第3話 ナイトバードのソテー アプラス風
ノエルを乗せた馬車は、オレンジの実が溶けたような夕空の下を駆けていた。
始めは、すぐにでもサーティスが追ってくるのではないかと不安だったのが、どうやらその様子はない。馬車は至って静かに走っていた。まだ事が大きくなっていないだけかもしれないが、ノエルとしては一安心である。
に、しても。
まさか、初めて出会った謎の男と町を出ることになるとは思っていなかった。
ノエルは、馬車の御者台に座るランスロットの後ろ姿を繁々と見つめる。
この、良く言えばアンティーク品、悪く言えば古臭い鎧は三百年前の物なのだろうか。
やはり、彼は【堕ちた聖騎士】なのだろうか。
そして身体中に巻き付いている銀の鎖は何なのだろうか。目で追いかけても終わりが見えない不思議な鎖で、彼が店でスコーンを食べた直後、鎖が一本砕け散って消えたことも不可解である。とにかく、確認しなければならない。
「あのー、ランスロット、さん?」
「さん付けなど、よそよそしいぞ。敬語も不要だ」
ランスロットは、振り向かずに答えた。
もちろん、ノエルのことを婚約者アンジュと思い込んでいるからこその返答だろう。
そのため、敬語をやめるわけにはいかない。まずは生まれ年からだ。
「あの、あなたは人界歴何年生まれですか?」
「俺の誕生日をど忘れしたか? 人界歴1475年の12月17日だ」
ノエルが聞くと、ランスロットは可笑しそうに笑った。
だが、ノエルはそれどころではない。今は人界歴1800年。魔王大戦があったのは人界歴1500年であるから、ランスロットはその当時、25歳。外見もそれくらいに見える。
じゃあ、やっぱり三百年前の大罪人?
ノエルは急に緊張しながら、ランスロットの背中を見つめた。
一見すると彼から邪悪性は感じられないが、本当に過去の人物なのか。そして、勇者を憎しみから殺めた聖騎士なのか。
「どうした? 急に黙って。久々の再会に、戸惑っているのか?」
ランスロットは、そんなノエルには気付かず笑っている。
しかし、突然ランスロットは馬の手綱を引き、馬車を急停止させた。
その場所は、アプラの実という果実の巨木の前だった。
「ナイトランド領の隣には……、この辺りにはアプラス領があるはずだ。アンジュ、アプラスは――、俺の故郷は何処だ?」
ランスロットは初めて後ろを振り返り、ノエルを見つめた。
戸惑いと混乱の表情だった。
「アプラスは、もうありません。領民は別の土地に移住していったと……」
誇りの町 アプラス領は、【堕ちた聖騎士】ランスロット・アルベイトの生まれ故郷。三百年前までは、アプラの木に囲まれた穏やかな町だった、とノエルは学問所で学んだ。そして、当時の領主マリナス・アルベイトは、息子の犯した罪の重さに耐えきれず自害。それを境に領民は離れていき、アプラスは消滅したのだ。
「何故だ。領民はなぜ去った? 俺の父までもいったいどこへ?」
ランスロットは冷静を保てない様子で、自然と声が大きくなっていた。しかし、その後急に考え込むようにトーンダウンした。頭を抱え、苦しそうな表情でアプラの木を見つめている。
「父は、つい先日まで息災だった。……いや、それは俺がアプラスを旅立つ時? 違う、アンジュと共に父に会ったはずだ。それはいつだったか……。記憶がひどく曖昧だ」
そして、ノエルはランスロットの「記憶」という言葉にハッとした。
もしかして、この人は記憶の一部を失っている? アンジュのことだって、店に来た直後は覚えていなかった様子だったし。
これなら辻褄が合う、とノエルは強く確信した。
ランスロットは、闇の世界から何らかの方法でベーカリーカフェルブランにやって来た。しかし、大戦から三百年の月日が経過しており、そのうえ、本人の記憶は【勇者殺し】のことも含めて、いくつか欠落している……。
「俺は、何かを忘れているのか? たしかに、所々朧げだが……。アンジュ、アプラス領がなくなったのは、いつのことだ?」
ランスロットは、事態を整理しようとしているようで、額に手を当てて俯いている。
その表情には怯えた色が滲み出ており、ノエルはそんな彼の姿を見ていると、真実を伝えることが残酷過ぎるのではないかと、胸が苦しくなった。
彼が忘れているであろう部分――、【勇者殺し】とその後の出来事は、記憶が抜け落ちている人間には受け入れ難いに違いない。少なくとも、店に来てからの彼は優しくて正義感のある騎士という印象で、悪い人には思えなかったからだ。
