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第6話 ロンダルク野菜のタルティーヌ

 【幽霊屋敷】の幽霊問題を解決した翌朝から、ノエルとランスロットは、屋敷の大掃除を始めた。


 一階を店、二階を居住スペースにすることとなり、まずはキッチンの掃除から取り掛かっていた。しばらく空き家だったこともあり、なかなか手強い状態だったが、調理台やオーブン、テーブルなど、きちんと掃除をすれば、そのまま使えそうな道具や家具も多く、非常に有難い物件だった。


「前住んでた人が、いいオーナーさんだったっていうことが、よく分かります」


 ノエルは、備え付けの石窯を掃除しながら感嘆の息を漏らした。料理人として、是非使ってみたい石窯だ。 


「キッチンは料理人の聖域だ、と誰かが言っていた。そして、その聖域の状態こそ、料理人の腕前を示すと」


 相変わらず、鎖と鎧を纏っているランスロットは、絶望的にモップが似合わない。しかも、闇ザラシ――、命名セサミがピタッと張り付くように肩に乗っている。その姿が可笑しくて、ノエルは思わず笑ってしまいそうになる。


「それ、父も言っていました。初代から伝わる格言なんだ、って」

「アンジュの言葉だったか。俺はアンジュの言葉も忘れているのだな」


 ランスロットは、寂しそうな顔をして言った。そして、そんな顔をさせてしまったことが、ノエルは悲しかった。


「ごめんなさい、ランスロットさん。私がもっと、記憶が戻るような料理を作れたらいいんですが……。スコーンと鶏のソテーみたいに、なかなか上手くいかなくて」

「何を言う。それはノエルの責ではない。記憶を取り戻すのは、俺であって、お前は協力者。謝罪は筋違いだ」


 ランスロットは肩のセサミをむんずと掴んみ、ノエルの頭の上に移した。


「きゅうっ」


 セサミは短い両手をぱたぱたと動かして、はしゃいでいる様子である。ノエルはセサミを落とさないようにしながら、ランスロットを見上げた。


「さぁ、掃除の続きだ」


 ランスロットは再びモップを握り、せっせと手を動かしている。


 この人のために、何かしてあげたいのに……。


 ノエルは、もやもやした気持ちを昇華させるため、ひたすら真剣に掃除を進めることにした。


 そして、昼過ぎに、ひとまずキッチンとホールの掃除を終えることができた。


 それぞれは、そこまで広いスペースではない。キッチンは、二人で作業するのが限界だろうし、ホールは丸テーブル四つでいっぱいになっている。


 だが、二人で店を回すなら、適度な大きさかもしれない。


「うん! すごくワクワクしてきました!」

「俺は、お前が元々どんな店をしていたか分からないが、今後のプランはあるのか?」


 ランスロットは、丸テーブルの上に上げていた椅子を、二脚ずつまとまて下ろしながら言った。


「父がいた時は、モーニング、ランチ、ティータイムでやってたので、できればそうしたいんですが……」


 自分と料理素人のランスロットでは、同じようにすることは無理だろうと思い、ノエルは言葉を濁らせた。まずは、現実的な案を考える必要がある。


「やっぱり、お客様が来やすいランチとティータイムですかね。ロンダルク領は農家さんが多いから、朝にゆっくりモーニングする人は少なそうですし」


 ナイトランドで店をしていた時は、出勤前の騎士のモーニングの需要があった。


 しかし、ロンダルクでは同じようにはいかないだろう。農家の朝は早いため、それではこちらの仕込みが間に合わない可能性が高い。


 しかし――。


「私一人でお店をやってた時、ランチとティータイムですが、お客様がみるみる来なくなってしまって。実はランスロットさんは、久々のお客様だったんです」


 ノエルは、先程までワクワクしていたのに、急に不安になってしまった。


 歴史あるベーカリーカフェ ルブランを廃業寸前まで追い込んでいたのは、他ならぬ自分なのだ。ナイトランド領主サーティスの妨害があった可能性も考えられるが、それも初めからではないはずだ。


「客入りが悪くなるほど、お前の料理はマルク殿より劣っていたのか?」


 有り難いことに、ランスロットは納得のいかないという表情を浮かべていた。


「そんなことはないと思います! 料理には自信がありますよ!」

「ならば、メニューを変えたか?」


 ランスロットの一言に、ノエルはドキリとした。確かにメニューは変更していた。


「すぐに提供しやすいように、ランチメニューを減らして、シンプル化しました。肉料理のAセット、魚料理のBセット、パスタのCセットです。パンは二種類に絞って、なるべく仕込みの時間を削減できるようにして……」


