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第7話 ルビートマトのカルツォーネ

 真っ暗な闇の中で、異形の者たちが蠢いている。

 ランスロットは晴天の槍をそれらに向け、高らかに叫ぶ。


「我が名は、アプラスの聖騎士、ランスロット・アルベイト! 魔を狩る者だ!」


 自信と誇りを槍に込め、ランスロットは渾身の突きを放つ。

 しかし、異形の者たちは、その突きをいとも簡単にすり抜け、ランスロットに襲いかかってきた。


「うぐっ!」


 腹に、胸に、首に噛みつかれ、激しい痛みが走る。そして、身動きが取れないランスロットは、徐々に意識が遠のいていく。


 誰でもない、声がする。


「裏切り者」

「【勇者殺し】の大罪人」

「【堕ちた聖騎士】。永遠に闇を彷徨え!」


 裏切り? 勇者殺し? 俺がしたのか? 何故だ。分からない。思い出せない。


『忘れてしまえ。その方が、楽になる。そして俺に身をゆだねろ』


 気づくと、異形の者は重い銀の鎖へと変わり、ランスロットを縛り付けている。 


 声の言う通り、忘れたままの方がいいのではないだろうか。友を殺すような自分を、俺は知りたくない。本当の自分を知ることが怖い。


 ランスロットは、瞼がどんどん重たくなっていくのを感じた。


 このまま、深い眠りについてしまいたい。


 しかし、温かい声が彼方から聞こえた。


「私、あなたを信じたい。全て記憶を取り戻して、あなた自身に本当の真実を語ってほしい! その手伝いをさせてほしいんです!」


 愛しい恋人の声──、違う。この声は、もう一人の守りたい者の声だ。


「ノ……エル……」

「ランスロットさん!」


 手を伸ばすと、少女の細い手首に触れた。温かく、脈打っているのが分かる。


「ランスロットさんって、起きる時、誰かの手を掴む癖とかあります?」


 ランスロットがハッと目を開けると、そこは闇の世界ではなく、住み始めたばかりの自身の寝室だった。

 そして、同居人の少女が心配そうに、こちらを覗き込んでいる。


「私の部屋にまで、うなされてる声が聞こえて来たので来ちゃいました。大丈夫ですか?」

「あぁ、すまん。少々夢見が悪くてな」


 ランスロットは深く息を吐くと、ノエルを心配させまいと、早々に身体をベッドから起こした。


 何故、この少女がアンジュと瓜二つの姿をしているのかは分からない。子孫といえど、アンジュは養子を取っており、ノエルとの直接的な血のつながりはないはずなのだ。だとしたら、神の悪戯か、それとも悪魔の気まぐれか――。


 いずれにせよ、少しだけ幼いアンジュを見ているかのようであり、ランスロットとしては、守ってやりたい親心が湧いてくるのである。


「さて、今日は【エフェル祭り】の日だったな。頼むぞ、オーナー」

「はい! 絶好の宣伝日和ですから、張り切っていきましょうね!」


 花が咲いたようなノエルの笑顔に、ランスロットは力強く頷いた。




***


 ロンダルク領では、春になると新しい実りを願い、エフェルという花を家の前に飾る風習がある。かつては、それだけの風習に過ぎなかったのだが、近年では町を盛り上げる意味も込めての祭りが行われている。それが、【エフェル祭り】だ。


「ちびっ子は、エフェルの花かんむり付けてはしゃいでさ! 大人は、昼間から酒飲んで、屋台で美味いもん食って! みんなが浮かれて騒ぐ祭りなんだぜ!」


 そんなハインツの話に、ノエルはすぐさま食いついた。


「それって、私たちもお店を出せるっ?」

「お、おう。親父の許可があれば、屋台登録できるけど……。せっかく町に来たばかりなんだし、俺と一緒に祭りをまわ……」

「ありがとうハインツ! ホカイドおじ様に伝えて! ベーカリーカフェルブラン、【エフェル祭り】に出店するわ!」


 こうして、呆気にとられているハインツをよそに、ノエルはやる気満々で出店の支度に取り掛かったのである。





 祭り当日、ノエルとランスロットは、元【幽霊屋敷】の軒先に長テーブルとテント屋根をせっせと設営した。これらは屋台登録をすることによって、エフェル祭委員会から格安でレンタルさせてもらっている。加えて、パン生地を成型する作業台、油鍋、材料、包み紙など必要なアイテムを並べ、開店準備は万端だ。


