第3話
「お、お兄ちゃんに、彼女ができた……」
「ち、違う!」
「アハッ♪」
天川は遙香に笑顔を向けた。だからアハッ♪じゃねえよ。
その笑顔を見た遙香は頬を朱に染め、一人で何度も首肯した後、やたら爽やかな笑顔を見せた。
「お兄ちゃん、お幸せに!」
そう言い残し、バタンッと勢いよくドアを閉める。
室内には、何だか靄がかかったような気怠い沈黙が訪れ、俺は閉じたドアを見つめたまま固まっていた。
「はむっ」
「ひいっ!?」
み、耳!!耳噛まれた!!
全力で飛び退くと、天川は舌をチロリと出して、唇を舐めた。
「ごちそうさま♪」
「なっ……お前、また……」
「さっ、はやく着替えて、朝御飯食べて学校へ行こう!」
天川はベッドから立ち上がり、スカートを整える。
そして、俺の傍を通り抜ける際に、ぽそっと呟いた。
「それとも、手伝って欲しい?」
「~~~~!」
俺が怒りのあまり口をぱくさせ、何か言葉を紡ごうとしていると、天川はするりと部屋を出て行った。
部屋には、奴の甘ったるい香りだけが残っていた。
そして、準備を終え、外に出ると、案の定門の前で待っていた。
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なんかもう追い払うのも面倒くさいので、とりあえず一緒に登校することにした。朝から無駄なことに労力を割きたくはないし、どうせ行き先は一緒だし。
ふと見上げた空は雲一つない晴天で、俺の沈鬱な心情とは対称的に思える。
そのことがやりきれなくて、つい独りごちる。
「はあ……何て朝だ」
「あはは!妹ちゃん、完全に誤解してたね~」
「うるせえよ!お前のせいだよ!……あれ?つーか、お前何で俺の家知ってるんだ?」
「だって表札に日野って書いてあったよ?」
「いや、そんなの理由にならないだろ。日野なんて大して珍しい名字でもないし」
「まあまあ、それよか手でも繋ぐ?」
「繋がない」
かなり強引にはぐらかされた。
そして、くだらない言い争い、というか俺が一人で怒っていると、後方から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。
振り向くと、見慣れた笑顔がそこにある。
彼女は俺達に向け、軽く手を挙げた。
「二人共、おはよう!」
「おう、双葉」
「おはよ!」
俺に続き、初対面のはずの天川も親しげに応じた。
彼女は、去年から引き続きクラスメートの双葉やよいだ。高校に進学する際にこの街に、というか、家の近くに引っ越してきたので、そこそこ親交がある。
ポニーテールにした長い黒髪と、起伏の大きなボディラインが特徴で、男子からも高い人気を誇る、クラスの中心人物だ。
双葉はポニーテールを揺らしながら俺と天川を見比べ、数秒間首を傾げて黙考し、また笑顔を見せた。
「へ~、お二人はもうすっかり仲良しさんなんだね~!」
その言葉に天川は嬉しそうに反応した。
「アハッ♪わかる?」
「いや、全然違う。頼むから止めてくれ」
俺と天川の真逆のリアクションを見た双葉は、首を傾げた後、そのまま天川に話しかけた。
「あの、天川君、いや、天川さん?なんか昨日はごめんね?あの……何て話しかければいいかわからなくて……」
「いいよいいよ♪あんな自己紹介したら誰だって話しかけづらいに決まってるし!あと、君でもさんでも、好きな方で呼んでいいよ!」
ペコリと頭を下げる双葉に、天川はひらひら手を振り、本当に気にしてなさそうな笑顔を向ける。
どうやら心はそれなりに広いようだ。
ほんの少しだけ関心していると、天川は双葉の正面に立ち、笑みを深め、口を開いた。
「ねえねえ、いきなりなんだけど……二人は付き合ってるの?」
「は!?」
「え?」
何だ、コイツ……またわけのわからん爆弾を投下しやがって……。
双葉はキョトンとしていたが、次第に顔が赤くなり、ぶんぶん首を振った。
「ち、違うよ!違う違う!私は日野君とはそんな関係じゃ……!」
「…………」
当たり前のリアクションではあるが、思春期真っ盛りの男子高校生のハートには、決して小さくないダメージを与えられた。いや、別にいいんだけどね?わかってるから。
それより天川の奴、今度は何を考えてるんだ……。
「おい、天川……」
「そっかぁ、付き合ってないんだ?よかった♪」
「「?」」
俺と双葉が首を傾げていると、天川が俺の肩に触れた。
そして、耳元にその艶やかな唇を寄せてきた。
「これで心おきなくキミにアプローチできるね♪」
耳朶を撫でてきた言葉は、甘く優しく脳髄を刺激した。