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自由ヶ丘利人はそれでも人を愛するようです。

作者: 安藤ナツ

「よ、譲治。おかえり」

 乱暴に扱ったせいで若干ホイールが曲がってしまった自転車を引いて帰宅した俺を迎えてくれたのは、家の前でカタナのリミテッドエディションを洗う親父だった。別段親父はバイクや自動車が好きと言うわけでもないが、このバイクを大切にしていた。

 もっとも、親父が最後にコレに乗っている姿を見たのはもう十年以上も昔の話で、こいつが今もまともに動くかどうかは怪しい。エンジンが回った所で、もう五〇になる親父が大型バイクに跨ると言うのも心配事が増えるだけなので止めて欲しい。そもそも一年に三ヶ月も日本にいない親父であるが、日本にいる時は日本にいる時で忙しく、ツーリングと洒落込む機会ほとんどないだろう。

 随分と維持費のかかるフィギア見たいなものだ。まあ、俺と違ってその維持費を自分で稼いでいるんだから誰も文句などないだろうが。

「……ただいま」

「さっき電話があったぜ? お前、面接に行かなかったんだって?」

 シニカルに笑いながらスポンジを動かす手を止めて親父は立ち上がった。身長は俺より少し低いはずなのに、体重や筋量は俺が圧倒的に勝っているはずなのに、何故だか親父を随分と大きく感じてしまう。

「何があった?」

 そんな親父が、怒るでも呆れるでもなく、下手に出るでも高圧的な態度でもなく、優しくもなく厳しくもなく、それが自分であると言うように訊ねて来た。

【あなたが誰かをだましたりすると、その人は悲しむ。だまされたことで何か損を受けたから、その人は悲しんでいるのではない。その人がもうあなたを信じ続けられないということが、その人を深く悲しませているのだ。今までのようにあなたをずっと信じていたかったからこそ、悲しみはより深くなるのだ。】

 問いかけに、ガキの頃から親父に何度も言われ続けたニーチェの箴言を思い出し、俺は正直に答える。我が親父殿は医者の癖にして、哲学者かぶれでもあった。いや、医者だからこそ、哲学にも通じているのか? 中卒の俺にはわからん。

「…………信じられないかもしれないが、女の子が誘拐されそうになってたんだ」

「ほう。それで?」

「間一髪、その子を助けた。で、家まで送った。そしたら面接の時間を過ぎてた。で、先方に連絡したら、来なくて良いってさ」

 しかし真実一〇〇%なのに、なんとも嘘臭い本当の話しだ。更に詳しく説明しようとすればするほど、現実味がなくなって来るのだから、なお恐ろしい。

「ふーん。で? どうしてわざわざ無関係のガキを助けたんだよ」

 だが、親父は信じてくれたようで、あっさりと話を進めた。

 質問は何とも冷血漢な雰囲気を持つものであった。が、それを言う親父が医者である事を考えると『なんだかなー』と言った感じだ。自分とは無関係な人間を助けられるのはアンタもじゃあないか。

 もっとも、親父は仕事であるから、完全ロハの俺とはやはり比べるのは筋違いだろうか?

 そうでなくとも、単純な“同情”を嫌っていたり、世間的に“弱者”と呼ばれるような人間に厳しかったりと、親父の信念と言うか芯は俺とは随分と離れており、単純に比較するのは無意味であるだろうが。

「別に、深い理由はねーよ」

 そんな事を考えながら正直に答える。目の前で少女が誘拐されそうになっていたあの時、俺の中にあったのは“許せない”と言う感情だけで、ありふれた感想しかなかった。行動に移すかどうかは別にして、百人中九十九人はそう思う筈だ。弱者を襲う理不尽な暴力を、心の底から認められる人間なんてそうはいない。

