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第18話 聖騎士の婚約者

 エルフ族は、人間よりも遥かに長命だ。それも、魔力量が多ければ多いほど老いも緩やかで、長い時を生きると言われている。


「精霊に愛されておる妾が、三百年を超えて生きていることに不思議はない。じゃが、貴様らがここにいることは、何の悪戯かのぅ。天使か悪魔か。それとも、運命か」


 リスダール王国の王女リナリーは、一本釣りのようにして掴んでいたセサミを押し付けるようにしてノエルにつき返す。セサミは怖かったのか、ノエルの胸に「きゅうぅぅ」と鳴きながらしがみついてきた。


「そのモンスターは、アンジュが飼っておったのか。今回だけは見逃すが、気をつけるが良い」

「あの、私、アンジュじゃなくて……」

「リナリー、何故お前がアンジュを知っている」

「寧ろ、聞きたいのは妾の方じゃ! 貴様、何故、闇の世界から……」


 ノエル、ランスロット、リナリーの会話は、一向に収拾がつかない。しかも、このままではランスロットが【勇者殺し】の【堕ちた聖騎士】であることが、ツァイスたちに知られてしまうかもしれないと、ノエルは焦って声を張り上げる。


「ツァイスさん、別のお部屋を借りてもいいですか? お客様とランスロットさん、知り合いだったみたいで! ゆっくり昔話でもさせてもらえたらなーって!」


 ノエルは咄嗟に機転を利かし、ツァイスに個室を借りたいと申し出た。親切なツァイスならば、断ることはないと踏んでの頼みだった。


「構わないよ。ランスロット君は、顔が広いんだね。エルフ族のお姫様と顔見知りだなんて」

「すまない、ツァイス殿。感謝する」


 ランスロットも、ツァイスに頭を下げた。一方、リナリーは踏ん反り返ってワインを飲み干している。


「店主、料理長よ。本当はどのハンバーガーも美味であったぞ。土産用に全種類、包んでおくがよい!」


 それを聞いたモンロワは、嬉しいようなムッとしたような複雑な表情を浮かべている。しかし、どうやら店を魔導砲で破壊されることは回避できたようである。



 そして、ランスロットとリナリーはレストランの奥の個室に通され、ノエルも食後の紅茶を持って、二人に続いた。

 ノエルとしては、目の前に魔王大戦を戦った英雄が二人もいて、同じテーブルを囲んでいることが信じられなかっい。ランスロットもかなり数奇な理由で現世を生きているが、リナリーが生き続けていることだって、想像すらしていなかったのだから。


「始めに言っておく。妾のことを年寄り扱いしたら、ただでは済まさんぞ。それこそ、そなたらを生きた化石に変えてやる」


 部屋に来てからのリナリーの第一声は、年齢に関する脅しだった。本人は美しく若々しい外見をしているが、中身はいったい何歳なのかは、詮索してはいけないらしい。

 そして、リナリーはノエルが淹れた紅茶を一口飲むと、再び口を開いた。


「うむ、美味い茶じゃ。そなたの淹れる茶は、やはり格別じゃな。アンジュ、また会えて妾は嬉しいぞ。──して、現世にそなたがいるのは何故じゃ? ヒトの寿命は、一瞬のはずじゃが。蘇生術か? それとも不老不死の薬でも見つけたか?」


 リナリーは、ランスロットを無視してノエルに問いかけてきた。ノエルのことをアンジュと思い込んでいるこの状況は、いつかの日のランスロットを思い出してしまう。


「すみません、リナリー様。私、アンジュの子孫のノエルといいます。アンジュはもう……」


 ノエルが言うと、リナリーは落胆と驚きの表情を浮かべた。初めてではないが、ノエルがアンジュではないと分かった時に、相手からは落胆される。仕方ないと理解してはいても、ノエルは自分が必要とされていないような感覚がして、思わず胸が苦しくなってしまう。


「そうか、アンジュは亡くなったか。残念じゃな……。ふと、また会えればと占ってみれば、何の因果か、まさか瓜二つの子孫とは」


 リナリーは、自分の孫を見るかのような優しい視線をノエルに注ぎ、ミルクティー色の髪にスルリと触れた。彼女からは花のような甘い香りが漂っていて、同性のノエルまでドキドキしてしまう。


