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杉雄は、会場に入った瞬間から、面食らっていた。自分に向けられる無数のカメラとフラッシュ。この会場にいるすべてがマスコミ関係者かと思うと、驚くしかなかった。しかも、その主役が自分なのだから。そして、この模様が全国に生放送されるというのだから。予定通り、杉雄を真ん中に、右に西林、左に松葉の順番で、会場前方に並べられたテーブルと椅子の後ろに立ち、三人合わせて一緒に深くお辞儀をした。会場からは拍手が沸き起こった。三人が着席すると、司会席である演題のマイクにスタンバイしていた江上が第一声を発した。
「それでは、只今より、記者会見を始めさせていただきます」
記者たちが一斉に姿勢を正す。
「本日は、大変お忙しい中、この会見に足をお運びくださり、誠にありがとうございます。本日は、マイクロテック株式会社様より、中国で発生したバスジャック事件についての記者会見を行っていただきます」
江上は万能か。まるでプロの司会者のように、話すスピード、トーン、発音が完璧だった。
「それでは、まずはじめに、マイクロテック株式会社、代表取締役社長、西林より、皆様にご挨拶申し上げます」
西林がマイクを持って立ち上がり、挨拶を開始した。とにかく無事でよかったということと、今後、今回の事件を教訓に、現地の駐在員の安全に関する意識や制度を今まで以上に強化し、二度とこんな事件に巻き込まれないようにしていく決意だと述べてマイクを降ろした。次に松葉から事件の経緯についての説明があった。杉雄はここでもやはり、自分のことではないような気がしてならなかった。それと同時に、松葉の次は自分だと準備した。
「それでは続きまして、木塚井杉雄さんより、ご挨拶いただきます」
ついにその時が来た。自分の前にセットされていたマイクを手に取ると、杉雄は立ち上がった。
「本日は、このようにたくさんの方々にお越しいただき、誠にありがとうございます。同時に、今回の事件でたくさんの関係者の方々にご心配とご迷惑をおかけしたことについて、お詫び申し上げます」
ここまでは原稿通り。杉雄は事件に巻き込まれたのであって、本来は別に謝罪の言葉を発する必要はないのだが、なにせ全国生放送の記者会見だ。そつなくコメントしたほうがいいと江上から言われていた。
そして、ここからは自分の素直な感想を言うだけだ。原稿など、ない。
「先ほど、弊社の社長と専務より、挨拶と事件の経緯の説明がありました。ですが、実は、いまだに私はこの事件が自分の身に巻き起こったことだという実感が持てないでいます。いや、正確に言うと、事件は確かに自分の身に巻き起こったことですが、その後に起こっていること、つまり、ちょうど今のように、こんなにも多くの記者の方を前に会見していることや、自分のことがニュースになっていることについて、まだまったく実感がありません」
ここで一息つくと、一斉にカメラのシャッターが下り、フラッシュがたかれた。まぶしさに、思わず目を細めた。
「ですので、正直に言って、こうして会見に出席させていただいておりますが、何を話せばいいのか戸惑う部分もありますし、自分がこんな場にいていいのかな、と思う部分も少なからずあります」
ここでまた一息。そしてシャッター。どうやら、シャッターはしゃべっていないときに集中するようだ。
「事件後は、しばらく上海の病院に入院した後、日本に帰国しました。東京ではホテルに滞在しています。実家の両親も、私の帰国に合わせて上京してきまして、両親とはホテルで再会しました」
杉雄は、事件後の経緯をひとしきり話し
「改めまして、本日は、このようにたくさんの方にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました」と挨拶を締めくくった。本番はこの後の質疑応答だ。
江上がすかさず場を仕切る。
「それでは、ここからは質疑応答に移りたいと思います。質問のある方は挙手をお願いします」
すかさず多くの記者から手が挙がる。杉雄はこの間に、テーブルに置かれていた水を一口飲んだ。
「では、そちらの方。メディア名とお名前をいただいてから、質問をお願いします」
白髪交じりの男性記者が名乗った。誰もが知る、全国紙の最大手だ。
「木塚井さんに質問です。人質になった瞬間について、教えていただけますか?」
杉雄は当時の状況を思い出しながら答えた。
「訳が分からぬまま、いつの間にか背後から首を絞められていました。というのも、そもそも私は、あのバスに凶悪犯が乗っていたことを知らなかったんです。もちろん、他の乗客もそうでした。それに、犯人は老婆に変装していたんです。だから、本当に訳が分かりませんでした」
「どうやって自分が人質にされたのだと気が付いたのですか?」
