第6話 開花
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私は、人間が嫌いだ。
「うおぉぉ!」
「オォォォォォ!」
まさしく今、私の呼んだアークオーガどもと戦っている人間も、もちろん嫌いだ。
人間は、私達に酷い仕打ちをしてきた。
私はただ、行く場を失った弱い魔族や同族の魔物のために、安全に過ごせる場所を作りたかっただけだ。
侵略した覚えもなければ、人間にわざわざ攻撃した覚えもない。
しかし、人間はすぐに私達に襲いかかり、せっかく見つけた居場所を追いやる。
追いやられたと思えばまた襲いかかってきて、その度に私は戦った。
仲間は死に、ついてくる者もずいぶんと減った。
悪名もひろがってしまったせいで、結局世界中どこを探しても私自身の居場所がなくなった。
(だからもう、どうでもいい)
命をかけて必死に戦う人間の姿を眺めながら、私は近くの木に寄り掛かる。
せいぜいこの生命を、人間を不幸にすることに使おう。
私を買った身の程知らずを、後悔のどん底に落とすんだ。
毎日飽きもせず私をムチで打ってきたやつも、食事も与えず地下牢に放置してきたやつも、私の体を切り開き、臓器を売ろうとしていたやつも、皆こうしてきた。
だから、これでいいんだ。
「はぁ……はぁ……っ!」
シャロンとかいう人間は、まだ死なない。
私を買った人間にしては珍しく、オーガ三体の猛攻をかろうじてかわし続けている。
しぶとい……が、木っ端微塵にされるのも時間の問題だ。
どれだけ足掻いても、あの人間では懐に潜り込めやしない。
「うわっ!」
それ見たことか。
棍棒が振られた風圧で、大きく後ろへ下がらされている。
体勢は立て直したようだが、オーガたちの猛攻に手も足も出ていない。
いい……気味だ。
(――違う)
私は、頭を抱えた。
そうだ、私は、こんなことがしたかったわけじゃない。
どす黒い憎しみの感情が渦巻いていたが、そんなものはとっくに落ち着いていた。
それこそ、捕らえられたそのときから。
私はただ、居場所が欲しかっただけ――。
「ここで――死ねるか!」
……驚くべきことが起きた。
人間が、目の前でオーガの腕を斬り飛ばしたのだ。
腕には棍棒があっため、同時に一体目のオーガは武器を失ってしまう。
人間はそのオーガに接近し、心臓へと短刀を突き入れた。
「“攻花” ――――“赤椿”!」
刺したあとに捻りが加えられた短刀は、心臓への致命的な一撃をさらに深刻なものにした。
短刀が引き抜かれると、まるで椿の花びらの広がりのような返り血が吹き出す。
それに当たらぬよう身を引いていた人間は、油断なく短刀を構えた。
「はぁ……はぁ……ごめん、もう少し待たせる」
この期に及んで、何をいっているんだこの人間は。
今までにない人間との遭遇に、私は深く動揺している。
どうして――。
「どうして……そこまでするのだ」
「へ?」
「私という人間の敵一人に、どうして貴様が命をかける」
率直な問いが、口から滑り落ちていた。
おかしい、自分を買った相手のことなど知りたくもなかったのに。
なぜ返答なんぞを期待してしまっているんだ。
「……そんなの、決まってる」
「なに?」
「俺が、ベロニカの居場所になるためだ」
私は耳を疑った。
どうして、どうしてこの男は、私がもっとも欲しがっているものが分かったのか。
「俺は、ベロニカと同じ目を知っている。どこにも居場所を見いだせなくて、行く宛を失ってしまったときの感情を知っている。誰かに手を差し伸べてもらって、ここにいてもいいと言ってもらいたい欲望を知っている」
「……っ」
「ベロニカの本音が聞けたとき、俺は、お前が俺に似ていると思ったんだ。だから……俺がベロニカの居場所になれたらなって」
「そんなのっ……信じられるわけが……」
「こうして命かけて戦ってるのが証拠だろ? もう少し待ってて、何とか終わらせるから」
そういって、人間は残りのオーガ二体に飛びかかっていった。
どうしたことか、今まで劣勢に見えていたはずの戦況は、瞬く間にひっくり返っている。
人間はオーガの一撃をすべて最低限の動きでかわし、的確に出血が激しくなる部分を斬りつけていた。
この土壇場で、極限まで集中力が高まっているのかもしれない。
もしかしたら……この人間なら。
「っ! ベロニカ!」
生まれて初めて、他人へと期待してしまったからか。
私は、かつてないほどに油断していた。
新たなアークオーガが、真後ろまで迫っていたことに気づかないほどに。
「くそっ!」
「オォォォォ!」
巨大な棍棒が、横薙ぎに振るわれる。
あわや命中と思われた次の瞬間、私の体は何者かに突き飛ばされ、地面を転がっていた。
「なっ――」
そして視界に映ったのは、人間――シャロンが、真横から棍棒を受けて吹き飛ぶ光景であった。
◆
「なっ――」
目を見開いているベロニカの姿が、視界に映った。
そして次の瞬間、俺の体は強い衝撃を受けると同時に、視界が目まぐるしく変化する。
地面を何度か跳ねながら、俺は再び木へと叩きつけられた。
先程よりももろに受けてしまっている。
身を起こそうとするが、口から血を吐くと同時に地に伏した。
左側から受けたせいで左腕はへし折れており、つながりかけていた肋骨がまた折れている。
もしかしたら、その骨が内蔵を傷つけたのかもしれない。
(起きないと……っ!)