「アンジュは三つ編みじゃったが、そなたはポニーテールか。ふふふっ。妾には劣るが、美しい髪じゃな」


 リナリーの白くほっそりとした指が、今度はノエルの耳に触れ、首に触れ、顎へと伸びてきて、くすぐったくてたまらない。ノエルが「あのっ、えっと」と戸惑っていると、ランスロットの苛立った声が飛んできた。


「ノエルに気安く触るな、エルフ姫」

「五月蝿いわ、堅物。何じゃ? この娘はそなたの新しい婚約者とでも言うのか?」

「ち……、違う」


 ランスロットの否定はもっともだが、ノエルの胸の底はズキンと痛み、再び胸が苦しくなった。

 だが、それを隠してノエルは黙って二人を見守る。今は、それしかできないのだ。


「何故、お前がアンジュのことを知っている。俺はお前に、アンジュの話をしたのか?」

「ほぅ。覚えておらんか、ランスロット。さては、記憶が一部抜けておるとみた」


 リナリーはテーブル越しに手を伸ばし、ランスロットに巻き付く銀の鎖を荒っぽく引っ掴んだ。しかし、ジャリリと不快な音が響くだけで、鎖が取れることはない。


「面白い鎖じゃ。追いかけてみても、鎖の始まりが見つからん。まるで、そなたから生えておるかのようじゃな」

「お前、この鎖のことが分かるのか」


 ランスロットが尋ねると、リナリーは「少し」と、鎖を手離して言った。


「魔王が生まれ出でた闇の世界には、時の流れが存在しない。そなたも知っておるじゃろう? 魔王バルハルトには、過去がなく、あるのは殺戮と破壊の衝動のみ。時間や記憶などという曖昧模糊なものは、闇の世界では不要なのじゃ。ここからは妾の想像じゃが、闇の世界には、親切に記憶を封じてくれるバケモノがおるのじゃろうな」

「そんなバケモノが、彼処に?」

「知らん、想像じゃ。妾は闇の世界を見たことも、見る予定もない。行ってきたのは、そなたじゃろうっ? 何か覚えておらんのか」

「分からん。暗くて、何も無かった場所のようだった気がするが、覚えていない」

「役に立たん男じゃのう! 思い出せ!」

「お前に命令されたくはない!」


 二人の会話がヒートアップしてきたため、ノエルはセサミを抱き締めながら、身を縮めていた。世界を救った英雄は、今にも殴り合いを始めそうな勢いである。


「きゅうぅぅ! きゅうぅぅ!」


 セサミが「仲良くして!」と言わんばかりに声をあげると、ランスロットは冷静さを取り戻したようだった。コホンっと咳払いをすると、リナリーに再び視線を向ける。


「……お前は、俺がユリウスを殺したことを責めないのか?」


 そのことは、ノエルも気に掛かっていた。リナリーは出会った時から、ランスロットの【勇者殺し】について、まったく触れてこないのだ。

 もしかしたら、彼は本当は勇者を殺害していないのではないだろうか? そのことをリナリーは知っているのだろうかと、ノエルは密かに期待を膨らませた。

 しかし、リナリーが浮かべたのは、諦めたような悲しそうな表情だった。


「それは三百年前に、散々し終えた。ユリウスから神剣を奪い、返り血で濡れたそなたを妾と仲間たちは見た。システィは泣きながら、勇者の死体に何度も蘇生術を試みた。イワンと妾は、すぐにそなたを捕縛した。そなたは無抵抗じゃったがな。妾にとっては思い出したくもない記憶じゃが、そなたは覚えておらんのじゃろう?」


 彼女の言葉は、想像以上に重く苦しく、ノエルには受け止め難かった。

 ずっと心の何処かで、ランスロットが勇者を殺したのは何かの間違いだろうと思っていた。だが、かつての仲間が【勇者殺し】を見たと言えば、それをどうやって否定すればよいのか、ノエルには分からなかった。