「背後から首を絞められて、包丁を突き付けられた時です。でも、相手が背後にいるから、こちらからは顔が見えない。見えるのは、顔の前に突き出されている包丁だけです。するとすぐに、中国の武装警察が乗り込んできて、中国語で動くな、落ち着け、その人を離せ、などと言っているのを聞いて、あぁ自分は人質になっているんだと」
「バスで犯人と二人だけになっていた時間、どんなことを考えていましたか?」
「そもそも、私はロープでバスの座席に括り付けられていたんです。なので、逃げようがないから、とにかく最初は死にたくないと、そればかり考えていました。それから、犯人を怒らすようなことはしないでくれ、と。これは中国の警察に対してですが」
質問は、やはり人質になってバスに閉じ込められていた時間について集中した。
「犯人とは会話されましたか?」
「しました」
「どんな会話ですか?」
杉雄の胸がどんよりと重くなった。康海隆との会話を思い出していたからだ。
「お互いのことなど」
「もっと具体的にお願いできますか?」
「私が日本人であることを、犯人は知りませんでしたので、なぜ中国語を話せるのかとか、なぜ夜行バスに乗っていたんだとか、そんな会話です」
江上がそっと近づいてきて、小さなメモ用紙を置いていった。そこには「無理せず」とだけ書かれていた。杉雄は厚さと疲労を感じていたが、決して無理している感覚はなかったので、質疑応答を続行することとした。
「解放されてから、体調と心理面の回復具合はどうですか?」
ある記者が質問の内容を変えてきた。杉雄はほっとした。あれ以上、康海隆について聞かれていたら、もっと深いところまで回答しなければならなかっただろう。
「今は心身共に、完全に回復しています。仕事にも早く復帰したいですし、心理的トラウマのようなものもありません」
次に指名されたのは、日本語が話せる中国人記者だった。
「こんな事件が起こって、中国が嫌いになったんじゃないですか?」
記者には特別な意図はないのだろう。しかし、杉雄から嫌中のコメントを引き出すような質問にも思えた。案の定、江上が心配そうな顔をこちらに向けていた。
「そんなことはありません」
杉雄はそう短く答えた。
「また中国に行きたいと思いますか?」
同じ記者が続けて質問してきた。
「もちろんです。会社が許してくれるなら、引き続き、上海支社で仕事したいと思っています」
カメラのシャッターが、今日一番かと思うほど、このタイミングでおろされた。
今度は別の中国人記者が指名された。
「中国語を話してもらってもいいですか?」
一座から笑いが漏れた。
「でも、日本の方々には意味が分からないと思いますので…」と杉雄は苦笑して断ったが、
「ほんの少しでいいです。私が中国語で質問しますので、それに中国語で答えてもらって、いいですか?」
引かない中国人記者に、また笑いが起こった。
「わかりました」
「你是不是不想再去中国了?」(もう中国に行きたくなくなったんじゃないですか?)
「没有,没有。就像刚才我说那样,我还是想在上海工作,如果公司允许的话」(そんなことありません。先ほども申しあげたように、もしも会社が許してくれるなら、また上海で働きたいですよ)
見事な中国語での会話に、会場から拍手が起こった。
「何と言っていたのか、わからない方が多いでしょうから、要約してお伝えします」と司会の江上が気を利かせて、通訳してみせた。
それが終わると、今後は笑いと拍手が同時に起こった。杉雄は、とてもリラックスできた。会場の雰囲気も悪くなかった。これなら、まだまだ質疑応答を続けられる。そして、記者からの質問も途絶えることがなかった。
「西林社長にお伺いします。木塚井さんを、また上海勤務にしますか?」
笑いが起こる。西林も苦笑いしながらマイクを持った。
「大変に難しいご質問です。ただ、人事権は私ではなく、彼の上司と人事部にあります。私は口出ししないようにしましょう。なにせ、トップが現場に口を出すと、ろくなことがない」
その回答にまた笑いが起こった。さすがは社長だと杉雄は思った。
「しかし、木塚井さんご自身は、また上海で仕事がしたいと言っていましたが、いかがですか?」
「現地に彼女でもいるのかな。なんせ、彼は独身ですから」
