追憶1
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――追憶1――
リリトが初めて目を開けた時の事は鮮明な記憶として残されていた。
柔らかいベッドに寝かされており白い天井が見える。
当時は自我と言うものがなく自分が何者で何故ここにいるのかと言う事すら思い浮かべる事は無かった。
ただ腹のあたりに不快な感じが有りそれを周りに知ってもらいたいと考え声を出してみた。
「アアア~~~~ッ」
すると白い服を着た女性がやってきた。
「お腹空いたの?ちょっと待っててね」
そう女性は声を出したがそれが言葉であることを認識するのはずっと先の事であった。
そのまま放置されたのでリリトはさらに声を上げる。
やがて女が何かを持って戻ってくる。それをリリトの口に押し込むと液体が口に流れ込み反射的にそれを飲み下す。
それを飲み下す事が腹に快感を及ぼす事に気が付き一生懸命それを飲み続けた。
やがて腹が膨れ満ち足りた気分になる、そしてリリトは腹に不快感を覚えたら声を上げる事を覚えた。
そのまま眠気が襲ってくるとリリトは眠った。
目が覚めると下半身に不快な感じが有ったので力を入れてみると不快感は無くなった。
すると今度はお腹のあたりの不快感が再び襲って来る。
もう一度声を上げるとまた白い服の女性がやってきて液体の出る物を口に突っ込む。
何度かそれを繰り返されるとこれが食事でありこれを続けていると満ち足りた気分でいられることに気づく。
声を上げるたびに自分の前に何か動くものが見えた。
それが自分の手であり自分の意思で動くことに気付くとこれは自分の体の一部であると考えるようになった。
すると自分は動けるのか?と言う気持ちが芽生え体を動かして起き上がってみる。
起き上がれた。
自分の体を見てみると腰の周りに白いものが巻かれ足の間から尻尾がのびているのが見える。
試しに動かしてみるとヒコヒコと動きこの尻尾が自分の体の一部であると理解するに至った。
手と足の先には何かしらの袋が付いており引っ張ってみるが丈夫で敗れる事は無かった。
足首には何かしらのバンドも巻かれていたが別に邪魔になる物でもないので放っておくことにする。
自分の寝ていた場所を見る、周囲には少し高い柵の様な物で囲われていた。
柵に手をかけて体を持ち上げようとする。
頭がその上に出て周囲の様子が見えると沢山の箱の様な物が並んでいるのが見える。
リリトの横には同じような箱がありその中には何かが寝ていた。
寝ている者はリリトと同じように手足に袋が付いており足の間からは尻尾が見える。
リリトは相手に呼び掛けてみる事にした。
「クワアアア~~ッ」
隣にいた者は目を開けるとこちらを見る。
「クワアアア~~ッ」
相手も声を上げジタバタと手足を動かし柵の上に頭を出してこちらを見ている。
「クワアアア~~ッ」
「クワアアア~~ッ」
お互いに声を出しあってその存在を確認した。
「あらあら二人とも起きちゃったのね」
白い服の女がやってくる、無論何を言っているのかわかったのはずっと後になってからだ。
「この子はリリトちゃん、こっちの子はクルルちゃん、二人は兄弟なんだから仲良くするのよ」
女は二人の頭を撫でながらそう言った。
「クウウ……」
「そうよ、この子はクルルちゃん」
「り…イイ…」
相手の子もその様に言葉を発する。
「すごいわ~っ、もう言葉を出せるのね~っ、あなた達には生体補助記憶装置が有るから今日の事も覚えているかもしれないわね~」
これがリリトの生体補助記憶装置に残っていた誕生の瞬間の記憶だった。
白い服の女を見てリリトはこれが自分達を守り育てる所の親であるという認識を持った。
同時に沢山ある箱の中身はクララと同じものが入っているという認識のつながりが出来た。
更に一週間経つとリリトは箱から外に出された。
広い部屋の壁際には沢山のバスケットが並べられその中でリリトは目覚める。
柵が無いのでそこから這い出すと沢山の仲間が既に這い出してきていた。
その中に白い服の女性が立っておりみんなを見ている。
親と認識した女性もおりリリトはそこに這っていき足にじゃれ付き声を上げる。
「クー、クー」
「あらあらリリトちゃんね、まだご飯の時間じゃないわよ~」
何かをして欲しかったわけではない、ただ接触していると安心感が得られたのだ。
同じ様に女性の足にすがりつくもう一人の者がいた、リリトと同じように「クー、クー」と鳴いている。