「店頭販売は、初めてだからワクワクします!」

「ノエルが調理して、俺が接客と清算を担当すればいいのだな。任せろ」


 ランスロットはやる気十分だが、相変わらず古臭い鎧と鎖がギシギシと嫌な音を立てている。

 今度キッチンに入る時は、鎧だけは絶対に脱がせてやるんだから、とノエルは心に決めたのだが、今日ばかりは目立つ方がいい。


「ベーカリーカフェルブランの本オープンに向けての出店ですから、張り切って宣伝しましょうね! 商品を提供する時に、このチラシも一緒に渡してください」


 ノエルは、宣伝用のチラシをわさっとランスロットに手渡した。


【ベーカリーカフェルブラン! 4月16日オープン! 基本は予約制ですが、オープン当日は開店記念パーティを行います。お気軽にどうぞ!】


 目立つ文字に、パンと闇ザラシのイラストを書き添えたチラシだ。ノエルが寝る間を惜しんで、手書きで百枚完成させた力作である。


「チラシ作るの、ほんっとに大変だったんで、じゃんじゃん配ってください! お願いします!」

「す、すまない。俺がもっと、手伝えたらよかったのだが……」


 ランスロットは非常に申し訳なさそうにしていたが、ノエルは責めるつもりはない。残念ながら、ランスロットにはイマドキの美的センスというか、絵心がなかったため、ノエルから手伝いを断ったのだ。もちろん、その代わりに、テントの設営や清算用のお金や帳簿の準備をしてもらった。


「三百年の間に、金の単位や紙幣が変わっていなくて安心したぞ。算術は得意だから、役に立てるはずだ」

「よかった。私は計算が苦手なので、本当に助かります!」




 そして午前10時。ロンダルク領【エフェル祭り】は幕を開けた。


 町中にエフェルの花が飾られ、陽気な音楽が流れている。中央市場には軽食の屋台が連なり、領民の食欲を刺激している。

 なんて賑やかで華やかなんだろうと、ノエルは目を輝かせる。


「あ~! あの焼きトウモロコシ美味しそう! 季節のミックスジュースって、何が入ってるんでしょうね? ロッコウ牛のコロッケも気になります!」


 ノエルは、屋台をきょろきょろと見回し、是非食べてみたいと心を弾ませていた。

 しかし、ルブランは自分とランスロットしかおらず、店番を抜けるわけにはいかない。


 た、食べたいけど我慢!


 ノエルは食欲と好奇心をぐっと抑えて、店番に集中することにした。

 そして、セサミにエフェルの花かんむりを被せ、ランスロットの肩にぽいっと乗せる。


「ランスロットさんとセサミで、呼び込みお願いします!」


 セサミは分かっていないだろうが「きゅっ」と返事をし、ランスロットは意気揚々と屋台の前に出て行った。


「皆様方! ベーカリーカフェルブランの《ルビートマトのカルツォーネ》は如何か?」


 ランスロットの一風変わった客寄せ文句が辺りに響き渡り、道行く人々の視線を集め始める。

 そして同時に、ノエルもカルツォーネの生地を油で揚げ出した。香ばしいパン生地の香りと、ジュウジュウという油の音が風でふわりと広がり、往来の人々が反応していることが分かる。作戦通りだ。


 カルツォーネは、ピザ生地でソースや具材をぱたんと包み、焼き上げるパンである。だが、今日は、人目を引くライブ調理をするため、加えて熱々を提供するために、油で揚げることにしたのだ。


