追憶2
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――追憶2――
ある日子供たちの部屋に大きな犬がやってきた。
無論犬などと言うものを子供たちが理解している訳もない、彼女たちにとっては異形の怪物である。
その怪物が尻尾を振りながらリリトの方にやってくる。かなり大きく50キロは有る大型犬である。
クルルは怖がってリリトの後ろに隠れてしまっているが好奇心旺盛なリリトは犬に近づいていく。
犬はリリト鼻を擦り付けてクンクンと臭いを嗅いでいる。
攻撃して来る訳でも無くお母さん達が一緒にいる事で脅威では無いと考えられた。
その犬がペロリとリリトを舐める。
「フギャアア~~~ッ」
いきなりの事にリリトの悲鳴が響き渡る。
一方犬の方は気にする風でもなく更にペロペロと嘗め回す。
ついでにクルルも舐め回されて同じように悲鳴を上げて逃げ回る。
しかしパタパタと振られる尻尾に興味津々の子供達は再び犬に近づいていく。
最初の衝撃が過ぎ去ってこの怪物が危険では無い事がわかると子供達は犬と戯れ始める。
「ウフォン、ウフォン」
「クワアア~~ウ」
「アフン、アフン」
犬が走り子供たちが追いかける。
ドアを開けて庭に躍り出ると他の子供たちも犬を追いかけ回し転んだり、ぶつかったり、跳ね返されたりしている。
倒れた子供もジタバタと手足を動かし尻尾を使って起き上がるとすぐに犬を追いかけ始める。
誰一人怪我をするものはおろか泣き出す子供もいない。
竜の子供はそれ程軟弱なつくりはしていないのだ。
一人の子供が思いっきり犬にタックルをかける。
「ギャアアアーーン!」
大きな悲鳴を上げて犬が倒れる。
「ギャウンッ、ギャウンッ!」
もがく犬を見て竜たちは「クーッ、クーッ」と心配そうに鳴く。
犬もまたお母さん同様に弱い生き物であると認識できるのである。
こうして考えると竜と言うのも実は究極的な生物であると考えられる。
逆にこの程度の頑丈さ無しには永遠に生き続ける事は出来ないだろう。
みんなで犬を追いかけ回して疲れると寝そべった犬を囲んでみんなでお昼寝である。
こうしてあきれるほどの運動を行い人間の何倍もの速度で知能を高めていく。
竜たちは2歳を迎える前にかなりの言葉を習得しオムツも外れていた。
女性の事をおかあさんと、竜の頭の人間をおとうさんと呼ぶようになっていた。
そのおとうさんであるエルギオスは足しげく子供たちの元を訪れた。
「オトーサーン」
子供たちはてってってと走ってきてエルギオスの足にまとわりつく。
エルギオスは嬉しそうに子供たちを抱き上げる、抱いてもらえない子供たちは足にしがみつく。
「よしよしちょっと待っていなさい」
エルギオスは子供たちに抱き付かれたままクッションに横になる。
子供たちに抱き付かれて埋もれるエルギオスはすごく幸せそうである。
「オトーサン、オハナシー」
「わかった、わかった。」
エルギオスはここに来ると子供たちにお話を聞かせる事にしていた。
子供達に取っても優しいオトウサンである、そのおとうさんの傍らでその胸に顔をうずめるとすごい安心感が生まれた。
エルギオスの両脇は子供達の人気の場所になりその体に触れているのはすごく気持ちが良かった。
本能的に同族の親を求めていたのかもしれない。
それは竜のオスと共に暮らす事になるこの子達にはとても重要な事ではないかと考えていた。
死ぬことのないエルギオスと竜の子供たちの時間はその生涯の中では一瞬でしかない。
それ故にエルギオスは子供たちとの接触をとても大事にしていた。
何より彼女たちはまごう事無く彼の子供達であるからだ。
遠い将来大人になった子供たちの心の中に僅かなりとも自分の記憶のかけらが残ってほしいと思うのは親としてのエゴイズムなのかもしれない。
いずれにせよ竜のオスを生んだエルギオスにとって竜のメスを生み出すことはこの500年ずっと心に引っかかっていた負債の清算であったのだ。