「理由もないのに面接サボったのかよ」

 もしかしたら、その一人かもしれない親父が更に訊ねる。

 やはり、俺は偽らずに答える。

「それ以外の“俺”はなかった。それだけだ」

 無職にはなりたくなかったが、それ以上に俺は俺以外の人間にはなりたくなかった。

「自己満足だな。それでお前は就職のチャンスを失って何を得たんだ? 阿保息子」

 そう正しく自己満足だ。

「『ありがとう』って言葉くらいかな」

 本当に、俺が得た物は彼女のその一言だけ。大きく育ち過ぎた二メートル近い身長と一〇〇キロを超える巨体に合う特注のジャケットや靴は買い換えないと駄目だし、自転車のフレームも曲がってしまった。指の骨が軋んで地味に痛いし、さっきから口の中が鉄錆臭い。

 まともに就活をしていれば、スーツはそのままだっただろうし、ガタつく自転車に乗って尻が痛くなることもなく、何処かが痛くなるとしても緊張で頭痛がした程度の物だろう。

 まったく本当に、我ながらどうしようもなく阿呆な奴だ。

「ふん。良いもん貰ったな」

 しかし親父は皮肉気でもなく歯を見せて笑った。

「『ありがとう』は何処の国でも税金がかからないからな」

「なんじゃそりゃあ」

「国はあらゆる物を奪って行くが、感謝の気持ちはその例外だ。最も巨大な窃盗団の癖に、何が本当に大切な物かを理解していないんだ。傑作だろ?」

 うーん。このおっさんが何を言っているか俺には偶にわからない。

 だが、機嫌良さそうに笑っている。

 俺は親父の用意した面接を一方的に蹴ったのに、顔を潰した形なのに、怒ってないのか?

「ま、面接程度どうでもいいさ」

「どうでも良いって……俺、二十二歳の高校中退職歴なしだぞ」

 世間的に考えて、俺は相当不味い立ち位置にいるんじゃあないだろうか? いや、疑問文にする必要なく不味いんだけど。近所で絶対噂になっているよな。親父もそうだが、俺だってそれなりに有名人になってしまっているし。

「【職業は生活の背景である】」

 そんな俺の不安を余所に、親父が短く言った。

「誰の言葉?」

「ニーチェだ。家に沢山本があるだろう?」

 本当に、この親父はニーチェ好きなのな。一体ニーチェが何冊の本を書いたか知らないが、我が家にはドイツ語の原典と日本語翻訳は当然として、親父が海外に行く度に現地言語の本を買って来る物だから沢山のニーチェの書籍が本棚に収まっている。他にも医学書やら物理学やら科学書やらが無数にあるが、俺や妹は漫画のコレクションしか読まないけど。

「それで? えっと、なんだって?」

「【職業は生活の背景である】」

「どう言う意味だ?」

 まあ、なんとなくわかる。

 働くって事は人生の根幹を担う行為だが、しかし主役ではないと言う事だろう。

 慰めになる様な、手抜き漫画の人生と指摘されている様な、なんとも言えない気分だな。

 しかし、親父の解説は俺の予想とはまるで違った。

「俺にとって、お前は大切な息子だってことさ」

「無職だぞ?」

 余りにもストレートなその言葉に、俺は早口に言葉を返す。

「だから、男の価値はそんな事で決まらないつーの」

 肩を竦め、嬉しい事を言ってくれる親父。が、しかしこの親父、医者なんだよな。

 一年の半分以上をかけて世界中を駆け回る、世界的にも高名な心臓外科医。それが親父の仕事だ。あくまで専門が心臓と言うだけであって、他の臓器にも詳しく、世界でも十指に入る医者である――と、親父を追ったドキュメンタリー番組で説明されていた。

 ちなみに、何故か弁護士資格を持っていて、アメリカで訴訟された際には法廷にいた全ての人間がうんざりするまで英語で自己を弁護した事でも有名である。どんな人生を送っていれば、理系と文系両方の高難度の資格を得る事が出来るんだろうか?

