ドゥング2
1-019
――ドゥング2――
「実際の所あの竜がここで昼寝をしていたこと自体がこの街に取っては大きな利益があったのだ」
「ふむ、その考えはだいたい理解ができるな」
竜の昼寝をしていた台を横目に見ながらふたりは進んでいく。
母親の住まいに着くと娘のユーハンが平伏して出迎える、相当感謝されているらしい。
数日で良くなる訳もないがミルルは起き上がって迎えてくれた。
リリトは寝ているように促し丸めた尻尾の上に座る。
食べ終わった食器が置かれていたがちゃんとそれなりの食物を与えられているようだ。
「少しは良くなりましたか?」
「はい、竜神様の奇跡のおかげでだいぶ楽になりました」
昨日の今日である、対処療法をしていないのであるから気の持ちようでしか無い。
「食事はちゃんと取られているのですか?」
「カルイ様が手配をしてくださいまして良い食事が出来ております」
食は細いようだがちゃんと取ってはいるようには見える。このまま食事が取れれば良くなるのも早いだろう。
「細かいお話は後で伺うとしてあなたは当初竜の生贄として供されたと聞いております」
「はい、とても名誉なことだと思っております」
竜神を前にしてとても嫌だった、恐ろしかったなどと答える筈もない。
「建前は結構です、本当は恐ろしくて震えていたと聞いていますよ。」
「お恥ずかしながら竜神様があの様なお優しいお心をお持ちとはわからなかったものですから…最初の頃はとても恐ろしげに感じました。ところが私を食わないばかりかとても優しいお言葉を沢山いただきました。」
どうやらこれは本当の事らしい、やはり話し相手が欲しかったのだろう。
どちらにせよ獣人を食う竜はいない、獣人を敵に回せば竜はその孤独の中でで死んでしまうからだ。
「あなたはどうして生贄に選ばれたのですか?」
「当時私は家の借金でこちらに売られてきました、当時はまだ幼く顔もきれいだったので選ばれたのでしょう、今ではこんなに老けてしまいましたが」
女性は皮肉っぽく笑う。
確かに老けてはいるが若い頃は美人だったらしい。
竜族のリリトには兎族の美的感覚はわからない、まあ本人が言うのだからきっとそうなのだろうと思った。
しかし彼女を選んだのにはそれなりの理由が有ったに違いなかった。
「それだけの理由ですか?」
彼女は言いにくそうに続けた。
「当時はまだ見習いでしたが、私を借金の方に出した両親が流行り病で亡くなった事も有りまして、死んでも問題のない人間でしたから。」
人の命の軽い時代であると学んでは来たがこの様な話を聞くと実感として心が重い、あのボール兎め。
「話を変えましょう、あなたから見て竜はどんな竜でした?」
「他の竜神様は存じませんがあのお方はとても優しくて心のきれいなお方でした。何百年も生きて来られたのに本当に子供のような純真な心をお持ちでした。」
子供か…それは間違いのない判断だろう、彼は子供のままこの世界に放り出されたのだからな。
「貴方は当時はまだ若かったのでしょう、子供の様な竜と気が合ったのでしょうか?」
「多少は有ったと思います、でも竜神様は長い時間を生きて来たにも関わらず私の生まれ故郷の事や昔話などを好んで聞いていました。時には貸本屋から本を借りて来て読んで差し上げた事も有ります」
竜人は字が読める、しかしその大きさ故に本を読むのは難しい。
考えてみれば成長してしまうとリリトもまた本が読めなくなるのだ。
そう考えると少し恐ろしくなってしまうリリトであった。
「あなたは竜神がお好きでしたか?」
「はい、大好きでした」
晴れやかな顔でそう言い切る、多分彼女は本当に竜の事が好きだったのだろう。
伴侶となる竜も悪い奴ではなさそうだ、ただやはり精神的には子供のままのような気がする。
人を愛し人に愛される竜。
しかし人を愛しても必ずその人は先に死んでしまう、それが死ぬことのない竜の定めである。
それを彼の竜はこの500年間繰り返してきたのだろうか?