「ご婦人方、お一つ如何かな? 食べ歩きにも最適かと思うぞ」


 ランスロットは、よく響く良い声で中年の女性二人組に声を掛けていた。

 女性たちはランスロットを繁々と眺め──、おそらく祭りに不似合いな騎士だと思ったのだろうが、最終的には彼の顔を見て、屋台に寄ってきた。


「おにぃさん、この辺じゃ見ん顔ねぇ。でもいいオ・ト・コ!」

「騎士の仮装かいな? かっこええね。そんで、何売っとるん?」

「カルツォーネだ。よく熟したルビートマトを使ったソースと、ベーコン、チーズが入っている。近日オープン予定のベーカリーカフェルブランの自信作だ」


 ランスロットが甘い笑みを浮かべてカルツォーネを差し出すと、女性たちは「私が先やよ!」と、争うようにして手を伸ばす。

 イチコロとはこのことか、とノエルは感心した。イケメンおそるべし。


「あらぁ~! 熱々でえらい美味しいわぁ!」

「男前がいると、美味しさ倍増じゃぁ」

「4月16日にオープンするので、良ければお越し下さい!」


 ノエルも女性たちに声を掛け、「ありがとうございました」と頭を下げた。


「可愛いお嬢ちゃんが料理してるんね。是非行くわぁ。頑張ってなぁ」


 温かい言葉と笑顔をもらい、ノエルとランスロットは俄然やる気が湧き、力強く頷き合う。滑り出しは好調だ。


「ランスロットさん、やっぱりモテますね」

「接客が上手いと褒めて欲しいところなのだが」


 ランスロットは不満を口にしているわりには、嬉しそうな様子だ。どうやら初めての接客は、思っていたよりも楽しいようである。



 そして、その中年女性二人組を口火にお客(主に女性)はどんどん集まり始め、カルツォーネは飛ぶように売れていった。


「やっぱり、お客様が来て、買ってくれて、喜んでくれるのって、嬉しいですね。私、なんだか泣きそうです」


 ノエルは、カルツォーネを揚げる手は止めずにランスロットに話しかけた。久々に、商売をしている感覚が懐かしく、嬉しいのだ。


「これが商売の醍醐味なのだろうな。まさか、三百年経った世界で客引きをすることになるとは思わなかったが、悪くない」


 ランスロットはセサミを撫でながら、しみじみと目を細めている。

 彼は貴族出身の聖騎士で、魔王大戦の時代の人間なのだから、当然だろう。



 二人でそんな会話をしていると、人混みの中から、よく目立つ真っ赤な髪の青年が近づいて来た。ハインツである。


「おーい! ノエル! ランスロット! 頑張ってるか?」


 軽やかな足取りのハインツは、ミックスジュースとロッコウ牛コロッケをノエルたちに差し入れてくれた。


「多分好きだろ、これ。ロンダにんじんとアプラの実とエフェルハニーでできてるらしいぜ。コロッケは、お袋からの差し入れな」

「わぁ、ありがとう! さすがハインツ! 分かってる」


 ノエルは喜んでジュースを受け取った。が、気になったことは別にあった。


「あの、ハインツ。差し入れは有難いんだけど、あなたの取り巻きさんたちが、お店の前を塞いでるのを何とかしてくれないかしら」


 ノエルは、ハインツを囲む取り巻き──、20代から30代くらいの逞しい男たち五人を見て言った。


 それぞれが剣や槍を携えており、身体には歴戦の傷跡だらけ。如何にも、物騒な仕事をしていそうな男たちなのだ。


「あ、あぁぁぁ! ごめん! ちょっと、兄さん方。邪魔になってるから! 隅に寄ってくれ」


 ハインツは慌てて、男たちに屋台の傍に移動するように促した。

 すると、顔に刀傷のあるリーダーと思しき男が、「なんなら、ハインツにくっついとこうか? えぇ?」と、無理矢理ハインツの肩を抱きながら笑った。他の男たちも、「俺も俺も!」 と冗談めかして笑っている。


「すんません、マジでやめてっ!」

「相変わらず、年上の男の人にモテるわね。ハインツ」


 ハインツは男の腕をすり抜け、逃げるようにしてノエルの後ろに駆け込んできた。 

 そう、ハインツは男性にモテる。本人はまったくその気はないのだが、不思議と大人の男性から可愛がられるのだ。

 ハインツはノエルにとっては兄のような存在だが、大人に囲まれると弟分気質になるのでは……と、ノエルは分析している。


「いや、仲良いだけ。仲良いだけだから! 武者修行してた時の、傭兵団の兄さんたち。それだけ!」


 ハインツは早口でまくし立て、「兄さんたち」に同意を求めた。

 しかし、「兄さんたち」は大袈裟に肩をすくめ、首を傾げている。


「どうだっけなぁ~、ハインツ~」

「もっと色々なかったか?」

「ないないないない! せっかく祭りに呼んだのに、風評被害は勘弁してくれ!」


 ぶんぶんと首を横に振るハインツが可笑しくて、ノエルも釣られて一緒に笑ってしまう。

 同時に、こんな面白い人たちの元で修行をしていたのなら、きっとハインツも楽しくやっていたのだろうと少しほっとした。彼が武者修行を中断し、ロンダルク領に出戻って来た理由が、傭兵団の人たちとの間にトラブルでもあったのではないかと密かに心配していたのだ。