 そんなハイスペックな奴が【職業は生活の背景である】だとか『人の価値は仕事じゃあない』と言っても説得力が逆にない。持っている者の余裕であり、高みにいるからこその発言に思えてならない。

「じゃあ、何が男の価値は何が決めてくれるんだ?」

 親父はシニカルに笑って、しかし真っ直ぐに俺の問いに即答した。

「家族に決まってるだろ?」

 おいおい。これが俺の親父か。まったく、嫌になるほど格好良いじゃないか。

 だが、こうも格好良いと歯向かいたくなるのが子供だったりする。

「じゃあ、家族の為に医者を辞められるのか?」

「その時は弁護士かコンビニ店員にでもなるさ」

 俺の意地の悪い質問に、親父はやはり即答。一切の迷いなく、真剣に。

「コンビニ!? 何その選択肢!? 現代日本でその二択はあり得るの!?」

「あ? コンビニ店員舐めるなよ? 今や、日本を動かしているのはコンビニだぜ?コンビニのない世界を想像できるか? 俺がコンビニ店員になった暁には、その地位向上を約束してやるよ。」

 なんて無駄な公約なんだろうか……。

「それにニーチェはこうも言っている。【男たちは、自分の職業が他のいかなる職業よりも大切だと信ずるか、自分で思い込ませる以外に、その職業を持ちこたえることはまずできない】ってな。全国のお父さんのプライドなんてそんなもんさ」

 親父は肩を竦めて首を横に振る。

「名医とか言われているが、俺がいなけりゃ別の奴がそう呼ばれているに決まっているだろ。大体、俺が治そうが治さなかろうが人なんて百年も経ちゃあ勝手に死ぬしな。医者なんて無駄だよ、無駄。名医が笑えるぜ。無駄な事して金が貰えるんだ、お前も医者になったらどうだ?」

「あんたは世界中の医者と、自分が治して来た患者に謝った方が良い!」

 そして、因数分解もまともに出来ない俺が医者になれるとは思わない。

「かはは。そうだな。言い過ぎた。が、俺にとっちゃあ職業だとか、学歴だとか、命の重さだなんて、二の次さ。繰り返すが、男の価値は家族が決めるさ」

「それもニーチェ?」

 でも、ニーチェって結婚してたっけ?

「斉藤和義だ」

「あ、そう」

 ニーチェじゃあないのね。

 なんか変化球を投げられた気分になった俺は、反骨する気もなくなって首を横に振る。そしてボロボロのジャケットをその辺に投げ捨て、ネクタイを緩めて親父の足元にあったバイク用のワックス缶の蓋を開けてスポンジに擦り付ける。

「穀潰しが手伝うぜ」

「お? できるのか? 無職の癖に」

「ここでそれを責めるの!? ガキの頃から手伝ってだろ! できるわ!」

「冗談だよ、冗談」

 なんだその笑えない冗句! このおっさん俺の事を自分の価値だと思っているの!?

 収まった反骨心がまた沸々として来たぜ。滅茶苦茶綺麗にしてやろうじゃあねーか。シャツの袖をまくり、俺は作業に取り掛かる。親父はそれを見てシニカルに笑い、工具箱の上に腰を下ろした。その動作が昔と比べるとどうにもおっさんくさい。……まあ、事実おっさんだしな。そんな事よりも、磨け磨け。俺はバイクに集中し、親父は何が面白いのかそんな俺をただじっと見つめている。

 暫く無言の時間を俺達は共有する。

 俺は沈黙が苦手な方だったし、親父は裁判官がブチ切れる程にお喋り好きなので、俺達の間に空白が起きると言うのはかなり珍しい気がする。お袋も親父に輪をかけてお喋りだし、妹の奴は口数こそ少ないがその代わりにヴァイオリンやらピアノを弾きたくるので、我が家では例え蟹を食べていたとしても静かになることはない。

 しかし案外、こういった静かな時間と言うのも悪くはないものだ。

「なあ、親父」

 が、やっぱり違和感がある。堪え性がない俺はバイクを磨きながら背中越しに親父へと声をかけた。

「どうした、譲治。分数の割算をする時、片方の分母と分子を引っ繰り返して掛算する理由を知りたいのか?」

「違うよ! どんな話の流れでそんな質問だと思ったんだよ!」

 そんな疑問に思った事すらねーよ。でも、確かにどうしてアレは引っ繰り返して掛算するんだ? 掛算は増ややして、割算は減らすのに?