必死に歯を食いしばりながら、体に力を入れる。
オーガたちがすぐそこまで迫っているんだ。
ここで立たなければ、試練とか以前に死んでしまう。
「ごほっ」
こみ上げてくる吐き気から、今度は水音がするほどの吐血してしまう。
駄目だ、足に力が入らない。
顔を上げれば、すでに三体に戻ったオーガのうちの一体が、俺に向かって棍棒を振り上げていた。
もう受けきれないし、かわすこともできない。
「――おい」
今まさしく振り下ろされようとしていた瞬間、突然そのオーガの体が真横に吹き飛んだ。
俺も残りのオーガも、突然過ぎて声も上げられない。
「私に手を出しておいて、無視をするな」
いつの間にか、目の前にベロニカが立っていた。
拳を横薙ぎに振り抜いている姿勢から、今のも彼女がやったことなのだろう。
速すぎて見えなかったけど……。
「オーガの一撃など、私に傷一つ負わせられなかったものを……おい、主人」
「えっ……あ、お、俺?」
「他に誰がいる。不本意ながら、私は貴様をそう呼ぶことに決めた。貴様が私の居場所になるというのであれば――――その貴様を守るための剣や盾くらいにはなってやる」
「……」
「まだ主人と完全に認めたわけではないがな」
ベロニカは、仁王立ちをしながら俺に言い放った。
明らかに奴隷の態度ではないが、この際何でもいい。
彼女が、主人と呼んでくれた。
それだけで、俺の心は歓喜に満たされる。
「返事はどうした」
「っ、嬉し――じゃなくて、ありがとう。よろしく頼む!」
「締まらない男だ。仕方ない、頼まれてやる」
ベロニカは身を翻すと、今まさに棍棒を振り下ろそうとしていたオーガの腹を殴りつける。
すると、オーガはうめき声を上げることすらできずに吹き飛んだ。
一体、その細腕のどこにそんな力があるというのだろうか。
「“華炎”――――」
ベロニカの右手に、火が灯る。
普通の炎とは違う、赤黒い炎だ。
その手で残ったオーガの顔を掴むと、力任せに地面へと叩きつける。
「――“開火”」
オーガの頭を中心に、炎の華が開花した。
肉が焦げる臭いがし、聞くに堪えない絶叫が周囲にこだまする。
しかし、そんな声もすぐに収まった。
炎が収束し、ベロニカはオーガから手を離す。
完全に焼き尽くされたオーガの顔は、もはや原型を留めていない。
「そこで見ていろ。これが、魔王たる私の戦いだ」
吹き飛ばされたオーガたちが起き上がり、二体揃って突進を仕掛けてくる。
満身創痍でありながら、最後の攻撃のつもりらしい。
「王に対し、臆さず向かってくる姿勢は褒めよう。しかし、無謀であることを知れ」
「オオォォ!」
ベロニカは、ゆっくりその腕を二体のオーガへと向ける。
その手には、先程と同じように赤黒い火が灯っていた。
「“華炎”――――“三分咲き”」
炎の華が咲き乱れ、オーガたちを包み込む。
絶叫が響いた。
華に捕らえられたオーガたちは逃れる術なく、炎に焼かれていく。
やがて声が消え、彼らが物言わぬ炭になった頃、ベロニカが俺の方へ振り返った。
「お気に召したか、主人」
「……最高だよ」
ベロニカが差し出してきた手を取り、俺は立ち上がる。
――と同時に、俺はベロニカに力なく寄りかかってしまった。
「あれ……」
そういえば、自分が重傷であることを忘れていた。
熱を感じるのは、きっと彼女の炎のせいではない。
「チッ……こうなったのは私の責任でもある。今は休め」
「ありがとう……そう、する……」
ベロニカの体温が、俺を落ち着かせる。
大きな喜びとともに、俺の意識は闇へと落ちていった。