「それで最後になりますが彼がどこに行ったのか心当たりは有りますか?」
「わかりません、ただ私がこの病を患った後突然来られなくなりました。多分私の病気が嫌だったのかもしれません。」
彼女にはわからないかもしれないがリリトには何となく竜の気持ちがわかった。
「わかりましたご病気中お邪魔申し上げました、ゆっくり療養なさって体を直して下さい。」
リリトはその様に挨拶した後その場を後にした。
「どうでした病人の様子は?」
外に出てきたリリトにガウルが問いかける。
「まだわからん、このまま4,5日様子を見なけりゃな。」
「そうですな、また来て様子を見れば良いでしょう」
花街を出るまでずっと周りの人々はリリトを見ると頭を下げてくる。
「ときにリリト殿今日はなぜ飛ばないのですかな?」
リリトの後ろを歩くガウル、身長が違いすぎて歩幅が全く合わないので歩きにくいのである。
「ばかもの、飛んだら体が水平になる、そんな四足の様な格好で移動するのは獣だけだ。この神官服を着てそんな格好が出来るか」
一応自分たちは獣人と呼ばれてますがとガウルは思ったがそれは言わなかった。
「それでは私の肩に乗るのはいかがでしょうか?」
「そんな事をすればそれこそ私がお主のペットの様になってしまうだろうが」
「それじゃ私の頭の上とか。」
「私はお前の子供ではない、竜神の威厳を保つのであれば私について後ろから護衛をしておれ」
いや、そもそもあんたに護衛はいらんでしょうとも思うガウルである。
社に帰ったリリトはずっと考えていた。あの母親はなぜ病気になったのか?
元々獣人は病気になりにくい体質だった筈だ、それが何故あの様な病気になったのかである?
「なあガウル、健康だけが自慢の獣人が何故病気に感染するのだろう?」
「あの母親の事か?健康だけが自慢とは随分ひどい言われようだな」
「そうではないのか?」
「まあそれは否定せんよ、ただあの母親は娼婦だからな、病気にかかった獣人にうつされたのだ」
「ふむそれはそうだ、健康自慢がかかるような強力な病気をうつされたら兎族ではひとたまりもないと言うことか」
「ただのう、言い古された言葉だが病気は本人が健康体ならば余りかからんものなのだ。傭兵やフリーの狩人の生活環境はあまり良いものではないからな」
確かにあの母親の生活環境もあまり良いとは言えなかった様に思う。
「お主は病気になった時はどうしている」
「残念ながら病気になったことが無いのでな」
「期待通りの発言だ、お主は脳味噌まで筋肉で出来ていそうだしな」
「それもひどい言い方だなただ病気はしないが怪我はするぞ、そんな時は魔獣の内臓を食うと治りが早い」
「経験則か?」
「ああそうだ、魔獣の肉が魔法の元ならば体くらい治してくれるというのもありえる話だ。」
竜族を含め魔法を使う為のエネルギー源が魔獣器官で作られる魔獣細胞である事は広く知られた事実である。
しかし兎族はその体質故に肉を消化する事が出来ないのだ。
「それはお主が獅子族のせいであろう」
獅子族は5種族の中では最も体が大きく魔法力がつよい、無論竜族には比べるべくもないが。
魔獣は体内に魔獣器官を持っているから魔法が使える。
しかし魔獣はあまり頭が良くないから本能的にしか使えないがその代わり傷や病気にはめっぽう強い。
魔獣細胞が体を治していると考えた方が合理的だろう。
「そうだな、熊族は体は強いが怪我には獅子族ほど強くはない感じがあるな」
熊族は雑食で肉以外の物を食うが獅子族は肉を大量に食う。
リリトは何となく結論が見えて来た気がした。
「兎族も魔獣の肉を食えば良いのかもしれない」
「ああそうかも知れんな、だが兎族には肉を消化する能力そのものがない。彼らにも食べられる魔獣の肉の調理法が有ればな。スープ程度は良いみたいだがあまり濃くすると腹を壊すと言われてる」
