第8話 Aランク冒険者
主人が気に入らない人間に飛びかかったのを見て、私は小さく舌打ちをする。
今まさに息の根を止めてやろうと思った所だったのに。
「へぇ、あのシャロンが我慢できなくなるところなんて、初めて見たぜ」
主人の友人――確か、アドニスといったか。
アドニスは私に近づいてくると、しれっと隣に立った。
「俺も人のこといえないけど、シャロンは細っこいからさ。結構ヨウドに絡まれてたのよ。でも今までさんざんいびられてたのに、こんな風になることはなかったんだよなぁ」
「……何がいいたい」
「あんたのおかげだって話。俺はあいつがちゃんと怒れるやつだって分かって、心底安心したぜ」
「……」
私が主人に少なからず影響を与えている?
それは――少しだけ嬉しい。
喜びの感情を抱いたことなどなかったから確証はないけれど、この暖かさはきっと嬉しいというものなのだろう。
「ま、あとはBランク相手にどこまでやれるかって話なんだけど」
「問題ない」
「へ?」
「私の主人は、あの程度の男に遅れを取るような人間ではないからだ」
主人の強さは、私のこの目で確かめた。
びーだかしーだか知らないが、主人が負ける要素など、この場に限りはゼロに等しい。
◆
「おら! さっきの威勢はどうした!」
「……」
ヨウドが俺に向かって何度も拳を突き出してくる。
しかし、どれも遅く感じた。
アークオーガ三体の猛攻に比べれば、ヨウドの攻撃などまさにそよ風といっても過言ではない。
当たっても死なない一撃では、今の俺に恐怖を与えることは不可能だ。
すべてを紙一重でかわし、ヨウドの迂闊な一撃を待つ。
「ちょこまかと! 動くんじゃ! ねぇ!」
(ここだ!)
痺れを切らしたヨウドの、大振りの一撃。
オーガとの戦いでも、こういった隙を見つけたことで一匹仕留めることができた。
俺はヨウドの拳を掻い潜り、鳩尾に拳を叩き込む。
カウンターに近い一発だった。
「がっ」
確かな手応えとともに、ヨウドは膝から崩れ落ちる。
息を吐き出すこともできない様子で、ヨウドは床にうずくまっていた。
かなり深く手応えを感じたし、しばらくは動けないだろう。
「二度と俺たちに近づくな」
見下ろしながらそう言い放ち、俺はヨウドに背を向けてベロニカたちの下へ戻ろうとする。
「ま、待て……!」
「……まだ何か用」
振り返れば、振るえる膝のままヨウドが立ち上がっていた。
腐ってもBランク冒険者。
タフさだけは尊敬できる。
「今のは油断しただけだ! 俺はまだ負けてねぇよ!」
「はぁ……」
嫌気が差して、思わずため息が漏れる。
おかげさまで良い準備運動にはなっているが、これ以上はやっても無駄だ。
今の俺なら、何度ぶつかろうが負ける気がしない。
「恥かかせやがって……! ぜってぇにぶっ殺して――」
「――はい、君たちそこまで!」
飛びかかろうとしていたヨウドの肩を、何者かが掴む。
それだけでヨウドの動きはピタリと止まり、同時にギルド内に静寂が訪れた。
「ここで暴れるより、これから説明するクエストの方で暴れてくれないかな」
「す、すみません……」
「周りにも迷惑をかけてしまうからね。そちらの君もいいかい?」
突然話を振られ、俺の肩が跳ねる。
とっさに頷き、肯定の意を示した。
「うんうん。それじゃ、改めて皆に僕の話を聞いてもらおうかな!」
突如として現れた鎧の男は、ギルド職員を連れてギルド内を歩く。
そうしていつもは踊り子などが使用するステージまで行くと、舞台の上に立った。
「おい、主人。あの人間は何者だ?」
「……Aランク冒険者、ルベルさんだ。この町を拠点にしている冒険者の中で、もっともランクが高くて……もっとも強い人だよ」
この町にも数名はいるAランク冒険者の中で、群を抜いて評価の高い男、それがルベルさんだった。
しばらくは町に接近中の大型魔物の処理に追われていると聞いていたんだけど、いつの間にか帰ってきていたようだ。
「やっぱり貫禄があるよなぁ」
「本当にね」
ルベルさんがもたらしてきた功績は数知れず。
今ではSランクにもっとも近い男としても有名だ。
「ごほん。皆、よく集まってくれた。今日ギルドの方に召集をかけてもらったのは、皆に協力してほしいことがあるからだ」
舞台上のルベルさんがそういうと、俺たちに職員から用紙が配られた。
そこには、ルベルさんが追っていた魔物が魔族になった可能性を示唆することが書いてある。
