追憶4
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――追憶4――
この頃からリリトは脱皮を経験することになる。
なんとなく頭が痒くなってくると額のあたりからぱっくりとヒビが入るように割れる。
慌てて両親のところに行くとその日はお祝いのごちそうであった。
両親の指示でそっと皮を引っ張るとズルズルと皮が剥がれていく。
隣でクルルは恐ろしいものでも見るような目をしている遠くない時期にクララも同じ事が起きるのである。
驚くほど綺麗に皮が向けると中から少し柔らかい新しい皮膚が現れる。
この皮膚が柔らかいうちに体が大きくなると言われている。
脱皮した皮は竜人センターの方に送られて状態を確認するらしい、ついでに身体測定も行われた。
この時期だけは注射針による採血が可能だとか、普段は注射針を通すためにドリルで穴をあけてから注射針を打つのだ。
なんか扱いひどくない?
もっとも小さくとも竜である、魔獣細胞さえ摂ればあらゆる病気や毒にも強い耐性を見せるのである。
脱皮をしたと言う事は竜の皮膚が体の成長を阻害できる位丈夫になったと言う事である。
つまりリリトは以前の様にナイフに刺されてもナイフは内臓に届かない事を意味していた。
これは成長であるが喜ぶべきか否かはいささか考えなくてはならない出来事でもあった。
小学校に上がると一教室の人数も増え新しく学校に入ってくる子供たちもいて竜を知らない者も増えて来る。
周囲の子供たちより竜族は頭一つ小さいのでなんとなくペットに近い扱いを受ける。
みんなから話しかけられるのはいいとして頭をなでられるのには閉口した。
暴漢に刺された傷は既に跡形もなく消え去りその話は教室内でも話されることは無かった。
勉強は普通の学校と同じ様に行われ特に竜とニンゲンを分ける事はなかった。
しかしあの事件以来なんとなく手袋の厚みが変わったような気がするが気のせいかもしれない。
むろん竜のいる学校の警備体制が見えないところで強化されているんは言うまでもなかった。
小学校の授業は竜族にとってはいささか物足りない物でしか無かった。
実際の所補助記憶装置のお陰で記憶に関する問題では全員が常に満点を取っていた。
無論論理性を重視する勉強にはニンゲンの子供達と同じ土俵でしかないのだが。
この時期の学校では竜の子供の情操教育を主眼に置いていた。
しかし体育等はニンゲンと同じところで競うわけにも行かず竜だけは常に別カリキュラムであった。
何より爪を守る手袋をしたままではまともな運動が出来ず手袋を外せば危険極まりないことになるからだ。
竜の体と力に対する本当の能力を竜に知らしめる為の教育が施され、自分たちの体がニンゲンとは大きく違うということを教え込まなくてはならなかった。
幼い心に大きな力を内包した竜の体は時として非常に危険なものになりかねない。
ニンゲンの社会の中では抑制されている竜の力を思いっきり使えるこの授業は概ね好評であった。
しかし同時に自分たちがニンゲンでは無いことを強く認識させられる事は子供心に大きな負担を与えられる事になもなったようだ。
かつての事件を教訓に格闘術の訓練も行われる、実際に刃物を切断し角材を貫く自らの力に慄然とするのはまだ小学生には強烈すぎる経験である。
それでも竜が外で生きていくためには必要なことであり外部に住む獣人の間ではこの程度の訓練を幼少時から行われていると言われている。
外の世界で生き抜くことはそれ程簡単な事では無いらしい。
この頃リリト達の訓練の相手をしていた先生は常に帽子をかぶっていた。
本当は犬族と猫族ではあったが分離政策の為に主に保護者に対して彼らの身分を偽らざるを得なかったのだ。
小学生にも中学年程になると既にニンゲンでは相手が出来ずに獣人の手を借りていたのだ。
リリト達も何かはわからないもののこの先生たちが普通のニンゲンでないことをなんとなく感じ取ってはいた。
獣人の存在を知るのはもう少し後になっての事である。
まだこの時期は魔獣細胞を与えられてはいない、魔獣細胞のコントロールを教えるにはまだ幼い為である。
少なくとも寝ぼけてブレスを吐かない程度にはコントロールが出来ないと魔獣の肉は食べさせられない。
獣人の子供は小さい頃から魔獣の肉を食べて魔法のコントロールの仕方を親から習っている。
しかし魔法に対する元のスペックが獣人と竜人とでは大きく違いもう少し情操が安定するまでは危険であると考えられていた。
子供同士のけんかで相手のニンゲンを燃やしてしまったらシャレにもならないだろう。
それでなくとも竜の爪はニンゲンを切り裂く能力が有るのだ。