しかしその決断はこの娘たちを不幸にする可能性が非常に高い事なのだ。
不死の生涯は素晴らしいものでは必ずしもない。
場合によっては無限の苦しみと後悔を与える物ともなりえるのだ、今のエルギオスの様に。
子供の竜に囲まれおとぎ話を語るエルギオスの周りで抱き付いたまま次々と眠り始める子供たち、最後の一人が寝たところでみんなをベッドに戻してやる。
その子供たちの寝顔を見ながらこの子たちの未来が幸多い事を祈らずにはいられなかった。
2歳になると数人ずつが別れて一つの家族として家に住むようになる。
「リリトちゃん、クルルちゃん。今日から私たちは家族になるのよ。」
そう言われて二人はキョトンとしていた、家族に対する概念が無かったからである。
ナマンとオデールと名乗るニンゲンが二人を家に連れてきてそこで暮らすことになった。
養育施設でも良く部屋替えは行われておりそのひとつ程度だと考えていた。
それよりも仲の良かったクルルと姉妹になれた事の方が嬉しかった。
ふたりには初老の夫婦が揃って現れ二人を家まで連れて行行く。
「今日からこの家で家族として暮らすのよ、仲良く暮らしましょうね。」
家の前で両親となるふたりはそう言って中に迎え入れた。
リリトには言われている意味がわからなかったがこれからはこの人達がオカアサンの代わりになるのだと理解した。
そこでの生活はこれまでとは一変して部屋が与えられることになった。
流石に個室ではなく二人部屋ではあったが両親とは別の部屋に別れて寝る事になる。
それまでは10人くらいの大部屋で寝ていたのでは有るが二人だけでは静かすぎて落ち着かなかった。
「クーッ」
「ククーッ」
部屋の両端に置かれたベッドで二人はお互いに目を合わす。
テッテッテとクルルがリリトのベッドにやってくる。
「あの子達はふたりだけで寂しくはないかしら?」
ベッドに入って休もうとしていた妻のオデールがつぶやく。
「寝る前に少し様子を見てこようか?」
そんな話をしていると寝室のドアが開いた。
「おや?どうしたんだ」
そこには枕を持った竜の子供達がいた。
何をしに来たのか理解した両親はにっこり笑うと自分達のベッドの毛布をめくる。
トットットとふたりは別れて両親のベッドにもぐりこむ。
両親の胸に頭をうずめると頭を撫でられた、するとすごく安心感が生まれる。
ふたりは穏やかな気分になるとすぐに夢の世界へと落ちて行った。
ふたりの両親もまたこの子達を本当の子供の様に愛したいとその時思ったそうである。
役割としての両親ではなくふたりが愛されたと言う経験をして欲しいと思ったのだ。
それは生涯を通じて自分の生んだ子供を愛することの出来る竜になって欲しいからである。
実生活としての家族と言うものを理解しなくてはオスとの番もうまくは行かないと言う配慮からである。
両親の家で養子となった竜の子供達は同時にニンゲンの幼稚園に入学する。
彼女達に少しでも早く、少しでも長くニンゲンと暮らしてもらう為である。
ニンゲンの子供は3歳であるから竜の成長の速さがわかると思う。
竜は人工的に作られた生物であり、その体の強さ同様に知能も非常に高く愛情深い。
一般にオスの竜はあまり頭が良いとは思われていないが実際はそうではない。
過去の記憶の大半が年齢と共に失われた事によるものである。
体同様に脳も新陳代謝を行われるのであり人間との交流が有れば知識を維持できる。
しかしそれが失われれば知識はどんどん減っていくのである。
ましてやニンゲンと袂を分かった獣人の知識自体がどんどん減って行っているのである。
それに合わせて竜の知識も減っていかざるを得ないのだ。
幼稚園では竜5人に対しニンゲン15人でひとつのクラスを構成していた。
このくらいの年齢ではあまり竜とかニンゲンとかを意識することはなく結構普通に馴染んでしまうのだ。
ただしここに獣人はいない。
ニンゲンの意識の中の差別はまだ獣人を高等人類とは認めていないのだ。