「リナリー。その時の俺は、何故ユリウスを殺めたのか言っていたか?」


 ランスロットは、血が出そうなほどに唇を噛み締めている。それをチラリと見やったリナリーは、「愚か者め」と小さく吐き捨てた。


「そなたは、勇者が妬ましかった、憎かったと言った。世に伝わっている史実通りじゃ。なんと浅ましく、醜い感情か。じゃが、それがヒトという生き物だとも思うたよ。たとえ、天下の聖騎士であろうとヒトの子。簡単に地の底へと堕ちてしまうものじゃと」

「そうか。やはり、俺は……」


 ランスロットの表情は、みるみる暗くなっていく。

 ノエルは何か言わなければと焦ったが、彼にかける言葉が見つからず、黙って彼の手を握った。それしかできなかった。


 信じています、大丈夫です……。


 どんな言葉も彼の心を支えるには足りないな気がして、声を出すことができない。

 だが、ノエルの気持ちが伝わったのか、ランスロットは無言でノエルの手を握り返した。


「ランスロットよ、その娘から信頼されておるようじゃな。よく似ておるわ、アンジュもそなたのことを信じ続けておった」

「お前は、俺が罰された後に、アンジュに会ったのか?」

「そうじゃ。そなたは、旅の間は一切、婚約者の話などしなかったからのぅ。アンジュと出会い、妾も考えを少し変えることができた。何があったのか、聞きたいか? ランスロット」


 リナリーの口から婚約者の名前が出され、ランスロットは俯いていた顔を上げた。その瞳は光を取り戻し、小悪魔を通り越して、悪魔のような顔をしているリナリーを見つめていた。

 きっと、アンジュ絡みの案件でなければ、ランスロットは毅然とした態度で彼女の言葉をあしらっただろう。だが、彼は懇願の表情を浮かべ、「頼む」と小声で言った。


 ノエルも、ランスロットが去ってからのアンジュには興味があった。自分のご先祖様なのだから、当然だ。

 しかし、心の奥がズキズキと痛んで止まない。アンジュを想うランスロットの顔を見ていると、息が苦しい。

 

「妾がアンジュと出会ったのは、【堕ちた聖騎士】への刑が執行された日じゃった──」


 リナリーの話が始まると、ランスロットの目は、リナリーの話の中のアンジュに向けられた。ノエルは、まるで透明人間になってしまったかのような感覚を覚えながら、静かにリナリーの話に耳を傾け、握っていたランスロットの手を静かに離す――。

 気がつくと、ランスロットはノエルの手を握り返してくれてはいなかったのだ。





***


 人界歴1500年3月1日。世界を救った英雄、ユリウスを殺害した男──、ランスロット・アルベイトが処刑される日だった。

 オーランド王国の最果てにある【常闇の門】──、この世と闇の世界を隔てる門の周りに、輪を描くように民衆が集まり、ランスロットに石を投げ、罵声と怒号を浴びせていた。


「裏切り者め! 勇者を返せ!」

「【堕ちた聖騎士】! とっとと死んじまえ!」


 そんな興奮した様子の民衆たちを、魔道姫リナリーは遠くから傍観していた。

 オーランド王からは、関係者席を用意すると言われていたのだが、仮にもかつての仲間が処刑される姿を好き好んで特等席から見たいとも思わなかったため、ひっそりと民衆の輪の外から眺めることにしたのだ。


「ヒトの心は醜いのぅ」


 ランスロットの抱いた憎しみも、民衆が彼に向ける怒りも、リナリーに言わせればみんな醜い。とくに、短い寿命しかない人間は、その愚かさに気づかずに、あっという間に死んでいく。そして繰り返すのだ。


 リナリーが重いため息を吐いた時。

 リナリーの位置からは見えなかったが、彼女は強大な魔力の波動を感じ、同時に民衆の歓声が響いた。【常闇の刑】の執行――、ランスロットが闇の世界に追放された瞬間だったのだろう。

 国の名だたる司祭や魔術師たちが集結し、封じられた闇の世界への入り口を開くとは聞いていたが、これほど大掛かりで大袈裟な見世物にする必要もないだろうにと、リナリーは美しい眉をひそめる。