今は竜の能力がニンゲンに向かわないように慎重に教え込まなくてはならない。
その為の学校でありニンゲンとの交友を深める事が重要なのである。
自らの力を開放することなくニンゲンに対して抑制を教え込む必要が有ったのだ。
学校の授業はニンゲンの社会での教養やルールを教え込む事であり竜が外に出たとしても全く役には立たない。
それでもそれは常識と呼ばれる知識のベースを広げる事はニンゲンの子供達との交流には不可欠であった。
問題なのは自らの力を自覚しない竜の子供がニンゲンの子供と諍いを起こすことがもっとも危険な事であると言う考えでは一致していた。
「おい、お前ツラ貸せよ。」
クラス内の男の子達にクルルが絡まれている、気の弱いクルルは竜とは言え男の子に反論できない。
「あなたたち何をクルルに絡んでいるの?」
そこにリリトが割って入る。
「な、なんでえ?お前には関係ないだろう」
「あたしの姉妹なんだから、ちょっかい出したら爪の垢にしちゃうからね」
まあ小学校も中学年位になると男の子も女の子に興味が出る頃である。
竜でも一応女の子ですから。
「お、脅したって怖かねえぞ、このチビ竜が」
「ばっかねえ、脅さなくたって竜族は大人より強いんだから」
周りで見ていたニンゲンの女の子たちが男の子に反論する、こういった場合女は集団になると俄然強気になる。
「やい、お前たち竜族は俺たちニンゲンがひ弱だと思って馬鹿にしているんだろう!」
「そんなことないよ~」
クルルがおどおどした口調で反論する、この辺が男の子に舐められる所なのだろう。
「人間が運動で竜に勝てないと思って体育を別々にしてると思っているんだろうがそうじゃない所を見せてやる」
ビッと気合を入れてクルルを指さすタダシである。
「何がやりたいの?」
「ふん、知れた事さ俺とかけっこで勝負しろ!」
この頃の竜の身長はニンゲンの子供より拳ひとつくらいは小さいので甘く見られている所は有る。
しかも体形的にはゴ〇ラの様な形でニンゲンより足が短い、かけっこなら勝てると踏んだのだろう。
「あ~っ、クルルちゃんどうする?負ける訳がないけどやってみる?」
リリトが思いっきり挑発して見せる。
「だけどリリトちゃん思いっきり走ったらグラウンドがだめになっちゃうよ」
「はあ?なに訳の分かんねえこと言ってんだ?50メートル走で勝負だ!」
強引に話を進めるタダシ、クラスのニンゲンの女の子もそれならと言う事で勝負を興味津々と言う顔で見ていた。
仕方なく校庭に行って50メートルの直線トラックに二人で位置につく。
クララは手足の袋を外して走る用意をする。
同じクラスのニンゲンの女の子が合図をする事になった。
「よ~い、ドン!」
だだだ~っと勢いよく走り始めるタダシ。
何でも50メートルを6秒台で走るらしくこの年頃としてはかなり早いらしい。
クルルは完全に出遅れた。
「へっ、何でえ全然遅いじゃねえか」
出遅れたクルルを見て得意そうに走るタダシである。
「いいぞ~っタダシ~っ」男の子達がはやし立てる。
一方クルルは体を前傾にして尻尾を伸ばす。頭から尻尾までを水平にすると足のつま先で立てるようになる。
そのまま足の爪を伸ばしてガッとグラウンドを掴む。
ガッ、ガッ、ガッと地面を蹴って走り始める。
足の回転はそれ程速くは無いが一歩ごとに飛ぶように走る。
全然余裕だぜ。と思っていたタダシの後方からガッ、ガッと言う音が迫ってくる。
えっ!と思って後ろを見ると大きく口を開けた竜の子供が一直線にタダシを追ってくる。
「なな、なんだ~~~っ!コイツは~~っ」
口の中に生えた牙を見た時ライオンに追われる兎の気持ちがわかったような気がした。
そう思った刹那タダシの横をクルルは駆け抜けて行き跳ね上げた土を頭から浴びせかけられた。
2メートル以上の差を付けてクルルの勝ちである。
「すご~いいクルルちゃん」
クラスの女の子たちが駆け寄ってくる。
「見て、一歩が3メートル以上あるわ」
クララが走った一歩ごとにグラウンドがえぐれていた。
「グラウンドを治さなくちゃ」
クララがえぐれた地面を直し始める。
「あんたが言い始めたんだからあんたたちも手伝いなさいよ。」
勝負を見ていた男の子達に女子が詰め寄る。
「ちっくしょう!卑怯だぞ。牙を剥き出して人を脅かしやがって。」
「だって…あれが竜の走り方だから…」
相変わらず気弱に発言するクルル。
「よしっ、それじゃ今度はボール投げだ、これに負けた方がグラウンドの直すんだ。」
「勝負しなくてもグラウンドは直すから…」
「いいからやるぞ!」
タダシは相変わらずやる気満々である。
「あたしボール投げたことないから」
「ソフトボールじゃ駄目よ竜の爪にかかると裂けちゃうから」