 ノエルは自分で説明しながら、何となく、客が減っていき、常連客まで寄り付かなくなった理由が分かってきたような気がした。


 私、お客様をぜんぜん見てなくて、お店を回すことしか考えてなかったんだ……。


 ノエルは、セサミを胸元できゅっと抱きしめながら、過去の自分を思い返した。


 今思えば、父マルクは、客との対話を大切にしていた。客を見て、話すことで、相手の気持ちを理解しようとしていたのかもしれない。


「お客様の気分、体調、味の好み……。私は自分のことで手一杯で、何も気づけてなかった」


 効率化は悪いことではない。だが、ルブランの客が求めていたのは、一定の味や、提供時間の早さではなかったのだろう。


「落ち込むな、ノエル。店はこれからだ! お前が作りたい店の形を、よく考えることだ」


 ランスロットは、ノエルの手を引き、「外へ行こう」と促した。


「腹が減ると、思考が止まってしまう。俺も三百年間、ぼんやりとしていたようだからな。何か食べよう」

「それ、笑ってもいいんですか?」


 ノエルを励ます冗談なのかどうか分からなかったが、ランスロットの気遣いが嬉しかった。そして、ノエルはランスロットに連れられ、買い物に出掛けることにした。



 ***


 二人はロンダルク領の市場をぐるりと散策し、家に戻る頃には、食材で両手がいっぱいになっていた。ロンダルクの商人たちは、人がいいのか土地柄なのか、引っ越してきたばかりのノエルたちに、「試しに食べてみて」と、オマケをたんまり持たせてくれたのだ。


「もの凄い量になってしまったな」


 ランスロットは、紙包みからはみ出し、タワーのようになっている小麦粉や野菜、果物を、そっと調理台に置いた。そして、アプラの実を狙うセサミを素早く捕まえた。


「食事はまだだ、セサミ。 料理をしてからだ」

「きゅうぅぅぅ」


 残念そうな鳴き声をあげるセサミである。


「セサミ、後でちゃんとご飯あげるからね」


 ノエルは微笑み、ランスロットの手の中のセサミをもふもふと撫でた。そして、視線を上げて、ランスロットを見やった。


「今日のお昼は、私一人で作りますね。まだお店はオープンしてませんが、初賄いをランスロットさんに食べていただこうと思います」

「俺も手伝おうと思っていたが、いいのか?」

「はい! 私、確かめたいことがあって」


 新しいベーカリーカフェ ルブランを、どんな店にしたいのか。ノエルは、それを自分なりに考えてみようと思ったのだ。


「そうだ、リクエストを聞いてもいいですか?」


 ノエルは掃除したてのキッチンに駆け込みながら、くるりと後ろを振り返った。


 するとランスロットは、「そうだな……」と、少し考えてから、思いついたように口を開いた。


「お前のパン ド カンパーニュを食べてみたい。アプラスでは、よく食べるパンだったのだが……。作ってくれるか?」


「もちろんです! ご注文、承りました!」


 ノエルは軽くお辞儀をし、エプロンのリボンをきゅっと結んだ。


 パン ド カンパーニュとは、野生酵母による自然な酸味と、香ばしく歯ごたえのある外の皮、弾力のある中身――、クラストとクラムが特徴の大型の田舎パンである。発酵種を事前に作っておく必要があり、普通は前日からの仕込みが必要だ。


 しかし、魔法料理人のノエルは別である。


「炎の精霊よ。水の精霊よ。我の声を聞け!」


 ノエルは精霊の力を借り、食材を操るように料理ができるのである。


 今は、理想の温度と湿度を作りあげ、生地の発酵スピードを何十倍にも早めている。そしてノエルは、その発酵を見守りながら、本ごねの生地作りにも取り掛かった。


 ランスロットは、アプラス領でどんなパン ド カンパーニュを食べたのだろうか。幼い頃、家族と朝食で? アンジュとも一緒に食べたのだろうか? チーズやバターをのせて? シチューの付け合わせかも?


 ノエルは想像を膨らませながら、パン生地をこねていた。考えるだけで楽しくなる。


 今、私がランスロットさんに作れる最高のパン ド カンパーニュは、どんなものだろう?


 ふと、調理台の紙包みから転がり出ている野菜に目が止まった。


「野菜……。これだわ!」


 ノエルは、ミルクティー色のポニーテールを揺らしながら、踊るように野菜を手に取った



***


 半刻後、パンの焼ける香ばしい香りが、キッチンとホールに広がっていた。ノエルがパンを焼くのは久々で、懐かしい幸福感を実感せずにはいられなかった。やはり、パン作りは楽しいのだ。