「教えてくれ、アンジュ」
ランスロットは、真剣な眼差しでノエルに言った。
なんと美しい蒼い瞳だろう、とノエルはとても偽りを述べることはできないと思えた。この人にきちんと向き合わないといけないと、心で感じた。
「ランスロットさん! 私の知っていること、考えたことは、きちんと伝えます」
言うや否や、ノエルは馬車を飛び出した。
御者台に座るランスロットは戸惑った顔で、ノエルを見下ろしている。
「大事な話は、美味しいものを食べながらするのがルブラン流です! 一緒にご飯を作って食べましょう!」
ノエルは元気いっぱいの笑顔で、ランスロットに手を差し伸べた。
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「本日のディナーは、野外クッキング! ランスロットさんに捕獲をお願いした、ナイトバードをソテーします!」
アプラの巨木の前で、ノエルは高らかに宣言した。
野外クッキングのために、簡易キッチンもこしらえた。と言っても、石を輪状に並べ、中心に火を入れた即席コンロと、切り株をテーブル代わりに、まな板と包丁、調味料を並べているだけだ。
これは、ノエルが幼い時に父とキャンプに出掛けた経験を頼りに再現したものだ。記憶はおぼろげだったが、最低限の調理はできるだろう。
「アンジュ、どうしても料理が先か? アプラス領や父の話を先送りにされるのは……」
ランスロットは、ずっと納得いかない様子でノエルに抗議の声を上げている。その気持ちは十分に理解できるのだが、ノエルはどうしても料理をさせてほしかったのだ。
「ごめんね、ランスロットさん。わがままかもしれないけど、私はあなたに食べてほしい料理があります。だから、お願い」
「……分かった」
不服そうではあるものの、言われた通りに鳥獣下級モンスターのナイトバードを捕獲してきてくれるランスロットは、婚約者のお願いを断れないタチなのかもしれない。
彼は素直に頷くと、豪快にナイトバードの下処理を始めた。慣れている様子であるため、もしかしたら過去にナイトバードの調理経験があるのかもしれない。
そして、ノエルが料理を食べながら話をしたいと思ったことには、二つ理由がある。
ひとつは、ノエル自身の心の整理のため。やはり、この信じがたい状況にはノエルだって戸惑っているのだ。せめて一息ついてから話したい。
もう一つは、ランスロットに助けてくれた感謝の気持ちと、傷ついてほしくないという気持ちを伝えたいからである。
彼とは出会って間もないが、スコーンを喜んで食べてくれたお客様で、サーティスから守ってくれた恩人。そして、おそらくご先祖様の恋人だ。大罪人かもしれないからといって、安易に傷付けたくはなかった。
「言葉に自信がない時は料理で想いを伝える」、それがノエルのやり方だ。
ノエルは、両頬を手の平でぱちんと叩いて気合いを入れると、
「ありがとう、ランスロットさん。ナイトバードの下処理、とても上手ですね!」
と、ランスロットに声を掛けた。
彼は、すでにナイトバードの血抜きまで済ませており、とてもただの聖騎士とは思えない手際の良さだった。
「あぁ。よく覚えていないが、昔どこかでナイトバードを捌いたことがある気がするな……。次は丸茹ででいいか?」
「はい、その通りです。茹でることで毛穴を開かせて、羽を抜き易くします。じゃあ、羽抜きまでお任せしていいですか?」
「任せろ」
相手のことを深く知らない上に、大罪人疑いのかかった聖騎士であっても、ノエルはつい楽しい気持ちになってしまっていた。
父が亡くなって以来、誰かと一緒に料理をするのは初めてだったのだ。ひとり孤独にキッチンに向かうのではなく、誰かが隣にいるというだけで不思議と安心できる。そして、忘れかけていた料理すること自体の喜びや、わくわく感が鮮明に蘇ってきた。
私、いつの間にか忘れてたんだ。一生懸命に料理してばっかりで、それを楽しむ気持ちを失くしてた……。
ノエルは純粋に嬉しくなりながら、「鶏の方は、よろしくお願いしますね」とランスロットに笑みを向け、自分はアプラの実を集める作業を始めた。
「風の精霊よ! 我の声に従い、舞い踊れ!」
ノエルはアプラの巨木に両手をかざし、精霊に呼びかけた。すると、柔らかな風が吹き抜け、風に煽られたアプラの実が何個か降って来た。