物騒な発言をリリトがする。
「そ、そうかよ。それなら軟球にしよう、それら文句は無いよな」
タダシが軟球を投げると40メートル以上飛ぶ。
「ほらよ今度はお前の場番だ」
タダシがボールをクルルに渡す。
クルルはタダシの真似をして投げようとするがポテッと下に落ちてしまう。
竜の肩はニンゲン程自由に回転はしないのだ。
「だっせ~~っ!30センチかよ」
「ボールを投げた事ないんだから仕方ないじゃない」
ここでもクラスの女の子は結束して男子に当たる。
「いいぜ、練習も含めて10回投げさせてやるよ、一回でも俺のを抜いたらお前の勝ちにしてやるぜ」
「クルルちゃん爪の先に持って手首だけで投げてみよう」
「ん?リリトちゃんこう?」
肩を動かさずに手首だけで投げてみる。
ポトンと1メートル先に落ちる。
「お、すっげえさっきの3倍くらい飛んだぜ!」
男の子たちが笑い転げる。
「もう少し先の方が良いかもしれないわ」
何度か持ち方を変えて投げてみると少しづつ飛距離が伸びて来る。
それでも9回目で20メートル位飛んだだけである。
「おい、今度で最後だぜ。これで俺の距離まで届かなきゃお前の負けだぜ」
最後に爪の先っぽに挟んで思いっきり手首を返して投げる。
ごおおぉぉ~~っ、と音を立ててボールが水平に飛んでいく。
「おお、すげえっ今までで一番ましじゃねえか!」
ところがボールはスピードを落とすことなくどんどん飛んでいく。
「な、なんだ?」
タダシの距離を簡単に超えるとそのままグラウンドの反対側の金網にめり込んで落ちる。
男子全員が顎が抜けたような顔をしていた、優に100メートル以上水平に飛んで行ったのだ。
「どお?これで文句ある?」
リリトがズンッと胸を張って前に出る。
「そうよ、タダシ君の負けだからちゃんとグラウンドを直しなさい。」
女子が傘にかかって男子に詰め寄る。
「ね、リリトちゃん、みんなもやめようよ、タダシ君も…別にあたしもういいから…」
女の子の集中砲火を浴びて男の子たちがひるむが、クルルがみんなをなだめる様に言った。
むしろその事にカチンときたのかタダシが声を荒げる。
「へっ、何をしおらしい事言ってやがんだ。オレは知ってんだぞ」
「な、なんの事?」
「おまえら第3幼稚園だろう、あそこは前に男に襲われて竜が刺されたんだ、母ちゃんが言ってたけどその時の男が……」
あの時の事件の事を思い出したクルルが反射的にお腹を押さえる。
男に刺された場所である、あの時の恐怖がよみがえる。
そしてリリトにもまたフラッシュバックが襲う……その時の記憶が強い感情となって蘇ったのだ。
「やめろ!」
大声が教室中に響き渡る。
全員があっけにとられて声の方を見るとリリトが歯をむき出してブルブル震えていた。
「それ以上言うな……それ以上言ったら……」
震える手を開くと手袋を突き破って竜の爪が露わになる。
教室中のみんながそれを見てギョッとなる。
「やめて!リリトちゃんニンゲンを傷つけちゃダメよ!」
クルルがリリトの前に立ちはだかる。
その時になって初めて爪が手袋を突き破っていることに気付いた。
「……あ……」
リリトは慌てて手を後ろに隠す。
「い…いやオレ、別にクルルをいじめようと思った訳じゃ……」
そういうとタダシは目からボロボロと涙を流し始めた。
「ゴメン!」
一言言い残して教室から飛び出して行った。
「な~によ、あれ?」
「さ、クルルちゃん行こ行こ」
そう言って女の子たちはクルルを囲んでその場から去って行った。
リリトは一人その場に残された。
あの時の記憶は補助記憶装置から削除した。
しかし脳の中にはまだ残っておりこのまま何十年もの間トラウマとなってリリトを苦しませることになるのだろう。
それは尻尾を持たれて腹を刺されたクルルも同じ筈だった、タダシはそれをえぐる様に記憶を思い出させたのだ。
だからリリトは無意識のうちに爪を立てて手袋を引きちぎってしまった。
それは竜としては行ってはいけない感情の爆発で有った。
リリトはその事に対し激しい嫌悪感を感じていた。
午後にタダシは教室に戻ってきていた。
しかし数日後驚いた事にタダシはクルルと仲良く歩いていたのである。
「なにそれ?」
リリトは家に帰ってその事を聞いクルルに問い詰める。
「あの後タダシ君がそっと戻ってきて私に頭を下げてゴメンて言ったのよ、ほら男の子って恥ずかしがりやだから好きな女の子をいじめたがる様な物なのよ」
にこやかに笑うクルルである。
なんじゃ、そりゃ?
結局クルルの方がリリトよりも何枚も上手であったと言う事の様だ、何という阿保らしさであろうか。
それにしても竜の女の子を好きになるニンゲンの男子か…負けていられないとリリトは思った。




