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ブランドン・ザーブは幸運にも記者会見の場に参加できたことを、なんとかして活かしたいと考えていた。
今回のような全国規模の会見に、ブランドンのような無名のフリー記者が入れることはまずない。こういう会見は、当然ながら、大手のテレビ局と通信社がメインとなる。雑誌となると、歴史と権威のあるマガジンは記者を派遣できるが、部数が少なかったり、無名だったりすると、まず記者証は入手できない。にもかかわらず、ブランドンが参加できたのは、この事件の舞台が中国であったことに関係している。人質となった日本人の記者会見は、当然、中国でも注目されており、中国系メディアの在日記者はこぞって参加した。ブランドンは香港を拠点に、日本と中国に関する記事を英語で書き、アメリカの雑誌に掲載することで生計を立てていた。中国に十年、日本に十年住み、どちらの言葉も話すことができるがゆえの芸当だ。そんなブランドンにとって、中国のバスジャック事件の人質が日本人という、この特殊な事件は何としても書きたいものだった。しかし、これだけ大きな事件ともなると、大手通信社やテレビが扱うので、無名のフリーライターに出る幕はない。だから、記者会見が行われるとわかった時も、自分が取材パスを入手できるわけがないと知っていた。だが、たまたま、一枚、取材パスが余ったと知り合いの記者が情報をくれた。それは、とある香港メディアで記者をしている男で、東京の特派員だった。ブランドンとはもう十年以上の付き合いで、ブランドンが東京に来たときは必ず杯を交わす中だ。今回、ブランドンは故郷のコロラド州デンバーに帰郷するためのトランジットを利用して、東京で数日間を過ごしていた。その東京滞在中にあの人質事件の被害者が会見を行ったのは、単なる偶然だった。いつものように東京で杯を交わそうと連絡したところ、パスが余っていると告げられ、融通してもらったのだった。こんな幸運はめったにない。大手通信社が書かないような個性的な内容でこのニュースを書こう。そう意気込んで会見に参加した。しかし、これが日本の会見なのか、どことなく予定調和な内容で、しかも鋭く質問を繰り出す記者もあまりいなかった。もちろん、それは、会見の主役が人質になったという悲惨な事実を前に、記者が遠慮、もしくは気を遣った結果かもしれない。そして、彼らはこれで十分記事が書けるのかもしれない。だが、自分は違う。社名ブランドも大資本もないのだ。であれば、勝負するのは記事でしかない。それも、他が書かないような、尖った内容が必要だ。それを見つけ出して書こう。そして、最後の最後に、やっと質問の機会がやってきた。とっさに出た質問が、「犯人が射殺されたことをどう思うか?」だった。ブランドンはこの質問は、極めて普通の質問だと認識していた。特別、鋭い質問でもない。しかし、木塚井氏は黙り込んでしまった。ブランドンはその事実に驚いた。なぜ、あの程度の質問で沈黙してしまうのか。そして、去り際の、あの目。木塚井氏のあの目は、確実に何かを訴えていた。フリーライターとして二十年のキャリアを誇る自分の直感が、必ず何かあると教えていた。犯人射殺について、木塚井氏は何かを隠しているのではないか…。
ブランドンは、すぐに記者会見場を飛び出し、木塚井氏一行の後を追いかけた。一行がエレベーターに乗ると、ドアはすぐに閉まった。ブランドンは何とかもう一度、木塚井氏に話を聞きたかった。あの目は、絶対に何かある。そう思い、エレベーターがどの階で止まるのか、ランプを見つめ続けた。十階、十一階、十二階…。一度も止まることなく、エレベーターは上がっていく。そして、ついに数字が止まった。そのランプは二十階を指していた。ブランドンはもう一基のエレベーターに乗り込むと、迷わず二十階を押した。このチャンスを活かすんだ。このまま終わってなるものか。そのジャーナリストとしての情熱だけが、今のブランドンを動かしていた。
二十階についた。エレベーターを降りると、一行がどの部屋に入ったのかを調べ始めた。声がするはずだ。その部屋をまずは見つけ出そう。静寂に包まれている廊下。まさか、この階ではなかったか。いや、確かにエレベーターはここで止まった。ひとつひとつ、部屋のドアに耳をつけて中の声を探ってみる。違う。ここも違う。次も違った。最後の部屋。すると、ドアに耳を近づけるまでもなく、中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。間違いない。先ほどの一行だ。ブランドンはひとまず、ドアの外から様子を伺った。中からは、笑い声が聞こえる。ここで自分が入っていったらどうなるか。もちろん、すぐに追い払われるだろう。ましてや、記者は会見場となった会議室と一階フロアー以外は勝手に立ち入ってはならない。ここは企業なのだ。勝手にオフィスビル内をうろうろしたら、最悪、警察に通報されかねない。ブランドンは考えた。なんとかして、木塚井氏にコンタクトできないだろうか。最後の質問に沈黙してしまった、その背後にあるものを何とか聞き出せないか。しばし考えてみたものの、妙案は浮かばなかった。かといって、ここで突っ立っていても仕方ない。ブランドンは思い切ってドアをノックしてみることにした。礼儀正しく、悪意がないことを誠実に伝えれば、相手はわかってくれるだろう。日本人は礼儀正しい者に対しては寛容だからだ。
「コン、コンコンコン」
しばらくすると、ドアが開けられ、一人の男性が立っていた。
とっさの判断で、ブランドンはあえて英語で話しかけてみた。
「I am afraid but may I talk to Mr.Kizukai ?」(恐れ入りますが、木塚井さんとお話しできませんか?)