 だが、どうやらハインツと彼らの関係は悪くなさそうだ。

 特に、リーダーにはひどく気に入られているようで、「今夜、お前ん家に泊めてくれよ」と迫られている。


「兄さんには宿取ったって言っただろ? 絶対にオレの家には泊めない。そうだ、ランスロットも見ただろ? オレの家、狭かったよな?」

「家は単身者向けの広さだったが、ベッドは大きめな上に、良質そうだっ――」


 ランスロットの至極真面目な回答に、ハインツは「その情報はいらない!」と、大声で言葉を遮った。

 そこに、リーダーの「正直な騎士様、嫌いじゃないぜ。アンタも夜、来いよ」という半笑いの声が重なる。もちろんランスロットは「遠慮する」と断っていたが、このリーダー、なかなか癖が強そうである。



 そんなやり取りをした後に、ハインツはやれやれとため息をつきながら話題を変えた。


「ノエル、ランスロット。オレらも店、手伝うぜ! 良かったら店番代わるし、祭りを回って来たらどうだ?」


 ハインツたちは、初めから店を手伝うつもりで来てくれたらしい。一人カルツォーネ一つで、一時間協力してくれるとのことだった。ノエルはもっと広範囲で宣伝をしたいと考えていたため、それは願ってもない申し出だった。


「ありがとうございます! 助かります! 本当に、カルツォーネだけでお願いしちゃっていいんですか?」

「ま~、ハインツに頼まれちゃあね。それくらい、構わないよ」


 リーダーが他の男たちに「どう?」と問いかけると、全員が力強く頷いた。なんとも心強い。


「みなさん、ハインツ、ありがとう」


 ノエルがハインツに礼を言うと、彼は照れた様子で頭を掻いていた。


「おう。なら、祭り、回ってこいよ。屋台の他にも、演奏会とかクジ引き大会とかやってるぞ」

「わぁ、気になる! ……でも、私はお店を抜けれないわ。他の人じゃ、カルツォーネを作れないでしょ?」


 残念ながら、ノエルの他に料理を任せられる者はいない。

 ノエルは完売したら、祭りに繰り出すと心に決め、ランスロットに休憩をしてもらうことにした。


「ランスロットさん! 屋台を回ってきてもらっていいですよ! せっかくのお祭りなので、満喫してきてください!」

「いいのか? 俺だけ」


 申し訳なさそうにしているランスロットだが、ノエルは彼がお祭りに興味津々であることに気がついていた。魔王大戦中だった三百年前は、こんな楽しいイベント事は無かったのかもしれない。


「もちろん! その代わり、お土産よろしくお願いしますね!」





***


 ノエルに送り出され、ランスロットは祭り客で賑わう町に繰り出していた。

 肩には、エフェルの花かんむりを被ったセサミが乗っている。鎖を巻いた騎士がファンシーなもふもふモンスターを連れて歩いているわけで、もちろんかなり目立っている。


「撫でてみるか? 大人しい闇ザラシだぞ」


 ランスロットは、セサミに熱い視線を送る幼い少女に声を掛けた。


「うわぁい! 可愛いアザラシ!」


 少女は嬉しそうにセサミをもふもふと撫で、当のセサミも気持ちよさそうに「きゅう~」と鳴いている。


「あの、もしかすっと、カルツォーネの店の店員さんかい?」


 少女の手を引いていた父親が言った。彼もセサミを撫でたそうに見えたので、ランスロットはセサミを差し出しながら、「あぁ」と頷いた。


「近所のおばぁが、アザラシがいる店で美味いカルツォーネが食べれる言うから。店員さんも男前だぁって。やっぱり、あんたか~」


 どうやら、嬉しい噂が広がってくれているらしい。ランスロットは、チラシを持ってこなかったことを悔やみつつ、「ベーカリーカフェルブランという店だ。店主は若いが、料理は絶品だ」と、きっちり宣伝はしておいた。

