第2話 契約初日
「何度も言わせるな。この私こそが、魔王ベロニカである」
「は、はぁ……」
あのあと、俺は目立つのを避けて宿舎へと戻ってきた。
ひとまず詳しい話を聞かなければならないと、現在対面に座って紹介を受けている。
「おい人間」
「なんでしょう……」
「この私を地べたに座らせるなど、どういう案件だ。イスを用意しろ」
「は、はい!」
俺は部屋に備え付けられているイスを持ってきて、ベロニカの前に置く。
「何とも質素なイスだ。この際仕方ないが」
「す、すみません?」
ベロニカはイスに腰掛け、足を組む。
俺はその目の前に叱られているような形で座り、彼女を見上げた。
その際におみ足が目に入ることになるのだが、それ自体は眼福としかいえない。
「どこを見ている不敬者。殺されたいか?」
「ごめんなさい」
俺は視線を足からベロニカの顔へと向け直す。
そこには こちらを明らかに見下している顔があった。
「で……その魔王がどうして奴隷に?」
「貴様、不敬にもほどがあるぞ……まあいい。私は世界征服目前で、惜しくも勇者パーティに倒された。あの連中……集団で囲んで仕掛けてきおってからに!」
ベロニカが怒りの形相になると同時に、建物全体が揺れ始める。
これが魔王の威圧感か――っと、それどころではない。
「やめてくれ! ここで暴れても苦しむのは君だよ!」
「むっ……チッ、忌々しい首輪だ」
周囲の揺れが収まる。
どうやら怒りを沈めてくれたようだ。
しかし、この圧力――――もしかして、本当に魔王?
「それで、倒されてどうしたの?」
「……屈辱的なことに、私は殺されず捕らえられた。そうして、多額の金で国に売られたのだ」
「よく処刑されなかったね」
「人間側にほとんど被害を出していなかったせいだろう。魔族の仲間を集め始め、これからってときにあの勇者ども……決して許さんぞ」
「ああ……」
この世界は、魔物が進化する特性があるせいで魔王が生まれやすい。
魔物がまず魔族に進化し、さらに力をつけた魔族が魔王となる。
魔王は総じて人間を支配下に置こうと動くため、人間側は対策として『勇者』を育て上げた。
勇者は魔王が誕生するたびに、勢力が大きくなる前に芽を摘み取りに行く。
そうしてこの世界は、人間主体の世の中となっているのだ。
確かに気の毒ではあるが、俺としては奴隷として購入できたわけだし、喜ばしく思ってしまうわけだけれど。
「あ、俺の紹介がまだだった。俺はシャロン。Cランク冒険者だ」
「貴様のことなど興味ない。失せろ」
「主人に対してあまりに酷い……」
なんて冷たい奴隷なのだろう。
俺は主人のはずだよな?