「お待たせしました、ランスロットさん!」


 ノエルは丸テーブルの真ん中に、そっと皿を置いた。


「タルティーヌか! 美しいな」


 ランスロットは料理を見て、感嘆の息を漏らした。


「《ロンダルク野菜のタルティーヌ》です。パン ド カンパーニュをスライスし、野菜とソーセージ、チーズをのせて焼いています」


 タルティーヌとは、オープンサンドイッチのことである。今回は、じゃがいも、ズッキーニ、にんじん、トマト、レンコン、ブロッコリーなど、ロンダルク領自慢の野菜が、パンを飾っている。まるで花びらのようである。


「どの野菜もとても美味しそうだったので、ふんだんに使ってみました! これが、私の今日のパン ド カンパーニュです」

「初賄いは、豪華だな。さっそく戴こう」


 ランスロットは、ノエルも向かいに座るように促した。


「賄いなのだろう? 一緒に食べよう」


 ノエルは頷き、椅子にちょこんと座った。しかし、ランスロットの反応が気になって、なかなか食べる気になれなかったため、彼がタルティーヌを口に運ぶ様子を静かに見守った。


「どう、ですか?」

「あぁ、とても美味い。懐かしいが、初めての味だ。パンと野菜がよく合っている」


 ランスロットは、笑みを浮かべながら、続けて二口、三口と、タルティーヌを頬張った。


だが、彼を縛る鎖が砕ける様子はない。シン……と、精霊たちも静まり返っている。


「記憶、戻らなかったですね……」


 つい、心の声が口に出てしまい、ノエルはハッとした。自分が落ち込んだら、ランスロットのプレッシャーになってしまう。


「ノエル」


 ランスロットは、真剣な眼差しをノエルに向けた。蒼く澄んだ瞳に、ノエルは吸い込まれそうな気持ちになる。


「お前が、俺の記憶が戻ることを願ってくれているのは嬉しい。だが俺は、思い出すために食事をするわけじゃない」


「でも、私、相手を思う料理を作りたいんです。だからこのタルティーヌは、あなたの力になりたくて作った料理で! それが上手くできてないから……」


 ノエルは、客の心に寄り添う料理を作りたい、ベーカリーカフェ ルブランを、そんな店にしたいと考えた。


だが、ランスロットに何もしてあげられない自分には、そんな理想を叶えることは無理なのではないか、と思い始めていたのだ。


「俺は、お前が、客の想いに気づける料理人であることを知っている。あの時のスコーンとたっぷりのブルーベリージャム。俺の故郷の果実を使ったナイトバードのソテー。皆でテーブルを囲んで食べたパンケーキ。ドーナツは、セサミに取られてしまったが……。俺の知っているノエルの料理は、どれも相手を思いやる、温かな気持ちがあった」


 ランスロットは、タルティーヌに近づくセサミを見守りながら、ふっと微笑んだ。


「もちろん記憶を取り戻したいが、俺はきっと、ノエルの作ってくれた料理を忘れない。新しい思い出として、記憶に刻んでおく」


 ノエルはランスロットの真っ直ぐな視線に、思わず目を逸らしてしまった。


自分の料理を、忘れないと言ってくれた。新しい思い出にしてくれると言ってくれた。それが、ノエルはたまらなく嬉しかった。


 身体が熱い。胸が熱い。


 そんな不思議な感覚が、ノエルのなかを巡っていた。


「ありがとうございます」


 ノエルはやっと、言葉を絞り出した。


「私、ベーカリーカフェ ルブランを、一日数組限定の、予約制のお店にしたいです。お客様ひとりひとりに寄り添うお店に。そんな店を、あなたと作りたいです」


 ドキドキと、胸が高鳴っている。


ノエルにとって、店を予約制にすることは、大きな決断だった。上手くいく確信はまったくない。自分がやりたいようにやるだけでは、商売は上手くいかないことは、ノエル自身が痛いほど知っている。


「俺は、お前ならできると思うぞ。理由は先程言った通りだ。だが、不安材料といえば、戦いしか能のない俺かもしれんな。指導を頼むぞ」


 ランスロットの優しい言葉は、ノエルの心にじんわりと染みていった。


 やっぱりランスロットさんが、勇者を殺すなんて信じられない。こんなに優しくて、思いやりのある人なのに。


「ノエル、早く食べなければ、すべてセサミに食われるぞ」

「えっ? あ、こら! セサミ!」


 いつの間にか、セサミがせっせとタルティーヌを食べ進めて、「きゅっきゅぅっ」と幸せそうに鳴いているではないか。


「セサミの分は、別で用意してたのに」


 ノエルは、セサミの黒いて柔らかい毛をわしゃわしゃと撫でながら、ふふふと笑った。何だか、とても楽しくて嬉しい気持ちが湧き上がってきたのだ。


「どうした、ノエル? まさか、セサミに食事を奪われたことが嬉しいのか?」


 ランスロットは、不思議そうにノエルを見つめていた。


「いえ! 私も、今日のことを忘れないだろうな、と思ったんです」


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