この時代塀の外周部に近い付近では畜産と農耕が獣人達の手によって行われていた。
それは外部から侵入してくる魔獣を狩るためであり、ニンゲンに魔獣を近寄らせない防波堤としてである。
人類の範図が縮小の一途を遂げている最中にニンゲンを見限って外部に逃げていく獣人達の事を快く思わないのも仕方のないことではあった。
もちろん獣人にとってもニンゲンとの交易は利益をもたらすので接触は有るが彼らは彼らの世界を作り始めていた。
結局最後は人類を見限った獣人に代わり竜を作り世界に放ったのである。
かれらが魔獣を駆逐して世界の支配者になった時に再びニンゲンが復権出来る事を願っていたのである。
ただその時死ぬことのない竜が番を作って無制限に増えていく事を恐れたニンゲンは500年前にオスだけを作って放した。
それが失敗であることを悟ったニンゲンは遅ればせながらメスの竜を作り未来の地球を彼らに託すことになったのである。
竜をニンゲンと共に育てると言う方針は竜神計画の開始当初からの構想であった。
竜は異形の怪物である。しかしニンゲンと親しい距離を設けるためのニンゲンとの共同生活である。
こうすれが竜はニンゲンを仲間と思い彼らを襲う事は無くなると言う考えである。
獣人を差別し、竜の繁殖手段を奪ってきたニンゲンの身勝手な判断である。
「このお顔本物?」
小さい女の子がリリトの顔を触ってくる。
「ワタシタチハ竜ノ子ダカラ」
この時期のリリトはニンゲンの子供とあまり大きさが変わらなかった。
ニンゲンの子供はこの後急速に成長し竜族は当分小さいままである。
「その尻尾も本物なの?」
「動クヨ」リリトは尻尾を振って見せる。
「わ?っ、面白い」
女の子はフラフラ動く尻尾を見て喜んでいる。
この様に子供同士は割合と屈託なく溶け込んでいく。
子供の気持ちと親の気持ちには天と地ほどの差ができるのは致し方のない事ではある。
やはり子供がニンゲンでは無い物と一緒に居ることに強い拒否感を覚える親は少なからずいた。
「この手袋はな~に?」
「硬イ爪ハエテイル、ニンゲンヲ傷ツケル」
「それじゃ足も?」
「同ジ、周リノ人アブナイ、トッタラダメ」
竜とは言え幼児である、その心にはまだ理性の存在は弱い。
凶器を仕込んだ自らの手足の存在を意識付ける為にも手袋は欠かせなかった。
竜はニンゲン同様の知性体であり獣の様に本能で生きている訳ではない。
社会との関わりや自らの役割などを理解をしなければその強大な力と不死身の命は自らを苦しめる事になる。
今生きている竜のオス達にはその為の配慮が足らなかったのだ。
だからその命の重みに耐えられず死ぬことを選んでしまう者が多発してしまったと言う事にようやく気付いたのだ。
長い間の孤独に耐えられずうつ病を発症して死に至るのはニンゲンも竜も変わることはない。
現在も生きているオスの竜は孤独に負けない強い精神力が有るか、あるいは何も考えない性格かそのどちらかであろう。
彼らの精神的支柱とするためにニンゲンは社の組織を作ったが500年の時間はその組織すら蝕み竜の孤独は深まった。
竜の嫁は孤独に生きるオス達の精神的支柱であると共に家族のあり方を竜の世界に持ち込む事を目的に作られた。
そのためにシュミレーションといえども家族という単位を経験させる必要があったのだ。
この頃のリリトは両親と姉妹に囲まれとても暖かな生活を送っていた。
両親は毎日手袋と足袋を交換してくれる、リリト達はまだひとりではできなかった。
食事の際も手づかみではなくスプーンを使って食事をするように言われていた。
もともと細かいことの出来ない竜の手に手袋をして食べるのであるからやりにくいことこの上ない。
癇癪を起こして手袋をつけようとした両親の手を傷つけてしまった事が有る。
手から流れる血を見て自分たちの爪がニンゲン達にとって危険なものであると強く感じざるを得なかった。
その日リリトは手袋を外してスプーンを握ってみるとスプーンは簡単に折れてしまう事に気がついた。