 小さな努力が、いずれ自分に返ってくる。宣伝は、鍛錬と同じだ。

 自分を拾ってくれたノエルのため、そしてアンジュが残した店のために、力になれることは何でもしたい。ランスロットはそう思っていた。



「きゅっきゅっきゅっ」


 セサミが、少女と父親を見送るランスロットの頬をぺちぺちと叩く。早く行こうと言わんばかりである。


「ん……、すまんな。セサミ」


 しかし、ランスロットは目的のないまま、なんとなく歩くしかなかった。どこをどう見て回ればいいのか、祭りをどう楽しめばいいのかが分からなかったのである。


「チラシ配りのような、役割があった方が良かったかもしれんな」


独り言を呟きながら、ランスロットは屋台の間を抜け、中央広場にふらりと辿り着く。

 そこではジャズバンドが生演奏をし、派手な衣服の若者たちがそれに合わせて陽気にダンスを踊っていた。愉快で楽しそうな光景であるが、ランスロットはとても馴染めそうにない。ランスロットにとってのダンスは、オーケストラに合わせたワルツであり、踊る場所は城や屋敷の大広間なのだ。


 ところが。


「やっほ~! お兄さん、鎖なんて巻いて、イケイケやん! 一緒に踊ろうっちゃ!」


 と、顔にペイントメイクを施した女が、飛び跳ねるようにランスロットに近づいて来た。


 ランスロットは、つい昨日、彼女が熱心に畑を耕している姿を目撃していたのだが、まるで別人。祭りを全力で楽しんでいる印象だった。


「い、いや、俺は遠慮しておく。またの機会に頼む……」


 人は置かれる状況で変わるものなのだなと、ランスロットは感心しつつ、その場をそそくさと足早に離れる。

 そして、あちらこちらから聞こえる歌声や歓声、舞い散るエフェルの花びらを見ていると、娯楽というものの大切さを痛く感じた。

 三百年前には、故郷のアプラス領はもちろん、オーランド王国全土が魔王に侵されつつあり、大衆娯楽や祭りなど、もってのほかであった。いつ魔王の配下が攻めてくるのかと、毎日が恐怖と緊張に満ちていたのだ。


「平和な時代になったものだな」


 人々の活気も、笑顔も、自分が知らないものだった。

 しかし、それらを幸せなことだと感じる反面、時代の変わりようにランスロットの気持ちは追いつかない。心だけが三百年前に取り残されてしまっているかのような孤独感や、自分だけが平和な世を生きていいのだろうかという罪意識がせめぎ合い、混ざり合って足を重くする。なんだか、身体に巻き付いている鎖の重さまで増しているかのような気がしてしまう。


「きゅうぅぅ」


 セサミの短い手がランスロットの頬にさわさわと触れ、励ましてくれているかのようだった。しかし、よく見ると、セサミはエフェルの花かんむりをむしゃむしゃと食べているだけだった。