「クルルちゃんも甘えたいの?」
クルルと言う言葉にリリトは相手を見る。
「ク…ルルル…」
その言葉を聞いて相手もリリトを見る。
「リリリ…ト…」
つつっと這いよると鼻を突き合わせ体を摺り寄せる。
相手に抱き着くと相手も抱き着いて来て二人で転がる。
「ハウッ、ハウッ」
「カカカッカカッ」
お互いがお互いを仲間であると認識した瞬間である。
二人は絡み合ったままジタバタと相手に触り会いフンフンとお互いの臭いを確認する。
ふたりでじゃれ合っていると仲間と共にいるという安心感が生まれた。
「竜ってすごいわね~生まれですぐにこんなに動き回れるなんてね~」
「親が大きいですからね、ある程度大きくなるまで誕生させられないと考えているのですよ。」
声のする方向を見るとそこには竜の顔をした人間が立っていた。
リリトとクルルはお互いの顔を見たそして立っているニンゲンの顔を見る。
親と認識した女性は明らかにリリト達と違う姿をしていた、しかしもう一人のニンゲンはリリト達と同じ顔をしていた。
テコテコテコと足元に這いよって足にすがりつくと竜の顔のニンゲンはリリトを抱き上げる。
「君はリリトちゃんと言うのかい?」
竜のニンゲンはリリトの胸の名札を見て言う。
なにかとてもうれしい気持ちになって竜のニンゲンを抱きしめようとする。
足元でクルルが「キー、キー」と鳴いて抗議をしている。
竜のニンゲンは反対の手でクルルを抱き上げる。
「クルルちゃんも元気だね、早く大きくなっておくれ。」
二人して竜の顔を見上げるとその胸に顔を擦り付ける。
「エルギオス先生、生まれてまだ4週間ですよ竜は全員が天才なんですか?」
「まさか。ニンゲンは体が動かないのであまりわからないだけさ、獣の子供はみんなこんなものだよ。」
二人は床に降ろされるとエルギオスからお互いに視線を移し再びじゃれ合いを始める。
見ると部屋のあちこちでじゃれ合っているグループがあり別のグループは体を寄せあって寝ていた。
更に一週間経つと竜の中の一人が尻尾を使って2本足で立つことを思いついた。
そのままテコテコと走ってコテッとコケる。
手足をジタバタ動かしてクルッと起き上がる。
一人が起き上がるとそれを見た子供たちが真似をする。
うまく立てた子、立てない子。いずれも瞬く間に歩くことを覚える。
親しい子供を見つけるとテコテコと走って抱き付こうとするが相手にも抱き付かれてふたりともコテッと倒れる。
そのままウニャウニャと抱き合ってじゃれる。
しばらくじゃれ合っていると次の相手を見つけてトッテトッテと歩き始める。
再びぶつかってジタバタと喘いだ後またフニフニとじゃれ合う。
「竜の子供達って活発で可愛いですね~~っ」
「もう少しすると可愛いじゃ済まなくなるでしょうけどね」
エルギオスが不吉な発言をする。
トッテトッテと歩んでいた足がしばらくするとトテトテに代わり。
やがてそれがタタタに代わりすぐにダダダーッに代わる。
足が速くなってもやる事は変わらない。
ダダダーッと走るが誰かにぶつかってコケる。
やがてお互いに正面からぶつかり合う遊びがはやるようになる。
立ち上がって周りを見て立っている者がいるとその相手に向かってダダーッと走る。
ゴツンと派手な音を立ててぶつかり合ってひっくり返ると手足をジタバタさせて起き上がる。
起き上がってカカカカァァーーッと笑うと再び相手を見つけてダダーッと走っていく。
「なんかこれ以上続けると危ない事になりそうですね~」
「仕方ありませんここはあなたが体を張って……」
「え?わ、私ですか~~?」
何しろ丈夫なだけは桁外れな竜の子である。
竜同志ならば問題は無いがここには竜の世話をする女性もいるのだ。
竜にしても母親代わりの白い服の女性を見つけるとそれに向かってダダーッと走る。
本人は甘えたいだけなのである。
「きゃあーっ!」
派手な悲鳴を上げて女性が倒れる。
「いたたた……。」
苦しそうに女性がうめくと竜はそれを見上げて女性にすり寄る。
「クーッ、クーッ」
ぶつけた竜は悲しそうな声を上げる。
実は女性は足にガードを巻いておりそれ程のダメージが有る訳では無い。
しかし相手は赤ん坊とは言え不死身の竜である
それでも10キロ程度の体重が有り力もそれなりに有った。
その肉の塊が全力でニンゲンの足にガード無しでぶつかればやはりただでは済まない
これはニンゲン達には暴力的な力をふるってはいけないというメッセージである。