「そこにある通り、僕の追っていた魔物が魔族へと進化した可能性が高い。そして不甲斐ないことに、それを見失ってしまってね。でも、ギルドが昨日魔族の接近を観測してくれた。なんでも、この町に近づいてきているらしい」
その言葉に、冒険者たちがざわつく。
俺も、これには動揺を隠せなかった。
魔物が魔族に進化したということは、その危険度はAランク以上に跳ね上がったことを指す。
魔族は身体能力が高いだけではなく、それぞれが固有の能力を持つそうだ。
言及はしなかったが、ベロニカが使った炎の力もそれに当たるだろう。
もしも魔族の接近を許せば、多くの被害者が出ることは想像に難くない。
「魔王へと進化する前に倒さなければならないことは、理解してもらえると思う。少々荷が重いとは思うけど、僕たちで何とか食い止めたい。だから、皆の力を借りたいんだ」
ギルド内のざわつきはさらに大きくなる。
相手が魔族ともなれば、この反応は当然だ。
純粋に、リスクが高すぎる。
「もちろん、魔族と直接戦う必要はない。魔族は十中八九『魔力』を扱える。『魔力』を扱える者は僕と魔族の相手を、扱えない者は魔族が連れているであろう魔物の群れの相手を頼みたい。そして――」
ギルドの職員たちが、金貨の入った袋を持ってくる。
「危険度に見合った報酬は用意してもらった。一人、金貨百枚。活躍によっては千枚までは払う用意がある。負傷すれば特別な手当も出るようにした。どうか、僕に力を借してくれ」
ルベルさんが、深々と頭を下げる。
通常のクエストでは考えられないほどの高額報酬だ。
リスクに見合う金額かと聞かれれば少し疑問だけど、むしろここまでの振る舞い方は状況の深刻さをさらに主張している。
「辞退してもらっても構わない。報酬の問題であれば相談にも乗ろう。クエストに参加する意志がある者だけ、ここに残ってほしい」
辞退が許可されたことで、冒険者の半分以上がギルドから出ていく。
残っているのは余程金に困っている者か、実力に自信がある者ばかり。
ベロニカと同じ種族の存在が気になったからなんていう興味本意な理由で残った者は、俺しかいないだろう。
少し驚いたのは、となりにまだアドニスが残っていることだ。
「珍しいね、アドニス」
「……俺、ずっと欲しかった新しい弓があったんだ。今まで高くて中々手を出せなかったけど、この報酬ならお釣りがくる」
アドニスの目が、金貨になっていた。
こうも分かりやすく金に目が眩んでいることを主張してくるとは、いっそ清々しい。
「それに、今回は魔族どころか魔王様がいるわけだし?」
「私は主人以外を守る気はないぞ」
「大丈夫! 俺はシャロンの後ろにいるから!」
「まあ、アドニスの武器は弓だしね……」
アドニスの弓の腕は確かだ。
それはクエストを何度も共にしている俺が保証する。
しかし、一つ気になることがあった。
「おい、シャロン……」
「分かってるよ。面倒事が起きなきゃいいけど」
視界を少しズラすと、そこにはヨウドが舞台の上を頬を緩めながら眺めている姿が映る。
「敵は魔族か……相手にとって不足はねぇな」
何を言っているんだ、あの男は。
変に絡まれて足を引っ張られないことを祈りつつ、俺も舞台の上へと視線を戻した。
「――残ったのは十人ほどか。うん、十分! 君たちの勇敢さに、僕は敬意を表したい。出発は昼、それまでに各自準備を整えておいてくれ」
解散の号令とともに、残っていた冒険者たちもギルドの外へと出ていく。
俺も装備などを新調しようと出ていこうとすると、肩に何者かがぶつかった。
明らかにわざとであることから、すぐに誰かは分かったけれど。
「おい、Cランク。俺たちの足引っ張るんじゃねぇぞ」
「……」
「はっ、ビビってんなら降りろってんだよ! 邪魔だからよぉ!」
ヨウドは人を苛つかせる声でそう言うと、笑いながらギルドを出ていく。
もはや会話すらしたくないことを、彼は分かってくれなかったようだ。
「あの人間、やはり殺すか」
「ほっときなよ。ベロニカの手が汚れる」
「むぅ……」
「それよりも、ベロニカの装備も整えに行こう。いつまでも奴隷服のままではいさせたくないし」
俺はヨウドを睨みつけ続けるベロニカの裾を引っ張り、ギルドから出る。
「じゃあ、俺こっちだから!」
「うん。また後で、アドニス」
「おう!」
ギルド前でアドニスと別れ、俺はベロニカを連れて町を歩く。
目指すは行きつけの店。
ベロニカが気に入ってくれるといいんだけど……。