「セサミ! せっかくノエルが買ってくれた花かんむりを!」

「きゅぅっ! きゅぅ!」


 ランスロットが止めたが、時すでに遅し。セサミはすぐに、エフェルの花かんむりを完食してしまった。


「美味かったか? エフェルの花は」

「そのエフェルの花は観賞用じゃが、食用もあるけん! フル~ティで美味いけん!」


 ランスロットはセサミに話しかけたつもりだったが、花売りの少女がパッと顔を覗かせた。


「ほぅ。食用のエフェルの花か。面白いな」

「じゃけん、お兄さん一籠どう? 今ならオマケも……」


 少女が花籠をランスロットに差し出して見せた時──。


「きゃーっ! 盗賊団よー!」


 中央市場の屋台通りの方から、甲高い悲鳴があがったのである。


「いかん! 店にはノエルが!」


 どうやら、盗賊団が現れたらしい。ランスロットはノエルの身を案じ、元来た道を駆け出した。




***

「祭りの金は、このジャギー様がいただきよ! ガハハ!」


 突如、中央市場に馬で突っ込んできた男たち──、ジャギー盗賊団は屋台を襲い、金を奪い始めたのだ。


「や、やめてくれ! 店のお金を……!」

「るせぇ! どけぃっ!」


 アプラ飴の屋台の店主が懇願するも、ジャギーは乱暴に払い退ける。そして、斧を振り回して、他の者にも金を差し出すように要求した。


「おら、死にたくなかったら金出せ!」

「お断りよ!」


 凛とした声で言い放ったのは、ノエルである。ベーカリーカフェルブランの屋台を守るように、胸を張って仁王立ちをしている。


「逆らうのか、小娘ぇ! やる気かぁっ?」

「みんなのお祭りを滅茶苦茶にするなんて、許せない! 戦うのは、私じゃないけどっ!」


 ノエルが言うと、彼女を守るように六人の男たちが前に進み出た。


「ど田舎のロンダルク領に、ヴァレン傭兵団が来てるとは思わなかっただろ? 運がなかったな」


 ハインツと「兄さんたち」──、ヴァレン傭兵団が得物を抜き放つ。


 ヴァレン傭兵団といえば、雇った側が必ず勝利すると有名な傭兵団だ。

 ノエルも、かつてナイトランドで店を構えていた時に、領地の騎士たちが「ヴァレン傭兵団のせいで仕事を取られてしまう」、「俺たちの立場がない」などと嘆く姿を多々目撃していたのだが、まさか本物にお目に掛れる日が来るとは思っていなかった。


「なんだとぉっ! ヴァレン傭兵団んんっ? 」


 ジャギーも同様だったらしく、驚いて目を剥き、一瞬怯んだようだった。

 しかし、自分たちの方が人数が圧倒的に多いことを確認し、再び威勢を取り戻す。彼は仲間に集まるように指示すると、傭兵たちを指差した。


「野郎ども! 生意気な傭兵をぶっ殺せ!」

「あーあ。舐められたもんだね、俺たちも」


 顔に傷のあるリーダーの男──、傭兵団団長ヴァレン・ホープスは、愛用のシルバーカトラスを盗賊たちに向けた。湾曲した白刃がキラリと光り、ヴァレンの不敵な笑みが映し出される。


「祈る間はやらないよ」


 ヴァレンが言うと同時に、盗賊団と傭兵団の戦いが始まった。

 武器と武器がぶつかり、乾いた金属音が響き渡る。


「ノエル、危ないから下がってろ!」


 ハインツも傭兵団に混じって、二刀を振っている。彼は鋭い斬撃で、さっそく盗賊の一人を斬り伏せた。


「領主の息子として、町を荒らす奴らは見逃せないぜ! 悪いが、自警団が来るまでに終わらせてやる!」

「いっけぇ! その調子!」


 ノエルは屋台の陰から声援を飛ばし、戦いを見守っていた。

 残念ながらノエルの魔法は攻撃には向かないため、加勢ができないのだが、順調に盗賊の数は減っていた。ハインツもヴァレン傭兵団も強い。倍以上もいる盗賊たちをバッタバッタと斬り倒し、圧倒しているのだ。


「ヴァレン兄さん! 後ろはオレが!」

「おっし! 任せたぜ、ハインツ!」


 ハインツとヴァレンが慣れた様子で連携を取り、また一人盗賊が沈む。

 そんな圧倒的な状況を前に、残る盗賊たちはすっかり戦意を喪失している。


「やっぱり強え! ヴァレン傭兵団の連中!」

「ジャギーの兄貴、もうトンズラしようぜ!」

「えぇいっ! ちくしょう! さっきの小娘だけでもぶっ殺してやる!」


 するとジャギーは、やけくそ気味に呪文を唱え始めた。


 狙いはノエルだ。


「うそ! あの見た目で魔法を使うの?」


 如何にも品性のない荒くれ者の外見をしているズッシィに、魔法の素養と教養があることには驚きを隠せないノエルだが、今はそんな場合ではない。


「消し炭になれ! 【エクスファイア】!」


 ジャギーの手から勢いよく炎が伸び、ノエルに迫った。


「きゃあっ!」

「ノエル!」


 ハインツの声が聞こえたが、ノエルは逃げることもできず、思わず目を瞑った。炎の熱気を顔のすぐ近くまで感じ、恐怖を感じる間もなかった。


 私、死んだ?