また笑いが起こった。杉雄は、社長がこの会見を引き受けたのも、そしてホテルなどではなく、本社ビル内の会議室で行っていることも、その目的が企業PRにあることを理解していた。自分の会社が全国に生中継されるなど、まさに千載一遇のチャンスだ。もちろん、それだけが目的で、西林が杉雄に記者会見を強制させようとしていたら、杉雄の心境はまったく別物だったであろう。しかし、松葉を通じて聞いた話では、西林は当初、記者会見を断ったという。社員をさらし者にはしたくない、と。しかし、メディア各社からは、記者会見の要望がひっきりなしに来る。それに、芸能事務所に勤める知り合いからもアドバイスを受けたという。正式な記者会見をやっておけば、メディアはそこに集中する。しかし、それをやらないことのリスクは、記者が個々に取材対象に群がることだ。有名人ならそれも仕方ないが、杉雄の場合は一般人であり、更には事件に巻き込まれた被害者だ。そんな杉雄がマスコミの餌食になってしまうのはかわいそうだ、という意見が一方では成立する、という内容だったという。ましてや、西林としては、社長として、会社のことを考えざるを得ない。杉雄が被害者にも関わらず、プライベートをマスコミの記者に嗅ぎまわられて、万が一、それで何か問題でも起こった場合には、会社としてもイメージや信頼問題になる。その時に「なぜあの会社は記者会見をしなかったのか」と世間からバッシングされる危険性もある。西林は悩んだ挙句、杉雄の意思と保護を第一優先にしつつも、杉雄と会社がウィンウィンの関係になる解決策を思いついた。それこそが、会社で記者会見をして、杉雄と自分が主席することであった。会見の席上、何かあれば、自分が全力で杉雄を守ろうと西林は考えたのだった。その上で、たくさんのマスコミが来社する。これなら、会社のPRにもなる。それを踏まえたうえで、絶対に強制的な雰囲気は出すなと松葉に厳命して、松葉に杉雄と記者会見について意見交換するようにさせたのだと、杉雄は後から知ったのだった。そして、上海の事務所に復帰した際に、テレビ電話で松葉と話した時に記者会見を打診された。杉雄は断る理由がなくオーケーしたが、その背後には社長である西林の熟慮があったのだ。自分が記者会見に出席することが、自分と会社のためになるならと、杉雄は喜んでこの会見に出席していた。それだけに、西林の当意即妙の回答や、ユーモアで笑いを起こす手腕に、杉雄は感心したのだった。
「冗談はさておき、ともかく、本人の希望と、現地の状況をよく考慮して、彼だけでなく、世界中にいる弊社の海外駐在者とその家族の安心と安全を、これを機にもう一度しっかり見直しまして、それをもって最終的に彼の次なる勤務地を決定していく所存です」
次の記者は松葉に質問した。
「木塚井さんは、松葉専務から見て、どんな社員ですか?」
「実は、私と彼は縁が深いんです」と松葉は、七年前に、杉雄に上海勤務を命じたのは、自分であったと話した。
「中国は、わが社の将来にとって、最も重要な市場です。と同時に、商習慣や政治体制の違いから、日本企業にとって、決して簡単な市場ではありません。そこで求められるのは、とにかく型にはまらない柔軟な発想と、人当たりの良さだと私は思ってきました」
杉雄は、初めて耳にする松葉の言葉に耳を傾けた。
「営業力の強い社員は他にもいます。しかし、それで中国ビジネスをうまく進めていけるかと言うと、そうとは限らない。また、言葉ができればうまくいくかというと、そうでもない。中国という歴史、文化、そして懐の深い国で、現地の協力関係企業の方々としっかりとした信頼関係を築き、がっちりタッグを組んでやっていくためには、ローカライズ化、つまり現地化できる社員が必要なのです。現地化された社員が、日本本社の意向や方針を中国に根付かせていく。そういう非常に高度なスキルと人間性が求められます。私が社内でリサーチした時に、そんな人物像に合致する社員ということで発見したのが、木塚井君だったのです」
そういう背景で自分が選ばれたのか…。杉雄は感激の面持ちで松葉のコメントを聞いていた。
「ただし、おっちょこちょいというか、考えすぎというか、気を遣いすぎというか…そういう面もありまして、時々、気を遣いすぎて、わけのわからない行動を取って、相手を困らすこともあります」
持ち上げといて、突き落すような松葉の話術に、またも会場が湧いた。
質疑応答は、最初こそ緊張感が感じられたものの、西林や松葉の話術もあり、次第に笑いあふれる和気あいあいとしたものとなっていった。これには、司会の江上も安心したようで、「他に質問のある方、どうぞ」と積極的に質問を求めていった。
もうそろそろ質問がなくなるかなと思われた時、一人の記者が手を挙げた。一目で外国人記者だとわかったのは、欧米系の顔をしていたからだ。スキンヘッドに柔和な表情。江上をじっと見つめて指名されるのを待っている。江上は迷わずその記者を指名した。
「すいません、フリーライターをしています、ブランドン・ザーブと言います」
少し訛りはあるが、はっきりとした日本語で自己紹介をしたブランドン記者が質問した。
「木塚井さんにお聞きしますが、犯人が警察に射殺されたことについては、どう感じていますか?」
その瞬間、杉雄は心臓をえぐられたようだった。和気あいあいとした雰囲気になり、そろそろ最後の質問となって、このまま記者会見は終わるだろうと誰もが予測していた中での質問だったからだ。しかも、杉雄にとって、一番答えづらい質問だった。
記者全員の視線が杉雄に集中した。しかし、杉雄の口からは、言葉が出てこず、ただ手首に出来たあざを見つめていた。