「じゃあ、何だ?」

「いや。どうしてお袋と結婚したのかな? って思ってさ」

 またぞろ、何かニーチェでも引用するのかと思っていた俺に、

「あ? お前、俺の女房に文句があるのか?」

 ドスの利いた親父の声。

「な、ないです」

 銃口を向けられた時よりもビビりながら、俺は首を横に振る。俺の意志とは関係なく、スポンジが地面に落ちた。どうやら、俺が医者になったとしても、テロリストに囲まれながらも大統領の心臓移植手術を成功させるのは難しそうだ。って言うか、何がどうなればそんな状況で手術をする事になるんだよ。あんたはブラック・ジャックか。そしてそこまで命張れる仕事をこの親父はコンビニ店員と比べたのか。

 それもある意味すげーよ。

「そうじゃなくてよ、俺や千歳は子供だろ? 言うならば、最初から家族だろ?」

 振り返りながら俺は訊ねる。親父はニヤニヤと笑っていた。なんか、時々父親と言うよりも、親戚の兄貴みたいにも親父の事を感じる。良い意味で、性格が子供に近いのだろうか?

「だな。知ってるか? お前らが腹の中にいて、顔も名前も人間性も分からない時から、俺達はお前達を愛していたんだぜ? これって、尋常な事じゃあないと思わないか? 奇蹟みたいな話だ。かはは。すげーよ、親って生き物は」

 まるで他人事のように親父は言うが、確かに言われて見れば信じられないことだ。

 俺が初めて好きになった人――まあ、お袋なんだが――を俺が愛したのは、彼女が俺を愛してくれていたからだ。美味いご飯を作ってくれたからだ。献身的に俺を看病してくれたからだ。

 こんな言い方をすると酷く人間味に欠けるが、俺に利益があるから俺はお袋を愛していたに過ぎなかったように思う。ただ母親であるから愛していたかと問われれば、かなり疑問が残る。生きる為に必要だから愛していたに過ぎなかったかもしれない。

 だが、親父とお袋は違う。ただ自分の子供であると言うだけで、二人は俺がまだ法律的に存在しない時から俺を愛していたと豪語する。そう言える両親の元に産まれた事は代え難い幸福な事なのだろう。

 因みに、お袋に気持ちを伝えたら即答で『ジョージは二番』と言われ、小学生だった俺の初恋は終わった。すげー、満面の笑みだったのを覚えている。俺が泣いたのはアレが最後だ。AKで横っ面を殴られても、右手の爪を親指から順に剥がれても、死体の山と一緒に燃やされそうになっても涙が出て来なかった事を考えると、あの時に涙は枯れたのかもしれない。

 そして、一生分の涙を流すほど好きだった袋が一番愛しているのが――この親父だ。

 センス悪っ!

 幾ら医者と言えど、正直恋人にしたい人間ではないだろう。

 …………それに負けた俺って。

 気を取り直して本題を訊ねよう。

「その親である親父に質問なんだけどよ、どうして親父はお袋と結婚したんだ?」

「千歳は同じ質問を十年は前にしたぜ? 遅れているなー、譲治君」

 我が妹は中々に早熟だったようだ。まあ、女の子はそう言う話が大好きだからなぁ。男子なんて小中通して週刊少年ジャンプだけで盛り上がれる生物なのに。

 この親父も、色恋に盛り上がるタイプではないだろう。どうやってお袋と出会ったんだろうか?

