜の死体が見つからず社のネットワークからも情報が無い所を見ると社の無い地域に行った可能性が高い。
唯一竜に向かい合い孤独を癒してくれる社との接触を何故絶ったのかその事の方が異常でもあった。
それ故にリリトは最初に竜の死を疑ったのである。
「ワシは今、社からの依頼で魔獣の調査を行なっている」
「退役した狩人か?」
「そうだ、だからお前を社まで連れて行ってやろう」
「わかった、最初に行うべきはその事の様だな」
リリトは迷うことなく相手の竜の消息の確認を優先した。
おそらく何事に限らず伝聞と言う物に頼らず自分が納得するまで調査をしたいのだろう。
この竜は見かけと違い強い意志のみならずはっきりとした自我の有る子供だとガウルは判断した。
「感謝する」
「感謝する必要は無い、これも仕事のうちだし社からの報酬も期待できるのだ」
そう言いつつもガウルはこの竜の嫁がどの様な行動を取るのか非常に興味を持ったのだ。
社とは獣人達にまで見捨てられたニンゲンがなんとかこの世界を統治しようと作られた組織である。
ニンゲンを襲う魔獣も何故か獣は襲わない、その発想を元に作られたのが獣人族であった。
しかし魔獣との戦線が拡大するにつけ獣人達はニンゲンの言うことを聞かなくなってきた。
ニンゲンから補給を受けなくとも自活できるようになれば独立した社会を作り始めるのは理の当然である。
種族ごとに分かれて村を作るかとも思われたが実際には混在して過ごして来た歴史があり人間から離れてもそれは変わる事は無かった。
そこでニンゲンは社という組織を作り獣人族を傭兵として使い始めたのである。
しかし竜族を作り放ち始めた頃からその社性格は少し変わり始めた。
圧倒的な攻撃力を持ち不死身の竜を自らの組織に取り込み神として宗教化し始めたのだ。
むしろそうしなければ竜は人と共に生活する必要も無くなってしまうからだ。
社はニンゲンから供給された通信機を使い連絡網を整備し檀家を増やして財政面で独立した環境を整備していった。
社は竜の生活面での面倒を見ると共に竜の威光を利用して檀家を作り国からも金を集めた。
その資金の一部を利用して傭兵を雇い魔獣の分布調査や竜の状況を調べていた。
ガウルもまた傭兵として社から魔獣調査を請負い竜の子供の墜落に立ち会ったと言うわけだ。
「わかった、とりあえず社のある街に行こう。だがその前に食事だ、お主も肉を食わなけければ魔力が切れるだろう」
ガウルは吊るされた魔獣の首から血が滴っていない事を確認すると解体を始めた。
「内臓をもらいたい。」
ヤマタガラスとの戦いでだいぶ魔力を消耗しておりリリトも早急に補給が必要な状態であったのだ。
魔獣の内臓には魔獣細胞が豊富に含まれているのだ。
「それは良いが、そのまま食うのか?解体が終われば焼いてやるぞ」
「いい、どうせ今後は生で食わなくてはならないのだ」
竜の嫁になればそう言う生活をする事になる、逆に言えば彼女が今まではあまり生で食べてこなかったと言うことを示していた。
ガウルは内臓を引きずり出すとリリトの前に置いた。
「この部分が魔獣器官だ、お前の魔力の元が作られる場所だ」
ガウルが魔物細胞を作り出す魔獣器官の場所を示すと竜の子供は少し嫌な顔をする。
「わかっている」
そして意を決したように内臓にかぶりつく、生の内臓を食うのはやはり相当に抵抗を感じる事なのだろう。
男は革を剥ぐと肉を細かく切り裂きそこいら中の枝という枝にぶら下げ始める。
「何をしている?」
「干し肉を作っている、ここから最も近い社まで4,5日はかかる。荷物は軽いほうが良いからな。」
移動の間は獲物を狩り干し肉を作って旅を続けるらしい。
「馬は何を食わす?」
ガウルの乗ってきた馬は少し普通の馬とは異なっていた、全身を短い体毛が覆い足の付近には長い毛が多く生えている。
そしてその体躯はガウル同様大きく逞しかった。
おそらく早く走ることは得意では無いだろうが力は非常に強いのだろう。
「ああ、アザックか?こいつは馬を原種とする魔獣だ、普段は草を食っているが飢えれば何でも食う。」
「魔獣を使役しているのか?」竜が驚きの声を上げる。
「なに、魔獣と言っても普通の獣と変わることはない、ニンゲンでなければ襲われることもない。ただ懐嘯の時には巻き込まれるからその前後は使えない、獣舎に閉じ込めておかなくてはならないからな」
元々魔獣はニンゲンが大戦前に食料確保の為に作った物だと言われている。
ところがそれが戦争の引き金となりニンゲンを襲う魔獣の繁殖につながったのは皮肉としか言い様がない。
結局ニンゲンはその領分を塀で囲って魔獣の侵入を阻止し世界の大部分は魔獣によって支配されてしまったのだ。
獣人族は魔獣からニンゲンを守るために作られたのだ。しかし囲いから外に出られないニンゲンが獣人を使役出来る訳もない。
結局ニンゲンの手を離れ自活を初めるようになってすでに久しい年月が経っている。
何とか社を通して獣人から情報を得ているのはニンゲンには空を飛ぶ技術が有ったからに過ぎない。