魔法料理人のノエルの魔法は、攻撃には向かないが、繊細で正確だ。精霊は、熟れた実だけを回収してくれたようで、ノエルからは自然と笑みがこぼれる。
アプラの実は、甘酸っぱくシャリシャリとした食感が特徴の赤い果実だ。今ではどこにでもあるポピュラーな果実だが、かつてアプラス領のアプラは国一番と言われるほど、上質だったそうだ。
今回、そんなアプラの巨木が一本だけ残っていたことは、大きな幸運だった。
「アンジュ、肉の準備はできたぞ」
ノエルがアプラの実をせっせと調理している頃に、ランスロットはプリッと身が引き締まったナイトバードの肉を持って声をかけて来た。どことなく得意げな顔が可愛く見えてしまう。
「ありがとうございます! 素晴らしいです」
ノエルは、いったんは「アンジュ」と思われていることは保留しておいて、笑顔で肉を受け取った。
そして、愛用の包丁でをれを手早く捌き、フライパンで焼きにかかる。
「炎の精霊よ! 包み込め!」
炎の精霊は、ノエルの声に応え勢いよく燃え上がった。ジュウジュウと軽快な音が響き、肉からは香ばしい香りが漂い始める。ノエルは、そこに料理酒と塩胡椒を加えた。
「美味そうだな」
「まだまだ! 決め手はソースです!」
ランスロットはノエルの料理が気になる様子で、ソワソワとフライパンを覗き込んでいる。
なんだか料理教室をしている気分になってきたノエルは、肉を焼き終えたフライパンに、ご機嫌にニンニクチップとアプラの実を放り込む。
「果物を焼くのか? てっきりデザート用かと思っていたが」
「心配そうな顔をしないでください。アプラの実は、火を通すと酸味と甘味が増して、ソースにぴったりなんです。……他にもオレンジとかベリーを使ったソースとお肉を合わせる料理って、意外と多いんですよ」
そしてさらに、ワイン、バター、粒胡椒を加えて熱すると、ふわりと食欲をそそる甘酸っぱい香りがフライパンから溢れてきた。ノエルの思惑通り、アプラの実がいい仕事をしている。
「お皿のお肉にソースをかけて……と」
ノエルは肉とソースを美しく皿に盛り付け、テーブル代わりの切り株の上にそっと置いた。
「《ナイトバードのソテー アプラス風》! 召し上がれ!」
本当はパンも焼きたかったが、さすがに整った設備がないと厳しかった。だが、料理はルブラン家に伝わるレシピをベースにしているだけあって、自信作である。
ノエルが見守る中、ランスロットは「さすがアンジュだ。戴くぞ」と、嬉しそうにナイフとフォークを手に取り、上品に肉をソースと絡め、ゆっくりと口に運んだ。所作が非常に美しく、育ちの良さが伺える。
【堕ちた聖騎士】ランスロットは貴族の生まれだったと聞くが、やはり彼が本人なのか。
ノエルがそのようなことを考えていると。
「このソテーの味、知っているぞ……。お前が父のために作ってくれた料理だ……!」
ランスロットは、急に頭を抱えて俯いた。同時に、ノエルの周りの精霊たちがざわめく。
あの時──、ランスロットがスコーンを食べた時と同じである。
そして、彼の身体に巻き付く銀の鎖の一本が、ピキピキィッと音を立てて砕け散った。
「きゃっ!」
鎖のカケラがノエルに向かって飛んで来たため、思わず叫んでしまった。
しかし、痛みはなかった。カケラはすうっと光となり、ノエルの身体に溶け込むように消えていったのである。
すると、さらに不思議なことが起こった。
ノエルの脳裏に、見たことのない光景浮かんだのである。
ミルクティー色の三つ編みをした、自分にそっくりな女性と初老の男性がテーブルを囲んで笑っているのだ。しかもテーブルの中央には、ノエルが今作った《ナイトバードのソテー》とよく似た料理があるではないか。
「アプラの実をソースに使うとは、いやはや、面白く美味な品だ。ランスロットよ、いい娘を見つけたな」
初老の男性がにこやかに笑い、女性は照れた様子で首を振っている。
「お義父様、もったいないお言葉です」
少しだけ年上に見えるが、彼女は声まで自分にそっくりで、ノエルは心の底から驚てしまう。まるで、生き写しだ。
「たしかにアンジュは、俺には過ぎた女性だ。俺も負けないようにしなければな」
姿は見えないが、本当にすぐ近くからランスロットの声が聞こえる。
