第5話 魔王の試練
「あそこか」
血の跡を追っていくと、山の岩場へとたどり着く。
その岩場には一つだけ大きく凹んでいる部分があり、その周りに二十体ほどのコボルトがいることを確認した。
おそらくは、窪みの中に群れの長がいるのだろう。
「よし、行くよ」
「なぜ私まで……」
俺はベロニカについてくるよう指示して、群れへと飛び込む。
飛び込みざまに投げナイフを二本投擲し、二体のコボルトを仕留めた。
事態が飲み込めていない別のコボルトを短刀で仕留めながら着地し、近くにいた個体の首にも続けて短刀振る。
的確に頸動脈を切り裂いて致命傷を与えながら、俺は巣穴へと走り出した。
それなりに討伐依頼はこなしてきたから、これくらいはお手の物である。
(ベロニカの様子は――っと)
投げナイフで二匹、短刀で五匹ほど片付けて余裕を作ったあと、ベロニカの方へ視線を向ける。
ベロニカは広場の中心に堂々と立っていた。
魔物が魔物同士で争うことがあるように、コボルトからは当然敵として扱われてはいるようだ。
しかしそのコボルトたちは、ベロニカに飛びかかる様子を見せない。
むしろ、彼女に対して恐怖を抱いているような――そんな印象を受ける。
ベロニカ自身も自分からは手を出す気がないのか、ただ立っているだけだ。
(当初の目論見は外れたな……)
俺は一つため息をつき、ベロニカの周りにいるコボルトを始末する。
地に伏したコボルトから短刀を引き抜きながら、彼女へと視線を向けた。
「魔王の威圧感かなにか?」
「こいつらは格の違いを理解しているからな。貴様ら人間よりも賢い」
「その言い方、それはそれで嫌だな……」
現に俺にしか攻撃が来ないし、何も言い返せやしないのだけど。
目論見は外れてしまったけど、クエストはクエストだ。
さっさと片付けてしまうべく、俺は改めて短刀を構え、少なくなった群れへと飛びかかる。
◆
「こいつが長か……」
「オォォォォ!」
巣穴から出てきたのは、俺よりも一回りは大きい体格を持つコボルトだった。
通常のコボルトの二倍はあるだろう。
手には、冒険者から奪ったであろう両手剣がある。
「よし!」
短刀についたコボルトの血を払い、ボスコボルトへ一気に肉薄する。
ボスコボルトは横薙ぎに両手剣を振るが、俺はその下を掻い潜ってナイフが届く距離まで接近した。
このチャンスを逃す訳にはいかない。
心臓目掛け、短刀を突き出す。
しかし、突き刺さったのは先端だけに留まった。
ボスコボルトが後ろへ跳んだからである。
「えっ」
「ギィィヤ!」
「あぶなっ!」
後ろへ跳びながら、ボスコボルトは両手剣を再び横薙ぎに振るってきた。
とっさに体を反らしてかわして事なきを得るが、あまりの動きの良さに少々驚いてしまう。
反らした状態からバク転して距離を取り、ボスコボルトの様子を窺った。
ボスコボルトは油断なく両手剣を構え、俺を睨みつけている。
相当長く生きているコボルトのようだ。
避け方、攻撃のタイミング、すべてが付け焼き刃や反射ではなく、体に染みついた経験から来る動きにしか見えない。
ここまで経験を積んだコボルトだと、単体でもCランク以上の驚異があると思われる。
「ふぅー……」
息を吐き、脱力して小さな跳躍を繰り返す。
変に警戒して固まるより、こうして身軽になっていた方が、俺は動きやすい。
俺の武器はパワーや打たれ強さではなく、当てて避けるを繰り返す機動力を活かしたスタイルであることは自覚している。
目の前のコボルトは明らかなパワータイプ。
一撃の重さは致命傷たりうるものだが、その分見切りやすい。
「ギィィォォォォ!」
潰れた声で雄叫びを上げながら、ボスコボルトは俺に向かって突進を仕掛けてくる。