それ以来リリトが手袋を拒むことは無くなった。
しかし竜とニンゲンの同化政策に反発するニンゲンはどこにもいる。
見かけからしても竜は獣に見えるからだ。
その獣がニンゲンと一緒にいて同じ権利を持っている事に我慢の出来ない狭量なニンゲンである。
この手の輩は意外に多く獣人の都市部への立入禁止の法案を議決し、獣人とニンゲンの分理政策を実現させたのもこの連中である。
獣人は体はニンゲンであるが竜はその体まるごとが竜である。
早い話が本物の獣であり家族などと考える方がおかしいとすらこの連中は考えるのだ。
その割には犬をペットとして飼っていたりする、要はニンゲンと同等の権利を持つ事に我慢のならない連中なのだ。
そしてリリトが4歳になり幼稚園の年中組になった時にその悲劇は起きた。
狂信者による竜の子供に対する襲撃事件である。
刃物を持った若い男がリリトのいる幼稚園に侵入し次々と竜の園児を襲って行ったのだ。
教室にいた園児の中から竜だけを狙って刺して行くと言う凶悪な事件であった。
最初の教室にいた竜のうち3人を刺した犯人はリリトのいる教室にも飛び込んできた。
リリトには何が起きているのかは全くわからなかった。
しかし男が手近にいたクララの尻尾を掴んて吊り下げると刃物を振り上げる。
「クアアァァーッ、イヤアア~~ッ!」
「おらああ~っ!怪物野郎めニンゲンを舐めんじゃねえっ!」
逆さ吊るされて狂気に染まった男の目を見たクララは悲鳴を上げた。
それをさも嬉しそうな顔をしてその腹に刃物を突き立てる。
「ギャアアア~~ッ!」
「クララ~~ッ!」
それを見たリリトは反射的に男の足元に走り寄ると全力の頭突きを見舞う。
足にリリトの体当たりを食らった男はその衝撃で倒れ込みクララを放り出した。
傷を追ったクララはその場から這って逃げようとしていたがその腹からは大量の血が流れ出ていた。
リリトは怒りに我を忘れ男の足に向かって爪を突き立てる。
リリトは手袋をしていたがそれは普通の生活を行う程度の手袋であった。
力任せに振り回されるリリトの爪はたやすく手袋を貫き男の足に食い込んだ。
「うぎゃあああ~~~っ、いってえええ~~っ!」
男は悲鳴を上げながらリリトの背中にもナイフを突き立てる。
「こ、この野郎痛えじゃねえか~~~~っ。」
リリトは背中を襲う痛みに反射的に腕を振り回す。
すでに手袋は破け爪を露出させていたのでその竜の爪は男の腕を簡単に切り裂いた。
「ぎゃあああ~~~っ、手が、俺の手が~っ!何てことしやがる~っ!」
相手を傷つける事に躊躇しない人間は自分が傷つけられることに対しては敏感なのだ。
男は悲鳴を上げて逃げようとするがすでにその手は刃物を握れない状態になっていた、。
よもや幼稚園児の竜に反撃を受けるとは思ってもいなかったのだ。
しかし足にしがみついたリリトは男に取り付いたまま爪を立てて上半身に向かって這い上がってくる。
その目は怒りに狂っていた。
「クルル…傷付ケタ…悪イヤツ!」
男の目が恐怖に見開かれた、自分が相手にしていたのは小さくとも猛獣であった事にようやく気がついたからだ。
「うわあああ~~~っ、来るな!来るな~~~っ!」
男は残った手でリリトを殴りつけるが全く意に介さない。
上半身にたどり着いたリリトは背中にナイフを突き立てられたまま夢中で男を殴り続けた。
腕を動かす度に男の声は小さくなり動きは少なくなっていくのをおぼろげながら覚えている。
後に補助頭脳からこの時の記憶を再生したが記録自体が支離滅裂で理解できなかった。
「リリトちゃん!やめなさい!」
後ろから声がして振り向くと恐怖に固まって震えている先生が見えた。
そこでリリトは意識を失った。
この時の被害者は竜の子供が5人そのうちの一人がリリトである。
結局リリトにはこの時の男がその後どうなったのかを知らされることは無かった。
登場人物
リリト 竜の嫁の幼体
クルル リリトの親友 竜族
エルギオス 竜族の始祖 不死人