 ユリウス。そなたが守りたかった民は、ヒトが苦しむ様子を見るのが好きらしいぞ。


 リナリーは黒いローブのフードを被り直すと、その場を去ろうとした。ヒトの汚い感情から、目を背けたくなったのだ。

 しかし、民衆の中で一人だけ、涙を流している者がいることに気がついた。ミルクティー色の三つ編みをした若い女性が、ぽろぽろと大粒の涙を流して泣いている。


「そなた、あの堅物聖騎士のために泣いておるのか?」


 リナリーは、ほんの気まぐれに彼女に声を掛けた。

 面白い反応があればそれでよし。なければ、それだけのつもりだった。

 しかし──。


「私、彼を一番理解しているつもりだったんです。でも、今は彼が何を抱えていたのか分からなくて……」


 ランスロットの恋人だ、とリナリーは直感で理解した。まさか、あの堅物に想い人がいるとは思いも寄らなかった。


「そなた、名は何と申す?」


 リナリーの問いに、女性は涙に濡れた顔を上げた。


「アンジュ。アンジュ・ルブランです……」


 それが、魔道姫リナリーとアンジュの出会いだった。


 その時のリナリーは、アンジュのことを、何故か放って置けない気がした。

 彼女の周りの精霊たちが、あまりにも優しく、清らかだったせいかもしれない。醜い人々を見た反動による気まぐれ、とリナリーは自分を分析しながら、アンジュを連れて【常闇の門】を離れた。


「アンジュ・ルブランよ。そなたには気の毒じゃが、彼奴は間違いなく勇者を殺めた。だから、裁かれた。気を落とさず、そなたはそなたの人生を歩めば良い」


 何処を目指すわけでもないが、リナリーはアンジュの手を引いて、ズンズンと歩いていた。自分が歩くのが速いのか、アンジュが遅いのか。アンジュは、よたよたと足をもたつかせながら、後を必死についてくる。


 そして、自分としては珍しく、他人を思いやった発言をしたとリナリーは思った。

 初対面の女性だが、ランスロットの過ちのせいで、彼女の人生まで狂わされることは、何ともいたたまれなかったのだ。

 実際、ランスロットの故郷に暴徒が押し寄せ、罪のない人々が苦しんでいることをリナリーは知っていた。


「いいえ。私の人生は、彼がいてこそです」


 アンジュの意外な言葉に、リナリーは足を止めた。


「馬鹿な。ランスロットは死んだも同然じゃ。追って死ぬとでも言うのか?」


 リナリーは、「この女、頭の中が花畑なのだろうか」と思ったが、アンジュの目は真剣だった。真剣に、彼女は一つの想いを掲げていた。


「私は、あの人が旅をした道を辿って、何を感じて、何を考えたのかを確かめたい。あの人が見たものを、私も見たい。そうしたら、彼の抱いた心を理解できるかもしれない」

「阿呆か、そなた! 彼奴は、世界を救う勇者と旅をしたのじゃぞっ? どれだけ長く険しい道か、分からぬか?」

「それでも、行きます」


 リナリーの手を振りほどき、アンジュはぺこりと頭を下げた。その背中には、重たそうなリュックが背負われており、彼女がここに来る前から旅に出るつもりでいたことが、リナリーはようやく理解できた。


「呆れた娘じゃ」


 ランスロットが、どれだけ危険で果てしない旅をしてきたかは、仲間であったリナリーがよく知っている。魔王と戦うために世界中を奔走した記憶は、つい昨日のことのように鮮明に残っているのだ。


 それを、この娘は。戦う力もないくせに……。


「闇雲に歩いて、彼奴の旅路が分かるものか。妾が案内してやる」


 これも、ほんの気まぐれだ。魔王を倒して、やることがなくなったから。暇つぶしだ。この娘が、旅を断念するところを見るのも良し。それとも、本当にランスロットの心を理解できるなら、それもまた悪くはない。


「でも、初めてお会いした方に、そんなこと頼めません!」


 申し訳ないと首を横に振るアンジュに、リナリーは苛立った。愚図愚図するのは嫌いだった。


「えぇい! そなた、妾を誰と心得る! 妾は世界最強の魔道姫、リナリーじゃ!」


 リナリーは、ローブを勢いよく脱ぎ捨て高らかに叫んだ。同時に、プラチナブロンドの長い髪がサラサラと風になびき、尖ったエルフ耳が露わになる。

 この魔王大戦の時代に、彼女の名と容姿を知らなない者などいない。まさか相手がリスダール王国の王女で、勇者の仲間だとは思っていなかったようで、アンジュはおろおろと頭を下げている。