倒れて苦しむ女性の元に何頭もの竜の赤ん坊達が頭を寄せて「クーッ、クーッ」と心配そうな鳴き声を上げる。
自分たちの世話をしてくれるニンゲンを傷を付けてしまったと思わせる事が重要なのである。
これが何度か繰り返されると竜たちはニンゲンが自分達程には丈夫では無い事に気が付くのである。
「さあ皆さんご飯ですよ~」
それぞれのベッドの前に机が用意され大きなソーセージの様な食事が配られる。
これは様々な食物を砕いて寒天の様な物で固めた離乳食ゼリーである。
竜は生まれた時から歯があり物を噛むことが出来るので自分達で食べる事を覚えてもらうのだ。
自分の手で持てない子供は白い服の女性が持ってくれるがやがて持ち方を覚えると自分で持って食べるようになる。
水は哺乳瓶で飲んだ、コップの様な物で飲むのはまだ竜の口では無理なのだ。
ご飯を食べ終わるとみんな眠くなる。
一日中遊びまわりじゃれ回りお腹がいっぱいになったらお休みである。
ベッドの中で寝ていると何かがもぞもぞと動いているのを感じた。
「クアーッ」とそれは鳴き声を上げた。
どうやらクルルの様であった。そのままふたりは抱き合って寝た。
「さあ、オシメを変えるわよ」
リリトの隣でククルがオシメを変えてもらっている、次はリリトの番だろう。
この白い服の女性はいつもリリトとクルルの世話をしてくれる特別な存在であった。
それを何というのかはこの時のリリトはまだ知らない。
クルルのオシメを交換するとクルルは女性の方に手を伸ばして「クークー」と鳴く。
「あらあら甘えん坊さんね。」
そう言って女性はクルルを抱きしめる。
クルルは嬉しそうに「クク~ッ」と鳴いて女性に頭を擦り付ける。
それを見たリリトは何か悲しい気持ちになって「クークー」と鳴く。
「待ってね、いまあなたのオシメも交換してあげるから。」
女性はリリトに向かってにっこりと微笑みかけた。
リリトは女性に向かって「クウウウ~~~ッ」と鳴いて催促をすると女性はクルルを置いてリリトの方に来る。
クルルは「クウ~ン」と鳴いてもっと抱擁を求めるが女性はリリトのオシメを変え始める。
オシメを変えるとリリトも手を伸ばして「クークー」と抱擁を求める。
女性はリリトを抱き上げると「クウウ、クク~ッ」とうれしそうな声を上げる。
隣でそれを見ていたクルルが今度は「クークー」と抱擁を要求する。
「あらあらクルルちゃんも抱いてほしいの~?」女性は片手をクルルに向かって伸ばす。
「ク…ルル?」リリトが声を出す。
「そうよ~、クルルちゃんよ~。貴方はリリトちゃんね~」
「リリ…ト?」今度はクルルが声を出してお互いを見つめ合う。
「クルル…?」
「リリト…?」
二人は鼻を突き合わせて擦り付ける。そして二人で女性の方を見上げる。
「お母さん」白服の女性が自分を指して言う。
「オカ…サン…」リリトがそれを繰り返す。
「リリト、クルル、お母さん」女性は3人をに順番指さして言った。
「クルル、オカアサン」リリトはクルルを見てからお母さんを見た。
クルルも同じことをする。
この時初めてそれぞれの存在が名前によって区別されると言う事を学んだ。
「お母さん」と言う名前と女性の姿が連結された瞬間に生まれて初めて見たこの女性の姿が補助記憶装置から呼び戻される。
リリト達の頭には生体補助記憶装置があり記憶は完全である、一度教えれば忘れる事は無い。
しかし容量は無限ではなく記憶の選別は重要であった。
無論数年分の記憶は問題なく納められるが数千年以上の寿命を持つ竜族は記憶を選別させる訓練が必要である。
リリトはその時の記憶を大切なものと感じ無意識に記憶し続ける事にしていたのだ。
同様に初めてクルルすなわち同族の者を見た記憶も大切に感じた。
そのほかリリトの生活の中で強く心を揺さぶるような出来事は忘れないように記憶し続けるようになる。
個体を区別する名前と言うインデックスを手に入れる事により記憶の選別が可能となった瞬間であった。
インデックスを理解すると急速に語録を増やしていく。
「オカーサン、オナカスイター」
「オカーサン、ウンコー」
母親と言う存在を認識した幼ない竜は母親を見かけると追いかけるようになる。
竜の成長速度は想像以上に早い、既に母親を傷付けないような追いかけ方に変わっている。
10キロと言えば3歳児程度の大きさである。
脳の発達が体重に比例するとは限らないが記憶の一部を生体記憶装置に頼れる竜の脳の発達は非常に早く肉体的早熟は頭脳の早熟にもつながっている様である。