 しかし、炎はノエルまで届いていなかった。


「俺は聖騎士だ。魔法耐性は高いぞ」


 ノエルが目を開けると、そこにはセサミを肩に乗せたランスロットが立っていた。

 ジャギーの魔法がノエルに届く寸前、ランスロットが間に身を滑り込ませたらしい。


「ランスロットさん!」

「危なかったな! ノエル」


 ノエルには、エフェルの花びらが舞う中で振り返るランスロットが、とても美しく輝いて見えた。

 金色の髪が太陽の光を受けてまばゆく光り、蒼空を移したような瞳からは、ノエルに優しい視線が注がれている。

 その姿は騎士というよりも、まるで王子様。ノエルは、無意識に息を呑んで見惚れてしまった。


「あ、ありがとうございます! ランスロットさん!」


 ノエルは思っていたよりも、魔法に怯えていたらしい。心臓をバクバクさせたまま、ランスロットに礼を言った。


「お前のことは、俺が守ると言ったはずだ。ノエル、セサミを頼む」


 ランスロットは肩のセサミをむんずと掴み、ノエルに預けた。

 そして、晴天の槍を右手に召喚しつつ、ジャギーの元へ飛ぶように駆けて行く。


「なんだ、てめぇ! 邪魔しやがっ……」


 ランスロットは、ジャギーの言葉を待ちはしなかった。


「【ロザリオ・ワルツ】!」


 瞬間、ランスロットの舞いのように優雅な一撃が、ジャギーの胸を貫いた。


「うぐっ……! くそ!」


 ジャギーは呻き声をあげながら、その場に倒れ込む。

 そして残る盗賊たちは、ボスを討ち取られたことにより、慌てて逃げ出し始めた。



「ノエル、大丈夫か?」


 盗賊たちが逃げて行くのを確認すると、ハインツは急いでノエルに駆け寄ってきた。


「ごめん。オレがいながら、危ない目に合わせた。ランスロットが来なかったら、マジで消し炭だったかも……」

「え、縁起でもないこと言わないでよ!」


 申し訳なさそうに恐ろしいことを言うハインツに、ノエルはとんでもない、と首を横に振った。


「とにかく、無事で何よりだよね」


 見ると、ヴァレンがランスロットの肩に手を置いた姿勢で、うんうんと頷いていた。


「あっ! 兄さん! ランスロットが穢れるだろ! 馴れ馴れしく触るな!」


 ハインツは慌てて、ヴァレンをランスロットから引き離そうとした。

 しかし、ヴァレンはランスロットの肩を抱いたまま、ハインツをくるりとかわしてしまう。


「なんだい? ハインツ。俺がカッコいい騎士様にくっつくのが嫌かい? なるほど、ヤキモチってわけか」

「いや、ちげーし! キモいこと言うな!」


 ハインツが吠えるたびに、傭兵団の仲間たちからは楽しげな笑いが湧いた。

 ノエルも笑っていた。怪訝そうな顔をしながら、ヴァレンに振り回されるランスロットが可笑しかったからである。


「ヴァレン殿。俺は、ハインツと貴殿の邪魔はしたくないため、そろそろ離してくれ」

「ランスロットーっ! やめろって!」


 ハインツは、うんざりした様子で肩を落としている。


「もういいからさ! そろそろ片付けするぞ!」


 ハインツの一声で、盗賊に滅茶苦茶にされた屋台通りの片付けが始まった。


 しかし、つい半刻前までは穏やかで楽しい祭り会場だったのに、辺りの屋台は半壊。客は逃げていなくなってしまっている寂しい状況だった。他のエリアはともかく、この周囲一帯の修繕は間に合わないだろう。


「せっかくみんなで頑張ってたのにね」


 ノエルは、倒れて粉々にされてしまった看板の欠片を拾い集めながら呟いた。

 たくさん揚げていたカルツォーネもすっかり冷めてしまい、しんなりとしている。気合いが入っていただけに、やはり、落胆せずにはいられない。


「ノエル。元気を出せというのは難しいかもしれんが……。【エフェル祭り】は終わっていない。良ければ共に、祭りを見て回らないか? 俺一人では、楽しみ方が分からんのだ」


 気落ちしていたノエルの右肩に、ランスロットはポンっと手を添えて言った。

 その大きな手に、ノエルはビクンと飛び跳ねそうになってしまった。それに、何故だかまだ胸がドキドキしていて、ランスロットが近くにいると身体が勝手に熱くなってしまうのだ。


「じゃ、じゃあ、お祭りの楽しみ方は、若者代表の私が教えてあげます! この辺りの片付けが終わったら、行きましょう!」


 ノエルは自分の感情の整理が追いつかないままに、セサミを抱き上げながら笑ってみせた。

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