「も、申し訳ありません。私、王女様に失礼な態度を……」

「五月蝿い! 妾は偉い! 偉い故に自由じゃ! そなたは黙ってついて参れ!」


 こうしてリナリーとアンジュは、聖騎士の旅路をなぞる旅に出たのだった。





***


「まさか、アンジュがそのようなことを思い、旅に出るなど……」


 ランスロットは、泣きそうな顔をしながら頭を抱えて俯いている。

 そしてノエルも、まさかご先祖様が勇敢にも旅に出ていたなど予想もしておらず、驚きで言葉が出て来ない。


「俺のせいで、アンジュが危険な目に」

「そうじゃな。あの娘は、戦う力はおろか、ロクな体力もなく、そのうえ鈍臭かったわ。何度もモンスターに追われ、賊に攫われおった」


 リナリーは、青い顔のランスロットを見て楽しんでいるようだった。クスクスと笑うと、紅茶をこくりと一口飲む。


「まぁ、妾がついていて、余程の怪我や死ぬことはあり得んわ。いつも程ほどに怯えさせてから、ギリギリで助けてやった」

「お前、アンジュを何だと思って……!」


 今度は怒りを滲ますランスロットだが、リナリーは「ふん」と鼻を鳴らして、それをあしらった。


「そなたこそ、アンジュを何だと思っておった。勇者を殺めた時、闇の世界に堕ちる時、そなたはアンジュのことを想ったか? ええ? 」


 その問いに、ランスロットは答えることができない。記憶がないからだ。


「妾は、アンジュと二年旅をした。妾には、そなたの心は理解できんかったが、アンジュの心は少しは分かったつもりじゃ。妾であれば、あれ程に一途で純粋な娘を、裏切るような真似はできぬ」


 リナリーは遠い昔を思い出しながら、再び話し始めた。






***


 リナリーとアンジュは、ゆっくりと世界を旅した。


 勇者ユリウスの神剣を封じている神殿、神官システィが暮らしていた教会、戦士イワンが好きだった酒場、リナリーが吹き飛ばした古城、皆で守った砦、ジュテ国の闘技場、リスダール王国の古代兵器研究所……。

 オーランド王国の狭い範囲しか知らなかったアンジュにとっては、見るもの全てが新鮮だった。


「リナリー姫様! この神殿の壁石は、キラキラと輝いていますね! いったい何でできているのでしょう?」

「あー! こらこらこら! 迂闊に触ろうとするでないわ! それは太陽石という魔力を含んだ鉱石で、適性のない者は火傷をするぞ!」

「では、こちらの部屋は?」

「待て! そこにはゴーレム兵が!」

「あ! 犬がいますよ!」

「それは、メタリカウルフじゃ! 喰われるぞ!」


 アンジュの好奇心がリナリーを散々に振り回し、その度に強力な魔法が放たれる。そして危険は取り除かれる、その繰り返しだ。


「そなた、大人しい顔をしながら、とんでもない娘じゃな。妾でなければ守れんわ!」


 さすがの魔道姫も、一人で誰かを守りながら戦うとなれば、神経をすり減らしてしまう。

 魔王大戦時の仲間たちは、自分の身を守れるだけの力を持っていたし、互いにフォローし合える力も持っていた。それができないアンジュと二人でいると、リナリーはまるで自分が彼女の護衛騎士になったかのような気さえしてしまっていた。


「ご、ごめんなさい。私、つい、はしゃいでしまって!」


 アンジュが勢いよく頭を下げると、彼女の三つ編みがピシャッとリナリーの顔面に命中した。もう、リナリーは呆れて笑うしかない。


「これはさぞかし、あの堅物も苦労していたじゃろうな。それとも、マゾであったか」

「マゾ? とは、魔道の一種ですか?」


 きょとんとするアンジュは、世間知らずで、鈍麻で、天然だが、やはり不思議と放って置けない。

 諦めたリナリーは、ため息をつきながら首を横に振ると、「いい、知らんでいい。それよりも、早く神殿の奥へ進むぞ。晴天の槍が見たいのじゃろう?」と、アンジュを促した。


「はい! 彼……、ランスロットの使っていた槍があるんですよね?」


 リナリーとアンジュは、オーランド王国の西にある、晴れの町 クラシック領の【太陽の神殿】を訪れていた。

 ここには、太陽を司る精霊の加護を受けた晴天の槍──ランスロットが魔王大戦で振るった槍が祀られているのだが、その槍は精霊に選ばれた者しか威力を引き出せないため、彼が罪人として囚われてからは、主不在のままに国王軍に回収され、今に至る。