いきなり西洋人がやってきて、しかも英語で話しかけられて、男性は面食らったようだった。そこでブランドンはたたみかけた。
「I am not a stranger, look at this. I have the pass for press conference」(怪しいものではありません。ほら、ちゃんと記者会見のパスも持っています)
男性は、ブランドンが示す取材パスを凝視していた男性は、少なくともブランドンが侵入者ではないことは理解したようだ。だが、もちろん、すんなり中には入れてくれない。
「Wait a minute」(ちょっと待ってください)
男性はつたない英語でそういうと、ドアを閉めて中へ消えていった。ブランドンは、祈るような気持ちで回答を待った。中からは相談する会話が聞こえてきた。
しばらくしてドアが開き、先ほどの男性がブランドンを会議室の中に招き入れた。
「What can I do for you?」(ご用件は?)
英語で話しかけてきたのは、専務の松葉だった。先ほどの会見にも出席していた。
ブランドンは、「礼儀正しく」と自分に言い聞かせて、時折頭を下げながら、突然の訪問を詫びた。そして、そこからは日本語に切り替えて、記者会見で主役だった男に話しかけた。
「木塚井さん、すいません、私は、あの会見を見ていて、あなたがまだ話していないことがあるのではないかと思いました」
「日本語がお上手ですね」
木塚井はまずそこを褒めてきた。
「ありがとうございます。私は、香港を拠点に、日本と中国のニュースをアメリカに伝えるフリーのジャーナリストです」
「よろしければ、どうぞ、お座りください」
社長の西林が着席を促した。
「Oh、ありがとうございます」
無事に受け入れられたことに、ブランドンは安堵して腰かけた。
「私は、ジャーナリストとして、あなたに興味を持っています。特に、私が最後にした質問について、あなたの話をもっと聞きたいと思っています」
自己紹介もそこそこに、一気に話した。
木塚井は、戸惑ったように西林と松葉を見た。恐らく、自分では何とも返答し難いのだろう。それはブランドンにも理解できた。
「どうなんだ?木塚井」と松葉が木塚井に質問した。
「どう、というのは?」
「話していないことがあるのか?」
ブランドンは木塚井を見つめた。木塚井は下を向いたまま、何か考えている様子だった。その姿そのものが、ブランドンには「YES」の回答であった。しかし、ここはたたみかけず、彼の返答を静かに待った。
「あることはあります」と木塚井が答えた。
「ただ、それを公にするかどうかは、別問題です」
ブランドンはここが落としどころだと感じた。長年の記者としての直感だ。
「木塚井さん、あなたはまだ若いです。これからもあなたの人生は続きます。その中で、人に公開できないことを胸に秘めたまま生きていくことは、とてもつらいことです」
木塚井は黙ってこちらを見つめている。
「今回の事件があなたの心と体に与えた影響はすごく大きいと思います。だから、今すぐに語ってほしいわけではありません。どうか、考えてもらえませんか。そして、もしも人に話す決意ができた時には、私にその取材をさせてください」
木塚井はまた黙り込んだ。
「どうだ。とりあえず、連絡先を交換してみたら。今すぐ答えを出す必要もないんだし。まずは考えてみたら」
西林が助け舟を出した。
「会社に迷惑がかかりませんか」と木塚井が聞いた。
「それは内容による」と西林が即答すると、「ともあれ、こちらの記者さんも、わざわざ香港から来てくださったんだ。名刺だけでも交換して、今後、連絡を取り合うようにしたらどうだ。もしも、お前がこの事件について、記者会見以外にも何かをメディアに向けて話したい時は、また相談してくれ。その内容によって、会社としても適切な判断を下す」
「わかりました」
ブランドンは自分の名刺を取り出して、木塚井と交換した。木塚井の携帯とメールアドレスがしっかり記載されていることを確認した。
「お忙しいところ、誠にありがとうございました。連絡を取り合いましょう」
ブランドンはそう告げると、会議室を後にした。即答はもらえなかったが、次につながったと思うと、嬉しかった。
ホテルに戻ったブランドンは、早速、名刺にあった木塚井のアドレスにメールを送った。故郷のデンバーでしばらく過ごしたのち、再び東京を経由して自宅のある香港へ戻る。その時に東京で会いたいとの旨を伝えた。
翌日、ブランドンは成田発、デンバー行きのユナイテッド航空便で帰省の途に就いた。バスジャックの被害者への独占インタビューが実現するかもしれない。それは、これまでのキャリアの中で最も大きく、そして刺激的な仕事だ。まだ未知数ながら、運よく行けば単なる記事ではなく、一冊の本に仕上げることもできるのではないか。素材としては、それくらいインパクトのある事件だ。書籍化までいかなかったとしても、記事だけでも数多くのメディアが欲しがるはずだ。それも、日本だけでなく、中国や海外メディアも。収入が不安定な生活を長く続けてきただけに、金銭的にもいい仕事になるかもしれない。記者として名をあげれば、もっと仕事が舞い込んでくるだろう。それを聞いたら、デンバーにいる両親はどれだけ喜んでくれるだろうか。特に、長く極東の地で生活する自分を心から心配し、気にかけてくれている母の笑顔が浮かぶ。早く帰って、母にこの件を報告したい。ブランドンははやる気持ちを押さえて、シートに深く腰掛けた。
この時、ブランドンは、帰国後にデンバーで降りかかる不幸など、もちろん知る由もなかった。
続く