もしかしたら、ノエルはランスロットの視点でこの映像を見ているのではないだろうか。となると、きっとこれはランスロットが思い出した記憶だ。自分はあの鎖のカケラに触れて、彼の記憶を垣間見ているに違いない。
「ランスロット、アンジュを大切にするのだぞ」
初老の男性は、おそらくランスロットの父マリナスだろう。すると、この記憶はランスロットが婚約者を家族に紹介した時のものに違いない。
「心得ています、父上。まずは俺たちの結婚式を楽しみにしていてください」
「頑張って準備しましょうね。ランスロット」
「あぁ。もちろんだ」
微笑み合うランスロットとアンジュ。その幸せに満ちた記憶に、ノエルの胸は、むしろ苦しく締め付けられた。
どうして、この幸せは続かなかったの? どうして――。
そして、記憶の映像は、スゥッとノエルの視界から消えていった。
ノエルはハッと我に返り、ランスロットを見やると、彼は静かに座ったまま、ナイトバードのソテーを見つめていた。夜空の月に照らされたランスロットの顔は、とても悲しそうだった。
「俺は、この料理をアンジュと共に作ったことがあった。しかし、先程まで忘れていた。大切な、家族との記憶を……」
ランスロットは覚悟を決めた顔つきで、ノエルに視線を向けた。
「俺は、他にいったい何の記憶を失っているんだ? アプラス領がなくなってしまった理由も、俺は忘れてしまっているのか?」
「そう、だと思います。あなたは闇の世界にいた三百年の間に、記憶を失くしている。少し、思い出したみたいだけれど」
ノエルはゆっくりと、自分の知っていることと、推測したことを話し始めた。
三百年前の魔王大戦のこと。ランスロットの【勇者殺し】。【常闇の刑】。消滅したアプラス領。記憶が失われていること。そして――。
「私はノエル・ルブラン。アンジュではありません。アンジュ・ルブランは、生涯結婚しなかったけれど、養子を迎えました。私はその子孫です」
目の前の少女が、アンジュではない。アンジュは、当の昔に亡くなっているという事実に、ランスロットは震えていた。
「全て、信じ難い……。信じたくない! 俺がユリウスを殺し、そのせいで父が自害し、アンジュを一人残してしまったなど! 何故、そんなことに」
予測を遥かに上回っていた事実に、ランスロットは苦しそうに言葉を吐いた。
その姿は酷くつらそうで、ノエルは彼に何と声をかけていいかが分からず、ギュッと唇を引き結ぶ。
もしかしたら、【勇者殺し】の伝承が間違いで、この人は罪なんて犯していないのでは? もしくは、誰かに罪を着せられたのでは?
ノエルがそう思いたくなる程に、ランスロットは絶望の表情を浮かべていた。
しかし、証拠も根拠もどこにもない。
もし、ノエルが信じるとすれば、偉大なご先祖様であるアンジュ・ルブランが彼を生涯愛したという事実と、自分の直感だけだ。
じゃあ、それを信じるしかないじゃない!
「ランスロットさん! 私は、あなたが記憶を失くしているとはいえ、とても悪い人とは思えません。ご先祖様が信じたあなたを、私も信じたい」
ノエルは、ランスロットの震える手を、自らの両手でそっと包み込んだ。血の通った、温かい手だった。
「勇者を殺した男だぞ? 怖くないのか?」
「怖くないです。短い間ですけど、あなたがアンジュをどれほど大切に思っているかを感じたから」
ランスロットは驚いた様子でノエルを見つめ、ノエルは優しい笑顔をランスロットに向けた。
「私、あなたが憎しみで誰かを殺すような人だとは思えないんです。だから、すべて記憶を取り戻して、あなた自身に本当の真実を語ってほしい! その手伝いをさせてほしいんです!」
それは、ノエルの心の底から出た素直な言葉だった。このままランスロットを放って置けなかった。信じたかった。味方でありたいと思った。
「お前の皿からは、俺への優しさを感じた……。だから、お前の気持ちが本物ということは分かる」
ランスロットは、ノエルに笑みを向けた。痛々しくも、絶望に負けまいとする笑みであることをノエルは感じ取りながら、彼に手を差し出した。その手は、ギュッと握り返された。
「俺は、一人ではないのだな。ノエル・ルブラン」
「はい! それに、あなたが私とベーカリーカフェ ルブランを続けてくれる、っていう約束もありますから! 二人で頑張りましょうね!」
「心得た。頼むぞ、オーナー」
ベーカリーカフェルブランの若き女店主と、【堕ちた聖騎士】の共同経営の旅が始まった瞬間であった。