「闇を貫く晴天の槍……。その主人が闇の世界に追放されるとは、笑えん話じゃ」


 リナリーは、祭壇の間へ続く封印された扉を魔法で簡単に開くと、アンジュに先に入るよう目配せをした。


「なんて美しい槍……」


 祭壇の間には、黒曜石で造られた闇色の祭壇があり、その上に一振りの槍が安置されていた。鋭い槍先は光色の太陽石、柄は聖樹ユグドラシルで造られている、精霊の寵愛を受けた槍である。


「ランスロットを支えてくれたのね。ありがとう……」


 槍に残る傷跡が、愛しい人の戦いの証を示しているかのように思え、アンジュは静かに涙を流した。


「この槍に主人と認められたことで、ランスロットは天下に名を轟かせた。伝説の騎士の再来じゃと」


 リナリーは、遠い昔を思いやるような視線を晴天の槍に向けた。彼女には、ランスロット以上の槍使いはこれから先、一人も現れないだろうという不思議な確信があった。


 そして、同時にふと思った。


「もし、今でもこの槍が、彼奴を主人と想い続けているならば……。この槍と彼奴は繋がっておる故、もしかしたら、そなたの言葉を届けてくれるやもしれぬぞ」

「ほ、本当ですかっ?」


 リナリーの思いつきのような発言に、アンジュは目を輝かせて食い付いた。愛する人に繋がる細い糸を手繰り寄せたいという、切なる願いが籠った瞳だった。


「彼奴は晴天の槍と、武器召喚──【サモンズアーム】という契りを結んでおる。その契りが失われておらん限りは、たとえ闇の世界にいても、関係の糸は切れぬと思うがの」


 ランスロットと晴天の槍の繋がりは、とても深い。魔王大戦では、どんな苦しい戦いも共に戦ってきたのだ。


 しかし、彼の犯した罪を槍は許すのか。あるいは、ランスロットの心を理解しているのか。可能性は半々といったところか。


「私、やってみます!」


 アンジュは涙を拭いて、槍の柄にそっと触れた。すると彼女の周りの精霊たちが、槍の中に流れ込み、ポゥッと明るく小さな光を灯して輝いた。

 晴天の槍が、アンジュを受け入れているのだろうか、とリナリーは目を見張った。アンジュのランスロットへの純粋な想いが槍に伝わっている――、そう思えた。


「ランスロット……。私、待っています。ずっと」


 アンジュの言葉に、リナリーは胸が苦しくなった。


 その時のリナリーは、ランスロットを許してはいなかった。大切な仲間を殺めたことはもちろんだが、それだけでない。ランスロットが、アンジュという心の美しい恋人を残して去ったことが許せず、心の底から腹立たしかった。

 しかし、アンジュのことを見ていると、彼女の言葉がどうかランスロットに届いてほしい、という思いに駆られてしまう。


 そなたのために泣き、そなたのために旅に出た、愚かな娘の願いの言の葉……。もし届いたならば、戻って参れ。その時は、アンジュに全てを話してやれ、ランスロット。そなたが勇者に抱いていた感情が、本当に憎しみや妬みであったとしても、アンジュは受け入れてくれるはずじゃ。


 しばらくすると、アンジュは槍から手を離し、リナリーの元へ駆け寄ってきた。何故だかとても晴れ晴れとした表情に、リナリーはつい、拍子抜けしてしまう。


「なんじゃ? 嬉しそうに。彼奴に文句の一つや二つや三つや四つは言えたか?」

「はい! あなたがいない間の旅で、私があなたより強くなったらどうしてくれるのって」

「そなたは散々に足手まといじゃ、安心せい」


 リナリーはアンジュの額に強烈なデコピンを見舞うと、神殿を出ようと促した。


「リナリー姫様。私、考えたことがあって」


 アンジュは、歩き出すリナリーの後ろを額をさすりながら追ってきた。その姿はまるで、雛鳥が後をついて来るかのようで、可愛らしく見える。

 