――だったらもっと強気にいかなければ。
「おい、もう俺の奴隷なんだから、俺の言うことを――――」
「あ?」
「ごめんなさい」
本日二度目の謝罪であった。
まじ怖い。
早くも購入を後悔し始めている。
「ふん。人間なんぞに誰が従うか」
「でも、逆らって痛い目をみるのはベロニカ自身だろ?」
「私にとってはこの程度の痛みはないに等しい。体は動かなくなるが、首輪で私が痛めつけられることはないのだ」
思わず頭を抱えた。
魔王を奴隷にすること自体、間違っていたのではないだろうか。
本来、奴隷は主人に手を挙げたり逆らったりすることで、首輪から激痛が走るようになっている。
それが効かないとなれば、恐怖で支配することはまずできない。
元々痛めつける気などないが、逆らい続けられるのもまた違う。
「はぁ、夢のイチャイチャ生活が……」
「いちゃいちゃというのが何か分からないが、変な期待はしないことだな」
俺の夢、それは、可愛い奴隷と甘い生活を送ることだった。
今まで酷い目に遭ってきた奴隷をうんと甘やかし、恋人のように過ごしたかったのだ。
まあ、一瞬にして崩壊してしまったけれど。
この際返品も考えてしまうのだが――。
「……何見ている。鬱陶しいぞ」
――見た目は本当に好みなんだよなぁ。
ここまで酷い扱いを受けても、手放すのが惜しいと思ってしまう。
「はぁ。まあいいや、ちょっと出てくるから、ここで大人しくしてて」
「ふん」
「……逃げようとしたら、体が動かなくなるから」
この場所から出るなという命令を、ベロニカに課しておく。
これで外には出られないはず。
俺は一度気持ちを整理するために、宿舎を逃げるようにあとにした。
◆
「はぁ……やっちまったよ」
「おいおい、どうしたんだよ。夢の奴隷は買えたんだろ?」
「そうなんだけどさ……」
俺は冒険者ギルドに備え付けられている酒場に来ていた。
たまたま居合わせた先程の同期に捕まり、今は同じ席で酒を飲んでいる。
「聞いてくれるか、アドニス」
「おうともさ兄弟。今日はとことん付き合うぜ」
俺はいい友達を持った。
アドニスとは、冒険者を始めたときからの仲である。
一緒にクエストに参加して、ランクの高い魔物を倒したこともあった。
今でもよく話を聞いてもらったり、こうして飲むことも多い。
ただし、いまだに違和感を感じるのは、こんな男らしい口調のくせに見た目は少女のように可愛らしいところだ。
最初は女と勘違いしてしまい、かなり失礼なことをしてしまったのが記憶に新しい。
「――はぁ? 奴隷が魔王?」
「ああ……」
「そんな馬鹿な話があるかよ! 魔王ほど厄介なやつが奴隷になるなんて……マジ?」
「大マジだ。じゃなきゃこんなに悩んでないよ」
アドニスも、俺の表情を見て本当であることを察してくれたようだ。
話だけでは到底信じられないもんな。
俺も他人がこんな話をしていたら、絶対に信じなかったと思う。
「それで、その魔王様が従ってくれないと」
「そうなんだよ。どうすればいうこと聞いてくれるかなって」
「無理だろー! もういっそのこと返品すればいいんじゃねぇの?」
「……それはもったいないんだよな」
何度もいうようだが、ベロニカを手放せばきっと後悔する。
それに、俺には彼女が必要な気がするのだ。
ここで手放せば、どこかで俺の道が途絶えてしまう。
予感でしかないが、俺は自分の予感には逆らいたくない。
「――お前が返品しない方がいいって思うなら、その方がいいんだろうな。シャロンの予感はよく当たるし」
「そうだっけ?」
「一緒に行ったクエストでも、お前がいなかったら全滅してたぜ? お前があのとき直感で別れ道を選んでくれたおかげで、ちゃんと帰ってこれたんだから」
「そんなこともあったなぁ」
前に行ったクエストで、目標の魔物を討伐したあと別の魔物に追われてしまって、満身創痍だった俺たちは逃げるしかなかった。
道を間違えれば行き止まりに追い詰められてしまう状況で、なんとなくで俺が選んだ道が安全な道だったのだ。
あのときほど感謝されたことはなかった気がする。
「だったらさ、クエストにでも連れてけばいいんじゃね?」
「クエストに?」
「連れてったりすることはできるんだろ? じゃあクエストに連れてけば、自分だって命の危険があるんだから戦ってくれるだろ。一緒に戦ったりすれば、連帯感とかも生まれるしな」
「――それだ!」
俺は目の前にあった酒を飲み干すと、料金を机に叩きつけた。
こうしちゃいられない。
早く帰って明日の準備を整えなければ。
「ありがとう! アドニス!」
「お、おう……役にたったならよかったわ」
アドニスに声をかけて、俺はギルドを飛び出した。
しばらくは働かないと決めていたが、それは取りやめだ。
クエストに行って、少しずつ距離を縮めてみよう。