最後の手段として作られた竜はニンゲンの脅威とならないようにオスのみが作られた。
そうすれば子孫を増やし人間に牙を向く事も無いと考えたのだ。
しかしその長い寿命を持て余した竜族は自殺する者が相次ぎ始めた、竜はその孤独に耐えられなかったのだ。
メスを届けられた竜は大変に喜んでメスを大切に育てているようである。
もちろん無限の寿命を持つメスの出産率はかなり低く抑えられて作られた。
さもなければいずれ竜が増えて世界が竜にあふれてしまう事になる、何しろ竜は死なないのだから。
その竜の嫁は今生きる為に魔獣の内臓に食らいついている。
「塀の中では焼いたステーキばかり食っていたのか?」
「そんな事は無いが、やはり塩味が有るか無いかで随分違う物だ」
「うむ、煮るか焼くかすればまた少しは違うと思うがな」
ガウルもまさか竜の嫁がいきなり内臓にかぶりつくとは思っていなかった、それだけの覚悟で嫁に来たのであろう。
この嫁はきっと恐妻家になる、ひそかにガウルはそう思った。
「だが思ったよりいける、意外と塩味が残っていて普通の肉よりも旨いくらいだ」
それは血の味だと言おうと思ったが余分な事を言う必要も無いので黙っていた。
ガウルが全部の肉を切ってぶら下げる頃には竜の子は殆ど内臓を食いつくしていた。
「あきれた物だな、あれだけの量を良く食った物だ」
リリトはお腹をぷっくりと膨らませて地面に伸びていた。
その姿はお腹を膨らませてコロコロしている幼い子供のようにも見えてほほえましかった。
「そう言えばお前の年を聞いていなかったな?今は何歳になるのだ?」
「これでも15歳だ、獣人の規範ではもう十分大人だ……私が竜の大人になるまでにはあとどのくらいかかるのだろうな?」
竜の成体は立った時10メートル以上あり尻尾までの体長は20メートル近くになる。
この子は立って1メーター少し全長でも2メートル程度だ獣人の同じ年代より小さい。
竜の子供が大人の身体になるのにはどの位の時間がかかるのかはガウルも知らなかった。
「見上げる程の大きさの竜も子供の頃は人間より成長が遅いのだな」
「仕方が無かろう、この頑丈な外皮が成長を阻んでいる。どうしても成長は遅くなるのだ」
確かにリリトの言う通りであった。
ヘリと一緒に墜落し燃え盛る炎の中から操縦者を救助したこの竜は、その後自分の何倍も有る大きさの魔獣と戦ったにも拘わらずかすり傷一つ負ってはいないのだ。
「不死身の竜とはそう言う物の様だな」
「しかし解せない、およそ地上最強の生物で有る竜が何故こうも簡単に死んでしまうのだろう?」
竜が心の病で死に至る事がまだ理解できる年齢では無いのだろう。
「お前はまだ若い、人の心は簡単にその人を殺してしまう事が出来るのだ」
「心が……か?弱い心はその無敵の肉体をも殺すのか?」
「強い弱いの問題ではない、心の暗黒は常に人の隣に存在していて知らず知らずに普段の心と入れ替わるのだ。」
竜の子供は膨らんだ腹で天を仰いだまま動こうとはしなかった。
「私はこれから竜の伴侶として生きて行かねばならぬ、その為の知識を十分にニンゲンの元で学んできたつもりだった。」
「楽しい日々だったのか?」
「仲間が沢山いた、だが仲間は15歳になり嫁ぐ日を迎えるとみんな旅立っていった」
「その後の事は?」
「多少の情報は教えてもらっている。だいたいは伴侶と共に居るようだ、ただ子供を儲けるのはかなり先になるだろうと言っていた」
確かにこの大きさの子供があの竜の大きさになるのには何十年、いや百年単位の時間がかかるかもしれない。
それまで竜の男は待たされる事になるのか、考えてみるといささか哀れではある。
いや無限の命を持つ竜にとっては一瞬の楽しみなのかもしれない。
「多くの竜は子供の竜をとても大切に育てているらしい。自分の子供が出来たような気持ちになると聞いている」
「そうか、それはよかった。オスの竜達も自分の幸せを見つけているのだろう」
無限の命というものは時として無限の苦しみをもたらすものだと言うことを以前竜から聞いたことがある。
ガウルも若い頃は隊商の護衛として各地を周り何頭もの竜と話した経験もあるのだ。
おしなべて彼らは人の話を聞くのを喜ぶ、噂話から伝説に至るまで話すことは何でも良いらしい。
特に我々のような傭兵の冒険談はよく求められる。
無敵の力と寿命を持つ彼らにとって命の危険等という物は憧れの対象なのかもしれない、中には傭兵に誘われて旅に出てしまう竜もいると聞く。
当然人の良い彼らを騙してうまく使おうと考える輩は必ずいる訳で、彼らの甘言から竜を守るのが社の役目だった筈である。
しかし魚は頭から腐るの言葉通り最近では社その物が竜を利用して利権に走っている様に見える。
如何に長く生きようと人間社会の中での様々な思惑など竜が理解できる訳もないのである、何しろ彼らは社会の中で生きてはいないのだから。
そんな事を考えながらガウルは竜の子供を見ていた。