「なんじゃ? 言うてみぃ」

「もし……。もし、いつか、彼が闇の世界から戻って来たら……」

「戻って来れたら、それこそ奇跡じゃな」

「だから、もし、ですよ!」


 そう言いながら、アンジュの顔には「戻って来てほしい。きっと戻って来る」という文字が書かれている。分かっている。だから、彼女は「待っている」と言ったのだ。


「彼が戻って来た時、ルブランの店で美味しいご飯を食べさせてあげようと思って。それまでに新しいレシピをたくさん考えます。もちろん、彼の大好物のレシピは、そのままに」


 料理人の彼女らしいアイディアだ、とリナリーは思わず頬を緩めた。しかしリナリーは、振り返らず、その顔を彼女には見せなかった。


 思い返すと、アンジュはリナリーとの二人旅の中でも、店で客に出している料理や、旅先で出会った食材で、新しい料理を作っていた。


 ランスロットの好物であるスコーンや、ナイトバードのソテー、リスダール王国のフルーツを使ったスイーツや、ジュテ国の香辛料に漬け込んで焼いた肉料理……。 いつだって彼女は、想いの籠った温かい料理を作っていた。


「妾の好きなハンバーガーも、奴に食わしてやれ。きっと美味くて驚くぞ」

「ふふ。ヤマト領のソースは、甘辛くて美味しかったですよね」


 アンジュは嬉しそうに笑い、子どものようにリナリーの腕にじゃれついてきた。






 リナリーは、アンジュにこれほど強く想われているランスロットのことが羨ましいと思った。その感情は旅の終わりで自覚したのだが、本当はずっと前から感じていたのかもしれない。


「アンジュよ。リスダール城で、料理人をせぬか? 妾の国で、共に生きぬか?」


 旅の終着地──、ランスロットが勇者を殺めた草原で、リナリーはアンジュに問い掛けた。


 リナリーは、アンジュが旅の中で何度もつらい思いをしていたことを知っていた。

 ある町では、ランスロットの像が無残に打ち壊されていた。

 ある町では、彼は魔王の手下だったという教えが子どもにまでも広まっていた。

 そしてまたある町では、その名を口にするだけで罪になると言われた。とくに、オーランド王国では、そのような風潮が顕著だった。


「オーランド王国は、そなたには生きづらい。妾の側ならば、悲しい思いも苦しい思いもさせぬ」


 だから、リナリーはアンジュをリスダール王国に連れて行きたかった。大切な友人には、幸せになってほしかった。

 しかし、アンジュは首を振った。

 二年間の旅で長く伸びた三つ編みがふわりと夕方の風に揺れ、リナリーは思わずその先を目で追いかける。


「ありがとうございます、リナリー姫様。でも私、ルブランのお店に戻らないと」


 アンジュはぎゅっとリナリーに抱きつき、再び「ありがとうございます」と礼を口にした。


「ランスロットの旅をなぞって、世界を見て、思いました。世界は彼を許さないかもしれない。でも、彼は世界を愛していた。彼の守った町や村、人は確かに生きていて、勇者様たちとの絆も、確かにあった」


 ある町で、ランスロットに命を救われた夫婦に出会った。妻は赤子を身籠っており、ランスロットのおかげで、新しい命を守ることができたと話していた。

 ある町では、防具の手入れ屋の主人に出会った。主人は、鎧を見れば、彼がどれだけたくさんのものを守ってきたかが分かったと言った。

 またある町では、酒場の店主に出会った。店主は、酔ったランスロットが、勇者や仲間たちの自慢をしていたと嬉しそうに話してくれた。


「彼を信じている人は、私だけじゃなかった。リナリー姫様のおかげで、それが分かって、私は救われたんです」

「何を申すか。妾は、ただ、気まぐれにそなたを連れて回っただけじゃ。それしきで、救ったなど……」


 リナリーは、アンジュの頭をポンと撫でながら、別れの空気をひしひしと感じた。そして黙って、アンジュを抱き締め返す。

 こんなに華奢で頼りない彼女の身体のどこに、これ程にまで強い意志があるというのか。何故、彼女はこれ程にも強いのか。


「ランスロットが勇者様を殺めたことには、負の感情以外の理由があったんだと思います。だから私は、彼を信じて待ちます。ナイトランド領で店を続けて、彼がいつでも帰って来れるように」