実はリリトには15歳の少女としては考えられないほどの知識を頭に詰め込まれている。
大半は睡眠学習を使って強制的に頭に詰め込まれたものである、無論竜の嫁達がニンゲンから切り離されても困らないようにとの配慮からであった。。
しかしニンゲン側の思惑としては獣人達の発展を加速させる為に仕込まれた物である。
ニンゲンも既に自力による魔獣の壊滅は不可能と判断していた。
そこでかつてニンゲンが行ったような野生動物の絶滅の再現を、獣人と魔獣の関係になぞらえたいと考えていたのだ。
だがそれには途方もない時間がかかる。
それを短縮させるというのが不死身の竜の嫁に与えられたもう一つのミッションであった。
ニンゲン側の見方からすればニンゲン界から切り離された獣人達はこの500年で500年分以上の文明が後退してしまった。
現在の文明度は人類の中世位のもので、過去のニンゲンの知識が有るのであまり迷信がはびこっていないだけだ、それとて次の500年でどうなるかはわかったものではない。
そこで社のもう一つの役割として知識の保存の仕組みを作った、獣人を使って古い知識の探索を行わせているのもその一つだ。
それとてもう時間的限界に近い、遠からず多くの知識は時の流れに崩壊して消え去るだろう。
「さて、どういたしましょうかこのまま社にお帰りになりますか?」
ドロールとの約束の事も有る、一度この国の竜の巣の状況も見ておきたいとリリトは思った。
ふたりは社に戻るとドロールを呼び出した。
あいにくドロールはでかけており代わりに娘のサビーヌが現れる。
「これは竜神様」
サビーヌはかしづいて挨拶をする。
丁度良いのでサビーヌに案内を頼む事にした、あのフェロモン女よりはこっちの娘のほうが信頼できそうであった。
「サビーヌさんに少し付き合っていただきたいと思いまして」
「どの様な事でございましょうか?」
やはり子供である少し緊張した様子で聞き返す。
「大した事ではない竜の巣を案内して欲しいのだ」
「わかりました。」
少し安心したような表情にかわると巫女服のまま草履をはいて外に出る。
「それではこちらへどうぞ」
歩きき始めたサビーヌの横をリリトが尻尾をピンと跳ね上げたまま宙に浮いてテコテコと飛んでいく。
「竜神様はやはり飛んだほうが良いのですか?」
「足が短いからな飛ばなければサビーヌ殿と歩調が合わないではないか」
ガウルと違って若い女の子には優しいリリトである。
「その方がワシも楽で良いな」
「お主の意見は聞いていないのだが?」
「いやいや、いつリリト殿を踏み潰すかと気を使いましてな、結構大変なのですよ」ガハハと笑うガウル。
「小さいと言いたいのか?まあいいいずれ見上げる程大きくなるのだ。それまで生きておれよ」
「小山の様に大きなリリト殿もまた一興ですな。ハハハハ」
社の横から山の頂上まで階段が続いている、かなり長く急な階段である。
この階段の存在に気がついていたからこそリリトは飛んでいくことにしたのだ。
リリトの短い足ではうまく登れず無様な姿をガウルに見られる事になるからだ。
サビーヌは兎族らしく軽快なジャンプで数段おきにスキップしていく。
ガウルだけは大きな体でゆっくりと階段を登ってくる。
長い階段を登っていくと頂上には木々に囲まれた多少開けた広場が出来ている、そこの四方には鳥居が作られていた。
「この鳥居は竜神様を導き入れる通路となっております」
大きくもない鳥居である本当に竜が通って中に入るとも思えないのでまあそういった通説の流れなのだろう。
広場の一角には祠が建てられていた。
ここは竜がいなくとも竜神信仰の対象としてお参りに来る人達のための施設ということらしい。