両手剣を振り上げながら正面から突っ込んでくるところを見るに、俺を取るに足らない存在だと確信しているはずだ。
確かに、あの剣をかわすことができても、そのまま突進されて吹き飛ぶのが目に見えている。
しかし、敵がそう思っている今が好機。
「“流花”――――」
ボスコボルトが真っ直ぐ剣を振り下ろしてくる。
俺は足運びで体を反転させ、まず剣をかわした。
そのままボスコボルトの体に触れる寸前で再び体を翻し、吹き飛ばされることなくすれ違う。
そしてそのすれ違いざま、ボスコボルトの喉元へ短刀を滑らせた。
「――“舞桜"」
「ぎっ……イィァ……」
喉元から血しぶきを上げながら、ボスコボルトは崩れ落ちる。
短刀の血を払い、背中の鞘に納めた俺は、まずボスコボルトが完全に絶命しているかを確認した。
動く気配もなく、心臓も止まっている。
それを確認し、巣穴の中にもう魔物が残っていないことも確認して、俺はようやく息を吐いた。
「ふぅ、終わった」
まさか、ボスコボルトがこれほど驚異に感じるとは。
一人で解決できたことを嬉しく思いつつも、一歩間違えれば致命傷を負っていたことへの恐怖がふつふつと湧いてくる。
一筋垂れた冷や汗を拭い、俺はベロニカの下へと歩み寄った。
「ベロニカ、帰るよ」
「――まだ終わっていないのにか?」
「え――――」
突如、俺は真横から強烈な衝撃を受けて吹き飛ぶ。
木に叩きつけられ、ずるりと地面に倒れた俺が顔を上げると、今まで立っていた場所に大柄の影が立っていた。
三メートルに到達しているであろう巨体に、丸太を楽々持ち上げられるだろう巨腕。
俺の身長ほどはあろうかという棍棒を持っており、どうやら俺はそれに殴り飛ばされたようだ。
青い皮膚を持っているところから、一つの魔物の名前が浮かび上がる。
アークオーガ、オーガと呼ばれるDランクの魔物の、上位種だ。
ランクは、B。
いまだ一人では相手にしたくない敵だ。
「……嘘だろ」
そんなアークオーガが、見える範囲で三体。
本来は群れを作らないはずのアークオーガが、どうして――。
「酷い様だな、人間」
「ベロニカ……」
ベロニカは、薄ら笑いを浮かべながら俺を見ていた。
そうか、理解した。
「お前が呼んだのか」
「ああ。私には魔物を従わせる能力はないが、魔物と同じ声で呼ぶことはできる。魔王なら当然使える力だ。覚えておくがいい」
「な、何で……げほっ」
立ち上がろうとして、再び崩れ落ちる。
相当ダメージが深い。
おそらく、肋骨が数本折れている。
俺は懐から回復ポーションを取り出し、一気に流し込んだ。
回復ポーションは瞬時に怪我を治すものではないが、骨折程度であれば数分で治療してくれる。
飲んだばかりでも痛みを和らげる力があり、これがなければ死んでいた場面は何度かあった。
「何で? 私が今までどうやって主を殺してきたと思う?」
「どうやってって……あ」
奴隷商人が言っていた。
主人になった人間は、魔物に襲われるなど不幸な目に遭って死んだと。
それを思い出すと同時に、合点がいく。
今までの主人たちも、こうして殺害されたんだ。
「貴様は弱くない。だから、この辺りでもっとも強い魔物を呼ばせてもらった。私を奴隷として扱いたいなら、これくらいの試練、乗り越えてみせろ」
「少しは認めてくれたみたいで安心したけど、これは無茶だよ……」
「諦めて死ぬか?」
「嫌だ。だったら足掻いて死んだほうがましだ」
俺は立ち上がり、片手に短刀、片手に投げナイフを構える。
魔王の主人となるんだ。
彼女の言う通り、これくらい一人で何とかできなければ、そんな資格は手に入らない。
今の俺をすべて出し切って、ここを乗り越えてみせる。
俺はまず、自分を殴り飛ばしたオーガへと飛びかかった。