 これが愛するということか、とリナリーは小さく笑った。


 そして、夕陽に照らされるアンジュの顔を見つめながら、ふと思い出した。勇者が死ぬ前の日の夕暮れに、ランスロットがこぼした言葉を。


「魔王の脅威は去り、平和の時代が来る。……落ち着いた頃に、お前たちをナイトランドに招いてもいいか? 会わせたい者がいる」


 今の今まで忘れていたが、あれはアンジュのことだったのではないだろうか。もしかしたら、アンジュの店に仲間を招こうと考えていたのでは……。


 リナリーは、名残惜しい想いを押し込めながら、改めてアンジュとランスロットの絆の深さを感じていた。そして同時に、自分の役目はここまでだと理解した。


「まったく。そなた、妾を振るとはいい度胸じゃ。世界中の男から刺されるぞ」

「そ、それは困ります! 怖いです!」

「阿呆。冗談じゃ、半分な」

「半分っ?」


 リナリーは笑い飛ばしながら、アンジュをそっと自分から引き離した。


「さらばじゃ! アンジュ・ルブラン! そなたの想い、きっとあの堅物にも届くじゃろう!」






***


「届いたじゃろう? ランスロット」


 リナリーは、プラチナブロンドの髪を掻き上げながら、ランスロットを見やった。


「あぁ。たしかに聞こえた……。俺は、アンジュの声を頼りに、こちらの世界に戻って来た……」


 ランスロットは片手で顔を覆い、声を震わせていた。表情は見ることができないが、涙がぽたぽたと鎧に落ちている。


「アンジュ……」


 会いたい、愛おしい、そんな言葉が続いているような気がした。

 そして彼が嗚咽を漏らす度に、ノエルの心は締め付けられ、キリキリと痛んだ。

 アンジュのランスロットへの信頼、愛の深さを知ってしまった。ランスロットを闇の世界からこの世に呼び戻すほどの、奇跡のような二人の絆を知ってしまった。


 私が入り込む隙間なんて、最初からなかったんだ……。


 出会った時から、ランスロットの愛も、涙も、自分のものではなかった。

 今、自分にあるものは、胸にナイフが何本も刺さるような痛みだけ。

 痛い、苦しい。何も見たくないし、聞きたくない。


 ノエルは耐え切れず、ふらりと立ち上がり、暴れるセサミと紅茶のポットを手に取った。


「私、新しい紅茶をいただいてきますね」

「すまぬな、ノエルとやら」


 リナリーは笑顔を向けてくれたが、ノエルは自分がどんな表情を浮かべていたのかが分からなかった。ただただ、早く立ち去りたかった。

 そしてノエルは部屋を出ると、走って厨房に向かい、そこにいたモンロワにポットを渡した。


「すみません。お二人に、新しい紅茶をお願いしてもいいですか」

「あら、ノエルシェフ。アナタは? 」

「私、用があるので、そろそろ失礼します。ツァイスさんには、宜しくお伝えください。それと、ランスロットさんには、先に帰ったって伝えていただけますか? 」

「そうなの? それなら仕方ないけど……。大丈夫?」


 モンロワは、何となくノエルの異変に気がついたようだったが、ノエルは黙って頷き、リストランテ クロネアを後にした。とてもではないが、ランスロットと顔を合わすことなどできそうになかった。


「きゅう……」


 胸に抱いたセサミが、短い手をノエルの頬に向かって伸ばしている。頬に伝う涙を拭おうとしてくれていた。


「ごめんね、セサミ。せっかく楽しいお出掛けだったのにね。ごめんね……」


 ノエルはセサミの柔らかい体を抱き締めながら、何もかもを振り切るような気持ちで走り出した。


 逃げたい。どこか、遠くへ行ってしまいたい。

 こんな気持ち、なくなってしまえばいいのに。

 片想いって、どうしてこんなに苦しいの?


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