「俺とアイツはまあ、幼馴染だ」

 答えは予想外な“幼馴染”であった。じ、実在していたのか、幼馴染って。

 だが、それならば親父とお袋の接点もわかりやすい。

「ま、なんか気が付いたら結婚していたな。なんか知らん内に、あいつの彼氏って事になっていたんだよ、俺の親もあいつの親も公認カップルだ。笑えるだろ? 高三の夏に、向こうの親から『大学から近いマンション、探しておいたよ。同棲するんでしょ?』とか言われた時は、変な声出た」

 いやいやいや! それは笑えないだろ!

「俺が医者を目指したのを、アイツの実家を継ぐ為だと思っていたらしくてな。で、アイツの実家は優秀な後継ぎが欲しかったし、俺の親はアイツ以外に俺と結婚してくれるアホはいないと判断して、アイツの虚言をすっかり信じて人生計画を建てていた様だな」

「えぇ……。親父の自由意思何処にもねーやん」

「でも、まあ、その話を聴いた時、あいつと一緒にずっと過ごすって言うのも悪くないと思ったのも事実だ。『ああ、こいつが死ぬまで横にいるのか』って想像したら、それ以外の未来が想像できなくなった」

「それは、何で?」

「あいつと話すのは楽しい」

 そう、親父は素直に微笑んだ。

「【結婚するときはこう自問せよ。「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。】」

「斉藤和義?」

「ニーチェだよ。俺もあいつももう気が付けば五〇だ。俺は『お父さん』であいつは『お母さん』。学生だったのは遥か昔で、今や天才心臓外科医と引退した凄腕女傭兵だ。何もかも変わっちまった」

 お袋にそんな設定はない。普通の主婦だろ? 主婦だよね?

「どれ一つ、あの頃は想像すらできなかった。でも、あいつとなら俺はずっとベラベラ喋ってられる自信があった。それって、凄い愛だと思わないか?」

 そう笑う親父を見て、敵わないなぁと自分の未熟を感じた。

 同時に、これが俺の親父だと猛烈に誰かに自慢したい。




 四人でテーブルを囲んだ夕食の後、俺はお袋と並んで皿を洗っていた。かなり広いキッチンだとは言え、俺が並ぶと一挙に手狭に感じる。って言うか、シンクが低くて洗い物がしにくいんだよな。

 親父はソファに座りながら英語ではなさそうなタイトルの分厚い専門書らしき物を読み、千歳はクルクルと上機嫌に踊りながらヴァイオリンを即興で弾いている。アイツは若干ファザコンだから、親父がいると機嫌が非常に良い。

 そんな千歳を親父も可愛がっており『俺よりも頭が良くて、譲治より喧嘩が強い奴じゃないと彼氏として認めないからな』とわかりやすい親馬鹿っぷりを発揮している。医師と弁護士の免許を持った、元ヘビー級チャンピオの宇宙飛行士とでも結婚させるつもりなのだろうか? どんな奴だ。そいつにも嫁を選ぶ権利があるだろうに。

 珍しく、会話がない二階堂家。

 やはり堪え少なく俺からお袋へと小さく訊ねる。

「なあ、お袋」

 お袋は手を止める事無く俺の言葉に顔を上げた。歳、とったなぁ。

「ん? 皿洗いのお小遣いは一五〇円だよ?」

 小学生か、俺は。何時まで経っても、お袋にとって俺は子供か。

 その事を残念に思いながら――或いは嬉しく感じながら訊ねる。

「何で親父と結婚しようと思ったんだ?」

「何それ? 千歳ちゃんは十年前に同じ質問して来たよ?」

 それはさっき聞いた。

「んー。そうだね【夫婦生活は長い会話である】かな?」

「誰の言葉? 斎藤和義か?」

「ニーチェに決まってるでしょ?」

 あ、そう。

 千歳のヴァイオリンが突然に爆ぜる様に荒々しいメロディへと変わった。親父が何か言ったのだろうか? それとも気紛れだろうか。どっちでもいい。なんだか、妙に落ち着く。心地が良い。

 俺は口を閉じ、ただ黙って皿を洗う事にした。

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